第六話:人成らざる者達
雅騎の家での会話から三十分程。
三人は、場所を深夜の
星が澄んで見える寒空の元。三人から白い息が漏れる。
「誰もいない、よね?」
佳穂は寒そうに手袋をした手を擦りながら、周囲を見回す。
神社の
雅騎とエルフィもそれぞれ周囲に気配がないかを探る。
「気配はないかな」
『そのようですね。ただ……』
特に他の者の存在を感じられなかったのか。
二人は同じ意見を交わす。が、同時にエルフィは普段には無い物がある事に気付く。
『やはりあそこには、人払いの結界がなされていますね』
エルフィが指差した先は、
その先にある建物といえば。
「御影の家、か」
雅騎はそう小さく呟きながら、暗がりの中に僅かに見える、和風建築の見慣れた家をじっと見つめる。
「速水君が入れるように、結界の札を剥がしてくるね」
「あ、大丈夫」
その札の効果を知る二人が、早速行動に移ろうとした矢先。彼は言葉でそれを制した。
「月曜も玄関までは問題なく行けてたしさ」
「でも、その後に仕掛けられてないかな?」
そんな佳穂の疑問に、雅騎は少しだけ考え込と、こう彼女達に問いかけた。
「もしもだけど。人がいる時に人払いの札で囲われ、結界の中にいる状態になったら、どうなる?」
『無意識にその場所を離れようとして、結界の外に出ると聞いています』
エルフィがそう答えると、彼は納得したように小さく頷くと、
「じゃあ、そのままで大丈夫かな」
「え?」
佳穂の疑問の声を置いていくように、ゆっくり歩き出した。
慌てて二人は雅騎を追うと、横に並び歩みを合わせる。
『どういう事なのですか?』
「ドラゴンと戦った時。人払いの結界を張られてたはずなのに、俺は外に出ようとなんてしてないよね?」
「そういえば……」
確かに。雅騎はあの時、佳穂達四人を助けに現れた。まるで人払いの結界などなかったかのように。
その時の事を思い返し、佳穂は納得するように頷く。
と、そんな中。
エルフィはひとつ、気になることを思い出した。
『貴方があの日、私達の前に姿を見せた時。そこで寝ていた、と仰っておりましたが。何故、夜の公園などで寝ていたのですか?』
確かに。夜の公園で学生が一人寝るというのは、恐ろしく不自然であり、同時に決して安全な行為ではない。
だからこそ、彼女はその理由が気になってしまったのだが。
流石にそれが不可解な行動だと理解しているのだろう。雅騎は少し苦笑いを浮かべつつ、こう話す。
「気持ち悪くなったんだよ」
「気持ち悪く?」
「そう。急に
突然の知らぬ言葉に、佳穂とエルフィは思わず顔を見合わせた。
「
あの時濃くなったもの。それを二人の知識に当てはめるように、佳穂が確認すると、
「その言葉は知らないけど、濃くなったっていうなら多分、同じだね」
雅騎はそう返しながら、歩みを止めず二人を見た。
「二人に傷を治してもらった時と同じでさ。濃くなった
『そうだったのですね』
エルフィは、彼の答えに納得したようにそう返す。
だが。実は今の雅騎の説明には、多少の嘘が混じっていた。
彼は、ただ眠ってしまったわけではない。
以前、
とはいえ。それをわざわざ彼女達に話すほど、彼も無粋ではない。
「まあ、おかしいって思うよね。普通」
あの日、目覚めた時のありえない光景を思い出し。雅騎は言葉とは別の理由で苦笑いを浮かべた。
「さてと」
その家の中に、手がかりがあるのか。期待と不安の中にある佳穂とエルフィ。
そして。未だ二人を連れてきた事を後悔する雅騎。
それぞれが、それぞれの想いを胸に。少しの間、明かりのひとつも灯っていない暗闇に包まれた家を、じっと見つめていた。
「まずは家の中に誰もいないか、かな……」
「ちょっと確認してくるね。エルフィ、行こう」
『はい』
佳穂は背中に白き翼を浮かび上がらせると、エルフィと共に空に舞い、家の敷地に入っていく。
それを見届けた後。雅騎は門から続く家の塀を見た。
塀の高さは二メートル半程。塀の上部に瓦が付いているが、せり出している幅はそこまでではない。
「行ってみるか」
雅騎はふっと短く息を
大きく放物線を描いた彼は、身体を傾けながら片手で瓦に手を突くと、身体を塀の内側に滑り込ませる。そしてそのまま着地の反動を殺すよう地面で深く屈み込む形で、音もなく着地した。
「ふぅ」
雅騎はゆっくり立ち上がり、両手についた土を軽くパンパンッと払うと、敷石に沿って静かに庭の方に歩き出す。
広い庭の中にある、大きな池と周囲に敷かれた玉砂利。そして塀に沿って茂る、手入れされた大きな植木達。
日中見る景色とは異なり。それらは暗がりの中、より薄気味悪さを醸し出している。
そんな不穏な空気すら感じさせる庭の前で立ち止まった彼は、臆する様子もなく、目を閉じ周囲の気配を探っていく。
──大丈夫そう、かな。
「速水君」
目を閉じて数秒。自身を呼ぶ小さな声に、雅騎が目を開くと、僅かに羽ばたく音をたて、隣に天使達が舞い降りた。
「エルフィに視てもらったけど、家の中は誰も居ないみたい」
彼女の持つ、
安心した顔を見せた雅騎は、
「二人共ありがとう」
そう
「でも何時もより、結界の力が強いかも……」
近くの塀の裏側をよく見ると、札が等間隔で並べられ貼られているのが目に留まる。
その丁寧さが、彼に御影の手によるものではないと感じさせるのは容易だった。
「ってことは……
「多分。御影ってもっと雑だもん」
彼の本音を代弁するように、自然にそう口にした佳穂に、
「やっぱり、そう思うよね」
雅騎もそう返すと、お互い顔を見合わせ苦笑いしてしまう。
そんな中。
──雅騎。貴方は一体……。
エルフィは二人とは違う、何処か複雑な表情を浮かべていた。
人間が人払いの結界の影響を受けないためには、条件がある。
一つ目は結界を張った本人、または同じ術を掛ける力を持つ者である場合。
二つ目は、結界の影響を受けないよう、破界の数珠を身に着けている場合。
そして三つ目は……相手が人ではない場合。
エルフィや佳穂は天使の力を持つ、人とは異なる者。
それ故に、この人払いの結界の影響を受けない存在だった。
そして。雅騎もまた、一つ目、二つ目の条件を満たしていないにも関わらず、この場に立っている。
それは改めて、彼が人ではないのではないか? と強く感じさせるものであった。
しかし同時に。エルフィは、未だに感じる事ができなかった。
雅騎が人ではない存在だという気配を。
天使や悪魔。霊や妖魔。そして
しかし。彼に感じるのは、未だ人である気配だけ……。
「エルフィ。何かあった?」
ふと。エルフィの深く考え込む表情に気づいた佳穂が、思わず首を傾げる。
その声に釣られ、雅騎も彼女を見た。
『……どのように家の中に入るべきか、と思いまして』
そんな二人の視線に、エルフィは僅かに笑みを浮かべつつ、
──今は、考えずにおきましょう。
心の疑問を静かに振り払った。
そう。彼が何者であれ、自身の信頼が揺らぐ相手ではないのだから。
彼女の真意を知ってか知らずか。雅騎は少し考え込むと、こう口にする。
「入るのは俺の力で何とかするよ」
「もしかして、助けてくれた時みたいに?」
「そそ。ただ、できる限り消耗は避けたいから……」
彼は二人の正面に立ち向かい合うと、それぞれの前にすっと手を差し出す。
「悪いけど、手を握ってくれる?」
「え!?」
佳穂はそれを聞き、思わず目を見開いた。
──は、速水君と、手を繋げる!?
別にやましい空気もなく、あくまで術の一環なのだが。
彼女にとって。それは正に、青天の
だが。これは仕方ない事だろう。
未だ恋かどうかも分からず。しかし相手が気になるという心の
以前、雅騎の力になりたいと願い、必死だった時には、そんな事も忘れていたというのに。
エルフィは迷いなく彼の右手に自身の右手を重ねる。だが。
──え? え? 本当に、いいの!?
佳穂は未だ、その場に固まったまま。
そんな彼女の動揺と、その裏にある感情に気付いたのか。
『佳穂』
エルフィが敢えて彼女の本音には触れず、静かに行動を促すと、我に返った佳穂は
「ご、ごめんなさい!」
と、慌てて彼の左手に自身の左手を重ねた。
手袋をしていたため、残念ながら彼の肌のぬくもりなどを感じることはできない。
だがそれは、彼女にこれ以上動揺を与えずに済んだとも言える。
「ちょっと目を
「う、うん」
『分かりました』
雅騎に応えるように、二人は静かに目を
五感のひとつを断ったせいか。改めて冬の肌寒い空気をしっかりと感じる二人。
刹那。そんな彼女達の手を包む、温かな気配があった。それはあのドラゴン戦で背中に感じた気配と同じもの。
そう。それこそが、彼の術のひとつ。
刹那。二人は突然ひとつの気配を感じなくなった。
それは、僅かに身体を撫でていた、冷たい風。
「もういいよ。ありがとう」
触れていた何かの気配が消えた後に届いた、雅騎の優しげな声に二人が目を開くと、既にそこは玄関の土間の中。
佳穂は改めてその術を目の当たりにし、思わず「凄い……」と感嘆の声を漏らした。
屋外も決して明るくはない。だが屋内は、より不安を
そんな中。エルフィは雅騎から手を離すと、目を閉じ呟くように、短く何かを詠唱し始めた。
すると、それに呼応するように。エルフィの目の前に、薄っすらとした光を帯びた球体、
『人払いもされています。多少の
「そうだね。助かるよ。それで……」
笑みを浮かべるエルフィに優しくそう返した後、今度は困ったような笑みで、雅騎は佳穂を見た。
「もう、手を離してもいいよ?」
「え?……あ! ご、ごめんなさい!!」
術の凄さに感心していたせいか。まるで手を繋いでいることが自然のものだったように手を握り続けていた彼女は、慌てて雅騎から手を離し
その
「お邪魔します」
そんな彼女達の気持ちも
雅騎は誰に告げるとでもなくそう口にすると、靴を脱ぎ、手慣れた動きで家に上がり、迷いも見せず静かに廊下を歩き出す。
「あ……」
慌てて佳穂も靴を脱ぎ家に上がり。エルフィと二人、その後を追った。
客間を過ぎ、その少し奥にある次の
佳穂とエルフィもそれ続くと、目に映ったのは八畳ほどの畳の部屋だった。
二人は入ったことはなかったが、テレビや、電話、和風の座卓に座布団などを見て、自然とそこが居間だと理解する。
雅騎はそんな部屋の奥。壁のやや高い位置に収められた仏壇の前に立っていた。
既に扉は開いており、側には三枚の小さな遺影が並べられている。
一枚は古めの写真に収まる中年の微笑んだ女性。二枚目は齢七十歳ほどの、白装束を
その三人はそれぞれ、どこか
──罰当たりかもしれないですね。すいません……。
雅騎は
佳穂達が彼の脇に立つと、それを合図としたかのように、雅騎は一礼すると静かに目を閉じ、合掌する。
釣られて、佳穂とエルフィも習うように目を閉じ、仏壇に向け手を合わせた。
『この方達は?』
拝み終えたエルフィが問いかけると、目を開いた雅騎は落ち着いた表情で、視線を遺影に向け、こう告げた。
「御影の祖父母と、お父さん」
それを聞き、二人の表情が思わず曇る。
佳穂やエルフィも、御影の祖父母や父親と、顔を合わせる機会がないと感じたことはあった。
そんな人達の遺影が仏壇にあるという事実。それが少しだけ、二人の中に寂しさを漂わせた。
「さて」
しんみりとした雰囲気を打ち消すように、雅騎は二人の方を向く。
「改めて確認するけど……。本当に、大丈夫?」
やや
「うん。大丈夫」
『お願いします』
二人は真剣な表情で小さく頷く。
彼女達の決意の表れ。それは決して悪いことではない。しかし。
──やるしか……ないよな。
残念ながら。雅騎は内心それを喜ぶことはできなかった。
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