旅の親子 2

 青年は、自分の画材を置いていた道端に親子を案内すると、床几しょうぎを取り出して広げた。

 父は、ロバから娘を下ろし、床几に腰掛けさせた。青年が父親の分の床几しょうぎも用意しようとしたが、立ったままでいいという。


「いやあ、助かりました。竜が出るとかで船が出せなくて……足止めを食らった分、毎日、宿賃を稼ぐのが大変なんです。朝から声をかけて、お二人が一人目のお客さんですよ」


 自身も床几に腰を下ろし、低い画架を立てた青年は、緑の葉が付いた小枝のような物を取り出した。枝の先端を外すと、それが筆だということが分かった。


「それ、なあに?」


 好奇心に、少女は床几から立ち上がると、絵師のもとに寄った。


「はは、絵を描く筆だよ。可愛いお嬢さん、お名前は?」

「ポーラ!」


 絵師の青年は、ポーラの小さな手に筆を取らせると、他の道具も出してみせた。


「その筆はルジアナ連邦の町……ほら、精霊使いで有名な所、知ってるだろ?そこで買ったんだ。こっちの絵の具は、カラクリ工芸で有名なメギンドの町で……」

「ルジアナ産か、大したもんだな」


 父親も関心した様子で、娘から筆を受け取って眺めた。枝の形をしているが、明らかに人の手で加工された代物だ。飾りの葉は、銀糸と樹脂で作られており、葉脈まで再現されている。


「ええ、十年前なら考えられない事ですよ。ルジアナやメギンドに行こうと思えば、ちょっとした冒険でしたからね」


 絵師は筆を返してもらうと、ポーラに座るようにうながし、薄赤い絵具で当たりをつけ始めた。


「昔は、ルジアナに行くなら、白海しらうみを大きく迂回うかいしながら、ミレンザー山脈を越えて、ゲルンダンの大森林を突っ切ったりして、半年以上はかかったものです。旅費だって馬鹿にならないし、命の保証だって……でも、それが今じゃあ……」


 絵師は、水桶で筆を洗うと、港の船に羨望せんぼうの眼差しを向けた。


「白海を横切るだけで、十日もあれば着くんです。いや、早い時なんて五日で着いちゃうんです。五日ですよ、五日!」


 当たりを付ける為に使ったインクが乾いて消える前に、今度は下地となる色を塗り始める。


「お陰で、昔は何デニムもした画材が……この下描き用の特別なインクだって、一桶1デニムしたものが、今じゃ数シルクで手に入るんです」


 絵師の言葉に、少女の父親は、少し不愉快ふゆかいな顔をしたが、


「なるほど、沢山ある船は輸送船か。久しぶりに来たら、随分ずいぶんと船と人が多いんで驚いていたんだ」


 声音には出さなかった。


「ええ、簡単にどこにでも行き来できるし、港町にいるだけで、色んな国の物が手に入るんです。それに……」


 話しながらも手慣れた手つきで、肌と衣服と髪の下地を塗って行く。ベタ塗りだが、ここに光沢や陰影を入れて、写実画風に仕立てるつもりだった。


「私の故郷では、貧しい人が多くて……。私の幼馴染おさななじみも、相続する土地も資産もないものだから、日頃はつぶて打ちで野鳥を獲って生計を立ててたんです。合戦が起きた時なんかはインジー(最下級の石打ち傭兵)になって日銭を稼いでいたんですが……知ってますか?インジーの日当。戦場でバルサルク相手に石を投げて、巻き込まれる前に逃げて怪我して、それでもらえるのが、たったの1シルクと、ソークのパンを一袋とかだけなんです」


 絵師は、しゃべりながらも、目線は少女とキャンパスを交互に凝視していた。

 太陽が中天に近付き、日差しが強くなり始めた。父親は娘の横に屈むと、陽光を遮るために頭巾を目深にかぶりなおした。

 そろそろ昼食どきだ。


 近くで女性の甲高い怒鳴り声が聞こえた。

 船着場と街頭の間。船の荷置き場になっている所だ。

 見れば、年季ねんきの入った防塵服ぼうじんふくを着た三十前後と思われる女性が、船員を相手に何かまくし立てている。赤いショートヘヤーに美しい顔立ちだが、その険しい表情からは、上品さは欠けらも見られない。その後ろには、同じく防塵服とフードと仮面(白海を旅する時の一般的な衣装)に身を包んだ、小柄な部下が二人付き添っている。

 一瞬、絵師は気を取られたようだったが、直ぐに話を続けた。


「何を怒ってるんでしょうね……あ、それで、交易が自由になってからは、船もそこで働く人も増えて、幼馴染は今じゃ船乗りとして働いてるんです。景気のいい時なら、日に30シルクは稼ぐと言ってましたよ。本当に……」


 感嘆のため息をついて話し続ける絵師の様子に、父親は表情を強張らせた。


「本当に、宰相さいしょうには感謝しかありません」


 急に、少女の父親は立ち上がった。


「どうかしましたか?もう少しで仕上げますから、待ってください」

「いや、古い知り合いがいたのでね、少し声をかけてくる」


 そういうと、目深にかぶり直した頭巾の奥で、苦々しい顔を隠しながらつぶやく。


「ここでも、どこでも、宰相さいしょう宰相さいしょうか……」


 父は、娘の姿を確認し直してから、さきほどから船員と揉めている女性の方に歩いて行った。

 

 

「だから、なんで荷物の運賃が一日50シルクもするのさ!あたしたちの荷物なんて、たったのこんだけだよ」


 赤髪の女は大袈裟おおげさな身振りで、ロバに引かせた一台の荷車を指し示した。


「だから、量の問題じゃあ……」


 船員が対応しかねていると、桟橋さんばしの方から別の船員がでてきた。


「よお、姉さんよ。他の客人に迷惑だ。静かにしてもらえんかね?」


 防塵用のフードと仮面を付けているが、年季の入った声と、首回りに下げた派手な首飾りからみて、こっちの船員の方が上役らしい。 


「竜が出たんだ。砂の案内賃と護衛代上乗せしたら、高くついちまうんだよ。俺たちがボッタクってる訳じゃねえんだ」

「はっ!竜除けの鈴付けてるのに、なんで護衛が必要なのさ!」

「最近は、鈴が効かない奴が増えてるんだよ」


 言いながら船員は、荷車のおおいをめくった。


「それに、こいつは乾物だろ。こういう竜が好むもんを積荷に載せるんなら、その分、駄賃だちんを上乗せしねえとな」

「ふざけんじゃないよ!」


 女は、三白眼さんぱくがんに口までとがらせながら、


「白海を動き回ってる島にたどり着くまで、何日掛かるか分かんないんだ。一日50シルクなんて出してたら、3日で赤字だよ!」


 なおもまくし立てたが、船員は、もう女を、相手にする気はなかった。


「だったら、運賃の代わりに、赤色持ちのバルサルクか、オノイヤ人の団体客連れてきな!それも無理なら、トカゲでも借りて勝手に行きゃあいいだろ!」


 そう吐き捨てると、最初に対応していた船員を連れて、桟橋さんばしの方に戻ってしまった。


「おい!ちょっと待ちなよ!……クソッタレが……」


 悪態をつくき


「こら、何あたしらの荷物触ってんだよ、オッサン!」


 赤髪の女が、船員の次に怒声を浴びせた相手は、少女の父親だった。


「これは失礼。しかし、あの麗しの少女が、変われば変わるものだな……」


 そういうと、少女の父親は、赤髪の女の顔をまじまじと見つめた。


「な、なんだよ、オッサン!」

「百人隊長を務めた娘が、学んだ作法や言葉使いまで忘れてしまったのかね?」

「百人隊長?何を訳の分からない事……」

「いや、あそこの呼び名は、そうじゃなかったな……確か、古代語の花の名前でいうんだったか……百輪ミルトゥルクアルス


 女の三白眼が丸くなった。二人の部下も顔を見合わせた。


「あんた、あたしの事知ってんのかい?」


 少女の父親は頭巾を脱いだ。


「七年ぶりだな、赤髪のモーリス」


 丸くなった目が、大きく見開かれた。


「え、やだ……ザイルさん……?」


 女の口からこぼれた声音は、麗しの美女に相応しいものだった。

 

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