第94話 始まりの地
「はッ!?」
唐突に目が覚めた。
半身を起こし、頭を抱える。
「……夢? まあ、そりゃそうか」
ああ、そうだろうとも。今更、ティナのいる世界に帰れるわけがないのだ。
確かに、かつては帰りたいと願っていた。
だけど何をしても『誓約と召喚』のルールを崩すことができないと知った時、俺は諦めたんだ。
原初地球へ帰還し、クソ神を殺すことに集中した。
力を手に入れるためにあらゆる手を尽くし、数多の命を手にかけ、異世界を滅ぼしてきた。
そんな男が今になって運良く帰ってこれたからといって、ティナとの夫婦生活を再開するなんていうのは虫が良すぎる話。
それにしたってなんて悪夢だ。
まさか自分のガキに召喚される夢を見るだなんて。
俺も想像力豊かだな。
「ぁん……」
「お?」
ふと、隣から艶めかしい声が聞こえた。
見れば、俺の手が柔肉を鷲掴みにしているではないか。
ティナの乳房であった。
「……夢じゃなかったのか」
手の平を通して伝わってくる鼓動と温もりは、どんな気付け薬よりも効果覿面だった。
言うまでもなく俺とティナはベッドの上で全裸であり、昨晩お楽しみだったことは日を見るより明らかである。
どうやら現実逃避の時間は終わりらしい。
「参ったな。昨日の記憶がない」
ティナと話した後、なんだかいきなり頭が真っ白になって何も考えられなくなったのが最後だ。
今回の誓約がよっぽどショックだったということだろうか。
たかが、自分の子供に父親だと名乗り出るだけのことが。
「ふざけんな。言えるわけねぇだろうが……!」
これまでだって、子育てを優先したいという嫁を卒婚させたりしたことはある。
そもそも最初から俺との子供を望んでいた嫁もいれば、俺の復讐にできてしまった子供を巻き込みたくないと卒婚ではなく自らリリースを申し出た魔女もいた。
赤ん坊とは物心付く前に別れていたこともあり、俺も仕方のないことだと割り切ってきた。
つまり、彼女達の子供と父親として向き合うことすらできないということ。
自分が苦しんだり死んだりするのは耐えられる。
だけど、子供が先に寿命で逝ったり、不老不死に耐えられなかった母子に「死にたい」と請われたりすることには耐えられない。
あんなことがなければ、俺だって今ほど苦しんじゃいなかったはずだ。
クソ神への復讐を諦めて何もかも忘れてティナと結婚して普通の人間として暮らそうとしたところで、そういった5人目と6人目の嫁のときと似たような末路を辿るだけだろう。
だから、どれだけスローライフが恋しくても、この世界に留まるという選択肢だけは絶対にナシだ。
もしティナを連れて行くならハーレムルールを話す必要がある。
シンジは……シンジは、どうする。ルール1は原則だから、子供を連れて行っちゃいけないということにはならないからセーフか。
いや、それ以前に誓約はどうすりゃいいんだ? 連れて行くなら俺が父親だということは話すことになるから達成はできるだろうが。駄目だ。子供を連れて歩けないってことになったから嫁との間にガキは作らないし、できちゃった連中は卒婚ってことになったんだろうに。ティナだけは例外ってことにしても、結局シンジともども俺の過酷な旅に付き合わせるってことになっちまうし……。
つまり、ふたりを連れて行くなら、すべての事情を話した上で、ふたりがきちんと納得した上で俺についてくるという選択をしてくれることが必須。
ハーレムルールについて話し、従ってもらう以外にはない。
今の俺の真実の姿をティナにさらけ出すのには俺にも相当な覚悟がいる。
ただの昔の恋愛ってだけなら綺麗な思い出で終わってもいいけど、シンジという現実がそれを許さない。
連れて行くにしても、そもそもティナが父親が残してくれた巣立ちの翼亭を捨てられるとは思えないし。
「はは、こんなの無理ゲーだろ……」
他の異世界で魔王を殺したり、勇者をコケにしたり、王族を皆殺しにしたり、世界を滅ぼしたり……ああいうのは全部、俺を召喚した異世界側に最終的な責任がある。自分たちで解決できない問題を本人の意志を確認せず、有無を言わさずに誘拐した相手にアウトソーシングするという時点で何をされても仕方がない。少なくとも俺はそう考える。
だけど、今回は違う。すべては自分自身が撒いた種。父親に会いたいと子供が願ったから、父親が喚ばれたというだけのこと。責任の所在がシンジやティナにあるはずない。
「一体、どうすればいいんだ?」
何がベストでベターなのか、まったくわからない。
落とし所さえ見えないが、こういうときにどうすべきなのかは、俺は長年の経験でよく知っていた。
「このままじゃ鬱になる。よし、いったん全部忘れて逃げよう。酒、女、暴力……今回はまあ、女だな!」
未だにまどろんでいるティナの柔肌を愉しむべく、その肢体に覆いかぶさった。
ティナとの数ラウンドに渡るシングルマッチを終え、俺はひとり厨房に向かった。
「よし」
エプロンのような前掛けを首からかけて、肩にたすき掛けをする。
ティナと決めた巣立ちの翼亭の厨房での正装だ。
今日はティナがダウンしているので、俺が客の朝食を用意しなくてはならない。
仕込みは昨日のうちにティナが全部やってくれていた。俺がやるのは仕上げと盛り付けぐらいである。
皿の重ね方。備品の配置。寝かせてある煮込み料理鍋の番号。
5年間、ティナが俺との取り決めをきちんと守りきってくれていたおかげで、何一つ悩むことなく用意できそうだ。
「おじちゃん、なにしてるの?」
「ん?」
厨房と食堂を繋ぐ入り口に、寝間着姿の子供が立っていた。
シンジだ。まだ眠そうで目をこしこしとこすっている。
「ここは勝手に入っちゃダメなんだよ」
「ママに怒られるからか?」
俺が聞き返すと、シンジはコクコクと頷いた。
ちょっと震えているあたり、ママは怒ると怖いらしいな。
ひょっとしたら口を利いただけで誓約を達成してしまうんじゃないかと危惧したが、どうやら父親として会話しなければセーフのようだ。
シンジも今のところ俺が父親だとは思っていないのだろう。
「大丈夫だ、坊主。おじちゃんはママの許可を取ってるからな」
「なにそれ。ずるいよ。ボクも入ったことないのに!」
小さな瞳の中に幼い炎を燃やすシンジ。
それでも厨房への一線を越えてこないあたり、よく躾けられている。
「ここは戦士の戦場だぞ。坊主、お前は戦士なのか?」
「う、うん! 戦士だもん!」
「そうか。だったら、戦士には何が必要かわかるよな?」
「えっと、えっと」
シンジがドギマギし始める。
嗜虐心を刺激された俺はニヤリと口端をつり上げた。
「なんだ、知らないのか。じゃあ本物の戦士じゃないな」
「知ってるもん! 知ってるもーん……!」
目を涙ぐませたかと思うと、シンジは走り去ってしまった。
「あーあ。サカハギさん、泣かしちゃった」
入れ違いにイツナがひょっこり顔を出した。
「いけないんだぞ」
「なんだお前ら、聞いてたのか」
シアンヌもだ。
お前が仏頂面で「いけないんだぞ」とか言うの、なんか面白いからやめてほしい。
「ステラちゃんはおねむか?」
ひとり姿の見えない幼女を心配すると、イツナが首を横に振った。
「ううん、一緒にいたけどさっきの子を追いかけていったよ」
「さすがだな」
子供のことは子供に任せよう。
「それよりお前、何をしている?」
シアンヌが不審そうな顔で聞いてくる。
「見ればわかるだろ。宿の朝食を用意してるんだよ」
「お前が作るのか!?」
そこまで驚くようなことか?
一方、イツナは目を輝かせている。
ああ、そういえば俺がシェフした世界に出てたのはイツナだけだったな。
「今日はお前らも客だからな。席で大人しく待っててくれ」
「うん、いいよー」
「わ、わかった」
嫁コンビを厨房から遠ざけると、俺は袖をまくった。
「さて、久しぶりに気合を入れて作るとするか!」
他の宿泊客もぽつりぽつりと食堂へ降りてきた。
出来上がった料理を客のいるテーブル席に配膳していく。
目の前に用意された朝食を見て、シアンヌが口を開いた。
「てっきりチキンだけが出てくると思ったが、まともだな」
「お前が心配してたのはそこかよ」
チキン恐怖症のイツナがいるのに、そんな酷いことしないっての。
「チキン……」
ほら、チキンって聞いただけでイツナのおさげが電撃まとって荒ぶってるじゃん!
「俺は仕上げをしただけだからな。とにかく食べてくれ」
見なかったことにしつつ促すと、ふたりが「いただきます」をしてから一口目のスープをすすった。
「おお、うまいな」
「おいしい! サカハギさん、これとってもおいしいよ!」
「そうだろう? その辺は、もともと俺のレシピだからな」
宿を立て直すために俺が開発したものだ。
この宿で頑張ったおかげで、趣味レベルだった料理はかなり上達した。
美味そうに食べてくれる客は他にもいて、久方ぶりの充実感に満たされる。
自分が作った料理をおいしいと言ってもらえることほど嬉しいことはない。
俺がフェアチキの再現をしようと思い立ったのも、ここが最初だったか。
「さしずめ、今の俺を形作る始まりの地ってわけだな」
誰に言ったわけでもない。独り言である。
ここには俺が喪ったものもあるけど、手に入れたものも無数にある。
……いや、喪ったと思っていただけだった。
見えなかっただけで、今も確かにあったのだ。
ならば、千歳一遇のチャンスと考えよう。
大昔に諦めたからといって、元から俺はこの世界に帰りたかったのだから、今もすべてを諦めて立ち去る必要はない。
「なあ、ふたりとも」
イツナとシアンヌが食事の手を止め、顔をあげる。
「気づいているかもしれないけど、シンジは……俺の子供なんだ」
「えっ!?」
イツナがガタンと席を立ち、椅子を倒した。
「……それは本当か?」
シアンヌが震える声で聞き返してくる。
「ああ、本当だ。俺が召喚された後にティナが産んだらしい。そんでもって、今回俺を喚んだのがシンジだ。しかも願いは多分父親絡みなんだとよ」
「そうか。あの子供の父親はお前なのか」
シアンヌの他人事のような雰囲気が明らかに変わった。
ひょっとしたらシンジを殺したら俺に対する復讐になるとか考えているのかも知れない。
まあ、シアンヌの性格的にはやれんだろうし、口にも出さないだろうが。
「だ、だったら! ちゃんと話してあげなきゃダメだよ!」
孤児で施設育ちのイツナに親はいない。
でも、だからこそ父親を知らない子供を放ってはおけない。
「話したら誓約達成、それでお別れだ」
「一緒に連れて行ってあげないの?」
「それは無理だろうな」
イツナの問いかけにシアンヌが割り込んだ。
「昨日の話が確かなら、母親にはこの店を捨てることはできまい。できるとしても、あの女にハーレムルールを話すことになる。選択肢のなかった私や、すべてを納得した上で望んだお前と違って、あの女に意図的にふるい落とす目的を持つハーレムルールを話すのは無謀だ」
「で、でももしかしたらわかってくれるかも……」
「悪いけどイツナ。俺は分の悪い賭けは嫌いじゃないけど、確実に負けるとわかってる勝負は仕掛けない。そして、俺は同じ世界にとどまり続けることだけは絶対にしない」
俺の宣言を聞いてイツナがシュンとしてしまった。
「じゃあ、置いていっちゃうの?」
それは昨日の続きだった。
ティナにハーレムのことを話さないと言ったとき、イツナが俺に聞きたかったこと。
「ティナさんはサカハギさんのこと待っててくれたのに。シンジくんはお父さんに会えたのに。サカハギさんもこの世界が大好きなのに。全部、諦めちゃうの……?」
……俺も、それしかないと思っていた。
アレも無理、コレも無理なら、諦めるしかないと。
だけど、ほんのちょっとだけどシンジと話して。
かつて、この世界で頑張っていた頃の自分を思い出して。
そもそも何を望んでいたのかを自覚して。
そして、自分が何者であるかを問い直した。
そしたら、あっさりわかった。
「前提条件はこうだ。ティナに真実は話さない。シンジに俺が父親だとは伝えない。だけど、この世界で延々とスローライフもしない。ふたりから今の生活を奪うこともしない」
ティナとシンジを連れて行く? NO。
ティナとシンジを置いていく? NO。
俺の答えなんて、いつだって最初から提示されてない第三の選択肢の中にしかない。
「俺はかつて奪われた。だから、今回は取り戻す」
ここは異世界じゃない。
俺の世界だ。
だから。
「この『星』ごと、ティナとシンジを手に入れる」
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