第93話 最大の試練

「リョウ!」


 感極まったティナが俺の胸の中へ真っ直ぐに飛び込んできた。

 ステラちゃんの手を放し、しっかりと抱き止める。


「ううぅ~、リョウ~!」

「ティナ……すまなかった」


 泣きじゃくるティナ。

 できるだけ優しく背中を撫でてやる。


「ままー、泣かないで―」

「あっ、シンジ。ゴメンね。ママは大丈夫よ」


 ……ママ、ね。

 ティナが足元にしがみついてきた子供に向き直り、袖口で涙を拭った。


「そういえば、こちらの方々は?」


 俺との再会イベントをひととおり済ませたティナが嫁たちの方を見た。


「ああ。こいつらは――」


 ……ん?

 ちょっと待て。

 これって、かなりヤバイ状況なんじゃないか?


 ちょっと時間を停めてっと。

 これでよし。一度冷静になって状況を整理しよう。


 まず、ティナは俺のハーレムのことを何一つ知らない。

 これは当然の話で、俺がティナと出会ったのが今のハーレムシステムが構築されるよりも前だからだ。

 エヴァによってハーレムルールが敷かれる総勢13人ものビッチ悪女嫁がリリースされた『エヴァの変』よりもさらに昔。確かこの世界にいた頃の俺は封印珠すら持ってなくて、魂の階梯レベルがカンストした程度で天狗になってた青二才のはず。

 一応、順番で言えば4人目ということにはなるが、あくまでティナはルール制定前、最初期の嫁なのだ。

 

 つまり、このままイツナたちを俺の嫁として紹介した場合、ティナに不必要なショックを与えてしまうことになる。

 こういうとき全部正直にぶちまけるのが誠意とかいう輩もいるだろうが、俺の意見は違う。浮気や不倫をぶっちゃけて楽になるのは、当人のちっぽけな良心だけだと思う。そんなことで思い悩むくらいなら最初から裏切るなという話だ。

 もっとも今回の場合、俺はティナとは完全に終わったつもりでいた。ティナを看取るまでは同じ時間を過ごすつもりだったのに不意の誓約達成により召喚されてしまい、何千年と試行錯誤して……ついに戻ることが出来なかったからだ。

 まさか、こんなに俺の主観時間が経過してから再会できるだなんて、思いもしなかった。

 いや……俺にとっては何千年も昔のことに思えるけど、ティナの見た目からしてこの世界だと5年ぐらいしか経過してないようだ。

 これぐらいなら、ティナは俺の帰りを待ってくれていたかもしれない。もちろん新しい男を作っていて俺のことなんざとっくの昔に吹っ切ってくれてるかもしれない。俺としてはその方が気が楽だが、どちらにせよティナにはまったく落ち度はないのだし、現在のハーレムについて話すことはタブーだ。話すとしても今じゃない。

 

 ここで嫁たちに今の状況を多少なりとも伝えつつ、こちらに話を合わせやすく且つ状況を打開できるような答えは……。

 ……よし、これでいこう。

 時間停止解除。


「このたちは……だ」


 俺の回答にイツナとシアンヌがぎょっとした。


「お客さま?」


 ティナもきょとんとしている。


「そうさ。旅の途中で会って、今日ここに連れてきたんだ」


 嘘は言ってない。

 すべてを説明してないだけだ。


「それだったら正面口から来てくれればよかったのに」

「別にいいだろ。そういうわけで立ち話も何だから中へ入ろうそうしよう! 俺は客を表に案内するから準備しててくれ」

「あっ、ちょっと!」


 やや強引にティナの背中を押して勝手口の方に追いやる。

 一緒にくっついていた子供もろとも扉の向こう側へと押しやった。


「ふう。危なかった」


 一息ついて振り返ると、嫁達が揃いも揃ってジト目でこちらを睨んできていた。


「サカハギさーん?」

「さて……まさか事ここに及んでルール3で押し通すつもりではあるまいな?」

「にーちゃ。ふりん? げんちづま?」


 壁際にじりじりと追いやられつつも、俺は必死に営業スマイルを浮かべる。


「い、いらっしゃいませ、旅の方々。『巣立ちの翼亭』にようこそ!」




 巣立ちの翼亭。

 王都から伸びる街道の宿場町にある宿屋のひとつである。

 冒険者はもちろん、商人から税を納めに来る村人まで、いろいろな人が宿場町を利用している。

 そんな中でも巣立ちの翼亭は料理が美味しい、人気のある宿だったらしい。


 しかし、あるとき……宿の主人が馬車に轢かれて帰らぬ人となってしまう。

 宿は主人のひとり娘が継ぐことになったのだが、母親とは幼い頃に死別しており、彼女はたったひとりで宿を切り盛りすることになってしまったのだ。

 宿の主人は料理の材料レシピこそ残していたものの、調理法は彼の頭の中にしかなかった。娘は懸命に努力したが、客足はどんどん遠のいていく。


 他の宿に客を取られ、巣立ちの翼亭はあっという間に廃れてしまった。

 気落ちしつつも父親の残してくれた宿屋を諦めきれない娘は、物置のどこかに父親が調理法を残していないかどうか調べることにした。

 結論から言えばそんなものはなかったのだが、娘は代わりに別のアイテムを見つけた。


 召喚術の手引書。

 さまざまな魔法陣の書かれた魔導書である。

 何故そんなものがあったのか。今となってはわからない。


 だが、宿の立て直しを願っていた娘が、俺を召喚するには充分なシロモノだった。

 狭い物置で召喚された俺は娘ともみくちゃになりながら、この世界に舞い降りたというわけだ。


「……なるほど。話はだいたいわかった」

「要するに、その宿屋の娘さんっていうのがティナさんなんだね」


 巣立ちの翼亭の食堂席に腰掛けて嫁たちにかいつまんだ事情を説明した俺は、シアンヌとイツナに頷き返した。


「まあ、そういうこった。いいか、ティナに余計なこと言うなよ。特に嫁関連の話題は厳禁だからな」

「いいだろう。どっちみち、お前の昔の女などに興味はない」

「あい!」


 俺の念押しにシアンヌがどうでもよさげに、ステラちゃんが元気よく挙手した。

 しかしイツナだけは返事をせず、俺の目をジッと見返してくる。


「ねぇ、サカハギさんはそれでいいの?」


 イツナの言わんとするところは、わかる。


 俺の事情を話さない、ということは。

 改めて俺のハーレムに加えて彼女を俺の旅に同行させたりはしない、という意味だ。

 そして俺はひとつの世界に留まることをしない。

 例え、そこにかつて愛し合ったひとがいるとしても。


「ああ、それでいい」

「そっか。わかった」


 俺が即答すると、イツナもあっさり引き下がった。

 その表情にいつもの笑顔はなく、しょんぼりとしている。


「じゃあ、俺はちょっとティナと話して来るから」

「ああ、好きにしろ」

「いってらっしゃーい!」


 シアンヌとステラちゃんに見送られ、俺はティナのいる厨房へと向かう。

 イツナだけは何も言わず、俯いたままだった。




 一礼をしてから厨房に入ると、はるか昔に見た光景に懐かしさが胸にこみ上げてきた。

 器具の配置は若干変わっているものの、俺の脳裏に焼き付いていた光景に「おかえり」と言ってもらえているみたいで、喜びにむせび泣きそうになる。

 情動を堪えることができたのは、鍋の火加減を調整していたティナの目があったからだ。


「ティナ」

「あっ、リョウ!」


 振り向いたティナの顔が喜色に染まる。


「いいよ、鍋見てて。他、何か手伝おうか?」

「ううん、大丈夫。これで仕込みはほとんど終わるから」


 鍋の中身はハヤシライスのようだ。

 これは俺が宿を建て直すために考案した料理のひとつである。


「ちょうど休憩しようと思ってたの。あ、お茶飲む?」

「いただくよ」


 ふたりでささやかな休憩室に移動し、茶をすする。

 その間、俺もティナも口を開かなかった。

 言葉がうまく出てこない。だけど、この時間はけっして不快じゃなくて。むしろ俺が手に入れようとしてもなかなかできない、今ここにいるだけでいいという時間だった。

 彼女にとっては、どうなのだろう。

 今更現れた昔の男なんて、どの面下げて来たんだと文句を言われても仕方ないところだが。


「生きててくれて、本当に良かった」


 そんなふうに言ってもらえるなんて、まったく考えてもみなかった。

 命の心配なんて、今の嫁たちにもされた覚えがなかったからだ。

 でも確かに。言われてみれば、何年も音沙汰がなかったんだし、死んでるかもしれないと思われても不思議じゃないか。


「おかしいな。言いたいこといっぱいあったはずなのに。顔見ちゃうと出てこないね」

「そうだな」


 ティナの口調はどこまでも優しい。

 俺への恨み言もありそうなものなのに、おくびにも出そうとしない。


「えっとね。貴方がいきなりいなくなってから大変だったけど、町のみんなも助けてくれたし、残しておいてくれたレシピのおかげでなんとか宿は切り盛りできて。貴方がいない生活にもようやく慣れてきて……」


 そこまで言って、ティナがいきなりぶわっと涙を流した。


「あ、そっか。これ、現実なんだよね。夢じゃ、ないんだよね」

「夢じゃない。俺はここにいるよ」


 涙をすくってやると、ティナが俺の目をまっすぐに見た。


「聞いてもいい? 一体、どこに行っていたの? 何をしていたの?」


 ……そう、ティナには俺の事情を話してない。

 いつか話さなくてはと思いながら遂に打ち明けることができなかったのだ。

 ずいぶんと後悔して、後悔していたことすら忘れるぐらいの長い時間が経った。

 同じ轍を踏みはしない。


「別の異世界に召喚されてたんだ」


 もともとティナにも宿の再建という願いによって召喚されたこと。

 願いを叶えたら、同じ世界にはいられないこと。 

 毎日が幸せ過ぎて真実を口にすることができなかったこと。

 宿の再建の目処が立っても召喚されなかったので油断していたこと。

 そんなある日、突然召喚されてティナと引き離されてしまったことを話す。


「そうだったんだ。リョウも辛かったんだね……」


 能力を使うまでもなく、ティナは俺の言葉を信じてくれた。

 ああ、そうだった。昔からこういう娘だったんだ。

 優しくて気立てもよく、こんなろくでなしの男に引っかかってしまうような。


「わたしに愛想を尽かして出ていったわけじゃなかったってだけでも、すごく嬉しいよ」

「当たり前だろ。俺はこの世界で君と暮らすつもりだった。でも、あの頃の俺は誓約のルールをまだ全部把握しきれてなくて。毎日宿屋で料理を作って客に美味しいと言ってもらえて。俺は、あの頃の俺は、本当にそれだけで良かった……」


 この世界には俺の求める人間としての平穏のすべてがあった。

 帰る家も、笑い合える友も、愛する伴侶も揃っている。

 少なくとも俺にとって、ここは『異』世界ではない。


「なあ、俺も一つ聞いていいか?」

「なぁに?」


 気になっていたことを聞くことにした。

 ティナもすっかり安心した様子で首をかしげる。


「君をママと呼んでたあの子って」

「うん、そうだよ。リョウの子供。シンジっていうの」


 俺が喜んでくれると信じて疑わなかったのだろう。

 ティナが笑顔で言った。


「そうか」


 俺はかろうじて口端に笑みの形を繕い、彼女を失望させずに済んだ。


「……嬉しくない?」


 それでも俺が心から驚いたり喜んだりしていないことを察したのか、不安そうに顔を覗き込んでくる。


「そんなわけないだろ。ティナとの子供が嬉しくないわけない」


 嘘じゃない。

 子供ができていた事自体は心から嬉しい。

 そもそも、嫁やその辺の行きずりの女を身ごもらせることは別に初めてじゃないし。

 子供が欲しい、という願いを叶えるだけなら妊娠魔法を使って俺が頑張るのが一番手っ取り早いし。

 俺の残した遺伝子がいろんな異世界で芽吹いているであろうことを考えれば、今更子供がひとりやふたりできたぐらいで驚きもしなければ嫌とも思わない。

 ただ、子供と一緒にいてやることのできない俺に父親の資格はないということを思い知らされるだけだ。


 だけど、今回に限って俺が気にしているのはそこじゃない。


「ティナ。今回、俺を召喚したのはシンジだ」

「え?」

「間違いない。俺が帰還したとき、近くにはあの子しかいなかった」


 かつてと同じだ。

 あの物置に保管されていた例の魔導書――おそらくシアンヌが物置ごと跡形もなく消し去ってしまったが――に描かれた魔法陣と、近くで遊んでいた誓約者の子供。今までも同じようなことはあった。


「あの子の願いに心当たりはないか?」

「あ、貴方は……またわたしを、わたしたちを置いていってしまうつもりなの?」


 俺の真剣な問いかけに、ティナが後退る。


「落ち着け。叶えるにしても叶えないにしても知る必要があるんだ。でないと、君のときの二の舞になる」


 ティナの肩に手を置き、その瞳をジッと見つめる。

 ティナから引き離されてしまった後に荒れるように狩りまくっていたビッチ嫁どもとは違い、彼女は物分りがいい。誠意を伝えることができれば、きちんと話して分かり合うことができる。

 だから魔法やチート能力を使わずとも、彼女の目を見れば考えている事はなんとなく察することができる。

 

「教えてくれ。なんとなくわかってるんだろ」


 ティナは俺の追及に顔はそらさず、視線を泳がせた。


 俺とティナの子供、シンジの願い事。

 もし、いつかのガキどもと同じように遊び相手がほしいとかぐらいなら、どうにかなる。

 流石に今回ばかりは最短ルートを目指すだとか、野暮なことを言うつもりはない。なんならあいつが満足するまで父親の真似事をしたっていい。


 そう思ってのことだった。

 だったのに。


「わたしね、昨日、シンジに父親……つまり、貴方の話を初めて話したの。出会いのきっかけとか、料理を教えてくれたこととか。シンジにはまだ、貴方が父親だってことは言ってない。いつか貴方の口から話してもらうつもりだったから……」


 いいや、きっと俺自身も薄々感じていたのだろう。

 俺の視線から逃げることをやめてティナが顔を上げたとき、俺も覚悟を決めた。


「あの子の願いはきっと、父親に会って話すこと。さっきの話のとおりなら……シンジに自分が父親だと打ち明けたら、貴方はきっと……」


 この世界が、逆萩亮二という存在にとって史上最大の試練になるということを。

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