第二十四話:それぞれの夜
戦いを終えた日の夜。
終電間際の
「まったく。遅いわよ」
眼鏡を指で直し、腕を組み立っている、白いロングコートとを羽織った霧華に、
「色々あったのだ。仕方なかろう」
紺のダッフルコートに赤と黒のチェックのマフラー、そしてジーンズを履いた御影は、腰に腕をやりながら、呆れた笑顔を返す。
その自然な立ち振舞に、霧華はふっと笑みを見ると。
「乗りなさい。家まで送るわ」
そう彼女を促す。
「うむ。済まぬ」
御影は短く礼を言うと、
彼は二人が乗り込んだのを確認し、静かにドアを閉めると、運転席に周り車を走らせた。
「それで。彼は?」
霧華は自然とそう尋ねる。まるで当たり前だと言わんばかりに。
しかし。
「何の事だ?」
突然の質問にも、御影は素知らぬ顔で尋ね返した。
車内の暗さもあってか。その声はとても自然なものに感じる。
「速水が、あなたの元に行ったでしょう?」
「何を言っているのだ。私はあいつを巻き込みたくないからこそ、何も伝えず向かったのだ。雅騎の事など知らんぞ?」
霧華が敢えて、はっきりと事実を突きつけるも、まったく意に介す素振りを見せない御影。
たまに街灯に照らされ見える彼女の表情からも、本当に知らないと言わんばかりの真実味を感じる。
──どういう事?
霧華は、そんな彼女を見ながら戸惑いを見せていた。
御影は以前雅騎に話していた通り、誰が見ても、本当に嘘が下手だ。
正直過ぎる性格から、大体すぐにボロを出す。
だか。今の彼女からはそんな気配は一切感じられない。
──まさか、彼は本当に?
冷静な彼女の心が揺れる。
そんな気持ちを知ってか知らずか。
「雅騎に、何かあったのか?」
真剣な顔で顔を向けた御影に。
「いえ。私の勘違いみたい。気にしないで」
思わず視線を逸し、霧華は窓の外を見る。
そんな彼女の姿を見届けると、御影も同じように視線を反対の窓の外に移した。
彼女は、雅騎との約束を果たすと決意していた。
──「もし誰かに聞かれても、俺の事は絶対に話さないでくれないか?」
彼は話してくれた。
霧華と佳穂がとても心配してくれていたことを。
そして。
自身がここに来た事を隠す為、フェルミナが彼のバイト休みの理由として、友人の墓参りに行ったと嘘を告げたことを。
嘘を真実にしなければ、彼女達に余計な心配を増やすことになる。そう言われ、御影は雅騎に深く頭を下げられていた。
確かに彼女は嘘が苦手だ。
だが。好きな者の優しき願いを聞かされた時。その意思を貫けないはずがない。
──これでよいのだな。雅騎。
御影は闇夜に
ただひとつ。彼の望む結末のために。
* * * * *
御影が一人、家に戻ったその日。
旅館に残った
「光里」
湯呑を座卓に置いた
突然の呼びかけに、光里はきょとんとしながら母を見た。
「貴方は
「はい」
「
「それは……」
当時の事を思い出し、彼女は思わず顔を赤らめた。
あの時は必死でそんな事を考えもしなかったが。落ち着いて考えれば、バスタオルをしていたとはいえ男女二人、温泉に並んで浸かっていたのだ。
それは十分羞恥心を煽るもの。そんな反応も仕方ないだろう。
光里の思わぬ反応に、
普段は凛とした真面目な光里だが、彼女もまた思春期の少女なのかと、今更ながら感じてしまったのだから。
「もし雅騎に口止めをされているようであれば、無理せずともよいのですよ」
あまりに乙女な反応を示す娘に、優しく目を細めた
「あ、そういう訳ではございません!」
我に返った光里は、慌てて首を振り、その時のことを余さず母に話して聞かせた。
光里は、祖父や母に話していない力を持っていた。
それは、
これは神通力のようなもので、あくまでこちらの意思を伝えるだけのものなのだが。
そんな力を彼女は、常に自然とあったこの地で身につけていたのだという。
その力にて、雅騎に事の次第を話した直後。
光里は彼に手を掴まれ、同じように心に語りかけられたという。
この後に起こる事を知っている事。
自身はそれを止めるために、この地に来た事。
自身の行動が、御影と光里の意思に反するかもしれない事。
それでも御影を止め、二人を助けたいこと。
そして。
その上で、
「語られた話には未来がありました。ですが同時に、私にはただの夢物語ではないかとも、感じておりました」
「……まあ、突然それを信じろと言っても、無理じゃろうな」
茶で煎餅を流し込み、息を大きく
「で? 何故お前は、それでもあやつを信じようと思ったんじゃ?」
「それは……」
食いつくような視線に、光里は少々たじろぎ、困った顔で俯く。
ちらちらと
「……ひとつは、以前
「御影から?」
そう問い返す
「今年の夏に遊びに来た際、
「御影らしいのう」
その光景が容易に想像できたのだろう。思わずにんまりとする
「私は、その話と写真で見たお姿しか知りませんでした。ですがあの時の雅騎様は、とても優しく私に語りかけてくれたのです。それだけで、
「それが、ひとつか?」
「はい。そして、もうひとつは……」
そう口にすると、光里はまたも少し、顔を赤らめる。
その反応に、
「『俺を信じてくれないか?』。そう、言われたのですか?」
「……はい」
恥ずかしさが高まりすぎたのか。返ったのはとてもか細い返事だった。
またもため息を漏らし。僅かに心を落ち着けた後、彼女は再び語りだす。
「私は、殿方にそのような言葉を掛けていただいた事などありませんでした。しかも雅騎様からすれば、
恥ずかしそうに縮こまる光里に、
二人の表情の変化に、
「まったく。
昔より、気づけば人を惹きつけていた息子の姿を思い出したのか。
満足そうに髭を撫で、そんな言葉を掛けると。
「ええ。本当に」
相槌を打った
──貴方が娘達のために、導いてくれたのですか?
今は亡き夫に問い掛けるも。
勿論それに応えるはずもなく、真偽など分かるはずもないのだが。
御影と光里の、雅騎との出逢いから始まりしこの闘いの結末に。
* * * * *
同じ頃。
雅騎とフェルミナもまた、旅館の一室にいた。
朝に御影と会った時には、既に心を読む力も封じて貰っていた。それ以上の治療も特に必要はなかったため、二人もまた家に帰っても良かったのだが。
「折角なんだし、もう一泊くらいしていきましょ」
御影と一緒に戻るわけにもいかない彼は、そんなフェルミナの提案を受け入れたのだが。
座卓を挟み向かい合って座る、浴衣姿の雅騎とフェルミナ。
今日初めて、落ち着いて過ごす二人だけの空間。それは
「全くあなたは……」
呆れるように口にしたフェルミナに、雅騎は困った顔をすると、視線を逸して左手で頬杖を突く。
「
「仕方ないだろ。他にも怪我人がいたんだし」
自身を責める言葉に、聞き飽きたと言わんばかりの言葉を返す彼を見て、フェルミナもまた大きくため息を漏らす。
「そうだとしてもよ。その身体のままで
「違う! それしか、なかったんだって……」
ストレート過ぎる物言いが心に刺さったのか。
雅騎は一瞬語気を強くするも、結局歯切れ悪く答える。
顔を見ずとも、彼は声で気づいていた。
フェルミナが本気で心配してくれていると。
そしてフェルミナもまた、分かっていた。
彼の言葉に、嘘はないのだと。
雅騎があの時駆使した術、
それは己の体内の
この術により術者は意図した属性の術を、
残念ながら、雅騎にとってこの術は、諸刃となる術でもあった。
何故かといえば。彼に限っては、帯びた属性が同時に身体を
雅騎は今回自身の
この術は、それだけの危険を伴っていた。
フェルミナは、彼が幼い時にこの力で人を助け、命を失い掛けた過去を知っている。
それを使わねば勝てなかったであろう現実も。
だが。一歩間違えば未来を失う事になった選択を、安易に認められなどしない。
「とにかく。少し無茶は控えなさい」
ピシャリとそう告げる彼女をちらりと横目で見た雅騎は、顔に浮かぶ真剣さを見て。
「分かってるって」
観念したように渋々そう返すと、自身の右手首を顔の前に出し、恨めしそうにじっと見つめた。
二人の目に映るのは、手首にある赤黒い文様。
彼は何も言わない。
だが、彼が言いたい事は分かる。
「変な気は起こさないでね。あなただって知っているでしょ? それがなかったら、死ぬわよ」
同じ物を見ながら、フェルミナがはっきりと、釘を差すように彼に改めて事実を突きつけた。
彼の腕にある封印。
これもまた彼の命を左右するものだった。
この封印は、過剰な
その流入の限界を超えそうになると、赤く光を帯び、それを制限するのだが。
この封印が光ったからこそ。
フェルミナは彼の元に現れることができたものでもある。
それは御影を助ける為に、厳しい戦いに身を置かねばならない可能性を伝え、その助力を得る為。
フェルミナは思案した上で、二つの協力をした。
ひとつは彼女の手持ちにあった、すべての
そしてもうひとつ。
腕の文様の警告があった際にそれを感知し、助けに来てもらう事。
雅騎としても、それは自身に何かあった際の万が一に備えての提案ではあったのだが。
フェルミナはそれを快諾し、もしもの為に備え、何時でも彼の元に
結果として。
彼女がこれだけの手回ししていなければ、雅騎はこの世におらず。
彼自身もこれらに頼り、非常に危うい綱渡りを続けた事になる。
──本当に、変わらないんだから。
今回こそ、戦いを告げていった雅騎だったが。
昔から彼はそうだった。
自殺志願者ではない。
だが。誰かのために何かを成し遂げようとする時、その命を
特異な力がありながら、ある者を助けることができず、見守るしかできなかった。
その無力さを知って以降、よりその色を強くして。
雅騎のそんな危うさを、長く付き合いがあるフェルミナは知っている。
だからこそ。
「そういうところよ。あなたの悪いところは」
「あの子だって、あなたが死ぬのなんて望んでないわよ」
心配そうな瞳を向けた。
そっぽを向いたまま姿勢は変えず、またもちらりと目だけで彼女を見返す。
言葉の意味を感じとったのか。雅騎は返事をせず、またも目線を逸し大きく息を
頭に浮かんだのは、一ヶ月ほど前の夢の中で見た白髪の少女。
──……ごめん。
彼の中でもギリギリだった、今回の生の選択。
それがもしかしたら、今もあの時のような顔をさせているのではないか。
フェルミナの言葉からそんな事を考えると、心が痛む。だが、それを顔には出しはしなかった。
と、刹那。
突然、座卓の上の彼のスマートフォンが、短く震えた。
見えた通知は、佳穂からのMINEがあったことを示す。
静かにスマートフォンを右手に取り、ロックを解除しMINEを見ると。
『速水君! 御影が帰ってきたの!』
そこには短い、しかし興奮が強く感じられる言葉と、続く嬉しくて号泣する可愛いウサギのスタンプがあった。
それを見て、雅騎はほっとした笑みを浮かべると、
『そっか。良かった』
短くそう返し、バンザイするペンギンのスタンプを追加する。
「誰からなの?」
彼の表情の変化に気づき、フェルミナが声を掛ける。
「綾摩さんから。御影が帰ってきたって」
「そう」
自然にそう返す雅騎に、彼女も表情を和らげると、先程までとうって変わり、両手で頬杖を付き、にんまりと彼を見る。
「あれから、随分仲良くなれた?」
「別に。普段通りだよ」
──あの子の事引き摺って、ずっと貰い手がなかったらと心配だったけど……。
雅騎の安否を心配した御影や光里に、連絡を取り合っている佳穂。
──もう、
そんな事を考えるも。
──でも、それはそれで複雑よね。
彼女は同時にこんな事も考える。
長らく見ている雅騎の成長。そして、長らく知る彼の想い。
その縛られし想いから解放された時。彼はどんな道を歩むのか。その道の先。隣には誰がいるのか。
そんな遠くないかも知れぬ未来に想いを馳せながら。フェルミナは複雑な気持ちを笑顔で隠し、彼を見守った。
まるで、それが自身の役割だと言わんばかりに。
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