決裂は明らかであった。

「何だ? これ? 甘い? 酒? 飲んで大丈夫?」


「おいおいおいおい味醂みりんも知らないのかよ。これは高いんだっぜ」


 そこらに土足で上がり、ドカリと座ってくっちゃべってる男たち、そこに作法も礼節もなく、各々好き勝手にやっている姿には、憧れと共に語られる『錆鼠一家』とはかけ離れた印象を与えた。


 それは四人もなじらしいが、それでも長年待ち望んでいた再開に、四人は笑顔を浮かべて懐かしい面々へ、手長海老だの出し忘れた酒だの持ち出して目いっぱいもてなしていた。


「……そいつぁ苦労かけたな」


「いえそんな、お兄ちゃんが無事に帰ってきてくれただけで十分だよ。ささ」


「おう」


 リンからこれまでの話を聞きながら、敬之助は酌を受けていた。


「あんときは役人どもに追われててよ。どうせ足手まとい、連れてけねぇならここに置いてって、囮にでもと思ってたんだが、まさかここまでかかるたぁな」


 さらりと非道なことを言われてリン、一瞬だが酌をする手を震わす。


 それに気が付かず敬之助、酌されたばかりの椀を一口すすってから傍らに置き、改めて正面、畳一枚を挟んだ向こうで正座する二人、鴨兵衛とおネギへ向き直り、深々と頭を垂れた。


「この度は本当に、妹に弟分らが世話になったようで、改めて御礼を、お世話になりました」


「いや、俺たちは何も、最後に少し口を出しただけだ。ここまでやってこれたのは四人の自力あってこそだ」


 応える鴨兵衛、その横ではおネギが、静かに座っていた。


 かわされたのは謝礼と謙遜、しかしどことなく敬之助と二人との間には、よそよそしさとは異なる緊張感があった。


 その原因なのか、二人を取り囲むように自然と座り、盛り上がっている一家たち、このような場所で上座下座を語るのもばかばかしいが、それでも、見知らぬものが背後を取る動きは、それだけで警戒心を産んでいた。


「……それで、お兄ちゃんたちは今までどこに?」


 この緊張を少しでもずらそうとの考えか、リンが問う。


「んなの決まってんだろ。南側の街道グルッと巡りながら仕事三昧よ。それで久しぶりのこの石沼町でもちょっろと稼ごうってな」


「いやちょろって、まさかお兄ちゃん! あの墨虎の関所をやるつもりなのかい!」


 急にでたリンの大声に、聞くともなしに聞いていた周囲は一瞬鎮まり、そして爆笑へと変った。


「やるわけないだろあんな厳重なとこ。ここってったらここ、この石沼町に決まってるだろ。他にあるかってんだ」


「他って、だってお兄ちゃん、ここはただの宿場町だよ? 武家屋敷も大商人もない、ただの宿ばっかで、狙えるような金持ちなんざ……」


 続く言葉もまた、笑い声でかき消されていた。


「おう! そっか、そうだな。お前らはそこで止まってんだよな。まずはそっから離さなきゃなあ。でなきゃ俺様たちが義賊になっちまう」


 敬之助、笑いに零れた涙を拭ぐう。


「俺様が金持ち武家狙うのは他でもねぇ、一番安全だと思ってたからだ。ただっぴろい家屋に見張りなんざ大していいねぇ。そんで深く入らなくても、そこらに置いてあるただの茶碗でも高級品、高値で売れる。それにあいつらは面子が大事だから滅多なことじゃ大騒ぎしない。もっとも殺しや放火があったんじゃあ、そうもいかないからやめておく。貧乏人は時間の無駄。義賊の方が安全に稼げる。そんな風に言ってた時代もあったなぁ」


 懐かしそうに、敬之助は笑いながら続ける。


「だがありゃ間違いだった。茶碗は所詮茶碗、高級品なんざ使っちゃいねぇし売れもしねぇ。それにあいつらには面子なんざぁない。何も取ってなくても大金とられたと嘘ついて、あちこちの借金踏み倒す恥知らずどもだ。だが逆に、貧乏人に何やっても騒ぎにならねぇんだよこれが」


 さりげなく椀を差し出す敬之助、だがリンは目を開いても見えてないかのように、反応さえしなかった。


 それに鼻を鳴らして椀を下げながら、敬之助は続ける。


「言っとくが俺様たちは錆鼠一家、そこらの烏合の衆とはわけが違う。ただ押し込んで殺して奪う、畜生働きなんざしてねぇさ。もっと賢く、優雅に、がっぽりと儲けてきた。なぁ火事場泥棒って知ってるか?」


 敬之助の問いに反応しないリン、考えあぐねる鴨兵衛、ただおネギだけがこくんと頷いた。


「貧乏人ってのは倉なんぞ持ってねぇ。代わりに銭をどこかに、枕の下かかまどの中か、隠しやがる。だけども火事ともなれば焼け落ちちまう前に、勝手に引っ張り出して出てきやがる。そこを叩けばザクザクよ。一つ一つははした金でも、かき集めればかなりのもんよ。それで役人は貧乏人が鳴こうが喚こうが見えぬふり、追ってこねぇってんだから、こんなうまい話、止まれられるわけねぇよなぁ」


 笑う錆鼠一家、笑わぬは二人と四人だけであった。


「……それで、その恰好か」


 笑い声引いてからの鴨兵衛の言葉に、敬之助は満足そうに頷く。


「仕事とは別に生意気だったから黙らせて、ついでにもらって来たんだが、これが便利でよぉ。火事に火消しがいても、そいつが鳶口持ってても何ら不思議じゃねぇ。流石に誰かの頭勝ち割ってたの見られたら騒ぎになるが、あいつらは結局火消しの事しか覚えてねぇから、人相書きすらまともに描かれたこともねぇ。もったいねぇ。せっかく男前だってのによぉ」


 またも起こる笑い、だけども今度はすぐに自然と治まった。


「……それで、だ。何で俺様がこんな話をしてるか、わかるか?」


 これまでとは打って変わって、静かでドスの効いた敬之助の声に、息すら忘れる四人、ただ二人だけが真正面から受けていた。


「……つまり、仲間になれと?」


「さっすがだ鴨兵衛の旦那、話が早い。こと仕事は時間と手数が勝負だ。燃えてて混乱してる間に一人でも多く、少しでも多くかっぱらう必要がある。その点でいやぁ、旦那はぴったしだ。でかくて腕っぷしもあって、一人で沢山持ってける。そこらの家だのなんだのはどうせ人のも、壊したい放題とくりゃあ、天職ってやつでしょうよ。それを無下に断ったりは、しねぇよな?」


 敬之助、問いながら見たのは鴨兵衛ではなく、隣のおネギであった。


 その意味合いは脅迫めいた脅迫、これへの返答は早かった。


「行かないよ」


 その声は鴨兵衛ではなく、リンからであった。


「あたしたちは錆鼠一家なんだ。弱気を助け、強きを挫く。身寄りのないみんなを拾って面倒見るような錆鼠だから、あたしたちはずっと待ってたんだ。そんな非道なこと平気で言えるお兄ちゃんなんか、知らない。それに、あたしたちにはこの宿っていう、ぼろいけどちゃんとした仕事場があるんだ。そんなことしなくたってご飯食べてけるんだ。だから、あんたら非道と一緒にしないで!」


 一気に言って一呼吸、それから続けるリンの声は泣きそうであった。


「どうしちゃったのさお兄ちゃん。暴れん坊でやんちゃしてたけど、そ個までひどくなかったでしょ? 入れ墨入れようが物盗もうが、結局最後の一線は超えない、一番奥の心は優しいんだって、それがどうしちゃんだよねぇ」


 リンの説得に、敬之助は鼻から息を抜くように笑った。


「こいつぁ、まいったな」


 呟きながら右手て頭を掻く敬之助、その手が素早く振るわれるのに、反応できたのは三人だけ、そして間に合ったのは一人だけであった。


 間に合わなかった二人、鴨兵衛とおネギの目の前で投げ放たれたのは錆色一閃、刺さって止まった形状は、錆て折れた鋸の断片に見えた。


「八っちゃん!」


 リンの悲痛な悲鳴を聞きながら、唯一間に合い庇えた八吉は、その腹に刺さった断片に手を添えながら、ガクリと膝をつき、ガタリと仰向けに倒れた。


「あ、あ!」


「アニキ!」


 突如の事、反応できてなかった残り二人、米丸と梶朗が駆け寄り囲んでしゃがみ込むも、呼吸もままならない八吉に、その腹部から溢れ出る鮮血に、触れることすらできないでいた。


「あーやっぱ、お前もダメか」


 敬之助が呟く。


「素直に何でも言うこと聞くし、頭の切れも悪くない。体は動くし反応もいい。お前は世辞無しで欲しかったんだが、最後の最後に甘さが残る。まぁしょうがない。残る二人もこれじゃあ無理っぽいな。それで、お前らはどうする?」


 まるで自分がしでかしたことに、自覚がないような敬之助の物言い、しかしチラリと目線を送るや、その表情が変わった。


 夏の昼、暑い盛り、これ以上ないだろう熱気の中で、なお熱く炙るは鴨兵衛であった。


 座したまま、肌は赤く高揚し、全身より湯気のように立ち昇るは陽炎、そして頭髪から指先の産毛まで、全てが怒髪に逆立っていた。


 決裂は明らかであった。

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