二年目
「うわ、今日もやってるよ……」
「ん? ああ、中村先輩?」
「そう。今日も素振りしてるわ……」
降りしきる雨の中、傘をさした二人の中学生の視線の先には、グラウンドの隅にある野球部部室の近くで素振りをする中村君がいた。今日は雨のため全体練習は休みのはずだったが、中村君は自主的に残って素振りをしているらしい。
中村君の身体は一年間で大分変化していた。大分体重も落ち、筋肉もついた。ただ、運動神経の悪さは相変わらずで、バットやボールを使った練習ができるようになってからも彼の部内での劣悪な立場は変わらない。それどころかむしろ悪くなっていた。
球を捕るのも投げるのもままならないから、キャッチボールの相手がいつもいなかった。バットを振ってもボールにかすりもしないから、バッティング練習の時間はどんどん削られた。守備練習ではボールの感覚がつかめず、フライが上がれば落下点と見当はずれのところに走り出し、ゴロが転がればポロポロとグローブからボールがこぼれた。もちろん捕ったボールを誰かに投げ返すのにも一苦労だった。
そんな姿を見て、中村君の同期達は練習のたびにイライラし、後輩たちは中村君を笑った。「お前がいると後輩に舐められる」と部を辞めるように中村君に詰め寄る同級生も何人かいたが、中村君はそのたびに「ごめん、練習するから」とぼそぼそ言うだけだったのでそのうち同期達も呆れ、諦めた。
「中村先輩、毎日やってるよな、素振り」
「ああ、なんか家でも振ってるらしいよ」
「マジで? ……でも全然うまくならないよな。バッティング練習もほとんどさせてもらってないし」
「まあ……そうだな」
後輩の一人がぼんやりと遠くで素振りをする中村君を眺めながら、心底不思議そうにつぶやいた。
「……なあ、中村先輩ってなんで野球部にいるんだろうな」
「おい! そんな言い方流石に失礼だろ」
「いや、でも普通に意味わかんなくね? あの人何が楽しくて野球部にいんの?」
「それは……」
「あんなにヘタクソで、全然上手くならなくても続けるって普通にキモいわ」
「……」
「結局さ、人間って向き不向きあるじゃん? 自分の不得意なことに無意味に時間をつぎ込むってわけわからないだろ?」
「無意味ってことは……」
「無意味だろ。だってあの人がベンチ入ったり試合に出たりするとこ想像できるか? 絶対無理だろ」
「う……まあ」
「ていうかさ。仮に試合に出れたってさ、全国にいけるわけじゃない。区大会の一、二回戦で消えるだけのうちのチームのレギュラーに何の意味があるんだ?」
「おい、そんなこと……」
「中学の部活なんてさ、一部の特別な連中を除いたらほとんどお遊びなんだよ。野球がうまい事を周りにアピールしてユーエツカンに浸りたいやつとか、部活で友達作りたいやつとか、単純に暇つぶしのやつとかそんなんばっかりだろ」
「……」
「それがどうだ? アイツは全部当てはまらない。野球はヘタクソ。友達どころかイジメみたいな扱い受けてる。暇つぶしだったらもっと別の方法があるはずだ。とっとと野球部なんてやめて高校受験の準備した方がよっぽど合理的じゃね? 俺、変なこと言ってる?」
「……」
まくし立てていた学生も、話を聞いていた学生も黙り込んでしまった。
傘の中で黙り込む二人の後輩に気づくことなく、中村君は素振りを続けた。腰の入っていない力ないスイングは、ボールを捉えるイメージに全く結びつかない歪なものだった。中村君は素振りをする本数を決めているらしく、二十本振ったら足元に置いてある野球指南書をめくって首をひねり、何かを確認するように何度かグリップを握り変えてまた二十本振る、という行為を繰り返していた。
何度振っても本に書かれたような軌道にはならなかったが、中村君の手は、何度も血豆をつぶして硬く、分厚くなっていた。
どうして中村君が野球部を辞めなかったのか、後輩たちにも分からなかった。
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