中村君の「青春」
1103教室最後尾左端
一年目
制服姿の中学生が、大きな鞄と袋をもって歩いている。足取りは重く、雰囲気もやや暗い。
「はぁ……」
「ため息つくなよ……こっちまで疲れる」
「ごめん……でもさ、いつになったら野球させてくれるのかなって」
「入部してからずっとランニングと筋トレだもんな。なにが野球部だよ」
「公立中学の軟式野球部の癖になんでこんなスパルタなんだよ。大して強くもねえくせに……」
「ホント、ムカつくよな……」
六月、そろそろ梅雨に入ろうかという季節。ジメジメした空気が二人の身体にまとわりついた。練習でかいた汗とあいまって、ぬぐい切れない不快感が二人のムードをさらに険悪にした。
あたりは暗くなりかけている。二人とも練習の疲労から、家に帰ればすぐに寝てしまうだろう。瞬く間に夜は過ぎ、すぐに朝が来て、また学校に行かなければならない。そしてまた部活へ……。いつまでこんな練習が続くのだろうかと想像するだけで二人の気持ちは暗くなるのだった。
疲れからか、二人の声は小さく覇気がなかった。のろのろと歩く二人はしばらく静かになった。沈黙が二人の背中をさらに小さく見せた。
しかし、不意に片方の中学生が話題を振った。その声は先ほどまでの空気とは違い、どこか楽し気だった。
「……っていうかさ。今日もあいつひどくなかった?」
「あー『今日の中村君』?」
もう一方もすぐに食いついた。二人はそれから同級生で、同じ部活の中村君の悪口を言い合い始めた。それは、昨日のテレビ番組の話であるとか、今週の漫画雑誌の内容を話すトーンとまるっきり同じだった。
「あいつ、今日の外周でお前と何周差つけられてた?」
「今日は三周かな~」
「俺は二周半くらいだわ。あいつ走り方マジでキモイよな。デブだからめっちゃ胸揺れるし」
「わかる。でも脂肪ばっかで全然力ないよな。あいつ腕立ても一回もできないし、腹筋とかもなんか変なムシみたいな動きするし、あいつ見てると笑っちゃって集中できねえんだよ」
「迷惑だよな~あいつなんで野球部入ったんだろうな」
「向いてないって気づかねえんだろ。あいつめっちゃ馬鹿だし」
「え、そうなの? 馬鹿で運動できなくて不細工ってお先真っ暗じゃん」
二人はそう言って笑い合った。二人のこの会話は決して褒められたものではないだろう。いじめと言えばその通りだ。ただ彼らの言葉は、客観的に見てある程度的を射ていた。
中村君は運動が苦手だった。野球経験はなく、身体能力も著しく低かった。長距離走は誰よりも遅く、二番目に遅い者にさえ周回遅れになった。身体は脂肪がたっぷりと付いていて、顎を引かずとも二重顎になった。体重が重いせいで腕立て伏せは一回も身体を持ち上げることができず、腹筋も腹の肉が邪魔をして満足にできていない。
そんな様子だから、練習中に先輩達から言い渡されるランニングや筋トレのノルマをいつも果たせず、グラウンドに最後まで残ることになり、道具の後片付けを押し付けられることもしょっちゅうあった。
顔はお世辞にも男前とは言えなかった。ぼさぼさの髪に、青縁の小さな眼鏡をかけている。レンズはいつも油で汚れていて、光を汚らしい虹色に反射していた。
また、中村君は人付き合いが得意ではなかった。声が小さく、ぼそぼそと喋り、その様子はなぜか見ている者をイライラさせた。そのため先輩によく「何言ってるかわかんねえ!」と怒られていた。そして怒られるとビクッと怯えるような顔つきになり、さらに声は小さくなった。結局、先輩達は呆れかえってコミュニケーションを放棄しまうのだった。
中村君は成績も芳しくなかった。毎日遅くまで部活をしている上に、運動に慣れていない中村君の身体は、練習の負荷から回復するのに人より時間がかかるらしい。授業中もよく眠ってしまって教師に怒られていた。
そんな様子だから、野球部の同期からも中村君はいじめられ始めていた。最初は陰で彼を
同期も、先輩も、顧問の先生までも、なぜ中村君が野球部に入ろうなどと思ったのかと首をひねった。そして、中村君はすぐに部をやめてしまうだろうと考えていた。
しかし、中村君は野球部を辞めることはなかった。
どうして中村君が野球部を辞めなかったのか、同期達には分からなかった。
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