第十二話:鬼が染めし深緑
未だ晴れることを知らぬ、暗雲の空の元。
闇夜を照らす
影達は、時に石畳に。時に
影達は吸い寄せられるように。
たったひとつの影に触れ。
時に自らの意思で。時に自らの意思に反し。影より離れた。
影が狙いし影。
そこに立つは、炎に照らし出されし、たった一人の若き男。
その男はまるで、神事の
素早く。力強く。躍動し。
打ち抜き。地に堕とし。突き放し。
ただ
その身を。その足元を。
影でありながらも、人の世の希望を背負いし忍の者達。
彼等は未来を闇に
男の背後に回ると、殺意を込めし刀を振り下ろさんとする。
だが。まるでそこに現れるのを知っていたかのように。
男は迷いなく竜巻の如き連撃にて、その忍を
間髪入れず飛来する複数の苦無。男は半身を下げ、直撃を避ける。
……いや。それは本当に避けようとしたのだろうか。
腕や
だが。
傷にも、血にも目を向ける事もせず。怯む事すらもなく。
男は襲い来る影達にだけ、冷たき瞳を向けた。
三人の忍が、同時に男に迫る。正面に一人。左右を挟むように、二人。
それは
だが。
彼等は次の瞬間。己の力の無さを
男が上下に突き出した腕で、正面の忍の刀を
片膝を突き、その身を大きく伏せながら。
左右の忍から放たれし斬撃が、伏せし男の髪を
勢いのまま、二人はより深く踏み込むと。刀の刃を返し、命を狩るべくまたも男を薙ぎ払わんとする。
だが。素早く身を起こした男は、二の太刀を許しはしなかった。
獲物を狙う
勢いで姿勢を崩されし者達は、そのまま互いの頭を強く
目の前で、そして石畳の上で苦痛に
次の瞬間。まるで突風に吹かれたかのように。男の鋭き回し蹴りによって、彼等は同時に
蹴りの衝撃か。左肩から血が辺りに飛び散る。
しかし。男はそれすらも意に介す素振りはない。
既に男を囲んでいた忍達の半数以上が、輪の外まで吹き飛ばされ、倒れ伏していた。
だが。ある者は意識を失い。ある者は
悪鬼羅刹。
世に
それ程までに、男は強かった。
だが。幾人もの忍を
顔に。腕に。脚に浮かぶ、幾つもの細かな傷。
そして心を鬼にした女達から受けし、
様々な傷が、男の身体から血を
それでも。
男はまるで心を閉ざしたかのように。
肩で大きく息をしながらも、言葉を発する事もなく。ただ静かに、鬼気迫る表情で身構える。
多くの忍が倒されし今。
残りの者達は身構えながらも、踏み込めずにいた。
それは既に、
闘いの
血まみれの鬼となりし男を、力無く見つめる者がいた。
それは鬼になりきれなかった、若き女。
女は、己の未来を打ち砕かんとする鬼を、ただ呆然と見つめる事しか出来なかった。
既に涙は枯れ。目を赤く腫らしたまま。
──「俺の前からとっとと消えろ。もう姿も見たくない」
鬼に放たれた言葉に絶望し、心を闇に染める中。女は
──共にいることは、もう、叶わぬのか……。
未だ心に強くある失望が、己など本当に消えてなくなればいいと強く訴えかける。
だが。女は消える事など許されなかった。
女は既に、鬼となっていたはずだった。
愛する妹の命を奪い。忍達の未来を繋ぐために。
だが。女の背負う定めに
男が、女に代わりに心を鬼とし、その未来を奪わんと立ちはだかっていた。
──何故……。お前は、戦うのだ……。
忍達の未来を奪うつもりか。
人々の希望を奪うつもりか。
それすらも分からぬまま。女は心で問い掛ける。
鬼がこの闘いに勝てば、妹を
だがそれは、あの
女はそこに、未来を感じることなどできずにいた。
──お前は……皆の未来を、捨てろというのか?
力なく。無意識に。
女はまたも、心で鬼に問い掛ける。
だが。
鬼にその声が届くはずもなく。
鬼がそれに答えるはずもなく。
女の心は、闇に染まり続けるはずだった。
……何処に隠れていたのだろうか。
心の奥底に沈みし、忘却の彼方にありし言葉。
それがまるで、女に応えるかのように。
心で小さく、
──「……今は理由なんかより、やるべきことがあるんだろ? 御影」
瞬間。
女ははっと目を見開く。
何故、忘れていたのか。
何故、今思い出したのか。
それは、分からなかった。
だが。
それは、己が今も人であれる理由。
業火。絶望。
記憶に蘇りし、あの
自分だけでなく、仲間をも失いかけたあの日。
それでも女は皆のため。僅かな希望を信じ。絶望に命を捨ててでも。友と戦い続ける覚悟を決めた。
だが、それは止められた。
一人の男によって。
結果。女は一命を取り留め。
今もまだ、
思い出された闘いの記憶。
心の
──お前は、あの時も……。
こうやって、私達を守ってくれたのか。
だからあの日、病院で傷だらけだったのか。
それを自分は、今まで気づく事なく、これまでのうのうと生きてきたというのか。
様々な想いが、女の心に再び強い痛みを
それは己が、男に三度、助けられているという、己の力の無さへの後悔。
だが。その痛みこそ、女が人である証。
そして。人であるからこそ、もうひとつの
儀式を阻止するだけならば、
だが。
あの男は、それで良しとするだろうか。
幼き日。身を
龍と対峙した時。自分達を止め、自分達の為に闘ったであろう男が。
そう。
今まで自分のため、ただ
己を冷たく突き放し、自身を遠ざけようとした
未だ自身に優しさを向け、希望を
「もう良い!」
瞬間。衝撃で石畳が激しく砕け散り。下忍達が思わず恐怖で身を震わせる。
「
低い声でそう
「良いでしょう」
「では、
そう言い続いたのは
彼女も腰の後ろの忍者刀の柄に手を掛け、彼と同じ表情を浮かべ並び立つ。
──二人、か。
その鬼──いや。
彼等には何か別の力がある。そしてその強さは、今までの相手の比ではない。
心がそう危険を告げる。
だが。
──構うものか。
雅騎は、その劣勢となるかやもしれぬ状況を一蹴した。
既に、人の心など捨てていた。
光里に真実を伝えなければならなかったあの時。
雅騎は再び、
だからこそ見える、彼を取り囲む忍達から発せられる、
そんな
しかし。
雅騎はそれでも決意していた。
彼女を待っている、佳穂や霧華の元に返してやるため。
己の恐怖を忘れ、己の願いを叶えるために。
己の心を鬼にし、
大事だった幼馴染をも傷つけ。
「貴方の命、頂戴します」
「我らが二人が相手。今更、卑怯とは言うまいな」
二人の言葉に、雅騎は表情を変えず。
「ああ」
そう、短く返し。
だが、それは雅騎に、ほんの僅かな隙を生んでしまう。
彼は、絶望の色に染まっていたはずの
いや……自らが傷つけた相手の痛々しい姿に、目を向ける事ができなかっただけ。
だからこそ。
彼は、虚を突かれた。
突如。動く事などないと思われた御影が、素早く背後より雅騎に迫った。
予想外の迫り来る者の気配に目を
繰り出されし後ろ回し蹴り。それを跳躍で避けた彼女は、そのまま彼の頭上を超え、大きく宙を舞った。
同時に。雅騎が背負っていた
そして。即座に振り返った彼の喉元に、その切っ先を突きつけた。
誰もが予期しなかった御影の帰還。
それは雅騎だけでなく、周囲の忍達を驚愕させる。
そんな中。
「光里よ。我が元に」
静かな声で妹を呼ぶ御影。
──
夢が絶たれたのか。
光里は、その声に一瞬身体を
そんな中、
光里は、御影の隣に立つと歩みを止める。
それは、
だが。あの鬼が目の前にいる。その状況が未だ、周囲の緊張感を
「御影よ。よくやりました。光里を斬りなさい」
心の
が。その言葉に返事はない。
僅かな沈黙。ただ
「お前、まさか……」
雅騎が、驚きと共に呟くと。
「理由などより、やるべきことがある。そう言ったのはお前であろう?」
御影の静かなる言葉を聞き、表情を歪ませる。
彼の表情で、彼女もまた理解したのだろう。小さくため息を
「お前は、
はっきりと告げ、改めて雅騎を見た。
肩も、腕も血まみれで。身体にも、顔にも数々の傷を負っている。
その傷を誰のために負ったのかを知ったからこそ。またも心が強く痛む。
「お前は何時もそうだ。そうやって独りで抱え、独りで傷つく。あのドラゴンとの戦いでも、そうだったのであろう?」
静かに。噛みしめるように語る御影。彼は目を逸らし、応えようとはしない。
だが、それで良かった。
それこそが、彼の応えだと知っているのだから。
「私は、母上に感謝している。女手独りで私達姉妹を育ててくれた、大事な家族として」
姉の言葉に。母の、そして妹の表情が曇る。
「そして、
どこか悲しげな仲間という言葉に、忍達は息を呑む。
「だが……」
言葉と共に。
静かに。ゆっくりと。
「母上は知らぬのだ。私が今ここに立っていられるのは、雅騎が以前、私を救ってくれたからだと」
それを聞いた瞬間。
だが、これも仕方ない話。
何しろ、これまで彼女達は……いや。御影ですらも。この事実を知らなかったのだから。
心に何か決意したのか。
御影は静かに目を開くと、凛とした表情で雅騎の目を見る。
「お前はあの時。既に消えかけていた私に、未来をくれたのだな。そして。今もまた、私達姉妹に、未来を与えようとする」
だが、涙を
「私は、お前がくれるそんな未来を、お前と見たいのだ! 例えお前が、勝手に独りで抱え込み、勝手に独りで戦いを挑み、勝手に傷だらけなる。そんな
瞬間。
御影は吹っ切れたように。涙目のまま、笑顔を見せた。
雅騎は既に気づいていた。
振り返った瞬間。刀を向けた彼女が、既に
彼女が普段魅せる、力強く明るい笑みに。
──お前には、やっぱり
彼は、心でそう呟いた。
ずっと御影を見てきたからこそ。
そうであってほしいと思っていた彼女が、そこにいる。
雅騎は心を隠し、呆れた表情を浮かべると、
「お前も十分、
被っていた鬼の面を捨て。捨てたはずの笑みを返していた。
御影はゆっくりと振り返り、
「母上。申し訳ありません」
軽く頭を下げた後、顔を上げじっと母を見た。
力強く真剣な眼差しを、何時ぶりに見ただろうか。
「光里。貴方も、我々に
静かに、重く口にされし言葉。向けられし鋭い瞳を、彼女もまた強い決意で見つめ返す。
「この儀より前。雅騎様より伺った未来に、私は希望を持ちました。その時より既に、私の心は決まっております」
「この儀より、前?」
驚きを返したのは
彼女は光里の付き人として彼女を監視し続けていた。確かに、清めの湯で雅騎に会わせたのは彼女の罠。
光里が裏切らないか。そして雅騎を逃がそうとしないか。その忠義を試していた。
雅騎と会った彼女は終始、この
──あの男は、何者……。
鬼神の如き力で
「雅騎。お前は既に妹まで手を出していたのか?」
雅騎と光里。二人を知る御影は勝手に会話を思い浮かべたのか。思わず呆れながらそう口にすると、彼は少し不機嫌そうな顔をした。
「人聞きの悪い。俺はただ思った疑問と、俺がする事を話しただけだ」
「本当にそれだけか? どうせ最後に『俺を信じてくれないか?』とでも言って、その気にさせたのだろう? この女ったらしが」
「うるさい。そんなんだからがさつだって言われるんだよ」
まるで、戦いを忘れているかのように、お互いを皮肉る二人。
だが。そこにはまるで、それすらも楽しむかのように、自然な笑みが交わされている。
その光景に。
──雅騎様ならば、私も信じ、付いてゆける。
光里は、強く決意した。
御影が以前聞かせてくれた通り。自身と姉に向けられる彼の温かさ。
そして。己の心を鬼として戦い、姉を人に戻した命を懸けし行動。
その存在が、彼女の心をも
三人の表情を見て、視線を逸し
誰にも気づかれぬことのない、とても優しい笑みを。
「
この状況に戸惑う二人に、
「
相手は御影と光里という、実力では及ばない上忍達。そして、下忍相手とはいえ、たった独りで
中忍二人では力不足。それは火を見るより明らかだった。
だが、
「今更、何をおっしゃいますか」
「最期まで、お供いたします」
二人は大斧を、そして忍者刀を構えると瞬間。
「雅騎。お前は傷も深い。少し休んでいろ。良いな?」
御影と光里は、それぞれ
御影と
「ああ。分かった」
そんな中。
下げ緒を解き、
「俺が
まるで言葉を理解していないかのような一言に、御影と光里は思わず横目で背後の雅騎に向けた。
「雅騎様! それは無理です!」
「我ら二人がかりですら、今まで母上に勝てたことはないのだぞ!?」
驚きと共に、強くその行動を牽制する二人。
だが、彼は意に介そうともせず数歩前に出ると、改めて鋭い瞳で
まるで、譲る気はないと言わんばかりに。
「
「ならば私が──」
「命懸けの親子喧嘩なんて、
名乗りを挙げようとする御影を笑い飛ばす雅騎。
姉妹から彼の表情は見えない。だが、
「雅騎様……」
全身の酷い怪我。そして、
「大丈夫。俺達は、勝つんだろ?」
雅騎は不安を
彼の言葉に、未だ根拠などない。
しかし。その言葉の裏にある、彼の秘められし力の可能性を、彼女は知っている。
だからこそ。御影は諦めたかのように、大きくため息を
「無茶だけはするな」
「ああ」
その言葉に短く返した雅騎は、再び表情を引き締めると、静かな目で
彼女もその眼差しを冷めた瞳で受け止めると、薙刀を正面で両手に持ち変え、刃を地に向け構えた。
炎が照らし出す、六つの影。
一時の沈黙。燃える
そして……。
パキンッ
炎で薪が割れ、乾いた音が響いた刹那。
それが開戦の狼煙であったかのように。
影達は、動き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます