第9話 いい顔

 帰りはまた惣一だけを駅で降ろして、その後、僕と楓は大学で降ろしてもらう。真吾とも別れて、楓を見送ろうとしたけれど、ふと行きに感じた違和感を思い出した。惣一が待ち合わせ場所に来た時、楓はどこか複雑そうな顔をしていた。

「あのさ、楓。惣一と喧嘩でもした?」

 なんでもないことのように話しかける。

「え、どうして?」

「なんか今日、変な感じがして……僕の勘違いかもしれないけど」

 楓は図星を突かれたといった様子で、眉を顰める。少し迷った後、横を向いて口を開いた。

「ユウマ。ボク、ミコトと話があるから今日はここで」

 そうユウマに別れの挨拶を告げる。なんだかいつもは一緒に帰っているみたいな口ぶりだ。僕が知らないだけで、楓はいつも僕と別れた後、ユウマと一緒に過ごしていたのかもしれない。あくまで楓の中での話だけど。

 手を振る楓に合わせて、僕もまたなにもいない方向へと手を振る。疑似的にユウマを見送った後、楓に向き直った。

「喧嘩はしてないよ。ごめん、心配かけちゃった?」

 ユウマがいないときの楓はいたって普通に思えた。少しほっとしながら、言葉を返す。

「待ち合わせ、今日は惣一が少し遅れて来たじゃない? それでも時間よりは早かったけど」

「なんかね、惣一くんがユウマに対してちょっとそっけないなって思えちゃって」

「そっけない……?」

「うん。それでボク、つい変な顔してたかも」

 どう返していいのかわからず黙ってしまう。それでもなにか言わないとと考えている間に、楓が言葉を付け足した。

「別に惣一くんに対して、怒ってるとかじゃないんだ。ただ……惣一くんには、ユウマの声が届いていないみたいだったから」

 僕にもユウマの声は届いていない。みんなでゼロから創り上げた想像上のものだから、声なんて届かないに決まっている。それでも、そう楓に伝えていいものか、やっぱりわからないでいた。

「えっと……」

「もしかして、ミコトにも届いてない?」

 せっかく濁そうと思ったのに、直接聞かれてしまう。嘘をついた方がいいのか迷った挙句、僕は本当のことを言うことにした。

「……まだ、届いてないみたい」

 まるでもうすぐ届く可能性でもあるかのような言い方をしてしまう。その選択は正しかったのか、楓が落ち込む様子はなかった。

「でも、ミコトはちゃんとうまく話しかけられてるよ」

「たまに声かけ損ねちゃうんだけど」

「大丈夫。信じていれば、すぐに届くようになるから。ボクみたいにね」

 一体なにが届くというのだろう。好奇心もあるけれど、楓がどこか盲目的に見えてしまう。そのせいか少しだけ怖いと感じていた。そんな風に思っている僕のところにユウマの声が届くなんてことはありえないのかもいれない。

「そうだ!」

 僕がなにも言えないでいると、なにか思いついたのか楓が声をあげた。

「ボク、ユウマのこと知ろうと思っていろいろメモしてるんだ。話したこととか、声をかけられたタイミングとか。よければそれ見せてあげる」

「ホント? ありがとう」

 僕も記録は取っていたけれど全然大したものではない。自分も書いているとは言い出せず、僕は楓の言葉に甘えることにした。

「パソコンのメールに送っておくね」

「うん」

「惣一くんにも今度教えようかな。声のかけ方とか考え方とか……」

 どうやら楓は本当に、惣一に対して不快感があるわけではなさそうだ。そのことに安心するも、温度差を感じずにはいられない。

「ひとまず……2人が喧嘩したとかじゃなくてよかったよ。そろそろ帰ろうか」

「うん。またね、ミコト」

 楓の背中を見送る。僕は一人、頭を悩ませながら家に向かった。


「ただいま……」

「おかえり、ミコト。暗い顔してる」

 出迎えてくれた兄さんにすぐさま指摘される。

「うん……」

「なにかにとりつかれたりしてないよね」

「それは大丈夫だよ。たぶん……」

 ひとまずとりつかれた自覚はない。

「それじゃあどうして、そんな暗い顔してるの?」

「それは……」


 僕は今日の出来事を兄さんにすべて話した。惣一の考え、そして楓の考え。僕が2人にそれぞれどう伝えたか。

「僕、2人にいい顔しちゃった」

「それは当然のことだよ。2人とも大事な友達でしょ。どちらか一方にいい顔するのは難しい」

「うん……」

「おそらくミコトの考えは惣一くんに近いんだろうけど、楓くんを否定することも出来ず困ってるってことだね」

 僕は兄さんの言葉に頷く。

「そろそろやめようって惣一と相談したのに……」

 これは惣一に対する裏切りだ。

「ミコトはユウマの声、聞きたい?」

「え……ユウマの声?」

「そう」

 兄さんはいやに真剣で、そんなもの聞けるはずがないと言い出せないでいた。

「いないものの声を聞くって……どういうこと、かな」

「いないものじゃない、いるんだよ」

 いると思い込むことが出来たら、きっとユウマの声だって聞こえるのだろう。楓がそうであるように。ただ、いくらいるように声をかけて、そう振る舞ったところで、いない前提のお遊びだ。本当にいるわけじゃない。

「……楓はいると思い込み始めてるけど。いまならまだ引き返せる」

「引き返せる? ミコトは楓くんに『君の友達はいなくなりました』って言えるの?」

 友達じゃない。ただふざけた遊びを終わらせるだけ。

「メンバーが5人集まるまでの期間限定だって伝えてあったから……」

「……そう」

 兄さんは、なぜか少し寂しそうにしていた。

「兄さん?」

「うん、間違ってないと思うよ。最初から5人集まるまでだって話してたんだもんね。それで楓くんも納得するかもしれない。でもユウマはどうかな。納得するのかな」

「ユウマは……納得もなにも……」

「いまは楓くんが思うがままの言葉を発している。けれど無意識のうちに、ユウマ自身の言葉になって、いずれ意思を持つことも考えられる」

「意思なんて持たないよ」

「どうかな。仮に意思を持ったとして、自分を創り出した4人が今度は自分を消そうとしている……なんて知ったら、ユウマはどう思うだろう」

 おそらく消されたくないと願うだろう。兄さんの言葉につられ、ついユウマの意思を考えてしまう。

 けれどユウマに一体なにが出来るというのだろう。

「大丈夫……だよ。たぶん……」

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