限りなく運の悪い方であった。

 翌日、神社は朝から浮ついた空気が支配していた。


『富くじ当選発表会』


 富くじを売っていた台の上に置かれた、太い竹を割って作られた大札がその理由を物語っていた。


 相変わらず賞品の見張りに立つ鴨兵衛、その眼前には人、人、人、犇めいていた。


 単純な話、これまで列で並んでいたものたちが、その前後を気にせず一箇所に集まればこれだけの人数はいたのであろうとはわかるものの、手を上げ己の鼻を掻くことさえ儘ならぬ混雑具合は、余程の祭りか大事件でもない限りお目にかかれるものではなかった。


 彼らが見つめる先は神社の本殿、賽銭箱があった場所、その残骸も今は取り払われ、代わりに竹を編んだ台が、その上にはくじの一方が詰められた樽が備えられてあった。


 あの中から無作為にクジが選ばれ、当選者を決める。


 その手の札がただの札に戻るか、あるいは賞品に化けるか、命運が決する直前の空気は、例えようのないほどひりついていた。


 この緊張感、息苦しい中を、さも楽しそうに歩けるのは老巫女ぐらいのものであった。


 周囲も傍まで来るまで気が付けず、気が付いても挨拶は上の空の有様であった。


 それを老巫女は楽しむように、ニヤニヤ笑いながら練り歩いて、程なくして出迎えた鴨兵衛の前に立つ。


「よしよし、賞品は無事だね」


 昨夜のことが無かったかのように変わらぬ老巫女に、鴨兵衛はややぎこちない動きで頭を下げる。


 そして、その頭を上げる最中に、老巫女の背後のおネギに気が付いた。


「兄上、いかかでしょうか?」


 そう言って、珍しく恥ずかしそうに老巫女の背後から現れたおネギは、巫女装束であった。


 白衣に緋袴、老巫女と同じもの、けれども小さな体にぴったり合って、そこにはにかむ笑顔が加わって、可愛いおネギはものすごく可愛くなっていた。


 この可愛さ、当てられて、やや鼻の下が伸びかけた鴨兵衛、ウグンと下手な咳ばらいで誤魔化し、取り繕う。


「よく似合っているぞ」


 平然を装いながら感情の漏れ出た声、嘘の付けない性格の滲み出る誉め言葉に、おネギの笑顔が爆発する。


「これ、着てみたかったんです」


 嬉しそうに、女の子しているおネギ、その姿に鴨兵衛は頷きながらもチラリ、横の老巫女に目線を送る。


「クジを引かせるんだよ」


 その目線に、老巫女は応える。


「汚れを知らない子供に目隠しして、長い錐でぶっさす。子供ならイカサマする技量もないだろうって配慮だ」


 それは、どうだろうか、と鴨兵衛、頭に思った表情浮かべるも、老巫女はこちらの方を気にすることはなかった。


「ほれ、お披露目も終わっただろ? みんなお前を待ってる。手筈通りやって来な」


「はい!」


 元気のよい返事、舞うような足取りで、おネギは神社本殿、クジの詰まった樽へと駆けて行く。


 その後ろ姿に、鴨兵衛、思わず手で鼻の下を覆い隠す。


「よいよい。やはりよく似合っておる」


「あぁ」


 老巫女見ずに鴨兵衛、応えると、それが聞こえたかのようにおネギが振り返った。


「まるでワシの若いころにそっくりではないか」


 刹那、老巫女の言葉、一瞬にして塗り替わった。


 可愛いおネギの巫女姿、それがほんの一瞬、間違いなく見間違い、なのにはっきりと、老巫女の姿と重なって見えてしまった。


 それだけの事、けれども頭にこびりついた二人の因果、おネギの巫女を思うと同時に老巫女の姿が連想されてしまう。


 それだけで、失礼ながら、鴨兵衛の鼻の下が伸びることはなくなった。


 ほんのわずかの間に何か大切なものを失った鴨兵衛が呆然と見ている前で、おネギは樽の後ろ、少し高くなっている壇の上に登る。


 迎えるは歓声、そして祈りの言葉だった。


「そうだ。忘れるところであった」


 その中で老巫女、開けた胸元に手を入れ、ごそり、引っ張り出すは竹札一枚、鴨兵衛へと差し出した。


「これは?」


「言ったであろう? これは賭博じゃなくてお楽しみだとな。だったらおぬしも少しは楽しんでも罰は当たるまい。何、おネギの働いた給金と思えばよい」


 そう言われ、断れば野暮だと、鴨兵衛は受け取った。


 じっとりと湿っていて生暖かい竹札、チラリ数字を見れば『六百六十六』とあった。


「お侍さんは何番だい?」


 前にいた男に訪ねられ、鴨兵衛、反射で札をかざして見せた。


「ほう。ぞろ目とは珍しいじゃあねぇか」


「だけど残念だねぇ。これまでで一度だってぞろ目の当たりは出てないんだよ」


「それにお侍さん、願掛けもしてないだろ? ほら、枕の下に四葉草敷くやつ」


「それじゃあ当たりっこねぇやな」


 笑う一同、気が付けば盛り上がる周囲、みな口々に当たるわけないと言われて、鴨兵衛はやや複雑な表情となる。


 と、そこに更なる歓声、見ればおネギ、背後の猫巫女により目隠しをされているところであった。


 それが終わり、みなが見守る前で樽が回され、クジがかき混ぜられて、それからおネギの手探りの小さな手に長い錐が渡さる。


 そして猫巫女の誘導の元、鋭い先端が樽の中へ、気が付けば誰も彼もが黙り、静まり返っていた。


「それではくじ引きを始めます! 先ずは五等! 食器から!」


 猫巫女の声が響き渡ると、おネギはぶすりとやった。


 ◇


 ……最初の内、数字が読み上げられても喜びの声は小さかった。


 何せクジは一度切り、賞品が重複しないとなれば、先に呼ばれてしまえば後の辺りではなくなる。


 ハズレよりはマシ、とはわかっていても素直に喜べないのも頷けた。


 それが、四等になると声の熱が変わり、三等ともなれば絶叫であった。


 冷静に考えればそれほどでもない、と思う鴨兵衛であったが、やはり外れれば悔しい物で、当たりの数字を読まれる前は周囲同様息を呑んだ。


 ただ、当たりを引いたら不味い、とも同時には思っていた。


 そして次が二等、醤油、最近でこそ安い作り方が広まったが、それでもまだまだ高い調味料、あるかないかで料理の味がガラリと変わる。それが樽一つともなれば、それなりの大家族でも数年は持つであろう量、誰もが欲しがった。


 緊張の一瞬、なれた手つきのおネギがぶすりとやって当たりクジを選び、抜き取ると、背後に控えている猫巫女が手に取り、確認し、そして周囲に見せつけながら数字を読み上げた。


「六百六十六! 二等の醤油は六百六十六!」


 鴨兵衛、手に力が入る。


 だがしかし、いつもならば竹の札など片手で粉々の馬鹿力なのに、この時ばかりは折れも曲がりもしなかった。


 それは竹の節を縦に折り曲げるように力を込めたから、横に折りたためばべキリと行ける、気が付いた時には手遅れであった。


「おい、嘘だろ」


 最初に呟いたのは傍ら、先ほど何番か訊ねた男であった。


「何であいつが」


「賽銭箱壊したやつだろ?」


「願掛けもしてないのに」


「神敵が、俺らの希望まで奪うのか」


 漂う空気はこれまでの『外れて悔しい』とは違った、あの賽銭箱を壊した瞬間のものであった。


 飢えた獣の眼差し、すぐにこうなる周囲の連中にがっつり囲まれた状況に、鴨兵衛、焦る。


 自身でも当たってはならないとはわかっていた。旅の身で醤油の樽など邪魔なだけ、それにそもそもここにいるのは迷惑をかけたから、それなのにおこぼれのようにクジを貰い、当選した。それも二等、見逃せぬほどに高い賞品、得るのは間違っていると自覚はあった。


 しかしクジはクジ、選んでどうのこうの、というわけではない、と思う鴨兵衛だがしかし、と思いなおす。


 クジを引いたのはおネギである。


 そしておネギならば、目隠し越しに狙った札を選び抜くことも容易であろう、と鴨兵衛は思ってしまった。


 そしてそして、実際そうでなくても、周囲はそう思うであろうとまで、鴨兵衛は考えが及ぶ。


 賽銭壊した上、タダ同然でクジを手に入れ、子供を使ってイカサマし、二等を手にした。


 目に見る面倒ごと、限りなく運の悪い方であった。


 この状況、どうしていいかわからない鴨兵衛、逃げ場を探し、敵だらけの中、唯一笑ったままの、隣の老巫女と目が合った。


「ほう! これはこれは! おぬし! 二等を手放すというのか!」


 そして突如として老巫女、声を響かせる。


「みな聞いたか! この男! 二等の醤油を辞退すると申しておるぞ! 一人二人では多すぎると! 皆でふるまってくれと! 何と豪気な! おぬし! これでかなりの徳を積んだぞ!」


 そんなこと言ってない鴨兵衛、しかしそんなこと知らずに周囲はザワザワ盛り上がり、そんなこと言い出せない空気、複雑な心境で表情を曇らせる。


「安心せい」


 その鴨兵衛へ、老巫女はこっそりと笑いかける。


「これで賽銭箱の件はチャラにしてやろう」


 まるで子なることを、当たりくじ引くとこまで見据えていたかのような老巫女は、ゲゲゲと笑う。


 これに、賽銭箱の事を今更思い出してた鴨兵衛は、まぁ、あぁ、そうか、と、それでもなんかしっくりしないまま、当たりの竹札を老巫女へと差し出した。

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