なかなかに不気味であった。

 百物語参加にあたり、必然二人は村に残ることとなった。


 夕食は各家々から掻き集められた食べ残しの粥、一晩明かした村長の家はやぶ蚊が酷く、しかも夜明け前に村長が回復するもあの後の顛末を知らず、鍬を持っての夜襲があった。


 寝た気のしない朝を迎えるとそこかしこで喧嘩声、聞くともなしに聞けばどれもが夫婦喧嘩、原因は二人だと明らかであった。


 これに居心地の悪い鴨兵衛、不器用ながら間に入ろうとするもの冷たく睨まれるだけで効果は薄かった。


 雑務労働も断られ、それどころか村長家から顔を覗かせるだけでピシャリと戸が閉まる音が連なった。


 何もできぬまま昼飯時に、薄い粥を出されて箸をつけていると、村長息子の嫁らしい女からさも当然のことと、銭を求められた。


 ただでさえ薄いのに割高となった粥を啜った後、夜に備えての昼寝、そこに子供らが集まってきた。


 初めは遠巻きに、ただ覗き込んでくるだけであったが、半分寝ている鴨兵衛に反応が欲しいと声をかけ、音を出し、騒いで、睡眠を妨害した。


 これに所詮は子供のすることと放っておいた鴨兵衛であったが、流石に石を投げ込まれれば起きて追いかけたくもなる。しかし家を出るや出迎えるは子供を守る女衆、冷たい刃の視線を集めて鴨兵衛をけん制した。


 ここに村長息子の一人が入ってことなきを得て、半端に眠って、ようやっと夜となった。


 夕食はなし、食べると眠くなりますからと言いくるめられ、空腹を感じつつ村を出た。


 闇が深いからか、夜の風は存外に冷えたが、それ以上に村は冷たかった。


 ……ここまで散々な扱いは、二人の旅でも初めてのことであった。


 これまで鴨兵衛の不器用さに揉め事は多くあったものの、その大半は見下し侮るもの、それはそれで好ましくはないものの、しかしここまで露骨な敵意を受けるのはなかなか思い出せることではなかった。


 しかも、この村ではおネギが通用しなかった。


 いつもならばあの愛嬌を振りまき間を繋ぎ、誰が相手でもそれなりに良い関係を築けるものもであったが、今回は最初から話さえ聞いてもらえず避けられていた。そのなかで唯一寄ってくる子供らとなんとか会話を試みるも、挨拶が終わる前に女親に見つかり、すぐさま引き離されていった。


 このような扱い、思い当たる節はやはり昨夜のコテンパンであった。


 返り討ちとはいえ叩きのめされ、居座るよそ者、口では助けると言ってはいるが、おいそれと信じられるものでもない。


 だから敵対心を抱きつつもその力に怯えて距離を取り、冷たく接する。


 これが嫌だから早々に旅立ってきたのだと、鴨兵衛は思い出していた。


「もうすぐですよ」


 ぼんやり歩いてた鴨兵衛へ、声をかけたのは先を行く村長息子の一人、元より今夜の百物語に参加する予定だったのことで案内と他の村の村人との顔合わせ、それに百物語にも参加するとのことであった。


 何が入っているのか大きな篭を背負う背中を見ながら、進む道は、右手側は鬱蒼とした森、左手側は切り落ちる崖であった。


 森の奥で光るは鹿か猪の目、聞こえる羽音は蝙蝠か梟であろう。


 一方で崖は見下ろさずとも流れる風の音で深さが知れた。その中に混じる水音から底には川が、それと滝もあると聞こえていた。


 夜空には星が輝いているが月は見えず、先行く息子のろうそくの灯りがなければ飲まれそうな闇が広がっていた。


 ポ。


 その道を進むと崖とは逆側、森側に奥へ突っ切る新たな道、その先に無数の火が動いていた。


 事情を知らねば鬼火と見えるそちらへ向かえば、合わせて八人、火のついたろうそく持つ男たちが先に集まっていた。その足元にも大なり小なり篭や風呂敷、荷物があった。


「そいつか?」


「そうです。昨日話した、旅の参加者です」


 挨拶抜きのやりとり、気さくとは少し違うが硬くはない会話に、彼らは彼らで顔見知り同士のようであった。


 一方で部外者である鴨兵衛の顔はみなジトリ、正しく不審者を見る目つきであった。


「逃げるなよ。話がややこしくなる。わかったらさっさと入るぞ。準備もあるんだ」


 八人のうちの一人、頭を丸めた男が言う。


 一瞬寺の坊主に見たが服は袈裟ではなく農民のもの、首に数珠らしきものも見えるが明らかに数珠玉の数が足りてはなかった。


 恐らくは見よう見まね、いや聞き齧った知識で寺坊主を真似たのであろう。背後の男らも同じ、木札に何か書いてお守りのようにしているもの、顔や手足に泥で何か文字を書き染めているもの、邪気を払うと言われてる炒り豆を一粒づつしゃぶるもの、その他精一杯何かしらしているものが並んでいた。


 その顔色が青く見えるのは暗いからだけではないだろう。


 寄り添い、静かに息を潜めて、けれども小刻みに震えることは止められてはいない。


 みな、この夜を、百物語を恐れていた。


 無理もないこと、何せ相手は得体のしれない怪異、何がどう作用してよくなるのか悪くなるのかさえもわからない。


 それでもここに集まり、なお百の怪談を語ろうとするのは勇気、ではなく考えた末にそうしなければ助からないと至ったに過ぎぬだろうと、鴨兵衛は感じ取りながら、足元の荷物を持ってぞろぞろ中へ入る男らに続いた。


 しばらく歩いて、現れたのは立派な、けれども寂れた門であった。カビ、蔦、ヒビ、軽く見ただけで人の手が入らなくなって数年は過ぎたと分かる。それでも作りは豪勢、流石は副将軍の屋敷だと思わせた。


 その門を潜り、敷地に入ればやはり立派な、そして寂れて、それ以上に何かを感じさせる屋敷があった。


 見てくれは門と同じ、けれどもそれ以外に、確実に、何かとは具体的には言えないものの、良くないものを、鴨兵衛は感じ取っていた。


 それでも止まらぬ男ら続き館の中に、暗いが立派と分かる玄関では誰も履物脱がずに土足で上がって奥へと進む。


 破けた障子に抜けた畳、蜘蛛の巣かかった天井となれた足取りで、だけどもつっかえつっかえでたどり着いたのは比較的まともな一部屋であった。


 元は何の部屋かは想像もつかないが十人以上が入ってもゆったりできる広さ、板間の床は泥に汚れているが座布団代わりの畳が敷き置かれてあった。それらが囲む中心には季節外れの四角い火鉢、ただし中には炭ではなく溶けたろうそくの残骸が乗っていた。


 その横に萎びた木の葉の塊が投げ入れられる。


「蚊取り草だ。蚊除けになる」


 そう言って男はろうそくの火を移すと、白い煙が立ち上り、あっという間に部屋中が良い香りに燻される。


 その横にろうそくが刺さると、他の男らも各々荷物を置き解いていく。


 塗りの禿げた椀に大きな樽、それと柄杓、火打ち石に打ち金に、木彫りの仏像もあった。


 そしてバラリ、村長息子が持ってきたのはろうそくの束であった。


「なかなか良いの持ってきたじゃねぇか」


 誰かが言う。


「売り物なんです。もうこれに手をつけなきゃならない。事情はそちらも同じようなものでしょ?」


「あぁ。次にうちの村が来たら、もう用意はできねぇ」


「おいふざけるな! こいつは持ち回りだろ!」


「ねぇもんはねぇんだ! これ以上うりもんのろうそく出せってんなら百物語の前に貧乏で死んじまう! それぐらいなら俺ぁこの村出てくしかねぇ!」


「静かにしろ。今晩こそ百物語を終わらせれば終わるんだ。それできっと終わる」


 誰かと誰かのもめ事へ誰かが発した言葉に、男らは無言で頷いた。


 百の物語、語り終われば終わることができる。


 だが、きっと、は絶対ではない。


 もし百物語が終えられたとしても、それだけで、まだ怪異は残るかもしれない。あるいはまた別の怪異を呼び寄せ悪化するかもしれない。


 余計なこと、場を壊すだけだと鴨兵衛は口を噤んだ。


「じゃあ、行くか」


 ゴクリ、息を呑んでから、男らは幽霊のように立ち上がった。

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