レンパリアの千人槍 5

 法術を見た瞬間、レイツは丘を駆け下りていた。泥に足を取られて背を打つと、そのまま滑り降りた。泥水の溜まった丘の麓に膝をつき、腰の剣が無事である事を確認すると、無我夢中でレンパリア千人槍がいた場所を目指した。


 横から気配を感じ、とっさに跳躍し、前に転がる。直ぐ後ろを騎牛ビルガーの一団が駆け抜けて行った。

 雨が敵味方の識別を困難にしている。個々に自前の武装で参戦している浮浪傭兵ラバーフたちは、同士討ちを恐れて早々そうそうに戦線から離脱していた。


 前線の人が減り、天からそそぐ遮蔽物しゃへいぶつのお陰で、レイツは遂にレンパリア千人槍たちのもとにたどり着いた。


伯父おじさん!」


 槍にけつまずく。折れるはずがないと思っていたレンパリアの槍は、無残にひしゃげていた。


伯父おじさん!みんな!」


 また何かにけつまずいた。無数のひづめに踏み潰された仲間の死体だった。目をらすと、あちこちにそれらしきものが見えた。


「誰か!生きてる人は!?」


 激しい雨音のせいで、声が響かない。目印となる流血も、雨粒に洗われて消えている。


(たしか伯父おじさんがいた場所は……)


 レンパリア千人槍の布陣場所を示す旗が、倒れかけたまま立っていた。その近くには、折れずに斜めに突き立ったままのレンパリアの槍があった。荒縄を巻かれたその柄には、人の手が同じ荒縄で結束されていた。

 レイツは駆け寄った。


伯父おじさん!」


 レンパリアの隊長は、最後まで槍から手を離してはいなかった。


伯父おじさん!」


 レイツは、伯父おじをだかえ起こした。雨のせいで外傷は良く分からない。だが、その両足は明らかに曲がってはならぬ方向にあった。


「レイツか……」


 伯父おじのライリィは目を開けようとしたが、顔を打つ雨粒のせいで甥の姿を見る事はできなかった。


「まだ戦いは終わってねえはずだ。何しにきた……?」


 視界が利かずとも、耳には、まだあちこちで上がる騎獣たちの咆哮ほうこうが届いていた。


「助けにきた……でも、どうすれば……」


 伯父おじは笑った。


「勇敢な奴だ……俺が初陣ういじんの時は、仲間置いて逃げ出したのによ……」

「そうだ。衛生兵の人たちを……」

「レイツ!」


 伯父おじは甥に怒鳴ると、声を落として続ける。


「兄貴には言ってあるんだ。俺が死んだら、遺産はレイツにやってくれってな……」

伯父おじさん、こんな時に……」

「こんな時だから話してるんだ!……レイツ、お前はバルサルクになりてえんだろ?なら、少しは学費の足しに」


 突然、地面が揺らいだ。地表が吸いきれずにいる雨水が、跳ね上がった。


「来やがったか……」


 心臓が高鳴る。レイツは、伯父おじをだかえたまま、ゆっくりと後ろを振り返った。

 


 二騎の王牛ブルガーは、陣営を縦横無尽に荒らし回った。残り本陣まで一段という所で、獣王公は離脱した。無色のアウゴウセル公に手柄をゆずるためだ。

 代わりに、一度崩れ出した陣営が再集結するのを防ぐ為に、残敵を蹴散けちらしながら、敵陣の最前列まで戻ってきていた。



 レイツが振り返ったそこには、3メートル近い体高の王牛ブルガーにまたがった獣王公がいた。


「レイツ、走れ!」


 伯父おじは、かすれる声で逃げるようにいうと、そのまま目を閉じてしまった。

 レイツは、震えながら立ち上がった。ただでさえ泥濘ぬかるんでいる地表が、足元の震えのせいで真っ直ぐ立つのも難しかった。


 逃げなければ殺される。でも、まだ周囲には、生きている仲間が倒れているかも知れない。王牛ブルガーがここを駆ければ、生きて帰れた者たちも無事には済まないだろう。

 王牛ブルガーにここを踏み荒らさせる訳にはいかない!


 

 獣王公は、王牛ブルガーが立ち止まった為に視線を落とした。見れば、剣を帯びた小柄な男が、雨の中に両手を広げて立ちふさがっていた。


王牛ブルガーの前に立つとは大したものよ。それとも、血迷ったか?」


 冷たい雨に打たれ続けているのに、それにあらがうようにして体温が上がり続けている。寒気ならぬ、感情からの震えが止まらなかった。

 伯父おじは、足の痛みの為に気を失ったようだった。いや、ひょっとすると死んだのかも知れない。でも、怪我人だろうが遺体だろうが、伯父おじと仲間たちが横たわるこの場所を踏み荒らされる訳にはいかない。


浮浪傭兵ラバーフか?見逃してやる。腰の剣を捨てて立ち去れ!」


 レイツは、獣王公に長柄の斧を突きつけられると、震える手で腰から剣を外した。


 

「む……」


 葦原あしはらで気を失っていた一人のバルサルクが目を覚ました。王牛ブルガーの体当たりに吹き飛ばされ、落馬ならぬ落牛してから、ずっと倒れていたらしい。

 雨のせいで、後方の陣の様子はよく分からなかったが、立ち上がり、反対側に首を巡らした時、思わず身をせてしまった。

 そう遠くない所に、獣王公がいたのだ。


 なぜか獣王公は、動こうとしなかった。何か足元……王牛ブルガーの頭よりも低い所に注目している。つられて、彼も視線を向けた。

 そこにあったのは、極めて奇妙な光景だった。


 黒い重甲冑で身を固め、長柄の大戦斧だいせんぶを片手に持ち、同じく獣鎧で固めた王牛ブルガーを従える獣王公……その前に、甲冑どころか盾すら持たない、たった一人の小柄な男が、一振りの剣だけを掲げて対峙していたのだ。

 バルサルクはかぶりを振った。頭の打ち所が悪く、幻でも見ているのかと思ったからだ。 

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