旅の親子 3

 

「まさか、生きて再開できるとは思いませんでしたわ……」


 港のとある酒場で、赤髪のモーリスは、両手を握りしめて、目を潤ませていた。

 周りの喧騒けんそうとは不釣り合いな光景だ。

 ザイルの隣では、娘のポーラがモーリスの部下たちと遊んでいた。絵師から受け取った絵を得意げに自慢している。


「あの戦火の中、よくぞご無事で……これほど嬉しい事はありませんわ」


 店員がオーダーを取りに来た。


「ああ、店員さん、ソークのサラダパンに、ほうれん草のスープと、リンゴ酒を……ほほ、今はお酒もたしなみますの」

女将おかみ……」


 部下の女性が横からささやく。


「何かしら?ミュレッタちゃん」

「なんで、そんな気持ち悪い喋り方してんですか?って、いたっ。足らないでください」

「うっさいわね。ザイルさんの前だから、今、一生懸命、七年前の麗しの少女に戻ろうとしてんのよ」

「少女って……女将おかみ、七年前ならハタチ超えてたでしょ」


 今度は頭を叩かれた。

 ザイルは笑った。


「元気そうで何よりだ」


 かつて王女の宮廷には、大陸各地の良家から送られた、美しい娘たちが仕えていた。

 その定員は千人に及び、古代語で千輪ラミュトルクと呼ばれていた。

 千人の乙女は、百人ずつの部隊に編成された百輪ミルトゥルクに属し、アルスと呼ばれる百人隊長に管理され、その下で少女たちはモルクという名で、ある時は侍女として、ある時は武装した近衛兵として、女王に奉仕していた。


 赤髪のモーリス……雰囲気こそ変わったが、その燃えるような髪の色と顔立ちは、ハッキリとアルスだった頃の面影を残している。


「捕虜になったモルクたちは、去就の自由が許されたとは聞いていたが……なぜ、実家に戻らなかったのかね?」


 ザイルの言葉に、赤髪のモーリスは嘆息した。


「私たちは、女王に仕える事を誓い、その命をささげた身です。それが、女王も守れず、敵に情けまで掛けられた身で、今更、どんな顔をして親元に戻れましょうか?私たちにもほこりが……」

「あたしは、直ぐに実家に帰ったんですけど、金持ちのジジイに無理やり嫁がされそうになったんで、逃げてきました」


 モーリスの言葉が終わる前に、もう一人の部下が言った。


「そうそう。レリアは家出中だよね」


 相づちを打ったミュレッタに、家出中だというレリア……これもザイルの知った顔だ。


「ま、まあ……それぞれ事情がありまして、まだ半分以上の娘のたちが白海に居付いていますわ」

「しかも、クーデターの時に裏切った百輪ミルトゥルク以外にも、結構な数の子が、王都の宮殿に再雇用されてます」


 言うまでもなく、女王不在の今、簒奪さんだつ者が宮殿の主人だ。


宰相さいしょうに仕えてるのか!?」


 レリアの言葉に、ザイルは驚いたようだったが


「だって、それ以外に食っていく方法がない子だっているもの」


 ミュレッタは、あっけらかんと応えた。


「それに宰相さいしょうイケメンだし……」


 誇りもクソもあったものではない。

 二人の部下が、ペラペラと余計な事を話す為、赤髪のモーリスは、バツの悪そうな顔をした。


「あー、まあ、なんですわ……」


 少女みた仕草しぐさいて、椅子いすにもたれると、


「喋りにくいから、いつもの言葉使いに戻しちまうけどさ……」


 乙女の成れの果てに戻った。


「事情は人それぞれ……あたしのように手に職をつけながら、女王の復権を信じて頑張ってる者も沢山いるんだよ。うちで働いてる行き遅れどもも、あたしの元部下だしね」

「誰が行き遅れですか!」


 二人の部下が同時に聞きとがめる。


「私は行き遅れじゃなくて、行って帰ってきました!」

「はいはい、出戻りさん」

女将おかみ、あたしは結婚を誓った恋人がいるんですよ!」

「この前、別れたって言ってなかったっけ?」

「別の人と誓い直しました。今度紹介します」

「また新しいのが出来たのかい?すごいね、何人目だい?紹介するのは、十人目辺りでいいよ」


 店員が食事の皿を持ってきた。

 ザイルは、沈痛な面持ちで前に並べられる皿を見つめた。眉間に深くシワを寄せている。


「ま、まあ、何はともあれ……。こうして女王の親衛隊と世話係が生きて再開したんだ。素直に祝おうじゃないか!」


 赤髪のモーリスだけ乾杯すると、レリアとミュレッタは、そそくさと食事に手をつけ始めた。幼いポーラの皿のソークのパンを切り分けてやる。

 ソークとは、この世界の主食となっている穀物だ。原料のソークきびは、砂糖黍に似た形をしており、通常は、2メートル近くまで成長した所で、頂点から一番目の節……約70〜80メートルほどを切り取って収穫する。そのまま煮込んで食べる事もできるが、粉末にしてパンにしたり、干して保存食にしたりと、用途は広い。


「所で、ザイルさんはどっちですか?」


 ポーラを膝に乗せながら、レリアが尋ねた。意味が分からず、ザイルは怪訝けげんな表情を向けた。


「だから復権派か……宰相さいしょう派は論外にしても、それ以外か」

「ここじゃ、人前で復権派って言っちゃっても、とがめる人はいませんよ」


 ミュレッタにもうながされ、ザイルはしばし沈黙した。

 手にとっていたパンを皿に置き


「あのクーデターの時まで、私は、女王の為に働いていた………。砂の民ドフィリー族の忠誠の証として、十三で奉公に上がって以来、ずっとだ……」


 虚空を仰ぎ、述懐するように続ける。


「女王にお仕えする事が私の半生の全てだった……。そして、それは今も変わらんつもりだ……白海をあるべき姿に戻す……それが私の勤めだ……」


 ザイルが復権派である事が分かると、赤髪のモーリスは、あおっていた杯をおいた。


「あたしたちも、一応はまだ復権派だよ」

「一応とは……?」


 赤髪のモーリスは、二人の部下と顔を見合わせた。そして、落胆の表情を見せると、明後日あさっての方を向いて、短い髪をかきあげた。


「あのクーデターの後……女王を助けようと思った私みたいな子たちは、そりゃ、頑張ったよ……七つの島のどこかに幽閉されてる女王を探し出す為に……下賜されてた貴金属だとか売ってお金まで工面してさ」


 赤髪のモーリスは、胸元からペンダントを取り出した。


「残ったのは百輪ミルトゥルクの時の武具と……女王さまに手づから与えられた、こいつだけさ……」


 一輪の薔薇の花のような形をしたそれは、百輪ミルトゥルクアルス(隊長)のシンボルだ。


「一年経っても見つからず、二年経っても手掛かりもつかめず、三年経っても噂すら聞こえやしない……。諦めて実家に帰る者……行き場を失ってる宰相さいしょうにかしずく者……手に職をつけてそっちの方が忙しくなる者……」


 赤髪のモーリスは、ため息をついてペンダントを胸元にしまった。


「私らだって、ここ二、三年は商売の方が忙しくてね……」


 赤髪のモーリスは、真剣な顔をすると


「それにさ……」


 テーブルの上に身を乗り出して、正面に座っているザイルに、小声で言った。


「そもそも……女王が生きてるかどうかも怪しいんだ……。生死の分からないお人の為に忠義や義務を貫くのは、限界があるってもんだよ」


 かつて宮廷に仕えた女は、かつて宮廷に仕えた男の両眼を見据えた。


「ザイルさん……その辺の事は、あんたなら知ってるんじゃないのかい?」


 レリアとミュレッタも、ザイルに注目した。彼女たちに取って、この七年間、一番知りたかった事だ。

 ザイルは、黙ってモーリスの眼差しを見返した。宮廷に仕えていた頃は、純心で、ただ美しいだけだった少女の顔は、しっかりとした目利きを備えた賢しい女性のものへと変わっている。

 ためらいながらも、ザイルは口を開いた。


「女王は……ご健在だ……」

「なぜ分かる?」


 だが、ザイルはそれ以上話そうとはしなかった。


「本当に……確かなんですか……?」


 赤髪のモーリスに、ザイルは黙ってうなずいた。


「よし、信じた!」


 赤髪のモーリスは、快活にいうと笑顔に戻った。


「ザイルさんが嘘つくはずないからね。今日から、あたしたちは同志だ!」


 ポーラは、二人のやり取りをキョトンとした様子で見ていたが、赤髪のモーリスの笑顔に安心したのか、同じく表情をゆるめた。

 赤髪のモーリスは、それに気付き


「ふふ、可愛い子だね……」


 手を伸ばしてポーラの頭をでてやった。そして、


「そうだ、ザイルさん」


 良い案が思い付いたかのようにいう。


「志を果たすには、男手一つで娘の面倒まで見るのは大変だろ……あたしたちの拠点があるラグンナ島まで案内してあげるよ。他にも仲間もいる。旅客船は足止めだし、貨物船も運賃が高くて乗れないけど……私がトカゲを借りてあげるよ。砂の民のザイルさんなら、トカゲだけで渡れるだろ」


 だが、赤髪のモーリスの申し出に、ザイルはかぶりを振った。


「ありがたい申し出だが、先に故郷の仲間に用があるんだ」

「先に、あたしたちの方に来ておくれよ。紹介したい仲間がいるんだよ」

「いや、砂の仲間と早めに連絡を付けておきたいんだ」


 なおもザイルは断ったが、モーリスは続ける。


「それは急ぐことかい?先に来ておくれよ。ザイルさんが無事だって分かれば、みんな喜ぶよ」

「申し訳ないが、大切な用があるんだ。それを済ませたら……」

「まあ、まあ、そう言わずにさ……砂の人たちって、ひとっとこに留まらないんでしょ。探すんなら、腰据こしすえれる所くらい……」


 しつこく食い下がる女将おかみを見兼ね、部下のミュレッタが立ち上がった。


「もう女将おかみ!なんで、格好つけるんですか。正直に頼めばいいじゃないですか!?」

「いや、それは……」


 赤髪のモーリスは困った顔をしたが、ミュレッタは横から二人の間に割って入ると、懇願するように両拳を握りしめた。


「ザイルさん、私たちラグンナ島に荷物持って帰ってさばかないと、今月の掛け金払えなくなっちゃうんです」


 そして、少し目をうるませて、ザイルに訴えた。


「私たちだけじゃ白海渡るのは無理だから、砂の民のザイルさんに送ってもらいたいんです……」


 案内すると言っていながら、案内して欲しかったらしい。


「じゃあ、復権派の話は?」


 赤髪のモーリスは、どかっと席に腰をおろすと、


「それは本当さ。でも、その前に、生活があるからね〜」


 呆れるザイルに抜け抜けと言ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る