酷いオチであった。

 ……思い返してみれば、ありえないことであった。


 いきなりの射撃、咄嗟の回避、狭い遮蔽物、だからといっておネギが、端より着物の裾が見えている、などのヘマをするわけがなったのだ。


 絹を裂くような悲鳴と、その残響を耳に残しながら大急ぎで鴨兵衛、鞘を戻し橋より離れて木の陰、隠れたはずの裏を覗き込めば、そこにはただ着物と帯だけが枝にかけて残されてあった。


 その二枚を右手でひったくり、残る荷物を左腕で抱きかかえて吊り橋へ、その足に躊躇なく、風や揺れや軋みなどを踏みつけるような駆け足、走り渡る。


 向かう先に見えるは二人の陰、一人は北六、今しがた悲鳴を吐き出し続いて泡を吹いてばたりと倒れていた。


 そしてそれを見下ろすのがもう一人、一糸纏わぬおネギの背中であった。


 ……どのような道筋辿ったかは定かではないが、おネギ、木の陰に隠れるや着物を脱いで引っ掛け、袖だけ出してさもそこにいるかのように偽造していた。


 そして二人が吊り橋挟んでとやかく言い合ってる隙にどこからか回り込んで吊り橋の裏へ、ヤモリのように渡っていた。


 鴨兵衛がやっと見つけたのは渡りきる間際、見つかっては一大事と下手なりに北六の気を引こうと口を動かしていたが、上手くいったかどうかは難しいところであった。


 ともかくも、北六を撃退したおネギ、冷たい眼差しで見下ろして、それに飽きたか振り返るのと、吊り橋渡りきれてない鴨兵衛から着物と帯を投げ渡されるのはほぼ同時であった。


「そのように慌てなくてももう終わってますよ」


 着物を前に抱きかかえ、クスリ笑うおネギを前に、鴨兵衛は大きく息を吸った。


「おネギ!」


 そして吐き出されたのは、大きな叱責であった。


 残響、響く中、消えていくのと同じくしておネギの表情から笑みが、余裕が薄れていった。


 しまったキツく言いすぎた、後悔する鴨兵衛であったがしかし、それを取り繕う言葉が咄嗟には出ず、それ以前に慌ててて走ってきた反動、息が乱れてそれどころではなかった。


 鴨兵衛ゼェハァ、してる間におネギ、着物に顔を埋める。


「……あたしは、ちゃんとできるんです」


 くぐもった声が漏れ出てくる。


「写し身の術も、この程度の吊り橋を裏から渡るのもちゃんと出来ました。鴨兵衛様、あたしはまだできるんです」


 これまでとは打って変わって、らしくない、自信なさげな、泣きそうな声、原因作った鴨兵衛、狼狽する。


 あたふたして、それだけな鴨兵衛におネギは続ける。


「あの屋敷のことも、あたしはできました。畳の裏、落とし穴、あれだって最初踏んだ時は驚きましたが、ちゃんと回避できたんです。下に人がいることも、わかって、だから一度ろうそくを持って、それから入ったんです。鴨兵衛様なそうするだろうと、そうした方が喜ぶだろうと、ですが、思ったより深くて、牢も丈夫で、でも時間さえもらえたなら、今度は天井から脱出出来てました。ちゃんと、できたんです。鴨兵衛、ですからあたし」


 ここまで言われて、やっと鴨兵衛にも理解が届いた。


 おネギが真に恐る事は、鴨兵衛に見捨てられる事であった。


 そうなった、知る鴨兵衛、無理して肺奥より息を絞り出し、新たな空気を取り込んで呼吸を整える。


「おネギ」


 やっと出せた鴨兵衛の普段の声でも、おネギはビクリと跳ねた。


「お主は、できていた」


 言葉に、おネギはそっと顔を上げる。


 その顔、呆けてるような表情に、鴨兵衛は静かに頷く。


「昨夜の事、確かに考えることはあっただろう。下にもぐる前、せめて俺に一言か、伝言の一つも残すべきであったやもしれん」


「それは、はい」


「だが、だがだ」


 折角上げたのを下げてしまって鴨兵衛、慌てる。


「だが、ろうそく持って灯りを持ち込んだこと、落ちてなお天井まで登り脱出を図った。そして落ちてきた俺が、あわや先の語り手を叩き潰そうとしたのを身を挺して庇った。ここまでできて、できないわけがなかろう。……いや、違うな」


 自分で語った言葉を否定して鴨兵衛、少し考えてから、思いのたけを語り出した。


「おネギ、お主は別に、できなくてもよいのだ」


 この言葉に顔を上げるおネギ、その横で縄が切れた。


 吊り橋吊るす四本の内の一本、鴨兵衛から見て左上側、最ほどまで北六がノコギリで切りつけていた当たりがプッツリと、恐らくは相応の音がしたであろうがしかし、この話の大オチ、集中していた二人は聞き逃していた。


 気が付いたのは大きく揺れたから、風もないのにぐらりと揺れて傾いて、慌てて踏みとどまる鴨兵衛、その身を支えようと空いてる右手伸ばして残る三本の内の一本、右上の縄を掴んだ。


 途端、バツ、と短い音たてて、縄が、切れた。


 正しくは、鴨兵衛が、掴み切ったのだった。


 引きちぎったのでも、むしり取ったのでも、磨り潰したのでもなく、握る握力にて、絞り潰すしての、切断であった。


 目撃したおネギも、しでかした鴨兵衛自身も信じられぬ光景、強いて言うなら前歯で噛みちぎるに似た切断を素手で行うという、想像絶する握力であった。


 咄嗟に出た馬鹿力、これでもし手を掴まれたら、と思い浮かべるおネギ、そこからあの時手を取らなかった意味に「あ」と気がついた。


 一方の鴨兵衛、上縄二本失った吊り橋の上、激しさ増す揺れに耐え切れず両手をついて四つん這い、しがみつくことでガクリと角度のついた吊り橋、その残る二本、縄が崖の縁に押し付けられ、揺れて擦れて削れて解れていった。


「いや待て待て待て待て待て!」


 言葉だけでは止められず、縄は切れ、吊り橋、落ちた。


「ぬあああああああああああ!」


 絶叫残して鴨兵衛、吊り橋と共に落下する。だが途中で下から横へと流れが変わるはまだ対岸四本残っていたからであった。


 ビターン!


 張られていた吊り橋が横から縦に、吊られて今や縄はしご、激突したのは対岸崖側面、顔よりいった鴨兵衛であったが、脇に荷物抱えたまま、なんとか落ちずに済んでいた。


 だが無情、下から鴨兵衛、対岸からおネギが見てる前で、対岸縄四本、括り付けられている柱がズルリと傾く。


「待て待て待て待て待て!」


 言葉だけでは止められないのは同じ事、ズッポリと抜け落ち、落ちた。


「ぬあああああああああああ!」


 更なる落下、棚引く吊り橋、それにしがみつくしかない鴨兵衛、向かう先は底の川であった。


 ドッポーン!


 朝方の雨もあってか水嵩多く、流れは滝が如く激しくて、その中を浮き沈みしながら流されていく吊り橋残骸に、鴨兵衛はなんとかへばりついていた。


「もががががががががががががが」


 沈んではいないが泳げてもおらず、ほぼ溺れている状態で流されていく鴨兵衛、その姿を呆然と見送っていたおネギであったが、すぐに気を取り戻し、着物を着直すや、風のような疾走でその後を追いかけていった。


 ……酷いオチであった。

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