第十六話:殺めし者の願い
先導するように
静けさが支配する森の中にあって。一人それを嫌うかの様に、荒い呼吸をしながら進んでいたのは雅騎だった。
左肩や
だが。それでも彼は、歩みを止めようとはしなかった。
雅騎の中では未だ、心に走る痛みと苦しみが、肉体的な痛みを凌駕していた。だからこそ身体は動く。心が悲鳴を上げていても。
しかし、それでもどうにもならないこともあった。
それは、失いし、血。
己の怪我を無視し戦い続けた身体からは、既にかなりの血が流れ出ていた。応急手当てを受け止血をした為、何とか一命を取り留めているとはいえ、それは何の解決にもならない。
あの赤き宝石、
「雅騎様、無理せず残ってくださいませ」
痛々しい彼を見続け、心労が限界に達したのか。光里が心配そうに声を掛けるも、彼は首を横に振った。
「この戦いは俺が選んだんだ。気にしないで」
「ならば、せめて我々の肩を借りろ」
同じく居ても立っても居られなくなった御影が、思わず強引に雅騎の手を取ろうとする。
だが。
「駄目だ!」
差し伸べられた彼女の手を、彼は強く振り払った。
あまりの強い抵抗に、御影の表情が曇り、
「何故だ!? やはり私が、中途半端な気持ちで、この道を決断をしたからなのか?」
思わずそんな、負の感情が口を突いてしまう。
嫌われているのでは。
必要とされていないのでは。
自分の今いる道は、誤りなのではないか。
そんな不安の色を強め、彼女の表情が歪む。
横目でそれに気づいた彼は、悔いるような自虐的な顔で、首を横に振る。
「そうじゃない」
「では何故なのだ!?」
「……俺は。本当は人の心なんて、読みたくないんだよ」
苦しげな表情のまま呟く雅騎に、光里は思わずはっとした。
「まさか、あの時の力!?」
驚く彼女に、彼は小さく頷く。
「どういう事ですか?」
前を歩く
「俺が光里さんと気づかれずに話をするには、俺が元々持っている力を解放するしかなかったんです。人の心を色で知り、相手に触れることで心の声を聞き、自分の心を伝えられる力を」
「心を視て、聞き、伝える……だと……!?」
あまりに突飛な事実に。そんな事ができるのかと、御影は愕然とする。
「ああ。悪いけど、この力は俺じゃ封じ直せないんだ。心の色が視えるのはしょうがない。だけど。今はせめて、勝手に心の声なんて、聞きたくはないんだよ」
己の身体に掛かる呪いのような力を
その表情は、まるで御影に、事実を述べていると告げているかのように、刺さる。
「だから貴方はあの時、
「……すいません」
そんな苦しげな言葉に、彼女はゆっくりと首を振った。
──
気づけば。娘達が別の希望に向け歩みだす姿に安堵し。
己がどうすればよいか迷った時、愛しき相手を振り返り。
雅騎の命を奪わんとした時、愛しき者の死を重ね。心で常に、自問自答していた。
そんな弱き心を雅騎が知っていた理由を聞き。
改めて知る、己の弱さ。
「貴方は何も悪くありません。全て、
自分を戒めるように、
「……母上」
と、その時。ふと、母を呼んだのは御影だった。
彼女は一瞬、その先の言葉を口にしてよいものかを
だからこそ御影は覚悟を決め、こう問いかけた。
「……母上が、父上を
戦いの中で、雅騎は
「愛する人を殺さねばならない、心の痛みを知っている」と。
あの時の言葉は、光里にも同じ疑問を抱かせていた。母が失っている最愛の人。それは知る限り、一人しかいない。
「……いつかは知るべきことじゃ。話してやれ」
振り返った
ひとつ、長い
* * * * *
それはまだ、御影達も生まれておらず。
「貴女達の父である
お互い
そんな二人は何時しか互いを想うようになり。契りを交わして
それから数年後、
「そんな折。あの戦いが起こったのです」
それは、突如として里に現れた、鬼達との戦いだった。
この世界で鬼といえば、地獄を番をする伝説上の妖怪を思い浮かべる者も多いかもしれない。
しかし、現実には違う。
悪鬼羅刹。
この言葉が示すとおり、鬼とは人に悪さし害を成す者。だが元は、ほとんどが人なのだ。
鬼の生まれは未だ、明かされてじゃいない。
だが、現れし鬼はその全てが、恐ろしき力でただ凶行に及び、本能で戦い続ける狂気たる存在。
そして。鬼により命を失いし者は。鬼に呪われ、その身を鬼に堕とす。
「鬼達は
鬼の数は決して多くはなかったそうだ。
しかし問題は、その力だった。
下忍では歯が立たず、
そして。鬼に
事実。命を奪われ鬼となり、友に討たれた里の者も多く。当時中忍であった
それ程までに、この戦いは熾烈さを極めたものとなった。
その日。
「彼に
彼が無事還ってくる事を信じて。
しかし。
「どれくらい経ったでしょうか。
瞬間。彼女は
「村に着き、
それは、今まさに鬼とならんとする証であった。
未だ身体は人のまま。だが、それも鬼となれば、闇のごとき黒き結晶を
「思わず駆け寄ろうとした
その力で何とか鬼となることを阻止できるはずと彼女は訴え、生きてほしいと懇願したそうだ。
気づけば涙に顔を濡らし。痛々しいほどの必死さで。
だが……。
「鬼の手で貫かれし腹の傷。あれはもう、手遅れじゃった」
彼は息子の頼みを聞いてほしいと、
それがとても酷で、辛い事だと知りながら。
その先の事を、
ただ。気づけば
* * * * *
「覚えているのは、刀を伝わり触れた、嫌な血の感触。そして、息絶え絶えになりながらも。彼が嬉しそうに微笑み、涙して伝えてくれた言葉だけ……」
語りながら、堪えきれなくなったのか。目を潤ませ、体を震わせる
「『子供達の事、頼む』、ですね」
彼女が語りきれなくなった言葉。それを雅騎が代わりに口にすると、
「……ええ」
短く、
語られし過去に、御影は涙を堪え。光里は涙を堪えきれず、溢れさせる。
娘達が、言葉なく母の背をじっと見つめる中。
「それなのに、
改めて胸に刺さる後悔に、
「そう、己を責めるでない」
「そのせいで、
己の
しかし。
「
彼女の自責の念を断ち切るかのように。雅騎は強く、その名を呼んだ。
ゆっくりと振り返った
「過去なんてのは、大事なことだけ覚えていれば良いんです」
突然掛けられし言葉。
一瞬真意が読めず、呆然とする彼女に、雅騎は言葉を続けた。
「誰かを助けられなかった辛さも。自分がしてきた事に、己を責めたい気持ちもわかります。だけど、今大事なのはそれじゃない。大事なのは、
肩で息をしながら。雅騎は一人、ゆっくりと歩き出すと。
「俺は、自分が思うことを勝手にしただけです。それが正しいかなんて、まだ分からない。だけど俺は、正しいと思うからこそ、この道を選んだんです。それは
「そんな事は──」
「ありますよ。だから
表情は見えない。ただ。彼の言葉に迷いは感じられなかった。
そして。雅騎は振り返り、皆に顔を向けると。
「過去じゃなく、未来のために心を決めてください。全てが終われば、
彼の代わりと言わんばかりに、優しき笑ってみせた。
それは、これから苛烈な戦いに
だが。
あの日。
仲間とともに鬼の元に向う前。泣きそうな顔をした
「フンッ」
「昔、儂が言ったとおりじゃろ?」
それを聞き、
「本当ですね」
彼女も、少しだけ微笑んだ。
二人の短いやり取りに、何があったか分からない御影と光里が、顔を見合わせ首を傾げる。
だが。祖父と母の表情が、まるで憑き物が落ちたような穏やかなものに変わったのを目にし、彼女達も安堵した。
「雅騎。ありがとうございます」
「それは戦いが終わるまで、取っておいてください」
そう言うと、彼は前を向き歩き出す。
「待て。儂等が先導せねば、道も分からぬじゃろう?」
慌てて
「いえ。大丈夫です」
まるで何かに導かれるかのように。雅騎が歩みを止めることはなかった。
彼は既に視えていた。
歩みし先にある、強い
そしてそこに、抗うべき道が、ある事を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます