第九話:それぞれの願い
無事
本当はゲームを終えた後、その場で別れ電車で帰ろうとしていた雅騎だったのだが……。
「たまには私の話に付き合いなさい」
と、霧華が強引に誘って来たのを断りきれず、渋々彼女の迎えの車に乗ってしまったのだ。
「今日は、悪かったわね」
流れる街灯の明かりに照らされながら、彼女は左に座る雅騎を見た。
声に釣られ。車窓から景色を眺めていた彼は霧華に顔を向けると、
「気にしないくていいよ。っていうか、素直に謝られると逆に怖いんだけど……」
珍しくそんな皮肉を返す。
しかし、それが気に入らなかったのか。
「本当に失礼ね。貴方が女性の扱いに慣れてないっていうのは本当みたいね」
「ちょっ!? 誰がそんな──」
尊厳を傷付けるかのような彼女の言葉に、思わず雅騎は聞き捨てならないと言わんばかりに、犯人を聞き出そうとする。
霧華はそんな彼の
「御影よ」
短く、そう告げた。
今そこにいない彼女の名前を口にされた彼は、思わず言葉を失うと、刹那。
「ったく……」
不貞腐れた顔でそっぽを向く。
その、何処か子供じみた反応に。霧華は少しだけ笑みを見せた。
「この間も貴方の事を嘆いてたわよ。『色々と皮肉も多いし、私を女扱いしようともしない』って」
「そりゃ……。どうせ、腐れ縁だし」
腐れ縁。
月曜の朝。図書室でも口にしていたその言葉を聞き、彼女は
──随分、こだわるのね。
雅騎には、そう思うだけの理由があるのかもしれない。
だが。御影も同じように思っているとは、どうしても思えない。
だからこそ。
「そんな事ないんじゃないかしら。少なくともあの子は」
御影の言葉を代弁するかのように、その言葉をはっきりと否定した。
「……どういう事?」
不思議そうに問い返す雅騎に、霧華は視線を車窓の外に向けたまま語る。
「御影はね。貴方のことを口にする時、何時もこう言うのよ。幼馴染だって」
「あいつが?」
「ええ」
「ありえないだろ」と言わんばかりに、強い驚きを見せる彼に。
「分かってないわね」と言わんばかりに、彼女も強く呆れてみせた。
「確かにあの子は男勝りだし、がさつだし、感情にムラも多いわ」
霧華は眼鏡を指で直すと、改めて雅騎をじっと見る。とても真剣な眼差しで。
「でも、御影は本当に素直なのよ。だからわざわざ幼馴染だなんて、偽ったりしないわ」
その言葉は、長らく御影を見てきた彼女だからこそ、強い説得力を感じさせる。
……その先の一言さえなければ。
「大体嘘を付いていたら、すぐボロが出るもの」
「……酷い言いようだな」
最後の一言に思わず苦笑する雅騎だったが。
──確かにあいつは、隠し事が下手なんだよな。
その点に関しては、思わず納得していた。
だが。それでも彼は、その言葉を信じようとはしなかった。
……いや。もしそれが事実だとすれば、尚の事。
自分はもう、腐れ縁ですらあってはならない。
そう、決めていた。
雅騎は再び、車窓に目を向ける。
流れ行く光と影に照らされ、かき消される景色を見つめながら。
「あのさ。如月さんにお願いがあるんだけど」
彼は顔を
「私に? 貸しを作る事になるけど、本気かしら?」
だが。返された言葉は、強く不穏を
今まで「借りを作りたくない」と言われたことはあれど、「貸しを作る事になる」などと口にされたことはない。
目に見えた危険極まりない罠に、思わず沈黙し苦悩を見せる雅騎。
そして。
「はぁ……」
ため息と共に、困ったように彼女を見ると、
「
そんな材料での交渉を選択した。
だが、非常に残念ではあるが。この交渉、相手が悪過ぎた。
「お陰で貴方も息抜きになったでしょう? それは無理ね」
「そう言うと思ったよ」
取り尽く島もない、霧華の冷たい宣告を聞き。交渉をあっさり諦め降参するように両手をあげた雅騎を見て、彼女の表情が和らぐ。
その変化に、彼も小さく笑みを返した。
「土日に、綾摩さんと一緒にいてあげてくれないかな?」
貸しである事を覚悟したのか。雅騎は迷いも見せず、さらりとそんな願いを口にする。
しかしその内容は、彼女にとってあまりに唐突すぎるものだった。
「どうして?」
視線を逸らし、両手を頭の後ろに回した彼は、やや仰け反るように天井を見あげ、一度大きく息を
「綾摩さんも御影が居なくなって随分落ち込んでてさ。週明けには御影も帰ってくるだろうけど、それでも今が一番不安な時期だと思うんだ。だから元気づけてあげてほしくって」
「それなら別に、貴方がいてあげればよいんじゃなくて?」
もし。雅騎や佳穂達の知った真実を、彼女も知っていれば。
その返答は、もう少し違うものだったかも知れない。
だが、真実を知らぬ彼女にとって。そんな疑問が口を突くのは至極最もな反応だろう。
横目で彼女を
車の天井の先にある、眼に見えぬ空を見るかのように、遠い目をして。
「土日は俺、バイトがあるから。それに胸の内を話したくなったりしたら、女の子同士のほうが絶対話しやすいでしょ」
雅騎から返されたのは、最もらしい理由。
しかし。霧華は車内がそこまで明るくないことをいい事に……などということは一切なく。あからさまに不機嫌そうな顔をした。
それもそうだろう。
誰かを元気づけるのを断る理由に、この男はバイトがあるなどと口にしたのだ。
佳穂を想う願いを口にしたにも関わらず。まるで、他人事のように。
「全く……。自分のバイトを理由に人に頼み事だなんて。貴方、最低ね」
思わず強く口にされた、皮肉たっぷりの苦言と共に。霧華は呆れる素振りを見せつつ、雅騎をきつく睨み返した。
はっきりと浮かぶ、彼への苛立ち。それはどう考えても、失言だと暗に訴えている。
普段の雅騎なら、その態度に慌てて訂正し謝っていたであろうか。
だが……この時は、違った。
苦言を無言で肯定し、静かに霧華に顔を向け。
「お願い、できる?」
短い一言と共に霧華に向けられたのは、真剣な眼差し。だがその表情は、どこか切なげに映る。
今までそんな表情を見せたことなどなかった雅騎が、時に光に照らされ。影となる。
定まらず入れ替わる光と影が、よりその凛とした表情を引き立たせたのか。
霧華は先程までの
──な、何なのよ、まったく……。
普段見せぬ彼の表情への気恥ずかしさからか。
それとも、短く口にされた強き想いを受け止めきれなかったのか。
彼女は思わず視線を逸らし、少しの間、
「いいわ。但し、これは貸しよ」
仕方ないといった顔で、折れた。
貸しという言葉を強調しながら。
「ありがとう」
貸しと言われたにも関わらず。雅騎は安堵した表情を見せると、そう短く礼を言った、その直後。
「お嬢様。もうすぐ到着いたしますが、
二人の会話が終わるのを見計らったかのように。運転席にいる初老の男性が声を掛けてきた。
気づけば周囲には、彼にとって見慣れた住宅街が広がっている。
「あ、じゃあその辺で止めてくれますか?」
割り込むように口にされた雅騎の指示に、男性は「承知しました」と短く返すと、街灯の明かりがある歩道に車を寄せ、ゆっくりと停車させる。
そして。静かに車を出ると雅騎の側まで回り込み、静かにドアを開けた。
「送ってくれてありがとう」
「いいえ。付き合わせて悪かったわね」
互いに短く礼を交わした後、雅騎は車の外に身を乗り出すと、舞台上の俳優がライトに照らされるかのようにその姿が
と。そこでもう一度だけ車内を覗き込んだ彼は、
「如月さん。後は頼むね」
改めて確認するように、そんな短い願いを口にし。
「約束は守るわ。安心なさい」
霧華もまた、静かにそれを受け入れる。
ドアは、静かに閉じられた。
* * * * *
「速水様。お久しゅうございます」
霧華が外界から遮断された直後。
彼の目の前に立っていた運転手が、そう言って深々と丁寧にお辞儀する。
眼鏡を掛けた白髪のオールバックに、整った口髭と顎髭を蓄えたその初老の男は、
雅騎はその挨拶を聞き、表情から笑みを消した。
しかし。それでも彼は久しぶりだと言い切ったのだ。
そこに秘められし意味。それを、雅騎は知っている。
「如月さんには……」
「ご安心ください。事実を知るのは、お嬢様のお父上と、
「良かった。だったら俺は、初めて会う、ただの一生徒ですよ」
まるで、彼等にしか伝わらぬ暗号を伝えあうように。二人は淡々と言葉を交わす。
そして。
「運転手さん。今日はありがとうございました」
余所余所しく、雅騎はそう礼を言い、頭を下げた。
それはまるで、自分に関わるなと言わんばかりに。
だが、彼は如月家の。ひいては霧華の執事である。
雅騎が彼女に語った数々の言葉を、許容することはできない。
霧華が二人のやり取りに興味を示していないのを確認した後。己の態度を改めようとはせず、静かに語る。
「あの日の事。
雅騎が頭を上げ、
彼の表情は落ち着いた至って冷静なもの。しかし、返される視線には、厳しさが宿っている。
「くれぐれも、お嬢様達を悲しませる事のなきよう」
彼はそう言うと、もう一度深々とお辞儀した。
──やっぱり、
雅騎はその言葉で、全てを理解した。
彼は、車内での自身の会話で、既に感づいていると。
──また、危険を犯すのでしょうな。
今も瞳に宿りる、雅騎の決意を。
本来、如月家に仕えし者。であれば、真実を彼女に語るべきなのかもしれない。
だが。
だが。それでも仕えし霧華の為に、無事に帰ってくるべきという、強い思いの楔だけ、雅騎の心に打ち込んで。
「……彼女達を、お願いします」
頭を下げ続ける
彼はそう願いだけ伝えると、そのまま踵を返し、自宅のあるマンションに向け歩き始めた。
街灯の明かりの外の闇に紛れしその表情に、既に笑顔はなく。
ただ、静かな決意を秘めたまま。彼は闇の中へと消えていった。
まるで。先の見えない世界に踏み込むかのように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます