覚悟の決まった目をしていた。

 鎮火と治療、全てが収まったのは日が暮れてからであった。


 本殿は全焼、焦げ跡から祀られてあった鏡が出てきたが、煤だらけでヒビも入り、惨憺たるものであった。


 怪我人も沢山、骨折に打撲、煙を吸ったもの、心を打たれたもの、死者こそ出ていないものの、心身ともに治療には長い年月が必要なものばかりであった。


 その中で最も重症なのが兵藤、老巫女であった。


 両手の骨折は馬の後ろ足に蹴り飛ばされた時、背中の傷は神社本殿に蹴り入れられた時、右足を挫いたのは中に落ちた時で、喉を痛めたのは炎に囲われた時、そして顔にできた擦り傷は助けに入った鴨兵衛により外へと放り出された時に負ったものであった。


 初めは意識を失っていたが、頭から水をかけられると覚醒し、痛みに呻きながら条項確認、適切に指示を飛ばして、それでやっと終わりが見えたころにまた気を失っていた。


 そして再び目を覚ました時には、倉の中に寝かされていた。


 ガバリと身を起し、その際の激痛に顔を顰め、それでも見回した先に、ふんどし姿の鴨兵衛がいた。


 倉庫の出入り口横、消火用の水桶、その中に手を入れジャバジャバ、引っ張り出すは己の着物、その色はすっかり醤油に染まっていた。


「どうやら助けられたようだね」


 老巫女の声に鴨兵衛、振り返る。


「まだ寝ていろ。折れている」


「わかっておる」


 応える老巫女、その両腕と右足には添え木代わりの竹がしっかりと結び付けられ、背中や額には油薬がねっとりと塗られてあった。


「これはまた、銭をはずんでやらないとならないかね」


「何、気にすることはない。知らぬ仲でもないからな」


 応えながら鴨兵衛、水桶から着物を引っ張り上げると、絞らずに掴み、水気を絞り出す。


 ジョバジョバと垂れる水は醤油色、漂う臭いもまだ不思議と食欲を刺激した。


「それで、どこまで聞いておる」


「……あの兄弟、奥太郎、奥次郎とその取り巻き達が馬に乗ったまま乱入、怪我人出して、富くじの売り上げを持ち去った。それを止めようと太刀肌がったら馬に蹴られてその怪我、付け火は事故だと、巫女は話していたが」


「そこまではよし。その後は、他のものはどうしておる?」


「……自分の目で見た方が早い」


 そう応えて鴨兵衛、まだ湿っている着物を着直し、そして戸をきしませ開け放った。


 途端に沸き上がるざわめき、そしてどいた鴨兵衛の奥、上半身を起こしている老巫女の姿に安どの息を吐くものたち、彼らはみな武装していた。


 青竹を束ねて重ねた簡素な鎧に兜、先端を斜めに切っただけの焼け槍に、松明だけが木製であった。


 そんなのがずらり、男女問わず、中には目をこすりながらの子供の姿もあるが、全員が覚悟の決まった目をしていた。


「巫女様!」


 上がった男の声に老巫女、痛みを堪えながら右手を上げて応える。


「……これで全員、なわけないな?」


「残ったのは半分だそうだ」


 外に漏れ出ない程度の声で老巫女に問われ、同じ程度の声で鴨兵衛も応える。


「残りは兄弟の屋敷を囲いに向かった。若い巫女もついていって止めているが、あれは、無理だろう」


「おい」


「わかっている」


 ……太平の世、いかなる理由があろうとも、集団が武装して集まることは禁忌であった。


 このような場合、自分らで制裁を貸すのではなく、上に、役人にお伺いを立ててから、その御指示に従うが人の道、そこから外れる行為は如何に大義があろうとも天に仇名す行為として、厳しく罰せられる。


 それは、一定以上の学があるものにとっては常識であった。


 しかし、その学がある頭で考えれば、こうするほかないのだとの考え、確認するため、鴨兵衛は声に出す。


「聞いた限りでは、あの兄弟はここらの馬を握っている。それに彼らへの借金をこさえているものも少なくないと。それだけの金持ち、となれば年貢の払いも良いのであろう。対してこちらは数は多くとも決して富んでいるわけでもない。互いの言い分がぶつかれば、上がどちらの味方になるかは明白、だから普段は泣き寝入り、だが今回は、やりすぎた」


「あぁそうだとも。これまで溜まってた不満、富くじだのなんだので騙してきた怒りが、これで決壊したのだ。後は流れて押しつぶすだけよ」


「そして残されるのは、禁忌を犯した罪人の山、この神社も巻き込まれること必至、誰一人として得はない。だだしその前に、兄弟が討伐されれば別の話だ」


 応えながら鴨兵衛、右袖を左手で握り、雫を絞り出す。


「とある旅のものが屋敷に押し入り、兄弟とその取り巻きを打ち据え、いくらかの金品を強奪していった。村のものたちは各々武装し、その旅のものを追ったが行方は知れずに終わる。後日、不思議と盗まれた金品と同じ額が怪我人と神社に寄付された。万事めでたしめでたし、だ」


 そう言って鴨兵衛、戸から外へと向かう。


「待つのだ」


「気にするな。これは本を馳走になった分だ」


「鴨兵衛!」


 その背に、怒鳴りつけられ鴨兵衛、足を止めて振り返る。


 老巫女は、ヒビの入った足で震えながら立ち上がろうとして、鬼のように吊り上がった形相で、鴨兵衛を睨みつけていた。


「確かに、おぬしの言うとおりだ。そのように動けばすべて上手くいく。おぬしらならそれぐらいできるだろう。むしろそうしてくれとこちらが頼みたいぐらいだ。何なら銭だって出す。しかし! そのために血を流させるわけにはいかん!」


 ゲホリゲホゲホ、せき込む声を聞いて改めて振り返る鴨兵衛に、老巫女は真剣な声を吐き続ける。


「おぬしらの過去、事情、ワシに触れられるものではないとわかっておる。しかし、しかしだ。一度でもここの粥を啜ったものが、その手を地に染めること、簡便ならん。ましてや、あのような幼い女子になど、見過ごせばワシが神敵に堕ちようぞ」


 ゲホリ、せきの音、外まで響くかざわめきが起こる。


 それを背に感じて鴨兵衛、しっかりと老巫女の言葉に目を伏せる。


「俺はもう、手遅れだ」


 そう言って鴨兵衛、老巫女に背を向ける。


「だが、おネギは、まだ間に合うだろう」


 そう呟きながら、戸の外へと出ていく。


「鴨兵衛」


 背後に老巫女の、か細い声を聞きながら、鴨兵衛は神社を後にした。


 ◇


 奥太郎、奥次郎の屋敷への道のりは、遠くからも見える松明の光ですぐにわかった。


 周囲を田畑に囲まれたなかにポツンと盛り上がった丘の上、周囲を石垣に囲われて盛り土をしてあるようだった。


 その上に壁はなく、代わりに若いカシの木が一定間隔で植えられてあった。これらは根を張らせ、石垣を丈夫にするための工夫であった。


 恐らくはここは砦ではなく、増水が起きた時に逃げ込む場所、そして水に浸からぬように上げた倉の場所なのだろうと、鴨兵衛には見えた。


 しかし、こうして松明竹やりに囲まれた状況を見れば、やはり砦にしか見えなかった。


 焚かれる炎、影に踊る槍の穂先、並ぶ村人は兵士であり、これでは城攻めであった。


 その背後、遠巻きでも伝わる殺気立った空気、今すぐにでも襲いかからんとする暴力の気配、彼らはみな血を望んでいた。


 それを塞きとめるはこの石垣か、あるいはその間を駆け回り説得続ける二人の巫女か、何にしろ決壊は目前であった。


 その竹やりたちの中に、鴨兵衛が加わる。


「中の様子はどうなっている?」


 突如として現れた大男に驚き警戒する竹やりたちであったが、それが二等を豪気に寄付した男と思い出せば自然と警戒もほころんだ。


「どうだもへちまもねぇ。この通り閉じこもりよ。この門ぶち壊すには手間取るからな。今人手を集めてるところよ。いっそのこと燃やしちまえば簡単なんだがあの巫女様たちがよぉ」


「いや」


 一方的に説明してくる男を制し、鴨兵衛が視線を下げた先に、いつの間にかおネギの姿があった。


 藍色の着物、小さな体、目立たぬ姿、けれども周囲は見晴らしの良い田畑で、正面は石垣、身を隠す場所もないのに突如として現れるは、人のなせる技とは思えなかった。


 そして、これが富くじを突いた巫女の少女だと気が付いたものでさえ、その冷たい笑顔を恐ろしく感じていた。


「中には奥太郎奥次郎、その他十名ほど、籠っています」


 その視線、感じながらも涼しい顔で、おネギは説明を続ける。


「ほとんどの方は怯えています。ですが鍬や弓矢など、武具もあって、どうやら投降なさらず抵抗なさる様子です。その中でも奥太郎は」


 ギギギ、おネギの説明を遮るような軋む音、門が開いていった。


 これに驚きながらも好機だと近場の竹やりたちが殺到する。


「待て!」


 鴨兵衛の声、間に合わず、その集団戦闘まとめて吹き飛ばされた。


 そして、門より巨大な影が飛び出した。


 それは、騎馬武者であった。


 騎馬は黒毛で大柄、その足も太く、蹄も大きく、一目で名馬とわかるいで立ち、手綱に鞍も立派なもので、その加速は囲う竹やりたちを文字通り蹴散らしてみせた。


 それに跨る武者は、奥太郎であった。


 太い体に手足に、黒光りする鎧を巻き付け、頭に兜、しかしそれらは全て異なる造り、同じ工匠の手によるものではないと鴨兵衛は見抜いた。恐らくは戦場跡に残された躯から剥ぎ取ったものをちぐはぐに集めて身に着けているのだろう。その証のようにところどころ、武具の着付けが間違っているところも見つけられた。


 ちぐはぐの鎧、だが手にした獲物は脅威であった。


 太い腕と太い指、片手で構えるは長大な薙刀、長い槍の柄に更に太刀の刃を取り付けた大長物、馬上より切り下ろすか、あるいは馬諸共切り倒すための得物であった。


 それを片手で、落馬せずに構えられるはそれだけ力がることを意味していた。


 馬の脚力と奥太郎の怪力、合わさった騎馬武者は、竹やりたちを突っ切り反対側の田畑の上に抜ける。


 そしてぐるり旋回、ブルり下の馬を嘶かせると、上の奥太郎は薙刀を片手で高々と掲げて見せた。


「やーやーやーやーわーれこそはぁ! 稀代の大地主ぃ! 奥太郎なりぃ! 愚劣なる反逆者どぉもぉよぉ! この手で成敗してくれるわぁ!」


 名乗りであった。

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