第十一話:定められし道。抗いし道
それは平安時代から続く、数少ない忍軍である。
神降ろしの名を冠する通り。
丁度千年前。
伝承によれば、
身に宿りしは、成仏できない強い怨念の塊。その闇に触れれば、常人であってもその
当時の
だが。封じられし間際。
『双子が生まれし時、我はまた蘇る』と。
その言葉通り。二百年後、
ある者は命を落とし。ある者は
生き残りし者達が絶望する中。
『
当時。確かに
既に皆、戦う力も、抗う気力も持てず。皆が生き残る為。彼らは、信じられるはずもない相手の言葉に従う、苦渋の道を選んだ。
悪夢の中で命を落としたという弟が、その命を
『お主らは子孫、
無論。最後の一人まで命を懸け、戦う道もあっただろう。
だがそれは、世に生きる人々を影から救わねばならない神名寺家、そして
何故ならそれは、
以降。
彼等は現世まで、
一人の命を犠牲とし、多くの者を救う。そんな矛盾を抱えながら。
* * * * *
石畳が広がる、広い
その中は、
その前には、
目を閉じ、身動き一つせず、背筋を伸ばしたまま、じっと座する彼女。
顔色は決してよくなく。目の下には
あれから一週間。
御影の心は弱りきっていた。
母から真実を聞いたあの日。彼女は己の無力さと悲しき運命に、ただひたすらに泣き続け。
佳穂と霧華に別れを告げ、この地を訪れた日。
光里との再会で、改めて姉妹の運命を強く意識させられた。
既に
その存在は、覚悟を決められずにいた御影に、とても重くのしかかり。
「すまぬ……」
ただ
泣き疲れ、心を
運命を強く呪うも、それを
無力さだらけの現実。
それが、少しずつ彼女の心を縛り。闇に染めた。
それから御影は、何も喋らなくなった。
何かにとりつかれたかのように。滝で身を清め、
喜びも、怒りも、哀しみをも失い。
仲間達との想い出。そして、最後まで心残りだった、何も言えず離れた雅騎への後悔も、心の遥か奥底へ追いやり。
彼女は、心を鬼とした。
この日のために。
「御影様。お時間にございます」
静かに目を開く御影。だが、声に応えはしない。
表情も変えず。音も立てず。彼女はすっと立ち上がると、
そして、ゆっくりと拝殿の入り口に振り返ると。一歩ずつ
既に夜も更け。暗雲立ち込めし空と共に、周囲を真っ暗に染めている。
周囲に立てられし幾つかの
忍装束や巫女装束など、様々な衣装に身を包んだ者達。
ここにいる者達こそ、現代に生き残る、数少ない
白き単衣に紺の袴の巫女装束を纏い。片手に薙刀を構え、凛とした表情でじっと御影を見つめている。
脇を固めるように立つのは、黒き忍装束を
彼女達は、上忍である御影や光里ほどではないものの、
他の者達はまだ
これから行われる儀式にて生まれる
彼等の表情は皆、一様に悲壮感に
御影を見て申し訳無さそうに目を背ける者。その目に焼き付けんと真剣な眼差しを向ける者。その先にある哀しみを想い、涙する者。
皆が感情を隠すこともせず、その場に立っている。だが。それが彼女の心を動かす事はない。
木造の階段をゆっくりと歩み降り、御影はそのまま石畳を進むと、光里の前に立つ。
「
光里がじっと御影の目を見る。姉の瞳には既に、光を感じることはない。
まるで。本当に鬼となってしまったかのように。
もう、彼女が元の御影に戻ることはないのではないか。
そんな不安に、光里の心が痛む。
だが、彼女は信じるしかなかった。その先に待つ運命を。
すっと、光里はその場に正座する。
その動きを目で追う御影。だがやはり、表情は変わらない。まるで心無いかのように。無表情に。静かに。迷いなく鞘より刀を抜く。
その場は整い。後は御影が、その刀を構え、振り下ろすのみ。
その、はずだった。
「御影!!」
突然。己を呼ぶ悲痛な男の声が、彼女の耳に届く。
それは今まで誰もが揺れ動かす事ができなかった、心を鬼としたはずの御影の心を、強く、揺らす。
「ま、雅騎……。何、故……」
激しく何かに怯えるように、彼女は身を震わせる。
だが。それも仕方ない事だろう。
視線の先にいた者こそ。
「
彼は
だが彼女は雅騎に視線は向けず。ただ、哀しき決意を秘めた表情で、御影を見つめ、こう口にした。
「御影。
重き言葉が、御影に刺さる。
確かに。強く揺らいだ御影の気持ちは、人としての心を取り戻してしまっていた。
最も逢いたくなかった男が、そこにいるのだから。
しかし、彼等は戦友。もしもの時に、迷惑を掛ける訳にはいかない。だからこそ、去る事だけは、伝えざるを得なかった。
だが。
雅騎には。雅騎にだけは、どうしても知られたくなかった。
もし。
それ程までに。御影は彼を信じ。彼を心の
自分が妹を
そして。妹を追って、自らも命を断つという決意。
心の弱さからそれらを口にすれば、彼をも巻き込んでしまうかもしれない。そう強く感じていたからこそ。最後まで何も言わず、彼の元を去る決意をした。
それなのに。
御影の悲壮な決意は、母によって無に
「母上! 貴女は鬼か!!」
心から、そう強く叫びたかった。
しかし、それを口にすることはできなかった。
何故なら。この定めを背負わせってしまったと、母も自分の為、泣いてくれたのだから。
「雅騎……。すまぬ……」
絞り出すような、御影の涙声。
後悔が、彼女の心を痛めつけ。皆の未来を背負う重責に、押しつぶされ。
気づけば。彼女は泣いていた。
「お前、本気でその子を殺すのかよ!!」
涙の意味を知りながらも。雅騎は敢えて強く叫んだ。
信じていた。いや、諦められなかった。
御影ならその言葉に首を横に振り、刀を収めてくれるのでは、と。
だが。
口を真一文字に食いしばり、淋しげな目を向ける彼女は、小さく頷き。
──お前も結局、そっち側かよ……。
視線を逸らし光里に向き直る御影に。雅騎は、心に残した最後の希望を、歯痒さと共に強く噛み殺す。
そして、覚悟を決めたかのように。静かに彼女を見つめた。
「光里。さらばだ」
御影は哀しそうに彼女をじっと見つめながら、静かに別れの言葉を口にする。
それを聞き、光里も覚悟したかのように
御影の涙の雨は、未だ止む事はない。
だが。それでも彼女は、改めて心を鬼にした。皆のため、この儀を
「うわぁぁぁぁぁぁっっ!!」
心から叫び、
それは、悪夢の再来のように。赤き鮮血を飛び散らせ。双子の白き装束を
……だが。
御影の見た悪夢は、現実とならず。
新たなる悪夢が、そこに待っていた。
「あ……。ああ……」
御影は目を見開き、信じられぬ現実に身を震わせ。放心したように、言葉にならぬ声を上げ。
光里は目の前の石畳に、ぽつりぽつりと落ちる血を目の当たりにし。その顔を青ざめさせ。
彼女達の目に映りしもの。
それは、姉妹の間に半身を割り込み立つ、雅騎の姿だった。
御影の振り下ろし刀刃は、彼の右手で光里より逸れるように掴み取られ。その
何時受けたのか。左肩にある切り傷が、彼の服をゆっくりと、
雅騎の傷からの血。
それこそ。御影の。光里の。そして
鬼であろうとした少女の怯える姿を前に。
そこに立つ雅騎は、まるで痛みなどないかのように。
凛とした表情のまま、
* * * * *
その予兆を
「ごめんなさい。貴方を巻き込んでしまって」
刀を上段に構える御影を、
叫び、
返ってきた言葉は、とても静かな一言だった。
「気にしないでください。俺は
はっとして視線を向けた先で見たもの。
それは先程までの熱を全く感じさせない、何か決意を秘めた、雅騎の真剣な表情だった。
瞬間。
御影が光里に刀を振り下ろさんと構えた瞬間。
だが。その動きを読んでいたかのように。
瞬間。
彼は、
薙刀の閃撃を、雅騎は
いや。正しくは避けてなどいない。敢えて
彼の左肩に刃が触れ、僅かな痛みが走る。
が、まるでそれを合図としたように。勢いをそのままに、
空を走る稲光を
が、刹那。
触れた
だが。
痛みなど感じぬかのように、迷いなく。
血などくれてやると言わんばかりに、激しい
そして。
御影が刀を振り下ろしたとほぼ同時に。
雅騎は姉妹の間に半身を割り込ませると、勢いをそのままに、右手で
彼は、それを
刀刃を捉えた瞬間。
だがそれでも。強き意思を持つ
なにか一つでも行動に迷いがあれば。光里はその命を失っていたであろう。
だが、間一髪。
雅騎は
「雅、騎……。何故……」
目の前に立つ、血を流す雅騎。
その血を流させているのは、自分。
絶対にあってはならない。そんな光景を目の当たりにし、御影は襲いかかる後悔に、強く身を震わせる。
目の前に立つ、怯えた御影。
その表情をさせているのは、自分。
きっとこうなるであろう。そんな光景を目の当たりにし、腕や肩の痛み以上に、雅騎の胸は強く痛む。
だが。
冷たき表情でそれを覆い隠すと、彼は静かに、こう呟いた。
「結局お前も、そういう奴ってだけだ」
刹那。
「ぐっ!?」
雅騎は、無拍子で彼女に後ろ回し蹴りを繰り出していた。
完全に虚を突かれた御影は、まともにそれを腹に受け、後方に吹き飛ばされる。
が。それは本能か、経験か。
咄嗟に空中で受け身を取ると、彼女は這いつくばるようにして滑りながらも、
「何を……!?」
思わず立ち上がった御影が、彼を再び見た瞬間。その目はより大きく見開かれ、言葉を失った。
何時の間に奪ったのか。
雅騎は彼女から、
「雅騎様!?」
光里もまた、彼の御影への行動に驚き、勢いよく立ち上がる。だが、その瞬間。
「悪い」
彼女にだけ届く小さな声と共に。彼女もまた、無拍子で放たれし膝蹴りを腹に食らっていた。
勢いよく吹き飛ばされた光里は、姉と同じように空中で体勢を立て直し、滑る身体を抑え込み、
己から流れる血を気にしようともせず。その場に立つ雅騎。
その異質な存在の、あり得ない行動の数々が、
だが。
光里だけは気づいてしまった。彼の裏にある
「無茶です!!」
思わず口を突く本音。
光里の叫びには応えない。ただ、
「
「
「何だと!?」
最初に低い声で叫んだのは
だが。
「止めなさい」
それを強く制したのは、
「貴方はこの儀を邪魔するというのですか?」
雅騎の真意を感じ取ったのだろう。
凛とした表情で、
「俺は、人殺しを止めただけだ」
雅騎は熱き怒りを隠そうともせず、彼女を睨み返した。
人の道理を強く示す言葉に、
「何故だ! 何故なのだ!」
と。そんな彼に向け、御影が苦しげな表情で叫んだ。
こんな事はしてほしくなかった。
私は覚悟を決めていたのに。
そう言わんばかりの問い掛けにも、雅騎は彼女に振り返りはしない。
ただ。静かに目を閉じ、口を真一文字にした後。
「俺は、お前を信じてたんだよ。光里さんを殺そうとしないって」
絞り出すように。怒りを存分に含んだ答えを返した。
御影はそれを聞いた瞬間。悔しそうに。恨めしそうに。顔をしかめ、目を伏せる。
確かに、妹を己の手にかけようとした。心を鬼にして。
だが、それは……。
「皆の為、仕方なかったのだ……」
苦々しく口にされた言葉に。雅騎はまたも、大きなため息を
「結局。お前も
雅騎は冷たくそう言い放つと、続く言葉を一瞬、飲み込みかけた。
それを口にすれば。もう二人が交わることはなくないかもしれない。
だが。それでも彼は、覚悟を決めたのだ。
幼馴染でも、腐れ縁でもあってはならない、己が決めた道。それを貫くために。
最期の言葉を強く、口にした。
「俺の前からとっとと消えろ。もう、顔も見たくない」
瞬間。
御影の目の前が、真っ暗になった。
何かあれば、自分の盾になり。
何かあれば、元気づけ。
何かあれば、皮肉を言い。
何かあれば、優しく微笑んでくれた。
だからこそ。出会ってすぐ友となり。
だからこそ。別れたくないと涙し。
だからこそ。再会に嬉し涙を見せ。
だからこそ。ずっと共にありたいと願った。
そんな雅騎の心が、離れた。
最も側にあってほしい心が、離れてしまった。
一度も口にされたことのなかった、冷たい言葉。
己を責め。突き放す。別れの言葉。
それは、御影の心を、一瞬で絶望の色に、変えた。
「あ……ああ、あぁぁぁぁ……」
意味もない言葉を弱々しく口にし。
力なく、その場で両膝を突き。
絶望にうちひしがれながら、その身を震わせ。
枯れるほどに流したはずの涙を、また流し。
御影はただ、絶望した。
その先に未来などないかのように。
だが、彼女にもまた、決意があった。
「分かりました。我々は貴方を、
静かにそう問うと。
雅騎は未だ血が止まらぬ己の右手を強く握りしめると、
「どうせ切れる縁だからな。最後まで嫌がらせしてやるよ」
彼の一言に、周囲は一気に色めきだつ。
だが。そんな雰囲気を気にも留めず。雅騎は右脚をゆっくり引き、
左肩の血は未だ止まらず、彼の腕を赤く染め。
足元には、肩や
だが。まるで怪我を気に留めず。
「俺は絶対に、御影に人殺しなんてさせやしない!」
雅騎はただ怒りだけを
──譲る気は、ないのですね。
出来ることならば避けたかった戦い。
「下忍達に告げます」
凛とした表情で雅騎を見据えたまま、静かに告げた。
「生死は問いません。その者を倒しなさい」
「はっ!!」
その声に従い。周囲の下忍達が、各々の武器を手に身構えた。
「まさ、き……」
未練か。謝罪か。
力なくその名を呟く御影。
失意の闇から抜け出せぬ彼女は、未だ気づいていない。
彼が、
「雅騎様、お止めください!!」
強く叫ぶ光里は、既に知っている。
彼が
そして。
雅騎に何も言わぬ
彼が命を失う事なく、倒れてほしいと。
各々が気づかず。気づき。願い。殺意を向ける。
皆の想いが交錯する中。
「かかってこい!!」
雅騎の強い叫びを合図に。
哀しき戦いの火蓋は、切って落とされた。
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