第十五話:決意の代償
「
声の主は、まるで感心したかのような声を上げると、突如姿を消した。
次の瞬間。
ガシッ
雅騎は咄嗟に、迫りし気配に向き直ると腕を上げ、頭部を狙いし強き上段蹴りを受け止める。
彼に手加減なく蹴り込んだ男は、ぼさぼさの白髪に長い白髭を生やし、使い込まれた古く色褪せた道着を着た、筋骨隆々の老人だった。
「これを止めるか。もう
無骨で皺だらけの顔が見せる、満足そうな笑み。その、ここに居るはずのない相手の姿に、雅騎は思わず目を丸くした。
「し、師匠!?」
そこに立つ者こそ。雅騎に
「「お
思わず御影と光里も同時に叫び。
「お
「山籠りしていると、妙に勘が冴えるのかのう。どうにも嫌な予感がし顔を出してみれば。よもや
蹴り込んだ脚をボロボロの石畳に戻すと、
とても穏やかで、優しい顔で。
「
「そんな事は、ございません……」
義父の言葉に首を振る彼女だったが、己の不甲斐なさを感じてか。
そんな二人のやりとりを茫然と見ながら。
「
雅騎は思わずそう呟いていた。
春に御影と再会した時、彼女からはこう伝えられていた。
祖父は数年前に病死した、と。
事実。その後彼は墓まで案内され、墓前で手も合わせていた。にも関わらず、今目の前に、弔ったはずの相手が立っているのだから、その戸惑いも最もだろう。
彼の呟きに向き直った
「
「仮も何も、死んでる事になってるじゃないですか!」
「その方が都合の良いこともあるもんでな」
「つ、都合って……」
思わず顔を
「しかし、お主はあの頃から変わらぬのう。真っ直ぐ、己を貫き通す」
そう言いながら、
突然の事に。避けこそしないものの、雅騎は少し困ったような顔をしてしまう。
「我等が不甲斐ないばかりに、お前にも苦労をかけたな」
彼の頭から手を離すと、
彼も戦いの全てを見たわけではない。
しかし。己の傷も
その元凶が、以前自身も率いてきた
師と仰ぐ相手が頭を下げる。
その光景に、どこか後ろめたを感じたのか。彼はため息を
「頭を上げてください。俺が勝手にやっただけですから」
「そうかも知れぬ。が、結果お前は、孫達の命を救ったのだ。感謝する」
弟子の言葉に顔を上げた
「して。お前はこの戦いに勝ったが。この後、どうしたいのだ」
戦いの終焉の先に見据えるものは何か。
それを見定めるべく、表情を引き締め雅騎に尋ねる
向けられし強き視線に、少しだけ
「全ての
「全て、か?」
「ええ。
雅騎の言葉を神妙な顔で聞いていた
本来ならば触れるべき事ではないのだろう。だが残念ながら、彼はそれを無視する事はできなかった。
「無粋であろうが敢えて聞く。全て。それは、御影や光里も含む。それで良いのだな?」
言葉の真意を知り、御影と光里がはっとする。
だがそれでも、雅騎は表情を変える事なく、しっかりと頷き返した。
「馬鹿な!!」
「我々は共に参ります!」
二人は慌てて彼の元に駆け寄ると、強く彼の決断に否を示す。
しかし。
「だめだ」
雅騎は二人に顔を向けると、そう強く言い切った。
「何故だ!?」
悲痛な表情で叫ぶ御影に心を痛めつつも、雅騎は寂しそうに笑う。
「お前は、早く綾摩さんや如月さんの所に顔を出して、安心させてやるんだ」
「まだ戦いが残っているのにそんな事が出来るか! 帰る時はお前も一緒だ!!」
もう離れ離れになるのは嫌だ。そんな感情が、彼女を必死に食らいつかせる。
だが。そう答えると分かっていたのだろう。
目を伏せ視線を逸らした雅騎は笑みを消し、
「それに……。
「それは……」
光里は返す言葉を失い、視線を落とす。
もしもの時にその覚悟は必要だと、彼女は心の奥底で考えていた。
彼は、そんな覚悟に気づいていたのだ。
御影も、光里同様に表情を曇らせる。
彼女もまた、妹と同じ考えを持っていた。
未だ拭えぬ
だからこその万が一の覚悟だったのだが……彼の一言で、気づかされた。
それこそが、雅騎の示さんとする道を踏みにじる行為なのだと。
互いに唇を噛み、悔しさを滲ませる孫達を
「
「……承知しました」
真剣な目の彼に、
「
瞬間。周囲の忍達が大きくざわついた。
同時に
「師匠!?」
雅騎もそれは同じ。
最も強き驚きを見せた彼に、
「済まぬが、一度命じた物を取り消すことはできん。それに……」
そう告げた瞬間。にやりとすると、こう言葉を続けた。
「わしも孫達が可愛いんでな。お主の気持ちには応えられんわ」
またも「がっはっはっは!」と、豪快に笑い出す師匠の
* * * * *
周囲の下忍達が、
「そう気分を悪くするな」
「そうです。その怪我で独り、満足に戦えるわけがないではないですか」
なだめるように
「俺は
怒りを通り越し、呆れの域に達していた彼は、掛けられた言葉をあっさりと拒絶する。
「そうやって、また無茶をする気なのだろう!?」
「
「どうか
「だったら俺じゃなく御影達を説得してくれ!」
御影や光里も、心配を隠そうともせず必死に食い下がるが、取り付く島もない。
血に染まる身体を
と。そんな気まずい雰囲気の彼等の元に、怪我の酷い
慌てて御影と光里は彼等に駆け寄ると、双方戦った相手に肩を貸す。
「
「残念ながら、軽くはありません。流石は御影様ですね」
肩を貸しながら、申し訳無さそうな顔をする御影を安心させるように。
「光里様も、お強くなられましたな」
「そう言っていただけるのは嬉しいのですが、その力であなたを苦しめてしまいました……」
「よいのです。これもまた、我の定めだったのでしょう」
口惜しげな表情で
彼等は、雅騎の前に立つと、御影と光里の力を借りつつ、ゆっくりと跪く。
彼等が無事に座したのを確認し御影達は身を離すも、心配そうな表情のまま、付き添う様に横に座る。
「雅騎様」
静かに、
釣られるように視線を向けた雅騎の瞳に、強い決意を秘めた、真剣な彼女が映る。
「
「我からもお願いしたい」
「
釣られるように、
「
力及ばなかった中忍とはいえ、彼等とて
そんな彼等が頭を下げる屈辱を想い、思わず
御影や光里もそうだ。二人に頭を下げさせている行為。それが自分達の為を想っての事と知り、心を締め付けられ、思わず唇を噛む。
ただ独り。
雅騎は少しの間、土下座する二人を見つめていたが。何かを諦めたように、大きなため息を漏らす。
屈辱や誇りをも捨てた、純粋なる強き
それを見ぬ事は、彼にはできない。
「頭を上げてください」
声に従い静かに顔を上げた二人に、雅騎は真剣な眼差しを向け、言葉を続ける。
「条件は、ふたつ」
そう言って彼は彼等の目の前に立つと、ふっと二人にそれぞれの
いつの間に手にしたのか。まるでダイヤのように磨かれた、真紅に光る平べったい宝石が、両手それぞれに握られている。
その宝石が、薄っすらと赤白い光を帯びたかと思うと、次の瞬間。
パリーン
澄んだ音とともに、弾けた。
それを合図としたように、突然その赤白い光が
「あなた達が先導し、皆の撤収を急いでください。その身体なら、やれますよね?」
雅騎の言葉に、二人ははっとし、思わず己の身体を見る。
「これは、一体……」
己の体を確認するように、呆然としながら己の手を見る
「雅騎様。一体何を!?」
目を丸くし雅騎を見た
「怪我を治しただけです」
感情の抑揚も見せず、ただ短くそう告げた雅騎は、
「もうひとつの条件は、
「死地に挑む我々に、命を懸けるなとは。どういうことじゃ?」
要領を得ない
「さっきも言いましたけど。戦いで勝てないからと、勝手に絶望して
「だが、そうせねばならぬことも──」
「あっちゃ駄目なんです」
その表情は、歯を食いしばり、何かに耐えているかのように、険しい。
「俺は、どんなに追い詰められたとしても、最後まで諦める気はありません。それが蜘蛛の糸を掴むほど難しい事だとしても、可能性を信じ、最後まで足掻くつもりです。それなのに、皆に勝手に諦められ、勝手に死なれてしまったら。折角見えた可能性を失うかもしれない」
雅騎はゆっくりと、天を仰いだ。
「俺は、『勝てないかも』なんて中途半端に思う人達を連れて行きたくはないんです。今まで
それ以上の事は何も言わず。彼は空に向け、大きく白き息を
暫し、
それを破るように。
「……分かりました。お約束しましょう」
雅騎はゆっくりと顔を下ろすと、彼女を。そして師匠と姉妹を順に見る。
真剣な表情をする彼女達に映る、
「それより、そんな便利な物があったのなら何故すぐに使わん! 早くお前の怪我の治療を!」
彼の怪我が治る。そんな希望を見せられ、やや興奮気味に御影が
しかし。
「もう無理だよ」
「何!?」
その言葉に。御影だけでなく、その場にいた
「あれは使った二つで全部」
「そんな!? 何故そのような貴重な物を私達に!?」
「
「御影達を全員連れて行くなら、代わりに撤収を先導すべき人が必要です。それができるとしたら、あなた達だけです。だから、動けるようにしたんですよ」
「ですが! 雅騎様のほうが重傷ではありませんか!」
「確かに。
思わず悲痛な声を上げる光里。そして、彼女に同意を示すように、
「それで
「何故そこまでの事を。お前はあれほど我等を敵視していたではないか」
「そんなのはもう過去の話です。傷つけておいてなんだけど、これ以上そっちの仲間に何かあったら、御影達が悲しむでしょ?」
「ふざけるな! 我々はお前を心配しているのだぞ!」
御影が怒り混じりに大声で叫ぶ。
だが。
「だから言ったんだ! 俺は独りでやれるって!!」
より
強い怒気。御影は思わず怯えたかのように、身体をビクリと震わせる。
「俺は元々独りでお前を止める気だった! その先だって、俺独りで戦う気だったんだ! それをお前らが勝手に俺に付いてくるって
御影も、光里も。叫んだ彼の表情を見て、思わず唖然する。
雅騎は彼女達に叫んだにもかかわらず。まるで自責の念に駆られた、悔しさと悲しさが入り混じった顔を浮かべていた。
「元々あれは、俺の傷を治す為だけに使うつもりだった。だけど結局俺は、皆と戦う事を選択したんだ。お前達の仲間のために、二人の怪我の治療を優先したのはその対価。そして、皆を連れていくって決めた、俺の覚悟だ」
強く己を責めるような、今まで見たことがなかった彼の表情に、御影は何も返せず意気消沈する。
「……それが、自分で道を選ぶって事なんだよ」
歯を食いしばりながらも、何とか言葉を
御影達は気づいていない。
自分にもっと力があれば。自身と皆を治す力があれば。
雅騎がそんな力の無さを悔いている事に。
だが。同時にある事には気づいた。
彼はそれだけの覚悟と決意で、自分達を受け入れてくれたのだと。
彼の重い決意を知り。御影も、光里も。そこにいる者達全てが。暫しの間、茫然と彼を見つめ、言葉を失う。
そんな中。
「だから。皆の事、よろしくお願いします」
雅騎は改めて、己の願いを口にし、深々と
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます