第四話:知らされぬ別れ

 雅騎が御影にミントアイスを奢ったあの日から一週間。

 二人は、それぞれ平穏な日々を過ごしていた。


 朝稽古も彼女が寝坊したことこそあれ、普段通り行われ。

 十二月に入って行われた期末テストも無事終わり。


 御影も一番嫌な期間を乗り切ったため、日曜日の朝稽古の後。


「これで後は冬休みを待つばかりだな!」


 そんな事を笑顔で雅騎に口にしていた。

 まるで、あの日の事などなかったかのように。

 

 そんな、あくる日の事。


* * * * *


 週明けの月曜日。

 日が出て間もない早朝の神城高校かみしろこうこうの図書室には、委員会の当番である雅騎の姿があった。


 冬らしい寒さを感じ始めるこの季節。

 窓に掛かるカーテンの隙間から入る柔らかい光だけが、室内を薄っすらを照らし出す。


 そんな神秘的な光景を見つめながら。


「ふわぁ~」


 雅騎はその雰囲気を台無しにするかのように、大きく欠伸あくびをした。


 眠気を飛ばすべく、受付の前で二、三度軽く屈伸し。最後に大きく伸びをすると、ゆっくりと図書室の奥。校庭に面した窓に掛かるカーテンを、順番に開けていく。


 カーテンが開き、一気に部屋に光が注ぎ込む。

 それがまるで、本達に輝きを取り戻させるかのように。彼らの色を強く際立たせる。


 窓から見える空は、雲ひとつない快晴。

 二階にあるこの部屋から見下ろせる校庭では、既に幾つかの運動部が活動する姿があった。

 しかし。防音効果の高い閉め切った図書室には、そんな彼等の掛け声は届かない。


 静けさだけが支配する、本の森。

 そこに迷い込んだかのように。部屋のドアを、彼ではない誰かが、ゆっくりと開いた。


 消えたままの部屋の電気を点けようともせず。コツコツと小さな足音をたて、その者は彼にゆっくりと歩み寄って来る。


 だが。雅騎はその足音に振り返ることなく、窓の外を見つめ続けていた。

 まるで、その到着を待つかのように。


「今朝も早いのね」


 背後から掛けられた、ここ二ヶ月で随分と聞き慣れた、澄んだ声。

 それを耳にし、彼は窓から視線を逸すと、ゆっくり振り返った。


「おはよう、如月さん」


 普段と変わらぬ笑みで挨拶する雅騎。

 そこにいた相手。それは、同じ図書委員である如月きさらぎ霧華きりかだった。


「こんなに早くに来なくてもよいんじゃなくて?」

「そう言う如月さんだって」

「貴方ほどじゃないわ。余程暇なのかしら?」

「まあ、そんな所かな」


 素っ気ない態度で口にされる霧華の皮肉に、雅騎は思わず苦笑しながらそれを認めると、彼女の脇を抜け、図書室の入り口へと歩き出す。


 彼がこんな早くに来た理由。

 それは同じ委員会である霧華の負担を減らすため、一人で委員会の朝の仕事を片付けようとした、普段からしている無意識の気遣いだった。


 しかし。

 同じ図書委員として活動して数ヶ月。そんな行動ばかりを取る彼に、霧華も思う所があったのか。

 最近では、そんな雅騎の行動を咎めるかのように。彼女もその気遣いに釘を差すように行動するようになっていた。


 今朝もまた、それを体現たいげんするかのように。

 予想以上に早く姿を現した彼女の登場に、彼の気遣いはあっさりと無に帰した。


  ──どうするかなぁ……。


 歩きながら、雅騎は悩ましそうな顔で思案する。

 室内の電気を点け。次にするとすれば、掃除と時間外に返却された本を戻す作業。


 これを、自分だけでやろうとしていた訳だが。

 その申し出をして、霧華がそれを良しとするかといえば……。


  ──まあ、無理だろうな。


 彼はそんな事を考えながら、無意識に苦笑していた。

 もし、そんな申し出をすれば。


「あら。私の居場所を奪うつもりかしら?」


 そんな事を言われるのが、容易に想像できてしまったからだ。


  ──仕方ないか。


 止む無く仕事を分担しようと、気持ちを切り替えようとしたその矢先。


「ねえ。速水」


 突然の霧華の呼び掛けに、雅騎は歩みを止めた。

 だが。彼はすぐに振り返る事ができない。


  ──何だ?


 普段同様、名を呼ばれただけ。

 だがその声色こわいろは、声をかけるのにどこか、迷いがあったように感じる。


 不安を感じたのか。心がざわつく。

 しかし。その気持ちを心の裏に隠し。彼は平静を装ったまま、ゆっくりと振り返った。


 窓から差し込む光に照らされた、腕を組んだままの霧華。

 逆光で影となっているため、その表情を見ることは叶わない。


 だが。雅騎の耳に届いた、彼女から漏れた溜息ためいき

 それは彼の気遣いに呆れる、というより、どちらかというと、気落ちしたかのような、重々しさを感じさせる。


「少し変なことを聞くけれど。いいかしら?」


 真剣味を帯びた霧華の声に。


「俺が答えられることなら」


 雅騎は冷静を装いそう返す。

 そんな彼をじっと見つめていたであろう彼女は。突然、こんな言葉を口にした。


「最近、御影に何かあったかしら?」

「御影に?」


 要領を得ない質問に、彼は思わず疑問を返す。

 彼女は小さく頷くと、ゆっくりと彼の目の前まで歩み寄る。


 距離が近づき、雅騎にも眼鏡の下の彼女の表情が目に留まる。その顔に浮かぶ真剣さは、強い険しさを見せている。


 そして。

 表情が物語るかのように。次の霧華の一言は、彼の表情を一変させた。


「彼女ね。今日から一週間ほど、学校を休むそうなの」

「え?」


 寝耳に水。

 そう言わんばかりに素直な反応を示す彼に、霧華は失望のため息をく。


 雅騎がこの事を知らない。

 それは、彼女の情報収集が空振りに終わるであろう可能性を、強く示していた。


「何も聞いてないの?」

「いや、まったく」

「最後に会ったのは?」

「昨日の朝稽古が最後だけど……」


 彼の答えに、霧華は視線を僅かに床に落とし、顎に片手を当て考え込む。


  ──つまり、私達が会うより前……。


 彼女が御影と会ったのは、昨日の夜。

 つまり雅騎が最後に彼女に会った昨日の朝より後に、何かあったことになる。


 昨晩見た、御影の表情を思い出したのか。

 霧華の心が強く痛み、眼鏡の下の表情が曇る。


 それを見て雅騎は、胸騒ぎが、より嫌な形で現実に近づいたと直感した。


「こんな質問するってことは、如月さんも理由は知らない、って事だよね?」

「……ええ。彼女はそこまで話してくれなかったわ」

「御影と話した時の様子って、教えてもらえたり、する?」


 真剣な表情。だが、無理強いはできない。

 そんな気持ちが見え隠れする雅騎の言葉に、彼女は普段以上の気遣いを強く感じる。


  ──彼なら……。


 あの時の事を打ち明ければ、自身の力になってくれるかもしれない。

 希望を渇望する気持ちで、霧華の心が強く悲鳴を上げる。


 ……だが。


「悪いけど、それはできないわ」


 霧華はそんな彼の気遣いをした。


  ──彼に話さなかったのはきっと、に巻き込みたくないから……。


 そんな御影の想いがあるのではないか。そう、考えてしまったのだから。


 無下にできない友の想い。だからこそ選択した否定。

 だが。そんな彼女の決断が、この会話の流れを淀ませてしまう。


 お互い言葉が続かなくなり、暫し沈黙し、見つめ合う二人。

 その微妙な雰囲気に耐えきれなくなり、霧華は思わず視線をそらす。


 それが合図となったのか。


「そっか。ごめん」


 雅騎はくるりと踵を返し、再び歩き出した。


 霧華は思わう呼び止めようかと手を伸ばしかける。だが、掛ける言葉が浮かばない。

 やりどころのない手を静かに下ろし。普段見せない気落ちした表情で、彼の後ろをゆっくりと付いて行く。


「……やっぱ、か」


 両手を頭の後ろに回し、雅騎はぽつりとそう呟く。


「え?」


 突然の言葉に思わず問い返した霧華に、


御影あいつにとっては、俺はそういう存在だったんだろうな」


 どこか、寂しさを含んだ声で、雅騎はそう口にする。

 ではなく、


 それが皮肉なのか。本心なのかは分からない。

 ただ。そう語る彼の背中が、どこか寂しそうに見えた。


「とはいえ。御影あいつ御影あいつ、だよな」


 雅騎は図書館の入口付近の壁に並んだプッシュ式のスイッチの数々を、すっとなぞるように指を滑らせた。

 その動きに合わせ、一斉に明るくなる室内。二人はその光の下に晒される。


「もし何か分かったことがあれば連絡するよ。ただ……」


 振り返る雅騎。その表情を見て、霧華ははっとする。


「まずは御影を信じよう。あいつもそんなにやわじゃないさ」


 向けられたのは、普段と変わらぬ彼の笑顔。

 そこには、先程までの重苦しい雰囲気は一切感じられない。


 そんな彼の表情が、霧華の心の不安を和らげた。


「……そうね」


 自分に言い聞かせるように。微笑みを浮かべそう呟く彼女に、雅騎も笑顔のまま小さく頷き返す。そして。


「さて。こっちは掃除からがんばりますか!」


 まるで何もなかったかのように。彼はまたも大きく伸びをすると、掃除用具入れの方に歩き出した。


「私は返却された本を整理するわ。後から手伝うわね」


 去りゆく彼の後ろ姿にそう声を掛けると、霧華も何時ものように、壁に備え付けられた本の返却ボックスに足を向ける。


「無理せず本でも読んで貰っててもいいんだけど」

「嫌よ。貴方に恩を売られるのは癪なのよ」

「別に、そんなつもりはないんだけど」


 二人はそれぞれ作業を始めながら、気づけば何時ものように皮肉と苦笑を交わしていく。


 そんな日常に返るような会話が、霧華の心を平穏へといざない。

 そんな日常を忘れるかのように、雅騎の心を決意へと導いていった。

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