どうして

 きっと私は、あなたに背負う必要のない重荷を背負わせてしまった。

 本当に、ごめんなさい。

 それでも、うれしかった。

 話しかけてくれたことも、大事にしてくれたことも。

 借りを返すために嫌々そうしていたのだろうという事はなんとなく察していたけど、それでも。

 毎日眠る前に自分が死んだ後の事を想像した、妄想の中であなたは私の死体の前で悲しそうな顔をしていて、その顔を思い浮かべるだけで幸せで、とてもよく眠れた。

 でも、だんだんと、少しずつ少しずつ、物足りなくなっていった。

 私が死んだ時に、誰かが悲しんでくれればいいと思っていた。

 私が死んだ時に、あなたが泣いてくれればいいと思っていた。

 だけど、それでは足りなくなっていった。

 もっと一緒にいたいと、願ってしまった。

 あなたの大事な人になりたいと、願ってしまった。

 あなたが、私のことだけを大事にしてくれればいいのに、とさえ思った。

 欲望は果てなく、いつかきっと私はそれに耐えきれなくなる。

 私があなたに好きになってもらえるような女だったら良かったのだけど、そう都合良くはなくて。

 私は、笑うだけしか能がない中身のない出来損ないで、どうすればあなたに好きになってもらえるかもわからなくて。

 そのうち、あなたを手に入れるために最悪のことをしでかすかもしれない。

 だから、迷惑をかける前に死ななければならないと、強く思った。

 

 痛覚が全て消えた、あれだけ胃が痛くて仕方がなかったのに、今はもう何も感じない。

 だがそれはただの気のせいだったようで、その直後にとてつもない激痛が自分に襲いかかってきた。

 頭が内側から破裂するのではないかと錯覚するほど痛む、胃が内側から何かに食い破られているのではないかと思うくらい痛い。

 視界がぐるぐると回る、嘔吐いても吐き出されるのは空気の塊だけで、胃酸すら出てこない。

 息もうまくできなくて、意識が遠のいていく。

 

 あの女は、自分を庇って死んだ。

 少しばかり厄介な敵を二人で相手にする羽目になって、その時に自分を庇って、死んだ。

 あの女の腹に大穴が開いた直後、振り返ったその顔が無事な自分を見て笑みを深めた事を認識したその後に、自分がどうなったのかはよく覚えていない。

 ただどうもがむしゃらに敵を倒そうと奮闘していたようで、思考が戻った頃には敵が死んでいた。

 いつの間にか遠く離れたところまで移動していたあの女の身体に近寄って、その様子を確かめた。

 目は開いたままだった、血が溢れた口は笑みの形をそのまま保っていた。

 手はまだ柔らかかったが、どうしようもないくらい冷たかった。

 呼吸はなかった、心臓もとっくに動いていなかった。

 その死体の前で、しばらく何もできないでいた。

 だが、そのままでいてもどうしようもないので、その死体を持ち抱えて、ふと思った。

 自分はこれを埋葬するつもりだったが、果たしてあの主人がそれを許すだろうか?

 よく知らないがあの女は特殊な体質をしているらしい。

 切り離された左腕一本だけで、ただ生きているだけのあの女自身よりも役に立つ、と主人は言っていた。

 なら何故さっさと殺さなかったのだとは思うが、それはもうどうでもいい。

 あの女は死んだ、きっとこの死体は主人にとって役に立つものなのだろう。

 そこまで思いついた途端、頭の中が真っ白になった。

 あの女の笑ったままの死顔を見た、抱え込んだ身体は既に冷たいが、まだ柔らかい。

 言いようのない、どうしようもない嫌悪感に吐き気を感じた。

 主人にこれを渡したくなかった、触られたくなかった。

 どうすればいいと頭を抱えそうになった。

 手っ取り早く燃やしてしまおうとも思ったが、焼け焦げていくそれを見るのも気が狂いそうだ。

 これ以上自分以外の何かにこれを壊されたくなかった。

 どうすればいいどうすればいいと考えているうちに思考は迷走し、やがて狂気的な答えに辿り着いた。

 喰えばいい。

 全部喰らってしまえばいい。

 そうすればもう誰にも盗られない。

 その時まで自分は人を喰った事がなかったが、それでも自分は人を喰らう獣の血が混じった化物だった。

 こんな小さな女一人くらいならすぐに平らげられる。

 あの女の口から溢れた血を舐めると、今まで口にしたどんなものよりも不味かった。

 それでも、喰った。

 不味くて不味くてどうしようもなかった、何度も途中で止めようと思ったが、何かに操られているかのように喰い続けた。

 肉も、血も、内臓も、骨も。

 全部、喰った。


 酸欠で少し意識が飛んでいたらしい。

 目を開くと、視界は先程よりもマシになっていた。

 頭痛も胃の痛みも少しはマシになっていた。

 もう何も思い出したくない。

 全部嘘だ、嘘に決まっている。

 どうして、どうして、どうして、どうして。

 嘘に決まっているし、悪趣味にも程がある。

 あの道化は何故こんなものを残したのだろうか、そこまで悪趣味な女だとは思っていなかったぞ。

 あの笑顔の下にこんなに醜悪なものが潜んでいたと思うと、三週ほど回っていっそ笑えてくる。

 気持ち悪くて仕方がない。

 嘘だと言ってくれ、そう縋り付くような思いで遺書の続きに目を向ける。

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