第十八話:約束されし劣勢

『掛かれ! 怨鬼えんきよ!』


 静かなる廃村に響く羅恨らこんの強き叫びに応じ、彼の分身である怨鬼えんき達が動き出す。

 銀杏いちょう豪雷ごうらいの知る鬼とはまた違う、面妖なる物達を相手に。神降之忍かみおろしのしのびも動き出した。 


「我らを護り咲き乱れよ! 鳳仙花ほうせんか!!」


 神名寺みなでらの前に突如咲き乱れたのは、光里が咲かせし鳳仙花ほうせんか達。

 同時に、可憐な花達をそよがせる一陣の風となり、御影と豪雷ごうらいが一気に花畑を駆け抜け、各々おのおの怨鬼えんきへと迫る。


 豪雷ごうらいと対峙した怨鬼えんきが、飛びかかりながら鋭くこぶしを振りかざし、彼に襲いかかる。


「ふん!!」


 対抗するように、彼は左のこぶしを前に強く振るう。

 刹那、そこに生み出されたもの。それは亀の甲羅を模したような、黒色こくしょくの巨大な盾だった。

 それこそが豪雷ごうらい神降術しんこうじゅつである玄武の力、牙蛇玄甲がじゃげんこう


  ゴインッ


 豪雷ごうらいの全身を覆うほどの盾。そこに敵の拳がぶつかる鈍い音が響き。力勝ちした盾の激しい打撃が、怨鬼えんきを勢いよく吹き飛ばした。

 衝撃を感じ取った瞬間。今度は右腕を強く突き出すと。


  シャァァァァァァッ!!


 突如。拳から生み出されし黒き巨大な蛇が、未だくうを舞う怨鬼えんきに勢いよく迫り。口を大きく開いたかと思うと、強く相手を噛みちぎる。

 喰われた怨鬼えんきはぐしゃりと身を分かたれると。まるで水泡すいほうが弾けるように、跡形もなく消しえ失せた。


 それを見届ける間もなく迫る、新たな怨鬼えんき達。

 豪雷ごうらいはそんな敵の群れに対し右腕を素早く、強く横に振るう。

 再び現れた大蛇がまるで鞭のようにしなると、長き胴で次々に怨鬼えんき達を薙ぎ払い。

 瞬間。その力に屈した物達が次々に吹き飛び。弾け飛んだ。


 一方。別の怨鬼えんきに向かった御影は、相手の飛ばした闇色やみいろの水泡を霊刀れいとう朧月ろうげつで斬り払うと、そのまま懐に飛び込み、素早く紫電しでんを繰り出した。


 刀による素早い三連突。その刃は寸分違わず相手の頭、胸、腹をほぼ同時に貫くと。次の瞬間、怨鬼えんきは断末魔と共に形を失い、霧散していく。

 と。そんな御影の背後を突くように。新たな怨鬼えんきこぶしを振りかぶり、彼女を襲う。

 だが。


「遅い!」


 相手の攻めをしかるように。御影が振り向きざまに繰り出すは瓢風ひょうふう

 素早い転身で敵のこぶしが空を切ったと同時に、御影が背後から朧月ろうげつを一閃すると。その怨鬼えんきは胴を真っ二つにされ、弾けるように闇に消えた。


 二人を掻い潜り前に出た怨鬼えんき達は、真っ直ぐに銀杏いちょうと光里を目指し、鳳仙花ほうせんかの花畑に踏み入った。


 その行為が、踏み荒らされし花々の怒りを買ったのか。

 鳳仙花ほうせんかは儚く、激しく花弁を散らす。

 同時に生まれし激しい衝撃に怨鬼えんき達が巻き込まれると。その身は粉々に吹き飛ばされ、散華した華共々、次々に消え去っていく。


 三人が神降術しんこうじゅつ神名寺流みなでらりゅう胡舞術こぶじゅつで猛威を奮い、いとも容易く敵の数を減らし。

 気づけば残されし敵は、羅恨らこんのみ。


 劣勢を予感させる状況に、羅恨らこんの瞳はより、細まった。


  ──だからお主らは、能がないというのだ。


 心でほくそ笑む理由。

 それは神名寺みなでらの者達を見れば一目瞭然だった。


 敵をその力で押し切っていた豪雷ごうらい

 敵を鳳仙花ほうせんかで寄せ付けなかった光里。

 敵を圧倒したはずの二人は顔面蒼白となり、苦悶の表情でその場に膝を突いていた。


『怖いよぉ!』

『助けてくれぇぇ!』

『許さぬ。許さぬぞ!』


 脳内に響く、重くのし掛かる多くの哀しみ。悲鳴。恨みの声。

 心を覆い尽くさんとする負の感情が、二人の心を責めたて、苦しめ続ける。


「お養父様とうさま! 御影! 引いてください!」


 咄嗟に叫んだ銀杏いちょうは、同時に大きく肩で息をする光里に駆け寄ると、急ぎ背中に手を押し当てた。

 そこから生まれし淡き白い光が光里をゆっくりと包むと、彼女の中で渦巻いていた恨み辛みの声達が、少しずつ遠ざかり、消えていく。


 銀杏いちょうの持ちし破邪の力。

 彼女は娘を救うべく、必死にその力を向ける。


「お祖父様じいさま!」


 銀杏いちょうの声に反応するも、自力で動けない豪雷ごうらいに気づいた御影は、急ぎ彼の脇に駆けつけ、肩を貸そうとする。


阿呆あほうどもが』


 苦しげな豪雷ごうらいを見て、嬉々とし目を細めながら、羅恨らこんこぶしを振りかぶると、二人に向け強く振るった。


 距離はかなりあったのだが。そんなものは関係ないと、狙った二人相手に闇の剛腕が伸び、勢いよく迫る。


「御影! 師匠!」


 雅騎の叫び声にはっとした二人は、咄嗟に後方に大きく跳躍する。刹那。彼女達がいた場所に叩きつけられたこぶしが、地面に凹みと亀裂を残した。


 空で大きく弧を描き一回転し、何とか光里の隣に着地した二人。

 間一髪で間に合ったことに、御影は安堵のため息を漏らす。

 

「すまん……」

「気になさらないでください」


 荒い呼吸をする苦しげな豪雷ごうらいをゆっくりとしゃがませると、御影は一人立ち上がった。


 仕切り直すように集まりし、神名寺みなでらの者達。

 その慌ただしさを悠々と見ながら。


  ──彼奴等あやつらは昔から何も変わらん。後は朧月ろうげつ女子おなごと、あの小童こわっぱを堕とせば、儂の勝ちよ。


 早くも過去と同じ勝ち戦だけを思い描き、羅恨らこんは満足げに頷く。


 そんな中。


  ──まさか、ここまで……。


 銀杏いちょうを始め、神名寺みなでらの者達は、この状況に驚愕をあらわにした。


 神降術しんこうじゅつにて敵に触れ、たおしたただけにも関わらず、彼女達の心に襲い掛かる強き怨念。それを身を以って経験した豪雷ごうらいや光里も。二人の異変をはっきりと感じ取り、己の力では自らを危険に晒すと知った銀杏いちょうと御影も。


 みな

 驚くしかなかった。


  ──お前はここまでというのか!?


 そう。

 御影が心でそう叫び、視線を向けた雅騎が語った劣勢が、現実となった事に。


* * * * *


「この戦い。ただ戦ったら多分、負けるはずです」


 銀杏いちょうの過去を聞き、決戦の地へ改めて歩き出した直後。雅騎が突然、こんな言葉を口にした。


「何故そんな事が言える?」


 豪雷ごうらいの問いに彼は僅かにうつむくと、小さくため息をいた。それは呆れではなく、話していいか迷う戸惑い。

 だが。戦うためにみなが知るべき事と、覚悟を決めたのか。雅騎は静かに語り出す。


銀杏いちょうさんは以前、御影にこう話してましたよね。『ある者は羅恨らこんに殺され、ある者は羅恨らこん傀儡くぐつとなり同志にあやめられた』って」


 彼はあの日、母子ははこが涙した時について尋ねる。

 その時のことを思い返し、彼女は僅かに表情に影を落としつつ、


「……ええ」


 そう、弱々しく返事をした。


「俺は銀杏いちょうさんの技を受けて思いました。神降之忍かみおろしのしのびは決して、弱い存在じゃないって。それなのに、結果として三度も破れている」

「それは羅恨らこんの力が、それだけ強大だからではないのですか?」


 光里が素直にそう問いかけるが、


「それもあるかもしれない。けど、それだけじゃない気がするんだ」


 彼はそう、神妙な顔で言葉を返した。


「相手を傀儡くぐつにまでする力。俺の推測では、神降之忍かみおろしのしのびは、そんな羅恨らこんの力に、恐ろしく相性が悪いんだと思うんです」

「どういうことだ?」


 要領を得ない御影が、雅騎の言葉に思わず首を傾げる。


「俺が銀杏いちょうさんと戦った時、心の声を聞いたって言ったろ」

「ああ。それが何か関係あるのか?」

「俺が心の声を聞けるのは、本来相手に必要がある。だけど銀杏いちょうさんの声は、俺を囲んだ炎の壁の熱や、朱雀に触れた時にも強く感じられた」


 朱雀の熱を思い出したのか。雅騎は包帯を巻かれた、火傷した左手をじっと見る。


「神の力に触れて、相手の心を感じたって事は。多分、神降之忍かみおろしのしのびの力って、神と心を通わせる事でその力を借りるんじゃないかと思うんだけど、合ってるか?」


 一度も話したことのない神降術その力について、経験と情報だけでそこまでの推察をする彼に、神名寺みなでらの面々は思わずみな、感心してしまう。


「確かにそうだが、それの何処が相性が悪い理由となるのだ?」


 しかし、御影はそれでも未だ、納得がいかなかった。

 彼の言った通り、神降之忍かみおろしのしのびの力は決して弱くなどない。彼女もそう信じているからこそ、理由が気になって仕方がない。


 浮かんだ困惑に、雅騎は真剣な目で応える。


「あくまで推測だけど。神の力を介して、直接心に異常きたすような何かを神降之忍かみおろしのしのびに植え付ける。羅恨らこんにそんな力があるとしたら、辻褄つじつまが合うんだ」

「心に異常をきたす?」

「ああ」


 不安げに疑問の声を上げる光里に、雅騎ははっきりと頷き返す。


「例えば、羅恨らこん銀杏いちょうさんの朱雀に触れ、それを介し、心に恐怖を宿すとか」

「心に恐怖を宿す、とな」


 にわかに信じがたい話に、豪雷ごうらいが思わず唸る。


「ええ。神は強い存在だからこそ、そんなもの諸共もろともしないかもしれない。だけど、その力を借りる皆は人間です。もし心を責める力を、神の力を介して与え、皆を苦しめる事ができるとしたら……」

「私達の力が、仇になる……と?」


 銀杏いちょうが愕然としながら尋ねると、雅騎は真顔で、またも小さく頷く。


 神名寺みなでらの面々はその推測に、一様に暗い顔をした。

 己の信じる力が諸刃の剣となるなど、思ってもいなかったのだから。


* * * * *


  ──だからこその、この布陣……。


 御影は、その後に語られた雅騎の戦術を思い返していた。


 破邪の力を持っている銀杏いちょうには、何かあった時の回復役に徹してもらうため後方で待機し。開幕。光里と豪雷ごうらいには普段通り神降術しんこうじゅつで。御影には霊刀れいとう朧月ろうげつのみで敵に挑んでもらう。


 何もなければ御の字。

 だがもし、誰かに推測通りの事態が起こった時には、その者はすぐさま銀杏いちょうの元まで下がり、破邪の力を受ける。


 悲しいかな。ここまでは彼の予想の範疇。

 だが同時に。起こりし結果はまだ、予測の範囲を超えてはいない。

 となれば、次の一手は……。


「御影、行けるか?」


 ゆっくりと雅騎が御影の脇を抜け、皆の前に立つ。

 それは影響を受けず戦える者だけで、羅恨らこん討伐の糸口を掴む合図。


 彼女も朧月ろうげつを片手に持ったまま、ゆっくりと雅騎に並ぶ。


「無論だ」


 そう強気に口にする御影……だったが。


 他の仲間を矢面やおもてに立たせることはできず、彼とて既に先の戦いで傷だらけ。となれば、自身がこの戦いでどれだけ立ち回れるかが、重要な鍵となる。


 目の前であざけるような無数の瞳を御影達二人を向ける羅恨らこん

 その恐ろしさを早くも見せられ。それでも、今まで誰もたおせなかった物を、自身達がたおさねばならない。


 この状況が生みし緊張と不安が冷や汗を浮かばせ、彼女の心を薄紫不安に染める。

 ちらりと横目に彼女を見た雅騎は、その色に気づくと、こう声を掛けた。


「その割に、随分びびってるんじゃないか?」


 はっとし彼を見ると、まるであおるかのように、薄ら笑いを浮かべていた。


「ふ、ふざけるな! 私を誰だと思っているのだ!!」


 御影が思わずかっとなり、声を荒げると。


『カッカッカッカッ!』


 瞬間。二人のやりとりを見ていた羅恨らこんは高笑いをあげた。


『いやいや、愉快愉快。そんな小童こわっぱにまで莫迦ばかにされるとは、情けない奴よ。お主も怯えるだけの、ただの小娘だったか?』

「なっ!?」


 仲間割れに見えたのか。

 満足げな瞳を見せる人でない物に、思わず彼女は食ってかかろうとする。

 だが。その叫びをぶつけようとしたその時。


「はっ。莫迦ばかなのはお前だよ」

『何ぃ?』


 彼女を腕で制し、雅騎はそう笑い飛ばした。自身を睨む無数の瞳を、思いきり嘲笑あざわらうように。


「俺が言いたかったのはな。『こいつなんか、びびるような相手じゃない』って事さ。分かるだろ? 御影」


 答えた彼から向けられたのは、自信しか感じぬ、勇猛なる笑み。

 それは御影の心から、いともあっさり怒りと恐怖を奪い去り。


  ──お前という奴は……。


 瞬間。

 彼女は武者震いした。


 確かに、ここまでに雅騎の実力の一端は見た。

 だが。彼と共に妖魔を相手に戦ったことなどなく、羅恨らこんに対抗できるすべを持つのかも未知数。

 何より、既に満身創痍しか感じない身体の怪我は、不安しかあおらない。


 にも関わらず。

 御影は今、彼に背中を預けてよいと思える程の頼もしさを感じていた。

 まるで、長きに渡り歴戦を戦い抜いた、霧華戦友がそこにいるかのように。


「……確かに。小物はよく喋るというからな!」


 彼女が釣られるように強気な笑みを返し、自信満々に頷く。


 羅恨らこんはその掛け合いに、露骨に嫌悪の眼を向けた。

 御影の態度は確かにしゃくに触る。

 だがそれ以上に、この状況でも未だ余裕を見せる雅騎が気に食わなかった。


 彼の一撃を受けた時。

 相手が苦しむ素振りがなかった事から、神降之忍かみおろしのしのびではないことはわかっていた。

 だがその力は、自身の身体に傷をつけることすら出来ていない。

 そして目に見えてわかる、痛々しい傷の数々こそ、弱者の証。


 それらが。どんなに強がろうとも、この男が神降之忍かみおろしのしのび以下だと、強くいた。


 そんなによる、ここまでのあおり。それを強者と信じる怨念が、許せるはずもない。


『ふ、巫山戯ふざけおってぇ!』


 天を仰ぎ、より強い怒りの雄叫びをあげた羅恨らこんは、そのまま勢いよく両腕を、自身のやや離れた前方の地面に叩き込んだ。


 両腕は地面を割るようなことはない。

 が。そのまま腕から大地に粘液のように身体が流れ落ち、腕を中心に闇の目を持つ溜まり場が少しずつ広がっていく。

 瘴気を強く感じる溜まり場より、新たにかたちづくられていく者達。

 それは、今までの倍以上の数の怨鬼えんきであった。


 銀杏いちょう達、後方の三人は、あまりの敵の数に、思わず息を呑む。

 この数を止めるのに、神降術しんこうじゅつやその身で敵に触れず、戦いきるなど至難の業。

 しかも。今、戦える者はたったの二人。

 それが三人に、己の不甲斐なさと力の無さを痛感させ、より心の不安を大きくさせる。


『我が力は人の恨み、哀しみでできておる。より人の憎悪や哀しみが満ち溢れるこの世において、我は幾らでも力を振るう事ができるが。お主等ぬしらは、どうかの?』


 体を起こし両腕を溜まり場より離すと、脅すような低い声で、羅恨らこんがそう口にする。

 だが……。


「御影。お前は溜まり場あれから出てきた奴等を、できるだけ頼む」

「後はお前に任せて良いのか?」

「ああ。いけるな?」

「無論だ。お前こそ足を引っ張るでないぞ」

「言っただろ? あんなの余裕だって」


 敵の口上など聞いていなかったのか。

 彼等は劣勢を感じる光景に動じることもなく。互いに視線を交わしたまま、笑みを浮かべている。


  ──こ、この!? 人間風情が!!


 あまりに威風堂々とする二人に、羅恨らこんは強く、苛立いらだちを見せる。


『はっ! 貴様等など、さっさと死ね!』


 強く放たれし怒号と共に、再び怨鬼えんきの大群が、彼等に一気に襲いかからんと動き出す。

 それを見て、雅騎と御影は表情を変え、真剣な顔で互いに頷き身構えると。一歩間違えれば、墓場となるやもしれぬ死地へ、迷う事なく駆け出した。

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