レンパリアの千人槍 6

「捨てて立ち去れと言ったはずだか」


 獣王公は眉をひそめた。


「バルサルクに向かって、剣を抜く事がどういう事か分かっているのか?」


 レイツは、剣を捨てなかった。

 とにかく、この場から王牛ブルガーを引き離さねばならない。レイツは、震える息をゆっくりと吐き出しながら、抜身の剣を構えた。


「愚かな……ならば少したわむれに付き合ってやろう」


 獣王公が乗ってくれた事をさいわいに、レイツは対峙しながらユックリと移動し始めた。王牛ブルガーがレイツをにらみ、首を巡らせると、それに合わせて小走りに仲間たちの元から離れる。

 一歩づつ四脚を動かし、ゆっくりと、王牛ブルガーは追ってきた。


(よし……この辺りなら)


 仲間たちの元から王牛ブルガーを引き離した。だが、ここから先はどうすればいい?

 剣を捨てて逃げれば、見逃してもらえるかも知れない。でも、それじゃあ、倒れたままの仲間を見捨てる事になる。伯父おじも気を失っているだけかも知れないんだ。

 戦うべきか……?


 そう考えた時、レイツは目眩めまいがしそうだった。

 ……戦う?

 跳ねたって騎上のバルサルクに剣は届かない。じゃあ、先に仕留めるべきは王牛ブルガーだ。

 でも、獣鎧と分厚い天然の革の塊をどうやって仕止める?


 レイツは、切っ先を王牛ブルガーの顔部に向けた。鎧も自前の革もない空洞くうどうの奥……目だ。そこを狙うしかない。


 獣王公の手甲に仕込まれた宝玉が光った。獣王公の姿が揺らぎ、雨水を弾きながら、空気が激しく波打つ。

 千人槍を吹き飛ばした時と同じ衝撃波。咄嗟とっさにレイツは跳んだ。避けるのではなく、その空気の振動の下をくぐるようにして!


 頭の上を振動する空気がかすめ、レイツの背後の空間を弾き飛ばす。

 咄嗟とっさに前に跳んだのは、かわす為じゃない。弾ける空気圧の力を借りれば、一気に間合いを詰めれると直感したからだ。


「うわぁあああ!」


 鉄の面頬めんぼおおおわれた王牛ブルガーの顔面。その隙間目掛けて、剣が走った。少年の全ての体重を乗せた体当たりと共に!

 鈍い音ではなく、高い金属音が鳴った。狙い違わずに眼部に突き付けられた剣は、呆気あっけなく弾かれ、レイツはもんどり打って転倒した。


 王牛ブルガー面頬めんぼお空洞くうどうに、ひび割れが起きていた。空洞だと思っていたそこには、透明な何かがはめ込まれていた。

 白海に住む大型プルコのうろこから取った、透明な防護板だ。

 倒れたレイツの上に、王牛ブルガーは巨大なひづめを叩き下ろした。


「愚かな者め」


 獣王公は、踏み潰されたレイツを確認しようとしたが、


「!?」


 何かが獣王公の横面よこつらにぶつかった。重甲冑を貫けずに弾かれたそれは、地面に突き刺さった。

 周囲から、獣王公の姿を認めたバルサルクが三騎、近づいて来ている。一人は長槍、一人は大剣、そしてもう一人は弓を持ち、二矢目をつがえていた。獣王公は囲まれた。


「名乗りも上げずの不意打ちの挙句、三人掛かりか……?バルサルクにあるまじき振る舞いぞ……」


 獣王公は大戦斧だいせんぶを構えた。


「たが、ハンデとしては丁度よい」


 獣王公の手甲が光った。放たれた二矢目もろとも、弓を持ったバルサルクを騎上から弾き飛ばす。いや、弾き飛んだのは、一人だけではなかった。法術と同時に地を蹴った王牛ブルガーが、槍を構えたバルサルクの騎牛ビルガーに体当たりを食らわしていた。

 王牛ブルガー咆哮ほうこうを上げて、騎牛ビルガーともども転倒したバルサルクを蹄に駆け、


「うおおおお!」


 大剣を構えた最後の一人の横を駆け抜ける。

 王牛ブルガーの自重と加速を得た大戦斧だいせんぶが、大剣と甲冑もろとも、その中身を両断した。

 ものの1分も掛かってはいまい。相手にまともな反撃すら与えずに、獣王公は、豪雨に二人分の鮮血を洗い流させた。


 最初に転倒させられたバルサルクは、弓を捨てると、慌てて騎牛ビルガーに飛び乗り


「ば、化物め!」


 むち打って逃げ出した。

 後も追わず、獣王公は鼻で笑った。


「ふん、不意打ちだけでなく、逃げるのも得意と見える……」


 自分の仕事は、残党の再集結を防ぐ事だ。だが、この辺りに、もはや敵の姿はない。獣王公は、王牛ブルガーの脇腹を蹴った。


「今一度、アウゴウセル公の助太刀に行くぞ」


 主人にうながされた王牛ブルガーは、しかし、後ろ足で地を蹴るのではなく、前足を滑らせた。2000キロを超える王牛ブルガーの体重が地を打ち、滝のような水飛沫が上がった。


「どうした!?」


 泥土に、豪雨でも洗い流しきれないの鮮血が広がっている。

 苦しげに王牛ブルガーが頭を上げると、その下から転げ出るものがあった。

 それは一転してから立ち上がった。手に血刀を下げたまま。


「やっぱり、下の方からなら切れた……」


 レイツだった。

 王牛ブルガーに踏み潰されそうになった時、彼は王牛ブルガーの死角たる腹側に組み付いていたのだ。全身をおおう長い体毛のお陰で、つかめる所はいくらでもあった。


「今の戦いで振り落とされもせず……剣だけで、王牛ブルガーの皮膚を裂いただと……!?」


 王牛ブルガーは最後の咆哮ほうこうを上げると、巨大なこうべを地に付けた。


「貴様、何者だ!?」


 絶命した王牛ブルガーから、獣王公は降り立った。


「良かろう……相手になってやる!」


 大戦斧だいせんぶを地面に突き立てる。


われは、ギルドフル公より、王牛ブルガーとヤーゲルザルクの牧場をたまわって以来、獣王の異名で恐れられて来たバルサルク、ブルオード・ボフォロフ!」


 レイツも名乗る。


「レンパリア千人槍のレイツ……」


 愛称に続けて本名も名乗った。


「プレイズ・レシュターツ……」

農夫傭兵アニックィアか。本来ならば相手にせぬ所だが、我が王牛ブルガーの仇を打たせてもらうぞ!」

 


 さきほど目を覚ましてから、ずっとこの奇妙な光景を見ていたバルサルクは、未だに幻覚を見ているようにしか思えなかった。

 一瞬で三人のバルサルクを倒した獣王公が、一振りの剣しか持たない傭兵相手に、何度も斧を奮い続けているのだから。

 大戦斧だいせんぶが雨の幕を断ち、飛沫とともにあしを散らす。その度に傭兵は、時には泥の中で転げるようにして身をかわしていた。しかし、反撃する暇は無いようだった。


 

 何度めかの戦斧をかわした時、全身、雨と泥にまみれたレイツは、


降伏こうふくする……」


 ポツリとつぶやいた。

 その言葉に、獣王公は笑った。


「我が斧をここまでかわした事はめてやる。降するなら、剣を捨てよ!」

「いや、そうじゃなくて……」


 レイツは濡れた前髪を上げた。


「降伏するか……って聞いてるんだ」

「なに!?」


 あれほど震えていた肢体は、まるで嘘のように落ち着いていた。近くに聞こえた胸の鼓動も、いつの間にか遠のいていた。

 王牛ブルガーを仕留め、獣王の戦斧を見たレイツには、ある事に気づかされていた。


 それは、かつて剣術を教えてくれた旅のバルサルクが、剣術の文様を与えてくれた時にいった言葉……お前がバルサルクなら、赤色を与えてもいい……それは単なる誉め言葉ではなかったという事だ。

 レイツは、獣王公の斧を剣で差し示した。


「その柄の長い斧は、王牛ブルガーの上から離れた敵を倒す為のものだろ?重そうな甲冑だって、動けるのは王牛ブルガーがいればこそだ」


 対決してみて分かった。恐ろしいと思っていた獣王公の力量が。

 レイツは、残念そうにかぶりを振った。


「遅すぎるんだ……多分、千回振っても、俺には当たらないよ……」


 獣王公が片手をかざした。手甲が光り、法術が放たれる。

 だが、法術はレイツの身体を弾く前に、霧散むさんしてしまった。

 旅のバルサルクは、剣術と長物の文様を授与してくれた。だが、教えてくれたのは、武器の扱い方だけではなかった。

 レイツの剣が、旅のバルサルクからもらった剣が……光を放っていた。


「その剣、宝玉剣か!?」

「あんたと同じ法術だよ……あんた見たいには飛ばせないけど、相殺くらいならできる……」


 獣王公は、さらに法術を連発した。レイツは、途中、相殺しきれず横に跳んだ。


「それに雨のお陰で、どこに飛んでくると丸わかりなんだ」


 雨が先にはじけ、それに先導されるように空気の振動が飛来する。レイツはまたかわした。


「もう一度聞くよ。降伏する?」

「バルサルクが、農夫傭兵アニックィアごときに降伏してたまるか!」


 獣王公は、再び大戦斧だいせんぶを両手で持つと、まるで騎牛ビルガーのような咆哮ほうこうを上げた。


「最初にあんたと王牛ブルガーを見た時は、怖くて……絶対に勝てないと思ったんだ……」

「うおおおおおお!!」


 獣王公の渾身こんしんの一撃が地を縦にうがつ。


「絶対に死ぬって……思ったんだ」


 戦斧の先にレイツの姿はなかった。しかし、獣王公の視界には、レイツの姿は消えていなかった。

 空を切った大戦斧だいせんぶの柄の上に、レイツは立っていた。獣王公は、とっさに剣を抜こうとした。

 一瞬、豪雨の空がピカリと光った。


「でも、ごめん。俺の方が強かった……」


 遠くの方から雷鳴が響いてきた。

 



 

 翌日は快晴だった。

 結局、敵は本陣を突破できなかった。それどころか、獣王公の戦死を知ると、あかつきも待たずに撤退してしまった。


 レンパリア千人槍は、報酬を受け取ると、負傷者を荷車に乗せて早々に家路を目指した。


伯父おじさん、本当に言っちゃあダメなの?」


 荷車に乗せられた伯父おじの横をレイツが連れっている。


「ああ……傭兵のガキに、高名なバルサルクが討たれたとあっちゃあ、バルサルク全体の面目丸潰れだ。褒美どころか、下手すりゃ追放だ」

「大手柄だと思ったのになあ……」

「それに、『獣王殺し』だの、『王牛ブルガー殺しのレンパリア』だのって通り名は、俺たちには重過ぎだ……『千人槍』がちょうどいいんだ。へへ、千人いた試しはねえけどな」


 レンパリアの一行に、一騎のバルサルクが近づいて来た。葦原あしはらせながら、レイツの戦いを見ていたあのバルサルクだ。


「レンパリアの隊長どの……」


 馬上から身を寄せてささやく。


「一部始終見させて頂いた……まさか、こんな少年だったとは……信じられん」


 バルサルクは、レイツの顔をまじまじと見つめると、続けた。


「この子を私に預けてくださらぬか?立派にバルサルクに育てて見せるが」


 予想外の申し出に、伯父おじは目を丸くした。


「おい、レイツ。とんでもねえ褒美がきたぞ。どうする?って……その顔なら聞くまでもねえか」

「で、でも、伯父おじさんを送り届けてから……」


 伯父おじは、レイツの肩を押してバルサルクの方に寄せた。


「旦那、俺の甥だ。頼みますわ」

伯父おじさん……」

「兄貴には言っといてやる。いいから、行ってこい!」

 

 

しばし躊躇ちゅうちょしてから、レイツは思い切って返事をした。

「はい!」

隣のバルサルクは満足げにうなずくと、少年に手を差し伸べ、自身の騎牛ビルガーへと乗せてやった。

「では、いざや参ろう、少年よ!」


かくして少年は、レンパリア千人槍から、バルサルク見習いへと変わるべく、伯父の下を離れていったのだった。そして、これが伯父との最期の別れだった……。

 

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