非日常なんて日常茶飯事 第二巻 ～忍の定めに抗いし者〜

第十九話：怪しき笑み

　溜まり場から生まれては襲い来る、無数の怨鬼（えんき）達。

　雅騎と御影は左右二手に分かれ、互いにその怨念の大群に踏み込んでいった。

　　──朧月（ろうげつ）で触れるだけなら！

　左より敵に迫った御影は、瞬間。その身を二つに分かつ。

　狗狼双閃（くろうそうせん）。

　紅葉（くれは）相手に見せたその技で、二人の御影は一陣の風となり、その場に吹き荒れた。

　素早く各々（おのおの）が迫り来る別の怨鬼（えんき）を迷わず一刀両断し。斃（たお）されし物が闇夜に消える間すら惜しむように、次の瞬間、既に新たな怨鬼（えんき）を斬り捨てる。

　より凶暴さを増した狗狼（くろう）の歯牙（しが）となり、彼女達は敵を噛み切るように駆逐しながら、少しずつ溜まり場に向け切り込んでいく。

　合わせるように右より前に出た雅騎は、溜まり場より迫る怨鬼（えんき）達に、やや離れた距離から鋭い蹴りを放った。

　無論、その蹴りは相手に届きなどせず空（くう）を切る。だが、蹴りと共に現れたのは、刃のように放たれた弧を描く炎の斬撃、炎の刃（イド・ギャリル）。

　その刃が複数の怨鬼（えんき）を薙ぎ払うと、巻き込まれた物達は途端に断末魔を上げ、次々に燃え尽きる。

　だが、その炎舞は終わらない。

　流れるように、雅騎は自らの武を活かした拳撃、蹴撃の動きに炎の刃（イド・ギャリル）を重ね。相手を燃やし、滅しながら、御影に合わせるようにより敵陣深く踏み込んでいく。

『ふん。ちょこまかと！』

　二人を殺さんと、怨鬼（えんき）を巻き込む事すら躊躇（ためら）わず繰り出される羅恨（らこん）の拳打（けんだ）。

　巻き込まれし味方を一瞬で消し飛ばす豪腕。だがそれを、雅騎は舞うように避け。御影も朧月（ろうげつ）で往なし。動きを止めることなく捌（さば）きながら、共に戦い続けた。

　まるで地を流れる流星となりし、狗狼（くろう）の化身。

　まるで大地を希望で照らさんとする、焔（ほむら）の化身。

　互いを高めるかのように。見守りし仲間達が息を呑む程の、一騎当千の輝きを放つ御影と雅騎の動きが加速する。

　鋭く閃（ひらめ）きし刀が。

　舞いし焔（ほむら）の刃が。

　生み出されし怨鬼（えんき）を次々に屠（ほふ）り、祓（はら）い。

　彼等は、敵を仲間に寄せ付ける事なく、溜まり場の目前まで迫った。

　　──ここだ！

　千載一遇（せんざいいちぐう）の機会を感じ取ったのか。

　突如、羅恨（らこん）の巨大な拳を避けた雅騎が、大地から姿を消す。

『何！？』

　はっと目を瞠（みは）り、羅恨（らこん）が次にその姿を捉えたのは、強き熱を感じる空の上だった。

　空高く舞い、紅く照らし出されし男。

　天高く伸ばした右腕の先にありしは、彼を照らし出す猛々（たけだけ）しい熱き炎。

　灼熱の業火（ファクマ・ダレイド）。

　荒れ狂う暴風（マルデス・ヴァルーナ）同様、より高位な炎の術は、生み出した炎を更なる巨大な豪炎の球に変えていく。

「御影！　下がれ！」

　叫びに応じ、二人の御影が水際から一気に後方に素早く引くと同時に、雅騎はその溜まり場の中央に向け、豪炎を投げ込んだ。

　炎が溜まり場に激突すると同時に。その場に起こったのは激しき爆発。

　溜まり場を覆いし炎の渦は、そこにいた物を吹き飛ばし、焼き尽くさんと燃え盛る。

　幾つもの叫び声と共に。

　溜まり場が、怨鬼（えんき）達が、蒸発するように消えていく。闇夜に煌（きら）めく炎は、まるで、地獄の業火にも、浄化の炎にも見えた。

　激しい炎は程なくして消え。残ったのは地面が削り取られ、焼けた跡。そして、驚きを以（もっ）てその炎を見ていた羅恨（らこん）のみ。

　そのまま溜まり場の消えた大地に舞い降りた雅騎は、目の前の敵に向け両手を突き出すと、再度ありったけの力で、灼熱の業火（ファクマ・ダレイド）を叩き込んだ。

　瞬間。

　左胸に巨大な炎を受けた羅恨（らこん）の腕から肩、腹に掛けての半身が大きく弾け、吹き飛ぶ。

「逝（い）ったか！？」

　遠間に下がった御影が。戦いに手を出せぬ神名寺（みなでら）家（け）が。固唾を飲んで見守る中。

『ほほぅ』

　残された羅恨（らこん）も、流石に驚きの声をあげた。

　だが直後。その身はみるみる形を取り戻し、元の姿に戻っていく。

「再生！？」

　先に闇を祓（はら）われた光里が、立ち上がりながら愕然とする。

　破邪を駆使する銀杏（いちょう）と治療を受ける豪雷（ごうらい）もまた、苦々しい顔でその光景を見守るしかできない。

『先程よりは骨があったが』

　にやりと、またも嬉しそうな表情を体現した瞳を見せた羅恨（らこん）は、大きく腕を振りかぶる。

　目の前に立っていた雅騎は……目眩を覚えたのか。苦しげに息をしていた身体から一瞬力が抜け、思わずがくりと片膝を突く。

『死ね！　小童（こわっぱ）！！』

「雅騎！！」

　刹那。御影は迷わずその身を雅騎に向け疾（はし）らせ。同時に羅恨（らこん）は目の前の彼に拳を振り下ろした。

　巨体に似合わぬ、振るわれし豪腕の素早い拳撃。

　華奢な身体が見せる、必死の閃空（せんくう）の踏み込み。

　雅騎の生死を争う戦いを制したのは、御影だった。

　僅かに早く彼の元に駆けつけた御影は、瞬間。朧月（ろうげつ）で無理矢理に拳を往なして軌道を変え、雅騎の横に逸らす。

　直後、もう一人の御影が雅騎に素早く肩を貸すと踵を返し、脱兎の如くその場を離れる。

　残りし御影を狙う、羅恨（らこん）のもう一方の拳。だがそれが迫りし直前。そこにあった彼女の姿が消え、拳はただ空（くう）を切り、大地を叩いた。

「無事か！？」

　何とか相手との距離を取った御影が、肩を貸したまま雅騎に叫ぶ。

「お前が、助けてくれたんだ。当たり前だろ」

　必死さと悲痛さ入り混じる声に、雅騎は青ざめた顔のまま無理矢理笑い。彼女からその身を離して自らの脚で立つと、再び真剣な表情で羅恨（らこん）に目を向けた。

　だが。顔色もさることながら、呼吸も酷く荒く。立ってはいるが、その疲労の色は先ほどまでとは雲泥の差。

『小娘（こむすめ）の手を借りんと逃げる事も叶わぬとはな。やはりお主（ぬし）は只（ただ）の、死にかけか』

　嘲笑う声を聞きながら、御影が彼の脇で、闘志を剥き出しにして羅恨（らこん）を睨む。

　気づけば彼女の額にも、じっとりと汗が滲んでいた。

　実力を存分に発揮している御影だが、それを維持し続けるのには体力も、集中力もいる。

　決してそれは、楽なものではない。

　彼は何時の間にか、紅葉（くれは）達を治した物と似た形の宝石を手にしていた。ただ、その色は青白い。

　その宝石──魔療石（シフィア）が砕け散ると、彼の全身を青白い光が暫し覆った。

　それに合わせるように、荒い呼吸が少しだけ落ち着いていく。

　　──使える石は、あとひとつ……。

　不足していた魔流（シスト）を補った雅騎は、またも一歩前に出る。

　顔色は未だよくない。

　だがそれでも、表情は冷静さを崩そうとせず、未だ戦いを諦めたような顔はしない。

『一時（ひととき）の安寧（あんねい）のため、随分と力を使ったようだが。これで終（しま）いか？』

「まだ、これからさ」

『ふん。強がりを』

「そうか？　じゃあ、これはどうだ！」

　余裕を見せる羅恨（らこん）に、強くそう口にした雅騎は、瞬間。その場でまたも両腕を前に突き出し、両掌（りょうてのひら）を相手に向けた。

　新たに生み出されたのはまたも業火……ではなく。一本の氷の槍。

　凍氷る冷槍（キヴァリエ・シャルト）。

　突如空間に生み出された氷槍（ひょうそう）は、何かに弾き出されるかのように放たれると、鋭く空（くう）を裂き、羅恨（らこん）の身体を撃ち抜かんとする。

　羅恨（らこん）は直撃を避けるように、咄嗟に伸ばした左腕の掌（てのひら）で受け止めるも、氷の槍はそれを突き破り、左腕に深く突き刺さった後、動きを止めた。

　にも関わらず。敵は相変わらず痛みを感じるような素振りはない。

　余裕を見せつけるように、羅恨（らこん）の全身の瞳が嘲（あざけ）るように細まる。が、刹那。

『ぬおっ！？』

　氷の槍から伝わりし冷気が、前触れもなく刺さりし左腕を丸々一気に凍りつかせた。

「御影！　あそこだ！」

　同時に叫んだ雅騎に呼応し、彼女は素早くその場で力強く朧月（ろうげつ）を頭上に構えると。

「天鷹斬（てんおうざん）！！」

　勢いよく振り下ろされた刀より生み出されたのは光の鷹。

　鷹は勢いよく滑空すると、羅恨（らこん）の凍りし腕に直撃した。

　瞬間。生み出されし爆発が、凍りついた腕と氷の槍を激しく砕き、腕を丸々吹き飛ばす。

「どうだ！？」

　手応えに刀を握った手に力が入る御影。だが……。

『我が力は無限だと、言ったであろう？』

　腕を失いし肩口から液状の闇がみるみるうちに伸びると腕となり、再び無数の眼光を二人に向けた。

「あれでも駄目だというのか！？」

『カッカッカッカッ！！』

　御影の悔しそうな表情に、満足そうな目で羅恨（らこん）がまたも高笑いをあげた。

「一体、どうすれば……」

　銀杏（いちょう）は豪雷（ごうらい）の邪気を払いつつ、思わず縋（すが）るように雅騎の背を見つめてしまう。

　唯一の希望であろう雅騎と御影。だが、彼の術も、彼女の技も。未だ勝機を生む気配はなく。彼から続く新たな指示もない。

　希望を見いだせずにいる神名寺（みなでら）家（け）の面々に対し、羅恨（らこん）は嬉々（きき）として語りだした。

『しかし。相も変わらず人とは弱く、脆いものよのう。以前、ここに封じられた我の前に戯れでやってきた者共も、ちょいと心を弄（いじ）ってやれば、いとも容易く鬼になりおった。遊びで粗奴等（そやつら）をけしかけてみれば、主（ぬし）らの長（おさ）も、あっさりと死によったよのう？』

　その言葉に、はっとしたのは銀杏（いちょう）と豪雷（ごうらい）だった。

　未だ鮮明に残る陽炎（かげろう）の死が、敵の言葉と共に、脳裏に強く浮かぶ。

「まさかあれは……貴様が！？」

　憎々しげに強い眼光を向ける豪雷（ごうらい）に、

『だとしたらなんだ？　弱き老翁（ろうおう）よ』

　羅恨（らこん）は嘲笑（あざわら）うように、煽（あお）る。

　刹那。

「お養父様（とうさま）！！」

　豪雷（ごうらい）は銀杏（いちょう）を払いのけると、弾けるように飛び出していた。

　雅騎ですら目で追い切れぬ程の閃空（せんくう）でその脇を駆け抜けながら、左腕に持ちし盾を変化させた。

　新たに生み出されし物は、黒みを帯びた玄武石で出来た、身の丈の倍ほどもある両刃の大剣。

　　──『流石にそれは、無茶じゃろ？』

　豪雷（ごうらい）の心の中に、年老いた何者かの声がする。だが。

「儂は、あやつが許せんのだ！！」

　息子の命を奪った元凶。

　それを知った怒りが、何者かの忠告を一蹴する。

　そして両腕に大剣を持った彼は、勢いをそのままに、迷わずその技を振るった。

　一気に羅恨（らこん）に迫った豪雷（ごうらい）は突如、その身を八つに分身させ。

　相手の左脚を。右脚を。腰を。腹を。胸を。右腕を。左腕を。そして、頭を。

　玄武の大剣にて、同時に一閃した。

　神名寺流（みなでらりゅう）胡舞術（こぶじゅつ）奥義（おうぎ）、舞竜爪翔旋（ぶりゅうそうしょうせん）。

　八箇所の部位にほぼ同時に攻撃を打ち込む、神名寺流（みなでらりゅう）胡舞術（こぶじゅつ）で最も難しいその技もまた、本来は対人の技。

　それを豪雷（ごうらい）は、己の分身を利用し、巨漢の羅恨（らこん）に向け繰り出していた。

　八つの閃撃が、巨大で厳つい体躯（たいく）全てを、一瞬で斬り刻む。

　交わりし軌跡が全身を細かく断ち。羅恨（らこん）はその場にて霧散し消え去る、かに見えた。

「がはっ！！」

　先に膝を突いたのは豪雷（ごうらい）だった。

　分身は姿を消し。大地で大剣を振るっていた本体（彼）もまた、大剣を地に刺し、無理矢理身を支え、倒れるのをこらえる。

　が、口から吐瀉物（としゃぶつ）を吐き。青ざめし顔を引きつらせ。眼をむき出しにしたその表情は、まるで恐怖に捉えられたのように、強い絶望の色しかない。

　そう。

　今、彼の心には、恐ろしい数の悲鳴が。泣き声が。恐怖の声が。恨みの声が、幾重にも重なり襲いかかっていたのだ。

　それは幾ら強靭な強者（つわもの）であっても、耐えられる限度を超えている。

「「お祖父様（じいさま）！！」」

　思わず同時に悲鳴をあげる御影と光里。銀杏（いちょう）も最悪の状況に、顔を青ざめ恐怖した。

　彼女達の絶望をより深くするように。斬り刻まれた羅恨（らこん）は、みるみる内にその身を再び数珠のように繋ぐと、元の姿に返っていく。

『だから、人は脆いと言ったのだ！』

　改めて巨人となった羅恨（らこん）は、嬉しそうな瞳で目の前にいる豪雷（ごうらい）を見ると、両腕を組み、腕を頭上に振りかぶる。

『まずはお主を鬼に変え、彼奴等（あやつら）にけしかけてやるわ！』

「くっ！！」

　瞬間。御影と銀杏（いちょう）が駆け出そうとし、光里も咄嗟に氷花（ひょうか）を繰り出そうと足掻く。

　だが、御影も、銀杏（いちょう）も。光里の氷花（ひょうか）も豪雷（ごうらい）を助ける事はなく。強く振り下ろされし死の拳（こぶし）が、無慈悲に豪雷（ごうらい）に振るわれた。

　大地に、より大きな亀裂が入るほどの衝撃。

　ぐしゃりと何かが潰れる強く不快な音が、皆（みな）の耳に、届かない。

　瞬間。

　羅恨（らこん）は思わず目を見開いた。

　そこにいるべきはずの者は、既にそこに、いない。

　同じ時。

　御影達三人もまた、茫然と立ち尽くしていた。

　先の拳が振るわれた瞬間。

　駆け出そうとした銀杏（いちょう）を遮るように、目の前に突然、倒れ臥（ふ）す豪雷（ごうらい）と、立っている雅騎が現れた。

「銀杏（いちょう）さん。師匠に全力を向けてください」

　何事かと戸惑う心を落ち着かせるように掛けられた、冷静な彼の言葉。

　はっとした彼女は、急ぎ邪（じゃ）を払うべく、豪雷（ごうらい）の傍らにしゃがみこみ、術を開始した。

　雅騎の両隣に立っていた御影と光里もまた己の目を疑い、彼を茫然と見つめていた。

　彼女達が祖父を助けようと行動しようとした瞬間。視界が変わり、羅恨（らこん）と豪雷（ごうらい）を見失った二人は、気づけば雅騎を挟むように立っていた。

　何が起きたのかは分からない。だが、彼の銀杏（いちょう）へ掛けた声が二人を正気に戻し、咄嗟にその姿を目で追わせていた。

『なんだと！？』

　声に釣られ彼を見た羅恨（らこん）もまた、驚きを隠しきれなかった。

　何時の間にか目の前に伏せていた老翁（ろうおう）が銀杏（いちょう）の元に移り、彼等は一箇所に集まっている。

　そしてこの状況にあって、唯一動揺もせず、鋭き視線を向けてくる男、雅騎。

　　──まさか、あの小童（こわっぱ）の仕業か！？

　得体のしれぬ力と彼の鋭い視線が動揺を生んだのか。僅かに羅恨（らこん）の眼に動揺が走った、その時。

「ああ。俺だよ」

　突然向けられた雅騎の言葉に、

　　──心を、読んだだと！？

　羅恨（らこん）は、またも目を瞠（みは）った。

　神名寺（みなでら）家（け）と雅騎を翻弄（ほんろう）し、追い詰め。万の心は己の勝ちを疑っていなかった。

　だが。たったひとつの羅恨（らこん）の本心が、彼の言葉を聞き、強く揺らぐ。

　思わず憮然（ぶぜん）とした無数の眼を向けた相手の心を見透かすように。

「そうだよ。まったく馬鹿正直だな」

　雅騎はにやりと、怪しく笑ってみせた。