第二章 旅の青年 1

「すごいな、これが砂海か……」


 船の甲板で、彼は感嘆の声をもらしていた。

 辺り一面、見渡す限りの白い粒子りゅうしの大地。白い平原と丘陵きゅうりょうが、どこまでもどこまで続いている。

 その白い砂漠を一艘いっそうの船が進んでいた。

 左右に開閉し、自在にその両腕の角度を変えられる特殊な帆柱が、灰色の帆をいっぱいに広げて、巧みに風をとらえている。


 彼は、砂避けの用のローブをまとい、覆面付きのフードで顔を覆っていたが、広がる白い景色に、たまらずフードを脱いでしまった。

 たくましい体躯たいく髭面ひげづらだが、その細い髭の下に見える顔立ちは、まだ若く、青年……いや少年と呼んでも余り違和感はなかった。

 船縁につかまって身を乗り出し、青年は物珍しげに辺りを眺めた。

 

「船長〜!港が見えなくなりました。そろそろタコ上げましょうか〜!」


 青年の頭上で人の声がした。声の主は、見張り台にいる若い船員だ。積荷も乗客も少ない小型船だが、20人くらいの船員たちが働いている。


「まだ、必要ねえ!」


 船首でかじを取っている船長らしき男は、ぶっきらぼうに応えると、見張り台を振り返って続けた。


「港の連中は、島が近くまで来てるってんだ。ぐるっと50ガリー(約25キロ)周って見て、それでも視認できねえ時に上げりゃあいい」

「了解〜」


 船長の横にいた別の船員は顔をしかめた。


「いいんですか船長?」


 乗客に聞こえないように、小声でささやく。


「港の連中は、プルコの様子がおかしいって言ってたのに、そんなノンビリしてて」


 互いに砂避けのローブを目深にかぶっている為、表情こそ分からなかったが、船長は笑ったようだった。


「そん時は、こいつの出番だろ」


 船長は、船縁に取り付けられた固定弓らしきものをあごで指し示した。


「一台5デニムしたんだ。そろそろ役に立ってもらわねえとな」



 天気は良く、風も良好。空気をはらんだ帆が、ギシギシと音を立てている。

 景色を眺めていた青年は、飛沫とともに降り掛かった砂つぶを払いのけると、またつぶやいた。


「ドッドリーの砂漠より広いな……」

「砂漠じゃねえ、白海しらうみだ」


 甲板の内から降りかかったのは、砂ではなく声だった。

 初老に近い男が、青年のかたわらであぐらをかいていた。船縁に背中をあずけ、古びた布製のリュクに片腕を持たれさせ、空いている方の手で水筒をあおっている。

 赤ら顔から見て、酒なのだろう。

 ほろ酔い加減で男は続けた。


「砂漠に、それに砂海って名も、おかしな話さ。ほれ、これ。兄ちゃんの故郷の砂は、こんなんかい?」


 赤ら顔の男は、甲板に落ちた砂つぶをつまんでよこした。青年は受け取ると、指先で感触を確認しながら、しげしげと見つめた。

 白く軽い小さなコーンの様な粒。指先に少し力を入れると、直ぐに砕けて散った。

 確かに普通の砂じゃなさそうだ。


「へえ、おとぎ話では知ってたけど、本当にそうなのか?」


 感心した様子の青年の言葉に、しかし、男は乾いた笑い声を上げた。


「女王さまのわす白海の伝承が、おとぎ話かい?こりゃ恐れいった」

「じゃあ、本当に大樹の?」

「おうよ!」


 男は、ひっくり返さないように、あぐらを組んだ足の間に水筒を入れると、両手を広げた大袈裟おおげさ仕草しぐさで語った。


「かつて世界の中心に、おおいなる大樹たいじゅあり。聖なる大陸エセシュメニカナを統べる女王、大樹の最も高き枝に聖なる都を創れる」

「千年の昔、船は空を飛び、兵火大いに広がれる。大樹も焼け果て、女王の王都と七つの都市、灰と共に地へと落つる……」


 そこまで言って、男はまた笑った。


「俺もガキの時に、そういう話を母ちゃんだとか、近所のジジイだとかに聞かされたもんよ……んで、その時の大樹の灰が白海になって、でっけえ枝だか幹の中だかにあった王都と六つ……あ、いや、七つか……それが、浮島になって白海を漂ってるってな」

「本当の話なのか?」


 青年の関心を他所よそに、男は水筒を手に取ると、再び口をつけた。

 直ぐにしかめっ面になり、水筒を逆さまにする。わずかなしずくが舌の上に落ちたが、水筒の尻を叩いても、虚しい音しか落ちてこなかった。


「なんだ、もうしまいかね……。……ん、ああ、それな……俺は砂漠ってのは見たことねえんだが、ここは普通の砂漠と違うんだろう?だったら、本当じゃねえのかね?」


 男は水筒をリュクにねじ込むと、船縁につかまって、よろよろと立ち上がった。


「まあ、でもここの連中も砂漠って呼ぶ事もあるし、ここでオオトカゲに乗って住んでる連中も、砂の民とか、砂の奴らって、呼ばれってけどな〜〜」


 複数の灰色の帆が、帆柱を軸に右へ左へと大きく展開し、形を変えた。強い風が甲板を吹き抜けた。


「いい風だ。はは、酔いが覚めちまうぜ。なあ、兄ちゃん。……ん、剣持ってんのかい?ああ、よく見りゃ衣の中になんか着込んでんな」 


 男は、初めて、青年が武装していることに気づくと、ため息をついた。


「またラバーフ(フリーの傭兵ようへい)かい。宰相さいしょうが女王さまを幽閉だか追放だかしちまってからは、白海の往来も自由になって、みな、ありがたがってっけどよ……物流が増えて商船も、商人も、職人ももうけて……田舎の百姓すら余った食いモン売り出せて、銭かせげるようになったけど……」


 男は、もう一度彼の身なりを見つめて、かぶりを振った。


「その分、物騒な世の中になっちまったもんだな……」


 旅先の用心の為に、剣の一振ひとふりり、薄い皮鎧の一つも持っている旅人など珍しいものでなはい。勝手に傭兵だと決め付けて苦言をていする酔っ払いに、しかし青年は気にする事なく、白海を眺めていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る