色々なものを壊してきた。
……湖より離れた林の中、鴨兵衛とおネギの二人は小さな焚き火を挟んで座していた。
「追いつかれるなら時は何をしても追いつかれます。だったら濡れたまま下手に動き回って体力を消耗するよりも、留まって体を乾かした方がマシかと。ここでしたら周囲の草木が灯りを遮ってくれますし、覆う枝葉が煙を散らしてくれるのでピッタリです」
そう言ってこの場合を見つけたのはおネギだった。これに頷いて見せるやテキパキとそこらの枯れ枝を集めて組んで、擦り合わせて火を点けたのも、そして濡れた着物を先に脱いだのも、それを広げて周囲囲いを作って光が漏れるのを遮ったのもおネギだった。
この状況下ですぐさま成すべきことを見出し、成していく、このテキパキとした手際に鴨兵衛、これぞおネギが帰ってきた、との感じではあった。
……なのに鴨兵衛、落ち着かない。
こちらも褌一丁でいるのもあるだろう。愛刀失い本当の刀無しになったのもあるだろう。あれだけ派手に暴れた直後というのも、大罪人として追われているというのも多分にあるだろう。
だが、そんなことよりも、気がかりなのは、焚き火を挟んで反対側に座する、おネギであった。
一糸纏わぬ姿で膝を抱え、ボンヤリと小さな焚き火を見つめる姿は神秘的で妖艶な美しさ、けれどそれ以上に、吹けば消えてしまいそうな儚さがあった。
例えるならば煙か霞か、見えはするが触れようと手を伸ばせばそれだけで、霧散して消えてしまうような、感じ。なんなら目に前の姿が夢幻と言われても信じてしまいそうな危うさがあった。
……ここまで来る間に会話もできたし触れることの確かにできた。
この場合、留まる考え、焚き火、着物を脱ぐということ、鴨兵衛一人では到底思い付かない。
だからいる、いるのだと、静かに何度も自分に言いかせていた。
「……なんで」
ビクリ。
そこへ投げかけられたおネギの呟きに、鴨兵衛の身が刎ねる。
動揺、不安、アクセクしている鴨兵衛を見ず、おネギはジッと焚き火の光を見つめ続けていた。
「なんで、助けに来たのです?」
叱られてるのも違う普通の声の問いに、無数の答えと言い訳が浮かび上がる鴨兵衛、けれどそのどれが正解か分からず、間違えれば取り返しのつかないという根拠のない恐怖から、舌が動かなかった。
……時間切れ、とでも言うかのようにおネギ、自分の膝に顔を埋める。
「あたしは、鴨兵衛様との旅、楽しかったです」
呟くようなおネギの声に、ここは黙って聞くべきだと鴨兵衛、判断する。
「色々な場所を巡って、迷惑かけて、謝って、新しいものを見たり聞いたり触ったり、それで、良いことをして、旅立つ。大変な時もありましたけど、けれど嬉しいことの方が、多かったです」
おネギの声は小さいながら、本当に嬉しそうに、楽しそうに聞こえる鴨兵衛、だからこその不安があった。
「……でも、それが段々と怖くなったんです」
不安が的中したかのように、おネギの声が沈む。
「あたしだって、この旅がずっとずっと続くだなんて、思っていません。いつかどこかで、終わりが来る。そして、鴨兵衛様とも、お別れする時が来る」
気が付けば、おネギの膝を抱える指が赤く染まっていた。強く握ることで耐えているのだと、鴨兵衛にもわかった。
「いつもは忘れてるんです。けど、夜とか、一人になると思い出して辛くなる。こう言うのを『寂しい』って言うんですよね。こういうの初めてで、どうしたらいいかわからなくて、そしてたら、次光です」
ゾクリ。
最後の一言に、何故か鴨兵衛寒気を覚える。
「天下の暗君、あの夜の宿敵、生きて意識が戻ったとなれば、あたし達を捕まえようとしてくるに決まってる。統一幕府相手では、流石に逃げられない。だから殺すことにしました」
独白、これにかける言葉は感謝か、叱責か、説教か、様々浮かぶもどれも違うと迷う鴨兵衛前にして、おネギは続ける。
「伝え聞く性格から、あたしを捉えれば間違いなく生きて連れてこいと命じる。更に言えば自分の手で、となるでしょう。それが隙、一番確実に側によれる手段、むしろ殺すのに他の手なんか思いつきませんでした」
「おネギ」
なんとか出た声、名を呼ぶ鴨兵衛に、おネギは弱々しく微笑み返す。
「もちろん、殺した後に、逃げることは無理です。例え上手く殺せても、あたしは捉えられ、遅かれ早かれ処刑される。けど、これがお芝居だったら、最高の終わりじゃないですか? 稀代の暗君打ち取って、鴨兵衛様も守れて、あたしも……」
悲痛な声、おネギは両膝に顔を埋めた。
「……あたしも、綺麗に終わることができたのに」「おわっちゃあ!!」
おネギの言葉を否定するように響き渡ったのは、鴨兵衛の奇声であった。
膝より顔を上げて見ればその鴨兵衛、右腕肘の辺りを左手で摩りながらフーフーしていた。
咄嗟のこと、無意識の行動、鴨兵衛、おネギのあまりの言葉に思わず伸ばした腕、けれど間には焚き火がボーボー燃えていた。
その火が見えなくなるほど慌てていたのに、その火に焼かれて何も言えていない。鴨兵衛はこの上なく不器用であった。
……情けない。
鴨兵衛、痛みとは別に涙目となる。
あのまま独白を許していたら、いずれまたおネギが何処かへ行ってしまうだろう
根拠はないが確信できる恐怖に、やっと動けたと思えばこれ、一番大事な時、言わなければならない大切な言葉が、熱さの悲鳴で消えてしまった。
不器用で間抜け、それでもなんとか、思い伝えようと言葉探す鴨兵衛を前にして、おネギはスクリと立ち上がる。
ト、ト、ト。
そして焚き火を回って鴨兵衛の前へと立った。
晒す白い肌、焚き火の光が反射して良くは見えないが、それでもマジマジ見るべきものではないとは、わかっている。しかし鴨兵衛それ以上に、僅かでも目を逸らせば、おネギがどこかへ消えてしまうと、わかっていた。
トン。
そうして強張る鴨兵衛の胸、摩る腕と摩られる腕の下、ガラ空きの懐中へ、おネギは倒れるように飛び込んだ。
「おね!」
あまりのこと、突如のこと、いきなりのこと、混乱、困惑、硬直、何もかもが頭の中でひっくり返って、結果何もできずに全身強張らせる鴨兵衛、それが返って胸に当たる髪の冷たさ、脇に触れる指の細さ、足に乗る体の軽さを際立たせた。
これは、このままでは、マズイ。
思い、軋む体を無理矢理動かして、それでできたのは視線を落とすことだけであった。
濡れて艶やかな髪、小さな旋毛、白い肩、その小さな体が、震えてるのがわかった。
寒いからではない。
おネギは、泣いていた。
その、まるで幼子のような姿に鴨兵衛、そうだ幼子なのだと思い出す。
これが本来の、あるべき姿らと、そしてようやく、幼子に戻れたのだと、思い至った。
鴨兵衛、強張る全身より力が抜ける。
おネギがやっと帰ってきたのだと、安堵の息が抜けた。
ゆっくりと鴨兵衛、摩るのを止め、空いた右手をおネギの頭にのせる。
そしてぎこちないながらできる限り丁寧に、優しく、その髪を撫でるのであった。
…………鴨兵衛、この旅に限らず、高価なもの、大事なもの、取り返しのつかないもの、色々なものを壊してきた。
しかし、一番大切なものは、壊さずに済んだのであった。
かたなし鴨兵衛、また何か壊した。 負け犬アベンジャー @myoumu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます