第十四話:幻影術師

「雅騎よ。今ここで許しを請い、二人ににえの儀をうながすのであれば。その命、奪いはしません」


 周囲の炎の熱とは真逆の、酷く冷たさを感じる低い声で、そう告げる銀杏いちょう


 だが。

 雅騎はそんな彼女に、呆れた笑みを返した。

 いや。銀杏いちょうにではない。己自身に。


  ──まったく。最近、こればっかりだな。


 周囲の炎から感じる灼熱。それを雅騎はここ最近幾度も経験した。

 ドラゴンとの戦い。ティアファルトの炎の燃撃デュラスグラデル。そして、銀杏いちょうの朱雀。


 そう。

 最近、あまりに炎と縁がある最近の自分に、呆れるしかなかったのだ。


 既に治ったはずの炎の燃撃デュラスグラデルを受けた左脚に、一瞬痛みが蘇る。

 それもまた戦いで受けし、ひとつの心的外傷トラウマ


 だが。

 その心的外傷トラウマも。身体の多くの傷も。未だ彼の痛みには成りえなかった。

 あけ炎陣えんじんに隔離された事で、忍達の感情を視ずに済むようになり。御影が笑みを見せた事で、心への負担は減った。

 しかし、それを凌駕するように。より強く主張する、炎から発せられるが、彼の心に痛みに刺さり続けていたのだから。


銀杏いちょうさん。俺は感謝してますよ」


 雅騎は、ふっと優しい笑みを浮かべると、銀杏いちょうを見た。

 彼の意外な表情に、彼女は思わず怪訝けげんな顔をする。


「あなたが手紙をくれた時。俺は、届かないと思った御影にまだ手に届く。そんな希望を手に入れたんです。だから、本当に感謝してます」


 胸の前で、右腕の拳を、ぎゅっと握る。

 未だ血がしたたる拳に、愛おしそうに目を向けた雅騎は、静かに言葉を続ける。


「でも俺は、同時にあなたの甘さが気に入らない」


 刹那。彼はぎっと奥歯を噛むと、凛とした表情を銀杏いちょうに向けた。


「あなたは雄弁ゆうべんに語りすぎです」


 突然口にされたのは、不可思議な言葉。


  ──何を言っている!?


 御影は戸惑いをあらわにしながら、炎の中に立つ雅騎を唖然とし、見つめていた。


 母はこの戦いで、殆ど何も語ってなどいない。

 自分達ににえの儀を行わせる。ただそれだけの言葉しか語っていないはず。


 そう理解していたからこそ。

 続く言葉は、彼女だけでなく、その場にいる全員を、より驚愕させた。


「御影達が俺の味方についた事にほっとして。戦いの最中も、ただ只管ひたすらに俺の命を案じて。そして今も思っている。って」


 それを聞いた瞬間、銀杏いちょうは大きく目を見開いた。

 何故知っているのか。そう言わんばかりに。


 そして、驚愕したのは御影達も同じだった。

 無論。彼女は、そんな事を一度も口にしてはいない。

 だが。その母だけが知る事実を前に、現実を突きつけるように。


「娘達には命のやり取りをさせておいて、自分だけ現実から目を背けるなんて。最低ですよ」


 雅騎は冷たく、そう言い切った。


「この炎とその朱雀で、銀杏いちょうさんの強さを強く感じました。だから俺も、幻影術師イリュージョニストとして全力で応えます」


 周囲の戸惑いが加速する中。彼は再び、右半身を後ろに引き。


「だから銀杏いちょうさん。殺す気で掛かってきてください。俺はその向けられた力を、全力で否定します」


 そうはっきりと告げると、相対するように、戦いの構えを取った。


 だが。

 見せた構えはやはり、神名寺流みなでらりゅう胡舞術こぶじゅつ

 仲違なかたがいした相手より教わった、捨てられない武術に縛られたその構えに、言葉にされたような力は、微塵も感じられない。


 何が起きるのか分からない、先の見えない展開に、周囲がみな息を呑む中。


  ──幻影イリュージョ術師ニスト……?


 光里は、彼の構え以上に、その名が引っかかっていた。

 何処かで聞いた事があるはず、なのだが。

 この緊迫した戦いを前にして、思考が回らないのか。答えに辿り着く事ができずにいた。


 そして。御影もまた、幻影術師イリュージョニストという名に、光里とは別の思いを抱いていた。


  ──それが、お前がなのか?


 雅騎が銀杏いちょうと戦うことを許した理由には、心に秘めし理由がある。

 それは以前、御影達を救ったであろう力。


 神名寺流みなでらりゅう胡舞術こぶじゅつでも、己の神降術しんこうじゅつでも倒せなかったドラゴン相手

 それを倒したのが雅騎だとするならば。彼は、自身をも超える力を持っているはず。

 そんな未知の可能性を信じ、母との戦いを許したのだ。


  ──すまぬ……。


 御影は悔しそうに唇を噛む。

 自身では、あの時のドラゴンも、今の母も止められない。己の命運を託さざるを得ないこの状況の歯痒さが、強く心を責める。


「貴方の決意は受け取りました。では、わたくしも全力で参ります」


 と。雅騎の覚悟を受け止めたのか。

 静かに銀杏いちょうはそう言い放つと、薙刀を下段に構え、彼を見据みすえた。


  ──『良いのですか?』


 ふと。彼女の心に向け、尋ねる声があった。それは、彼女を頭上から見守る者より掛けられし、心の声。


  ──……ええ。


 未練を捨てるように覚悟を決めた銀杏いちょうの心の返事に。空に舞う朱雀の瞳が、同じ決意を秘めたかのように、鋭い眼差しに変わる。


  ──「すまぬ……銀杏いちょう……。子供達の事、たの、む……ぞ……」


 心に浮かぶ、何者かの言葉。

 彼女は一度目を伏せ、その悲しみを心の奥底にしまうと、朱雀同様、鋭い眼光を雅騎に向けた。


「苦しまぬよう、一撃で決めましょう」


 再び朱雀と銀杏いちょうが同化し、彼女は強き炎を纏ったかと思うと。炎が勢いよく流れ込むように、そのまま手にした薙刀に集まっていく。

 決して炎として大きくはない。だが、そこに力が集約したかのような激しき熱が、間違いなくより強大な力を持つであろうことを、雅騎は強く肌で感じ取る。


 神秘的で、まるで魔法にも見える銀杏いちょうと朱雀の動きを見つめながら。彼もまた、頭である言葉を思い返していた。


  ──「良いかい? 全ては、最初が肝心なんだ」


 それは、幼き頃より尊敬し、師事した者から受けし教え。


  ──最初こそ、幻影術師イリュージョニストの全て。


 最初をどう制するか。それが相手への印象を決める。

 教えからそう理解していたからこそ。彼は、最初で最期となるかもしれない、幻影術師イリュージョニストとして繰り出す技を、心に決めた。


「言い残すことはありませんね」

「ああ」


 両者が静かに言葉を交わし、じっと相手を見る。

 周囲は誰一人、声を発せない。それほどまでの緊張が、炎の熱と共に周囲を支配する。


ほむらにて、の者を清めよ!」


 言葉と共に交わされしは、神降之忍かみおろしのしのびの術。

 銀杏いちょうが、炎に包まれし薙刀を、両手で手にし、下段に構え。そして──。


朱雀天翔すざくてんしょう!!」


 銀杏いちょうは強き叫びと共に、薙刀を斬り上げるように一閃した。

 動きに合わせ、薙刀より巨大な炎が天に昇り。改めて姿を現した朱雀は、空高く、より力強く舞い上がると、そのまま一気に雅騎に向け急降下した。


 炎のきらめきと共に滑空し、勢いよく迫る炎の化身を前に。

 彼はその場から動く事なく。ただ静かに、両腕を体の前で、上下にくの字に突き出し、相対せんとした。

 まさかの構えに。


「馬鹿な!?」


 御影は思わずあり得ないと言わんばかりの声を上げ、


「……!!」


 光里は驚きで言葉を失い、


  ──何故その技を!?


 銀杏いちょうもまた、思わず目を見開く。


 彼が全てを託しし技は、神名寺流みなでらりゅう胡舞術こぶじゅつ陣風じんぷう

 この戦いでも襲いかかる下忍に繰り出していた、相手の技を受け流し、地に叩き伏せる合気の構え。


 しかし。それはあくまでの技。

 炎の化身である朱雀相手に、意図して繰り出すような代物ではない。

 大体、もし一度地に伏せたとして。ただの人の技が、神を凌駕する力を見せるはずもない。


 そんな技でどう抗おうというのか。

 命を無惨に捨てる気なのか。

 誰もがそう、強く感じる。


 だが。

 朱雀が目前に迫ってもなお、雅騎はその構えを崩そうとはしなかった。


 見届けるしかできない、御影の。光里の額を冷や汗が流れ。作りし拳に力が入り。銀杏いちょうもまた、戸惑いながらその行く末をじっと見つめる。


 ありえぬ構えと、ありえぬ朱雀

 ふたつが交わった瞬間。


 荒ぶるほむらは、宙で孤月こげつを描き、大地に沈んだ。


 石畳が激しく砕け、破片が吹き飛ぶほどの衝撃。

 何時、彼が振り返り様、朱雀を大地に叩きつけたのか。それを見切った者はほんの一握り。

 それ程までの、電光石火と呼ぶに相応ふさわしき人の武を見せた彼は。まるで神をも見下すかのように、銀杏いちょうに背を向け、地でもがく朱雀に、相対あいたいするように立っていた。


 神を捕らえ、叩きつけた時に触れたであろう左手が、炎で燃えている。

 だが、雅騎はその熱を感じさせる事すらなく。静かに構えを解き、銀杏いちょうに向き直ると、左腕を勢いよく水平に払う。


 瞬間。

 まるで刀に付いた血がはらわれるかのように。炎がくうはらわれ。筋となり。消えた。


  キィィッ!! キィィィィィィィッ!!


 甲高い声を上げながら、地に張り付いたまま身悶える朱雀。

 それは、銀杏いちょうにとってあり得ない光景だった。


 彼女は未だ充分に感じていた。

 朱雀の猛々たけだけしい力を。


 もし叩きつけられたであれば、すぐさま起き上がり、羽ばたいたに違いない。だが、炎の化身は床に叩きつけられた姿勢のまま、藻掻もがく事しかできずにいる。

 繰り出した陣風人の技だけが、この状況を生み出したなどとは、到底考えにくい。


「何を!?」


 目をみはり、信じられないといった顔で叫ぶ銀杏いちょうに対し。朱雀の炎に強く照らされた雅騎は、大きく息をすると、


「向けられた力を、全力で否定しただけです」


 そんな答えにならぬ答えを返した後、ゆっくりと銀杏いちょうに向け歩き出した。


「俺は、納得がいかないんですよ」


 まるで、彼女を憐れむかのように。雅騎は瞳を悲しげな色に染める。


銀杏いちょうさん。あなたは知っているはずです。、その辛さを」


 突然の言葉に。紅葉くれは岩剛がんごうも。御影や光里でさえも、驚きを禁じ得なかった。

 銀杏いちょうが人をあやめた。そんな事実を、今までに耳にした事も、目にした事もないのだから。


 だが。

 言葉を返さず、目を伏し、悲痛な表情で唇を噛む彼女の姿は、それもまた事実だと無言で訴えている。


「それなのに何故、それを御影にさせるんですか?」

「それは、神降之忍かみおろしのしのびの、未来のため……」

「ふざけないでください」


 歩みを止めず、強く銀杏いちょうを責める彼に、


「ふざけてなど……」


 顔を上げぬまま、絞り出すように言葉を返そうとする銀杏いちょう

 雅騎はそれを聞き、あからさまに表情を変えた。

 誰が見ても分かるほどの怒りに。


「……じゃあ、やっぱり神降之忍あんた達は最低だ」


 彼女の前で歩みを止めた彼は、震える声に、力を込める。


「倒せない敵だと分かれば恐れをなし。倒せる相手と思えば人一人殺しに掛かる。つまり神降之忍かみおろしのしのびってのは、ただの弱い者いじめの集団って訳だ。どうせ、羅恨らこんじゃなくたって、自分が勝てないとわかった瞬間逃げ出す。そんなやからなんだろ」

「それは……」


 銀杏いちょうは言い返したかった。

 だが、言い返せなかった。

 それは彼女だけではない。御影も、光里も。他の忍達も。みな、同じ。


 誰もが感じていた。

 神降之忍かみおろしのしのびの存在意義と、羅恨らこんという敵に屈し続ける屈辱と疑念を。


 しかし。

 過去にも神降之忍かみおろしのしのび達が戦い、命を落としかけ、勝てぬ相手と感じてしまった事実。

 その言い伝えが疑念を闇に葬り、相手に挑む選択を、なかった事としてしまっていた。

 一人の命で、より多くのみなの命を救う道しかない。そう、無理矢理に決め付けていたのだ。


 疑念の先にある、誰もが思う現実を突きつけられ。忍達は各々に心を責め、表情を曇らせていく。

 雅騎は、尚も語る。


銀杏いちょうさん。御影はどんなに自分が苦境に立たされ、それこそ命を失うかもしれなかった時にも。街の人達が危険に晒されるからって、必死に戦おうとしたんです」


 御影はその言葉に、悔しそうに歯を食いしばった。

 彼は信じてくれていた。にも関わらず、一度はその信頼を踏みにじってしまった。

 そんな自分を、許せないかのように。


「光里さんだって、俺に辛い思いをさせたくないからって、手助けをするから逃げてほしいって言ってくれたんです。自分が死ぬ運命であるにも関わらず、助けてほしいなんて一言も言わずに」


 光里はその言葉に、雅騎から目を離せなかった。

 出会ってすぐ、自身の信じられないような言葉を真摯に受け止め、信じてくれた。

 そんな相手を、目に焼き付けるように。


「俺は神降之忍かみおろしのしのびって、そういう強い人達だと思ってましたよ」


 強く握った拳を、わなわなと震えさせていた雅騎は、瞬間。

 激しく吠えた。


「それがなんだ! 敵が強すぎるから敵に従う!? 仲間の命を求める相手がそんなに信用できる相手なのかよ! 仲間を犠牲にすれば自分達の未来が繋がる!? そんなの未来でにえになる奴の命を見捨ててるだけだろ! それで人助けをする!? 目の前の大事な仲間一人も助けられない奴が、どうやって人を助けたって胸を張れるんだよ!!」


 激昂げきこうに満ちた言葉が、まるで、山々に反響するかのように、忍達の心に痛いほど響き渡る。


「お前らみたいな臆病者は、さっさとここから逃げ出しちまえ! そして羅恨らこんの影に怯えながら、こそこそ人助けごっこでもして、勝手に満足してりゃいいんだ!!」


 怒りと共に、思いの丈をき捨てた雅騎は、大きく深呼吸して怒りの矛先ほこさきを収めると。凛とした表情を、改めて銀杏いちょうに向けた。


「……それでも、自分達が正しいって言うなら、幾らでも掛かってきてください。俺はそれを、全力で否定し続けます」


 彼は右手を顔の高さまで上げると、指をパチリと鳴らす。

 瞬間。何かから解放されたことに気づいたのか。朱雀は突然身を捻り起き上がると、再び空に舞い戻った。


  キィィィィィィィィィッ!!


 無様な仕打ちを受けた怒りか。強く甲高い怒りが籠もった鳴き声が、彼の背後から耳に届く。

 強き炎の勢いが、より大きくなる。だが雅騎は振り返ろうともせず。ただじっと、強き瞳で銀杏いちょうを射抜き続けている。


 今にも襲いかからんとする朱雀。

 だが。


「止めなさい」


 それを制したのは銀杏いちょうだった。

 向けられしはかなげな瞳。そこには既に、戦う意思は消え失せていた。


  キィィィ……


 彼女の言葉を聞き、弱々しく鳴いた朱雀がゆっくりと空に舞い上がると、まるで夜空に溶け込むように、その姿を消す。

 朱雀が消えゆくのに合わせ、周囲を囲んでいたあけ炎陣えんじんもまた。炎の勢いを弱め、ゆっくりと消え失せ。

 境内けいだいは再び、篝火かがりびの淡い炎だけが皆を照らす、静けさが支配する場所へと戻っていた。


 戦いは、終わった。


 だが。

 心に響く程の叫びを受けた者達も。強く真実を突きつけた男も。誰一人、言葉も発する事も、動くことすらもできず。寒さに凍りついたような時間が、永遠に続くかと思われた。


 と、その時。


「がぁっはっはっはっは!!」


 突如、静寂を破るように。豪快な男のわらい声が、周囲に轟いた。


 雅騎も。銀杏も。御影や光里も。みなが、咄嗟に声がした拝殿はいでんの屋根を見上げると。そこに、一人の大柄な男が、闇夜に紛れるように立っていた。

 強い眼光で、彼等を見下ろしながら。

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