砂の民 3

 月明かりで、白い砂地は、さらに白く映えていた。その上に、点々と足跡が生じては、わずかな風とともに崩れては消えて行く。


 砂トカゲの全身を、専用の白いおおいで包み、騎乗者も白い防塵服を身にまとい、懐で娘の姿を隠している。

 辺りと同化する姿に、普通の者は、砂地の上を旋風つむじかぜが通り過ぎたようにしか見えないだろう。


 だが、砂の民の目は誤魔化ごまかせなかった。

 風切音が立ち、ザイルの身体をかすめた。いしゆみから放たれた矢が、砂地に突き刺さる。

 振り返ると、射手を乗せた砂トカゲの陰がチラホラと見え隠れした。


(なぜだ?フォーク!)


 夜中に忍んできた赤髪のモーリスに言われた時は、信じられなかった。だが、七年間つちかってきたという彼女の勘と、その真剣な眼差しに、ザイルは気付けば娘を連れて砂トカゲを走らせていた。

 しかし、フォークたちも警戒していたらしい。ザイルが砂トカゲを駆ると、すぐに伏せていた追手が現れたのだ。


(すまん、モーリス……お前たちの恩は無駄にはせん)


 ザイルは、さらに速度を上げようとしたが、急に砂トカゲは足を止めてしまった。

 突然の停止に振り落とされそうになりながらも、ザイルは懐の娘を守った。ポーラは悲鳴も上げずに、じっとしがみついている。


「どうした!?」


 見れば、前方が下り斜面になっていた。砂トカゲは、滑る以外に降りる術を知らない。無理に駆け足で進めば、立ち止まってしまう。

 追手とモーリスたちの事に気を取られていた為に、ザイルは地形の変化に気付いていなかったのだ。


 このまま滑り降りれば、上から弩の的になってしまうだろう。


「くそっ!」


 ザイルが、進路を変えようとした時、幾つかの風切音が鳴った。瞬間、砂トカゲの胴体で、鈍い音がする。

 砂トカゲは悲鳴を上げると、そのまま斜面を滑り落ちた。追手の砂トカゲたちも、それに合わせて斜面を滑り出す。


 ザイルの砂トカゲは、下まで滑り落ちると、立ち上がって進もうとした。が、直ぐに痛みでうずくまってしまう。

 ザイルは、砂トカゲの胴に刺さった矢を引き抜いた。注射器に似た造りの矢……その先端からは液がこぼれている。

 砂の民が竜を仕留める時に使う毒矢だ。


(砂トカゲにこんな物を!)


 周囲からキラキラとした輝きが湧いた。月光を反射するその砂埃が静まった時、辺りは、追手たちによって取り囲まれていた。


「なぜだ!なぜこんな事をする!」


 包囲の中から、一匹の砂トカゲが前に出た。


「ペンデェラムを渡してもらおうか……」


 声の主はフォークだった。


「父様……」


 ザイルのふところで、ポーラは息を殺してちぢこまっていた。その手には、ペンデェラムが入った布袋が握り締められている。


「ペンデェラムをどうするつもりだ?」

「宰相殿にお渡しする」

「なぜだ?」


 ザイルの問い掛けには、なぜ宰相に渡すのか?なぜ宰相派になったのか?という多くの疑念が込められていた。

 二人はしばしにらみ合った。


 疑念に困惑の色を浮かべるザイルの目。それとは対照的に、フォークの目は哀れなものを見つめるようだった。

 フォークは、懐から果実を一つ取り出した。歓迎の時にミュレッタが顔をしかめたクジャ株の実だ。


「覚えているか?子供の頃、お前とは良くこれを一緒に分け合ったものだな。この白海で唯一ゆいいつしげる果実が、私たちのご馳走だった……」


 フォークは嘆息すると、果実を握りつぶした。


「こんなものは、外の世界では誰も食わん……でも、私たちは、こんなものを大喜びしていたんだ……」


 そういうと、フォークは握りつぶした果実を投げ捨てた。


「七年前まで……私たちの世界は、狭く、小さく……そして、皆、無知だった……」


 フォークは、事情を語り始めた。


「宰相がクーデターを起こして間もなく、私たち砂の民は蜂起した。だが、女王を人質に取る相手に大胆な行動を取れるはずがない。……ある者は、散発的に宰相側の船を襲い、ある者は、女王の幽閉先を探し、ある者は……私たちのように暗殺を試みた……」


 そこまでならばザイルも知っている。あの当時は、宰相派の砂の民などほとんどいなかったはずだ。


「宮廷に忍び込み、宰相の命を狙ったのは、クーデターから一年目の事だ……あの時は、宮廷の女たちは、無理やり宰相に仕えるさせられていると思ってな……」


 フォークは自嘲じちょう気味に笑った。


「彼女たちに協力を仰ぎ、彼女たちに案内された先で、私たちはアッサリと捕まってしまった……」


 月夜の空に雲が差し掛かった。ワタのような雲の筋が、少しずつ月明かりを絡め取り始めた。周囲を囲う何人かがそれに気づき、ランタンに火を灯した。

 雲の影が流れる中、フォークは続ける。


「捕まったが、この通り自由なままだ。宰相は、捕えた私たちにこう言ったんだ。……一年、白海の外の世界を見てくるように……それさえ果たせば、全て不問にする……とな。しかも、50デニムもの大金付きでだ」

「その旅が……その旅が、お前たちを変えたのか?」


 何かを察したザイルの言葉に、フォークはうなずいた。


「最初に訪れた外の街で、私たちは、商人から高級素材とやらを紹介された。旅先で転売すれば、必ず二倍以上の値で売れると言われてな。何かと思えば、それは、砂の民が命がけで捕えた竜の鱗だった……。


 ……私たちが砂の民だとは知らない商人は、私たちがソーク束十個程度と交換していたそれを1デニムだというんだ……ソーク束十個で5シルク……1デニムなら、その20倍だ……」

 月明かりが、遂に流れ行く雲に遮られた。


 ザイルたちの周りをランタンの光と、砂トカゲたちのほのかに光る目が囲んでいる。

 砂トカゲは、人間に合わせて陽の下で活動するが、元は夜行性だったのだろう。その名残か、夜間には微かな光を反射し、淡い輝きを見せる。

 フォークの眼光は、その明かりにも負けぬほど、ハッキリとザイルをとらえていた。


「一年もいらなかった……三月みつきで私たちは……私たち砂の民が……どれほど貧しく愚かな生活を強いられていたか知らされた!」

「それは女王のせいではない!」

「女王が、外との交易を制限した為だ!」


 ザイルの反駁はんばくを遮ると、フォークは声を高めて続けた。


「かつて『砂の民』は『根の民』と呼ばれていた。千年前、女王の住う大樹の根元で生きていたからだ。根の民……要は女王の住処を守る為の奴隷だ!私たちは、大樹が消えた後も、千年間も、砂にまみれた奴隷として生かされてきた!……だが、それはもう七年前に終わった!」

「そうだ!もう奴隷じゃない!」


 黙って聞いていた仲間達も、次々に声を上げた。


「私が望むのは、クジャ株の実をご馳走だといって喜ぶ子供達のいる時代じゃない!」


 そこまで話すと、フォークは声を落とした。


「ザイル……七年間も外の世界にいたお前なら、私以上に理解しているはずじゃないか……なぜ、女王の復権を望む?」

「長年、外の世界にいたからこそ、お前以上に私は知っているんだ!」


 ザイルは反駁しながら、そっと砂トカゲの首筋に手を当てた。息はそれほど乱れてはいない。まだ少し駆けられそうだった。


「外では、宰相がもたらした利権のせいで各地で戦争が拡大し始めている。簒奪さんだつが許されるのならば、宰相の真似をする者も必ず現れるだろう。王を失った大地に咲くのは、蜜を称えた花ばかりではない。それを求める害虫も増えれば、雑草とて……」

「もういい!」


 フォークは遮ると、仲間たちに手で合図した。数台の弩が狙いを定める。


「お前の選ぶ道は二つだ。娘共々ここにしかばねをさらしてペンデェラムを奪われるか……それとも、大人しく渡して、私たちと生きながらえるかだ。女王に忠義を尽くす前に、砂の民の繁栄ぶりを見ればいい。時間さえ経てば、お前も私の気持ちが分かるだろう」


 ザイルは懐に手を入れた。しっかりと握り締められていたポーラの手から布袋を取る。ポーラは抵抗しなかった。


「そうだ。中を見せてみろ」


 ザイルは中からペンデェラムを取り出した。包囲の一人が近づき、ランタンでそれを照らした。

 炎の灯りに、赤い輝きを返すそれは、間違いなく天幕で見せられたペンデェラムだった。


「こんなもの、欲しければくれてやる!」


 叫ぶや否や、ザイルはペンデェラムを宙に向かって投げた。そして、全員がその舞い上がる光の筋に気を取られた瞬間、ザイルは砂トカゲを立ち上がらせた。

 砂トカゲは、最後の力を振り絞って包囲の中を駆け抜けた。

 慌てて、弩が放たれたが、既にその姿は闇にかすんで見えなかった。


「ほっておけ!ペンデェラムの回収が先だ!女たちを人質に取っておけば、奴も下手には動けまい……」


 フォークはそういうと、悲しげな目で、義兄弟が消えた闇を見つめ続けた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る