もうわらうな

 そういうわけで私は死にます。

 これが誰かの目に入る頃には死んでいるはずです。

 あなたの手に渡るかどうかはわかりませんが、それでも何の予告もなしに死ぬのであれば、最後の言葉くらいは残しておいた方が良いと思ったのです。

 今までありがとうございました。それから迷惑をかけてしまい、申し訳ございません。

 ……………………………………………………

 ……と、いうのは全て嘘。

 引っ掛かったなバーカ。

 きっとあなたはこれを『馬鹿な女だ』とせせら笑いながら読んでいたのだろうけど、ぜーんぶ嘘。

 ざんねんでした。


 荒々しく、無理やり取ってつけたような下手糞な文字で文は締められていた。

 おまけに文末に、笑った人間の顔らしきとてつもなく下手糞な絵まで添えてある。

 嘘。

 嘘、嘘、嘘、嘘。

 ほらみろ、全部嘘だった、やりやがったなあのクソ道化。

 すぐ近くから狂ったような笑い声が聞こえてくる、視界は白く歪んで、もう何も見えない。


 あの女が死ぬ、三日前。

 自分が仕事で不在だった時に主人が癇癪を起こして、あの女が手酷く甚ぶられたという事を知った自分は、様子を確認するためにあの女の部屋に向かった。

 ノックをしようとしたが、何かおかしな雰囲気を感じて、音を立てないようにそっとドアを開いた。

 中を窺うと、あの女が部屋の真ん中に座り込んでいた。

 聞いていた通り、全身傷だらけだった。

 そこまでは予測していたが、それだけではすまなかった。

 その横顔にはいつもの笑顔はなかった。

 しかもそれだけではなかった。

 両目からは透明な液体がボロボロと溢れていて、握り締めた右の拳を噛みしめ、それでも漏れた嗚咽が微かにこちらに聞こえてくる。

 しばらく何が起こっているのか分からず、ただ呆然とその横顔を見ていた。

 口はカラカラに乾いていた、全身は石になったように動かなかった。

 しばらくして、彼女が自分の方を見て目を見開いた。

 その直後に、彼女は噛みしめていた右の拳で顔を荒く拭って、いつも通りの笑顔をこちらに向けた。

 何も言えずに、ただその笑顔を呆然と見つめる自分に、彼女はこう言った。

 タンスの角に足の小指をぶつけてしまってすごく痛かった、それだけだから。

 彼女は乾いた笑い声をあげながら、白々しくごめんねと言った。

 自分は、何も言えずにドアを乱暴に閉じて、その場を立ち去った。

 意味が分からなかった、ただ何故という言葉ばかりが頭の中で繰り返されるだけで、それ以上は何も考えられなかった。

 ただ、大嘘吐きの道化は自分にすら何もかもを誤魔化して笑い続けることを選んだ、という事だけしか理解できなかった。

 痛かったのか、恐かったのか、怒っていたのか、寂しかったのかは、今となってはもう、ただ推測することしかできない。

 それでも、泣くことができるのであれば、笑う以外の感情が初めから普通に備わっていたのなら、なぜ。

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泣いて縋れと願った 朝霧 @asagiri

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