レンパリアの千人槍 4

 敵の陣営に現れたそれは、投石機などではなく、騎牛ビルガーの原種・王牛ブルガーだった。


「二騎って、王牛ブルガーが二頭かよ」


 唖然あぜんとするレンパリアの隊長に、伝令官は補足する。


「一騎は、敵将ガンスクラル公の末家、ブンミヤルの当主アウゴウセル公……無色のバルサルクゆえ、大した事はない。だが……」


 説明する伝令官の表情が変わった。


「だが、もう一騎は……武器術全般から徒手空拳(格闘術)、法術まで赤色持ちの獣王公だ……」


 王牛ブルガーを見詰めながら、レンパリアの隊長はうなった。


「そりゃまた……随分ずいぶんと危ないお方が来られましたな……」

「お前たちの槍で、止められるか?」


 レンパリアの隊長ライリィは、片手を雨粒にかざした。


「この雨じゃ……足元が踏ん張れねえ」

「我らが王は、下々しもじもの無駄死には好まれぬ。石打人インジー浮浪傭兵ラバーフも、追加報酬の代わりに志願者だけで特別編成を組む。レンパリア千人槍も、雨で槍を活かせないというのならば、今回は退去しても構わぬとこ事だ……」


 レンパリアの隊長、レイツの伯父おじは、じっと伝令官を見返した。

 少し前に、命を捨てるのは自分たちの仕事じゃないとレイツに言ったばかりだ。荷車を動かすには、命という名の車輪が必要だと。

 だが、伯父おじの返答は意外なものだった。


「契約書には、そんな項目はねえ……」

「やってくれるか?!」 

「やるも何も、俺たちは契約通りに仕事させてもらうだけですぜ……」


 雨脚が激しさを増す中、伝令官は謝意を述べて、王の下に馬首を返した。


伯父おじさん!」


 レイツは、初めて見る王牛ブルガーに気を取られていたが、伯父おじのやり取りを聞き逃さなかった。


伯父おじさん!さっき、死ぬのは仕事じゃないって……命は荷車を動かす為の車輪だって言ったじゃないか……」


 驚くレイツの言葉に、


「ああ、荷車を動かすには、車輪がねえとな……」


 伯父おじは、優しく甥の肩に手を置いた。


「だがな、車輪ってのは、二つ付いてるもんだ。片方が『命』って名の車輪なら、もう片方は『信用』って名の車輪だ……」


 雨音に交じって、どこからか雷鳴が聞こえた。


「雇い主の言葉に甘えて契約破棄しちまったら、レンパリアの千人槍は「契約を守らない」って世間から言われちまう。乞食傭兵って言われても困らねえが、契約を守らねえと思われちまうと……俺たちの後、これから先、千人槍になる連中が困る事になるんだ……。車輪は片方だけじゃ進めねえんだ……」


 いつの間にか、周りにはレンパリアの男たちが集まっていた。


「聞いたからオメーら……午後からの相手は王牛ブルガーだ」


 かしらたるライリィは、声高に告げた。


「槍が滑らねえように、柄に縄巻いとけ!足手あしでまといになる15歳以下、初陣ういじん、怪我人、50歳以上の奴は、ここで待機だ!急いで編成を組み直すぞ!」

「お、伯父おじさん、俺は!」

初陣ういじんで、しかも15歳以下、待機だ!」

「そんな……」


 レイツは、だかえていた自分の剣を差し出した。


「剣は置いてくから、俺も!」


 だが、伯父おじはレイツに剣を押し返した。


「車輪は、二つだ。俺たちが信用の車輪を回すんだ。命の車輪を回すのはお前らの仕事だ。俺がもしやられちまったら、死に様を兄貴に教えてやってくれ……」


 また合図の音が響いた。


「テメーら、時間がねえ!縄巻いたら、歩きながら編成組み直すぞ!」

 

 雨は一向に止む様子が無かった。

 丘の上に残った者たちが見守る中、水飛沫を上げて、二騎の王牛ブルガーを先頭に突撃が始まった。

 待ち構えるレンパリア千人槍は、もはやせてはいなかった。堂々と槍衾やりぶすまを作って待ち構えていても、迷わず突貫してくるのが王牛ブルガーというものだからだ。


「いいかオメーら、俺たちの槍は絶対に折れねえ!だか、それ以上に折れちゃならねえのが、俺たちの根性だ。絶対に手え離すな!」

「おお!」


 最前線で散会していた石打人インジーたちは、石の代わりに鉛玉を支給されていた。一発でも王牛ブルガーに命中させれば、全員に1デニムの褒賞を約束されていたが、射程距離に入るまで待てる者はいなかった。ほとんどの者が射程外から届かぬ鉛玉を投げ、踏み止まって二投目も投げるよりも先に蜘蛛くもの子を散らすように逃げ出していた。


 飛び道具を持っていた浮浪傭兵ラバーフたちも、前列にいたが、目前に迫る王牛ブルガー咆哮ほうこうを聞いた途端に、泥濘ぬかるんだ足元が滑るのも構わず、後退し始めた。

 王牛ブルガー俊足しゅんそくよりも早く伝播でんぱする恐怖と動揺が、傭兵はおろか、私兵団マヌマヌティアや味方のバルサルクたちの心にすら、さざ波を立てずにはおかなかった。


 レンパリア千人槍の前と後ろで、隊列が崩れ出した。

 だが、千人槍……実際には600人と300本の槍は、一本たりとも揺らがなかった。彼らだけが、押し寄せる波に対する唯一の堤防となって立ち塞がった。


「来るぞ!」


 丘の上に残った者たちは、眼下の光景に息をんだ。

 騎牛ビルガーの3倍はあろうかという体格と、獣鎧で全身をおおった黒い塊が、伯父おじたちの槍の寸前に迫った。迎え撃つ剣山けんざんの壁は、一つたりとも乱れてはいない。


 王牛ブルガー槍衾やりぶすまの中に飛び込む刹那せつな、騎上のバルサルクは片手をかざした。一瞬、その手から光がはぜた。


「あ……」


 その光をレイツは知っていた。昔、剣術を教えてくれたバルサルクが見せてくれた事があった。手甲や得物に仕込んだ宝玉。ルジアナ地方でのみ産出され、かの国の聖霊使いが魔法石と読んでいるそれは、人体の不可視の力を増幅する触媒しょくばいとなる。


「法術だ!」


 レイツが声を上げた時、突撃する王牛ブルガーの行手の空気が揺らいだ。天から地へと落ちる雨水が八方に飛散し、激しく振動する空気がレンパリア千人槍の一隊を包んだ。

 王牛ブルガーの前方にいた一隊が、後方に弾き飛ばされた。倒れた男たちの上を容赦ようしゃなく王牛ブルガー蹂躙じゅうりんし、突破された槍衾やりぶすまの隙間を中心に、レンパリア千人槍が崩れ出した。


「ダメだ……」


 離れた丘の上で、雨にさえぎられていようとも、彼らには押し潰され、遂に槍を手放して敗走して行く仲間の様が見て取れた。泥濘ぬかるみに足を取られ、後から押し寄せる騎牛ビルガーと騎馬の群れの下敷きになって行く様子まで。

 丘の上の仲間たちは悲痛な声を上げた。だが、彼らは、平原の有様に気付いても、直ぐ横にいた仲間が一人、姿を消している事には気付かなかった。


 

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