第二十三話:想い、溢れて

 思い返していた想い出は、何時しかとなっていたのか。

 御影はふっと目を覚ました。


 気づけば部屋には窓から陽の光がしっかりと差し込み、既に夜のとばりを感じさせるものはない。

 隣にいたはずの光里の布団ももぬけの殻。

 残されているのは、自分だけ。


 ぼんやりとしていた頭が、冷たい空気で覚めていき。同時に感じた孤独のせいか。心が不安に掻き立てられる。


  ──雅騎は!?


 意識を失う前、フェルミナに大丈夫だと言われていたにも関わらず。不安がより強い焦りを呼んだのか。

 御影は咄嗟に半身を起こし浴衣を軽く正すと、近くに置いていた紐で髪を束ねた後素早く立ち上がり、足早に部屋を出ていった。


* * * * *


 旅館の別の一室。

 そこではフェルミナ、豪雷ごうらい、光里の三人が、浴衣姿で座卓を囲み、のんびりと茶を飲んでいた。


「失礼します!」


 と。

 勢い良く開いた部屋のドアの音と、襖の向こうから聞こえた同じく勢いのある声に釣られ、みなが静かに視線をそこに向ける。

 静かに、しかし素早くさっと襖が開くと、現れたのは必死さを色濃く見せた御影だった。


「おお、目覚めたか。調子は?」

「問題ありません。それより雅騎は!?」


 豪雷ごうらいへの返事もそこそこに、彼女はフェルミナに目を向ける。

 温泉で彼のために残ると口にした時と変わらぬ表情に、フェルミナはまたも笑いそうになるのを堪え、


「大丈夫よ。既に目を覚まして、元気にしているわ」


 そう言って安心させようとした。

 だが。やはり言葉だけで安堵できる彼女であるわけもなく。


「彼は今何処に?」


 矢継ぎ早の質問に、


「先程外の空気を吸いに行くと──」


 光里が代わりにそう応えかけた瞬間……。


「失礼します!」


 スパンと襖を勢いよく閉めると、扉が開く音が聞こえた途端、廊下に出て駆け出したであろう御影の足音が遠ざかっていく。


「……慌ただしいのう」


 まさに東奔西走とうほんせいそう

 あまりに落ち着きのない行動に、豪雷ごうらいが思わず呆れる。


「何処かでしつけを誤ったか?」


 首を傾げる彼に、湯呑の茶を一口飲んだフェルミナが、ふぅっと一息吐く。


「誰かの為に必死になる時は、そんなものですよ」


 そして。彼女は少し前に見た光景を思い出し、意味ありげな笑みを光里に向けた。


「顔を見ないと安心できないんでしょう? 姉妹揃って」

「し、仕方ないではありませんか! あれだけ酷い状態だったのですから……」


 突然向けられた視線に、困ったように顔を赤らめ俯く彼女。

 それはまるで。その場で同じ事を言われれば、全く同じ反応をするであろう御影誰かの写し鏡のようだった。


「……まったく。あの男はどれだけ孫達に好かれるのやら」


 豪雷ごうらいは、そんな光里の表情を見ながら、己の髭を撫でつつ満足気に笑ってみせた。


* * * * *


 昨晩の暗雲などなかったかのような、風も雲もない快晴の空。

 既に日も随分と高くなり。冬とはいえ、日向ひなたにいれば心地よい温かさを感じ、寒さを忘れさせてくれる。そんな穏やかな日和の中。


 神社の拝殿はいでんに上がる階段に、雅騎はたった一人、浴衣姿で腰を下ろしていた。


 視線の先に広がるのは、昨晩の激闘を物語る境内けいだいの光景。

 石畳は、ある場所は粉々に砕かれ。ある場所は朱雀の炎により黒く焦げている。

 境内けいだいの中央付近には、既に固まりどす黒い色だけを残す、血飛沫ちしぶきと血溜まり。


 無事ここにいるのが奇跡のようにも感じる程の光景を、雅騎は何処か力なく、憂いある表情でじっと見つめていた。


 雀が、まるで人などいないかのように彼の周囲に降り立ち、ちゅんちゅんと小さく鳴きながら、細かに周囲を動く。

 だが。そんな中にあっても、彼は微動だにしない。


  ──終わったん、だよな……。


 神降之忍かみおろしのしのびとの戦いも。羅恨らこんとの戦いも。己の意思を貫き通し、彼女達の未来を切り拓いた。


 それは安堵すべきことであり、喜ぶべきことのはずなのに。

 雅騎はとても寂しげで、浮かない顔をしていた。

 まるで、そこに強い後悔があるかのように。


「雅騎!」


 突然の澄んだ少女の呼び声に、雀達が一斉に飛び立つ。

 それが彼を我に返すと、ゆっくりと声に向け目を向けた。


 立っていたのは、僅かに息を切らして境内けいだいに立つ御影。

 やっと見つけた雅騎の姿に、彼女はほっと安堵の表情を見せると、血溜まりだった場所を避けながら、彼の元に歩み寄る。


「身体は問題ないのか?」

「ああ。ちょっと立ちくらむ時があるだけ」


 問い掛けへの答えを聞き、御影の表情が僅かに曇る。


「それは問題であろう? 何故大人しくしていない」

「……悪い」


 目に見えて心配を色濃く見せる彼女に、雅騎はふっと力なき笑みを浮かべ、そう口にした。


 彼の反応を見て、御影の心に一瞬不安がよぎる。

 だが、彼女はそれを表に出さず。ゆっくりと階段を登ると、雅騎の脇に腰を下ろした。

 改めて、境内けいだいに残る戦いの傷跡を目にし、御影は小さなため息を漏らす。


「……あれだけの血を流せば、くらみもするか」

「そうかもな」

「私の、せいだな……」

「いや。俺が勝手にしただけさ」


 淋しげな顔をする彼女に、雅騎は笑みを絶やさず、それを否定する。

 だが。その笑みの裏にある己を責めるかのような雰囲気をはっきりと感じ。御影の心がチクリと痛んだ。


「お前が心痛めるな。我々神降之忍かみおろしのしのびがただ、弱かっただけだ」

「……悪い」


 慰めるよう彼女なりの事実を伝えても、返ってくるのは謝罪ばかり。

 今までにない雅騎の反応に、御影は顔をしかめそうになるのを必死に堪えると、一度大きく深呼吸し、無理矢理笑みを見せた。


「今朝、夢を見たのだ」

「夢?」

「ああ。お前と出逢った頃の。ほら。お前がお祖父様じいさまに噛み付いた」

「……」


 その言葉に、彼の返事はない。

 ただ、何かを懐かしんだのか。何処か優しげな笑みを浮かべる。


「私はとても嬉しかったのだ。初めての友達が私をかばい。私のために、お祖父様じいさまの言葉を汲んでくれた事に」

「……あれも、勝手にしただけさ」


 口癖のようにその言葉を返す雅騎に、呆れ笑いをした彼女が立ち上がる。


「お前は何時もそう口にする。だがその身勝手が、幾度も私を助けてくれたのだ。あのドラゴンとの戦いでも。そして、今回も」


 語りながら彼女は階段を降りると、彼に向け振り返り、柔らかな笑みを向けた。


「本当に、感謝している」


 輝くような笑みが。言葉が。雅騎の心に刺さる。

 彼は強い眩しさから目を避けるようにうつむくと。


「そうか。でも……助けるのは、ここまでだ」


 そんな、弱々しい言葉を残した。

 瞬間。御影が唖然とした表情に変わるも。雅騎は視線を合わす事なく俯いたまま、すっと立ち上がる。


「俺は、お前が神降之忍かみおろしのしのびの力を持っていたことも。お前が皆のために命懸けで戦っていたことも。ドラゴンと戦っていたあの日まで、全く知らなかった」


 言葉を切ることもなく。階段を降り、石畳を歩き。俯いたまま、彼女の脇を通り過ぎる。


「今回だって。如月さんや綾摩さんと違い、俺は別れを告げられなかった。それはきっと、お前が俺に沢山の事を知られたくなかったからだろ。それなのに……俺は自分勝手に踏み込んだんだ」


 御影が振り返りながら視線で追うと。雅騎は背中を向けたまま、少し離れた所で歩みを止めた。


「お前の家で自分の力を使い、銀杏いちょうさんとお前の会話を無理矢理知って。お前が神降之忍かみおろしのしのびの為にした覚悟を遮って、お前を傷つける言葉をいて。お前の忠告も聞かず、銀杏いちょうさんと戦って。お前の心配を無視して、傷だらけのまま羅恨らこんに挑んで。俺は死にかけて……。お前を泣かせて……」


 何処か小さく見える背中を、ただじっと見る御影。

 そんな彼女にゆっくりと振り返った雅騎は、


「俺は、自分勝手に己の道を貫いたのさ。お前を傷つける道を。最低だろ?」


 寂しそうに、笑った。


「俺はもう、そんな事はしたくない。でも側にいれば、またきっと俺の自分勝手でお前を傷つける。俺がお前にとって、ただの腐れ縁だとしても。それはもう、嫌なんだ。だから……。お前と歩む道は、ここまでだ」


 そう言うと、雅騎は天を仰いだ。

 自身に生まれし、友と決別する寂しさへのたかぶりを、ぐっと堪えるように。


「それが、お前の答えなのだな」

「……ああ」


 彼の短い肯定に、今度は御影がうつむくと、僅かに歯を食いしばり、ゆっくりと雅騎に歩み寄る。

 近づく気配に、彼が彼女に視線を戻すと。


「そうか……。仕方ないな」


 彼の目の前で止まった御影は、すっと顔を上げ、雅騎を見た。

 そこにあったのは……感謝だけをはっきりと湛えた、太陽の如き眩しい笑顔。

 そして。


  パチーン!


 瞬間。

 乾いた音が、境内けいだいに響いた。


 雅騎は、頬をたれていた。

 勢いで顔を反らされた彼は、突然の事にそのまま呆然としてしまう。


「ふざけるな!!」


 強い叫びと、遅れて感じた頬の痛みに気づき、ゆっくりと向き直ると。

 御影は彼を睨みつけ、怒りをあらわにし……泣いていた。


「確かに私はお前に何も話せなかった。だがそれは……怖かっただけだ。こんな力があると知られれば、恐れられるかも知れない。妹をあやめるなどと言えば、畏怖いふの目で見られるかも知れない。それでお前の心が離れてしまうのが怖かったから、話せなかった。ただ……それだけだ」


 声が、身体が、震え。

 叩いた手を下ろし、ぎゅっと強く拳を握り。

 怒っているはずなのに、悔しそうに歯を食いしばり。

 涙を溢れさせながら、拭いもせず。

 それでも必死に雅騎の瞳を見つめ。


 御影は、叫んだ。


「だが! お前に分かるか!? 幼き日に私をかばってくれたお前に、どれだけ感謝したか! お前が街を離れると知り、どれだけ悲しんだか! お前と再会した時、どれだけ嬉しかったか! お前が私に消えろと行った時、どれだけ絶望したか! お前が私達のために戦ってくれていると知り、どれだけ希望を感じたか!!」


 涙でまともに彼すら見えぬ中。御影がぎゅっと目を閉じると、それがまた、大粒の涙を生む。


「私はお前という幼馴染がいたからこそ救われたのだ! 外の世界を知り! ドラゴンより命を救われ! 羅恨らこんを倒し! 妹共々生きる未来を貰ったのだ! お前がそんな道を選んでくれたことの何が嫌なものか! お前がいたから私は生きているのだ! お前に傷つけられた事など些細な事だ! 私はお前が無事なのを見て! お前が生きてくれたと! これからも共に居られると! 心底喜んだのだ!!」


 涙ながらに思いの丈を打ち明けられ。彼女の叫びが雅騎の心に響いたのか。気づけば彼の目尻にも、薄っすらと涙が浮かぶ。

 

「私は嫌だ! 例え傷つく事があったとしても! 泣く事になろうとも! お前と離れるなどできるか! お前がいない世界など……考えられる、ものか……」


 彼女の悲痛な訴えは、弱々しく掻き消え。

 残ったのは、悲しみに暮れた顔と、漏れる嗚咽と、涙だけ。


  ──御影……。


 雅騎は、そんな彼女の姿を呆然と見つめる事しか出来なかった。

 

 彼女もまた、自身の力を知られることで、忌み嫌われるのを恐れていた。

 しかし。そんな不安と背中合わせにありながらも、幼馴染として不安を隠し、共に居てくれた。

 雅騎自身が抱えていた気持ちと同じだと知り。それでも共にあってくれた優しさが、心に染み入る。


 御影の気持ちを知り、本心を知った今。

 それでも、雅騎は迷っていた。


 自分が彼女の友として、側にあって良いのかと。

 また傷つけ、泣かせててしまう時が来るのではないかと。


 暫しの間、二人はそのまま動けなかった。

 お互いの心を揺らし、お互いの心を迷いに染めながら。


 ……と、そんな時。

 ふと。二人を柔らかな風が撫でた。

 それはまるで、何者かが二人の背を押すかのように。とても優しく。とても暖かく。


 雅騎はふっと目を細めると、指で目尻の涙を拭い。


「お前は、大馬鹿だよ」


 言葉とは裏腹な優しげな声でそう口にすると、御影の頭をくしゃくしゃっと撫でた。


「……うるさい。お前こそ、大馬鹿者だ」


 涙声を返した彼女は俯いたまま、浴衣の袖で涙を拭う。

 だが。


「確かにな。お陰で後悔してるよ」


 思わぬ言葉に御影ははっとすると、思わず顔を上げた。


 後悔している。


 今、そんな言葉を口にされれば。

 嫌われたのか。離れればならないのか。

 そう顔を青ざめさせても仕方がない。


 だが。

 雅騎を見た瞬間。そんな不安は杞憂だと気づいた。

 何故ならば。そこには何時もの優しい彼の笑みがあったのだから。


「お前を泣かせてばかりでさ。ごめんな」


 御影がそれを見た瞬間。はっきりと理解する。

 そこにある笑みこそ。幼き日に友となってくれた、あの日のものと同じ。


「……本当だぞ。馬鹿者」


 またも溢れそうになる涙をもう一度袖で拭い取ると、彼女もふっと微笑み返し、そして。


「いいか? お前が嫌だと言っても、絶対に縁など切ってやらんからな!」


 憎まれ口を叩くかのように、彼に強く指を差すと、御影ははっきりそう宣言した。

 そんな突然の言葉に、思わず雅騎は両掌りょうてのひらを空に向け、呆れ笑いを返す。


「まったく……。泣き虫の世話も大変なんだぞ?」

「うるさい! 大体お前があんな話をしなければ、こんな事にはならなかったのだ!」

「はいはい。そういう事にしておいてやるよ」


 雅騎は皮肉と共にくるりと踵を返すと、ゆっくり鳥居へと歩き出した。

 足早に彼の脇に並んだ御影は、既に涙など忘れたかのように、屈託のない笑顔で雅騎を見つめ。互いに下らぬ会話を交わしながら、鳥居をくぐって石段を降り、神社から去っていった。


 ……そんな二人は、気づかなかった。


 彼等以外、誰もいなかったはずの境内けいだいで。

 陽炎かげろうのように浮かび上がり、二人に優しく笑みを浮かべていた、一人の若き男がいたことに。

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