第三話:朱に交われど、赤く染まらず

 上社駅かみやしろえき前にある『サンディワン・アイスクリーム』。

 様々なフレーバーが選べ、これまた女子高生に人気のスポットである。


 既に暗くなったこの時間でも学生が多く見られる、そんな店内のイートインコーナーのカウンター。そこに雅騎と御影は並んで外を見ながら座っていた。


 コーンに乗ったチョコチップがトッピングされたアイスを舐めながら、雅騎は隣の御影を見る。

 彼女はと言えば……カップにミントアイスをトリプルで盛り、目をときめかせたかと思うと。スプーンでアイスをすくって口に運び入れると、目をとろんとさせ、至福の表情を見せる。


「相変わらず美味うまそうに食べるよな」

「当たり前だ。ミントアイスが美味しくないわけ無いであろう?」


 雅騎に顔すら向けずそう言うと、また一口アイスを口に頬張っては、目尻を下げ嬉しそうに味を堪能する御影。

 そんな彼女の表情に、朝の影を落としていた面影は微塵も感じられない。


 内心ほっとしつつ、表向きは呆れた笑顔を浮かべながら、雅騎もアイスを食べ始める。

 と。店内に毎年よく聞くクリスマスソングが流れ始めた。


「もうそんな時期か。早いもんだな」


 その歌を聴きながら、雅騎は窓の外を見た。

 もうすぐ十二月というこの時期。駅前通りの商店街でも、既に幾つかの店はクリスマスをイメージしたライトアップや装飾を施していた。これが一週間もすれば、街は一気にクリスマス一色に変わるだろう。


「そういえば。お前はクリスマスをどう過ごすのだ?」


 御影がふと、アイスを食べる手を止め彼を見上げた。

 質問に釣られるように、雅騎も顔は正面のまま、視線だけ彼女に向ける。


「今年はバイト」

「そうなのか?」

「ああ。毎年この時期は店長が作ったケーキがよく売れるらしくて。結構繁盛するっていうから手伝わないと」

「そう、なのか……」


 御影が目線を逸らし、見せたのは強い落胆。

 雅騎はそれを見て一瞬疑問を感じるも、深く詮索はせずそのまま会話を続ける。


「そっちはどうなんだよ」

「私は、その……特に何も」

「それなら綾摩さんや如月さん誘ってぱーっとやれば良いんじゃないか?」

「二人とて色々あるに決まっておろう」

「聞いてみたのか?」

「いや、そうではないが……」


 彼の矢継ぎ早の質問に答える御影。しかしその言葉は妙に歯切れが悪い。

 その違和感が、雅騎の心の不安をあおる。


  ──確かに、二人共色々あるかもしれないけど……。


 それが理由だろうか。朝の出来事。そして先程ここへ来るまでにあった、ぼんやりした態度。


  ──まだ朝のこと、引きずってるのか?


 表情に気持ちは出さず、御影に視線を向けたまま、心でそんな心配をしたのだが。


 誠に残念な話だが。

 そんな彼の憶測は、全くもって、かすりすらしていない。


  ──ここまで言って、何も気づかんというのか!?


 御影は心でそう叫びながら、不貞腐れた顔で残りのアイスを頬張り続けていた。


 そう。

 彼女は別にクリスマスを佳穂や霧華と過ごしたいわけではない。

 あくまで、と過ごしたいのだ。


 だが。彼女自身、こういう事に恐ろしく奥手なことは理解している。

 実際このやりとりですら、御影なりの精一杯のアピールだったのだが。打てども響かぬ彼の勘所の悪さは筋金入り、と言った所か。


 察しの悪い雅騎と、不器用な御影。

 こんな二人では、交わるものも、そう交わるものではない。


  ──まったく!!


  カンッ


 御影は食べ終わった空の紙カップを勢いよくカウンターに置くと、雅騎に顔を向けた。


「雅騎!」

「ん?」

「覚悟は、できておろうな?」


 とても険しい顔で御影はそう呟く。それ見て、察しの悪い雅騎が、ついに何かを察した。


「お前、もしかして……まさか!?」

「うむ」


 やや青ざめた顔で彼が聞き返すと、御影は静かに頷く。


「今日は、奢りと言っていたからな!」

「うわぁ、マジかよぉ」


 彼女の力強い宣言に、雅騎は思わず片手で顔を覆い、天を見上げた。


「さあ行くぞ! さっさと付いて来い!」


 御影は勢いよく席を立つと、雅騎を席から無理やり立ち上がらせた後、注文用のレジに意気揚々と歩き出す。


「やっぱ奢るとか言わなきゃ良かった……」


 ヤケになり一気にアイスを食べきると、雅騎はため息をきながら、彼女の後ろを付いていくしかなかった。


 ──その日。御影は、ミントアイス味トリプルカップを三度おかわりし、軽々と食べきった。

 しかも帰る前にはコーンのレギュラーダブルを、ミントアイスだけで頼むおまけ付きである。

 その額、合計三千二百円。

 バイトしている身とはいえ、学生の雅騎にとっては手痛い出費であった。


* * * * *


「いやぁ。食べた食べた」


 結局歩きながらコーンのアイスもペロリと平らげた御影は、とても満足そうな顔で上社駅かみやしろえきまでの大通りを歩いていた。

 その脇では、予想外の出費にガッカリした雅騎が、手にカバンを持ったまま両手を頭の後ろに回し、力なく続く。


「食べ過ぎだっつーの。晩飯これからだろ?」

「そんなものは別腹だ。気にせんでもよい」

「普通逆だろ。それ……」


 笑顔で別腹宣言をする彼女を呆れ顔で見ながら、雅騎は周囲の人を気にも留めず、思わず大きくため息をいた。

 それに対し、御影はにんまりしながら雅騎を見る。その表情や仕草は既に、普段の彼女と遜色ない。


 御影は、こんな彼との時間を心から楽しみつつ、同時にずっと悩んでいた。


  ──やはり二人で過ごすのは、無理なのか……。


 まだまだ先であるとはいえ。やはり何事も早いに越したことはないと、クリスマスについて色々と思案はしていた。

 しかし。結局いい誘い文句も浮かばなければ、無理矢理約束を取り付ける勇気もなく。結局ただ悶々としながら、時間だけが過ぎ去ってゆく。


 流れる街中に幸せそうなカップルを見れば、羨ましさに心の内でため息をく。しかしそれを雅騎に気づかれぬよう、他愛もない会話だけを交わす。

 そんな、普段二人が一緒の時と変わらぬ日常を過ごしている内に。気づけば彼女達は上社駅かみやしろえきまでやってきた。


 最寄り駅がこの駅の御影と違い、雅騎はここから下社駅しもやしろえきまで電車に乗って帰る必要がある。

 つまり。ここが彼との、別れの場所。


 二人は駅北口の側で、流れる人を避けるよう脇に避け、お互い向かい合う。


「わざわざ見送りなんてしないで、真っ直ぐ帰りゃいいのに」


 雅騎が申し訳なさげな顔で、しかし相変わらず皮肉めいた口調で話す。

 そんな彼に、御影は真面目な顔で、間髪入れず、


「良いのだ。私がお前と一緒に居たかっただけだ」


 そう口に──できるはずもない。

 彼女は本心を笑顔で隠し、


「良いのだ。丁度いい腹ごなしだ」


 そんな、満更嘘でもない返事をした。


「結局食べすぎてるじゃないか」


 その裏に隠した言葉を知らぬ彼は、思わずツッコミを入れながら呆れ顔をした後、ふっと笑みを返す


 雅騎の笑み。

 それは今まで彼女を何度となく助けてきた。


 今日もそうだ。

 今朝の悪夢を忘れ、楽しき一時を過ごせたのは、無理やり御影を連れ出し、喜怒哀楽を見せながら脇にいてくれた彼のお陰。


 だからこそ、その感謝だけは、何とか伝えたい。

 そう、彼女は強く決意する。


「雅騎」


 御影はふっと目線を逸らすと、少しためらいがちな表情で、彼の名を呼んだ。


「ん?」


 今までと少々異なる彼女の表情。それを見て、雅騎はちょっと首を傾げる。


「今日は、その……すまなかったな」

「ん? 食べ過ぎの件か?」

「そうではない」


 少々控えめな言い回しの御影の謝罪に、雅騎は相変わらず皮肉を返す。だが、彼女はそれを否定しながらも、いつもの不貞腐れたような顔は見せなかった。


「今日は、色々気を遣わせてしまったな。すまぬ」


 静かに彼女が頭を下げる。その動きに合わせ、長いポニーテールもまた、共に感謝するように深々とお辞儀する。


 雅騎は場の空気を変えるべく、普段どおりの態度で接するかと考える。

 が、止めた。

 真面目な表情の御影が。どれだけ真剣な想いを込め話をしているのか。過去の経験からそれを知っていたのだから。


 とはいえ。こういう神妙な空気はどうにも苦手だ。


「勝手に俺が誘っただけだって。気にするなよ」


 雅騎は顔を逸らすと、頬を掻きながら、ややぶっきらぼうにそう口癖を返す。


 


 その言葉を御影は、幼少期に彼と出会ってから、幾度となく聞いてきた。

 それは、再会した今も変わらない。

 頭を上げた彼女は、顔にかかりそうになるポニーテールを払いながら、ふっと優しく笑みを浮かべた。


「お前は昔っから、そればかりだな」

「どうせ昔っから、こればかりだよ」


 御影の言葉に思うものがあったのだろう。自虐的な返事をしつつ、雅騎もまた優しく笑い返す。


『まもなく二番線に到着する電車は──』


 と。そんな二人の時間の終焉を告げるように。駅構内からアナウンスが聞こえる。

 それを聞いて、彼ははっとした。


「っと。そろそろ行かないと。また明日な」

「明日は遅れるでないぞ」

「分かってるって。じゃあな!」


 雅騎は慌てて身を翻し左手を一度大きく上げると、駅に向け一気に駆け出した。

 御影も笑顔で大きく手を振り返しながら、彼の姿が見えなくなるまでその場で見送り続け。


 そして。雅騎の姿が駅の中に消えた後。彼女は名残惜しそうに、振っていた手をゆっくり下ろした。


 別れた後の時間。寂しさが胸を苦しめる。

 こうならない日がいつか来るのだろうか。

 御影はそんな答えの出ない、しかし答えを出せない疑問を抱えながら、踵を返し、ゆっくり駅を後にした。


* * * * *


 ──余談であるが。


 数時間後。

 御影は自分の部屋のベッドの上で、大好きなネズミのぬいぐるみを抱え、パジャマ姿で横になっていた。


  ──何故あそこまでの話をしても雅騎は気にも止めんのだ! 


 やや不貞腐れながら右にゴロリと身体を向け。


  ──やはり……あ、あんな破廉恥な行動のせいで、当に幻滅されているのか!?


 再会で彼に抱きついたシーンを思い出し、真っ赤になりながら恥ずかしげな顔で左にゴロリと身体を向け。


「あああああ! どうすればいいのだぁぁぁっ!!」


 仰向けに身体を戻した彼女は、困った顔で絶叫した。


 自身の行動力のなさを嘆き。雅騎の勘の悪さに嘆き。

 そして想い出に羞恥心を丸出しにし。彼女はひたすらに悶え苦しんだ。


 お陰でその夜、彼女は中々寝付くことができず。翌朝の稽古を寝坊したのは言うまでもない。

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