一悶着

遠くに人の喧騒が見える。

まだ小さくはあったが、視界の内に映った街の形にルクレツィアはほっと胸を撫で下ろした。

思っていたよりもゆっくり歩いてきてしまったから少しだけ不安になっていたところなのだ。


少し離れたあの街はあんな有様であったが、港町の方はかなり人口が多い。

彼女は目を凝らして遠くから見つめた。

あそこにいる人々の中には、二人がいた街から逃げ延びた人たちもきっといるのだろう。

あの街で何があったのか、ヴァニタスは覚えていないがルクレツィアは知っている。

だがそれは、自分とヴァニタスが一連の騒ぎの中心にいたからわかることだ。

きっとあの日逃げ出した人々は何もわからないままあの場所から逃げ出したのだろう。


ルクレツィアは黙々と歩いていた。

ヴァニタスは自分よりも低い位置にある少女の頭を無言で見下ろす。

ふと街の方から騒ぎが聞こえてぴたりと足を止めた。

何かが向こうからすごい勢いで走ってくるのが見える。

咄嗟にヴァニタスは彼女を引き寄せてそれを避けた。

目の前で暴風を纏った何かが横切っていく。

それが一体何だったのかは良くわからない。

強いて言うなら草食動物に似ているような気がするが……。

それが走っていった方向をヴァニタスはじっと見つめている。

そこに、軽い足音がそれの走ってきた方向から聞こえてきた。


「待てーーー!!!」


ルクレツィアよりもいくらかキンとした高い声が二人の近くへ駆けてくる。

少しの間の後ヴァニタスは声の主の方へ視線を動かした。

二人の前に肩で呼吸をし、いかにも走り疲れて失速している、といった様子の少女が現れる。

年齢にして14、15くらいだろうか、それくらいの少女がついに二人の前に脚を止め、膝に両手を置いてぜえぜえと息をしていた。

その子供はキッと二人を睨めつける。


「何で止めてくれなかったのよ!」


理不尽である。

僅かながら目を細めるヴァニタスに、苦笑いをするルクレツィア。

あの勢いに激突しようものならお互い恐らく無事ではないのだ。


「連れ戻さないと……」


八つ当たりの睨みはやがて消え、はあと少女はため息をつく。

先ほどの何かは少女の飼っている何かなのかもしれない。


「さっきの魔獣はあなたの……?」

「旅の移動手段にさっき買ったのよ。

あーもうっ、大人しいって言ってたのに!」


魔獣。

ヴァニタスは数度瞬きをする。

その言葉を聞くと薄ぼんやりそれが何だったのかを思い出せた……気がした。

確か普通の動物とは違い、何かしら魔術を使う動物や特殊な見た目をした動物……だった気がする。


少女がビシッと二人を指差す。


「こーなったら、あんたたちちょっと手伝ってよ!」

「え?……手伝いって」

「決まってるでしょ」


少女はルクレツィアとヴァニタスの顔を交互にゆっくり見ると仁王立ちをした。

大きく口を開いてびしっと魔獣が走っていった方向を指差す。


「あいつを捕まえるのよ!」



「ところで、あんたたち誰?」


三人で魔獣の足跡を辿っていると、少女からそう尋ねられた。

少女の言葉にヴァニタスは首をかしげる。

ルクレツィアは思わず二人の様子を見守った。


「……。」

「……なんか言いなさいよ」


しかしヴァニタスは何も答えない。

無視されたと感じたのか、少女はむっとした顔をする。

それを見てからルクレツィアははっとして二人の間に入った。


「彼はヴァニタスって言うの」


ルクレツィアは背の後ろで手を組みながら微笑を浮かべる。

それに勢いを削がれたのか、少女は噛み付こうとするのをやめた。


「……あんたは?」

「私?私はルクレツィア」

「ふぅん。聖女様とおんなじ名前なのね」


そう言われてあっとルクレツィアは口を軽く押さえる。

少し迂闊なことをしてしまった。

だが言ってしまったことは変えられない。

幸いにも少女はルクレツィアの顔までもは知らなかったようで、彼女の行動を見ても不思議そうに首を傾げるだけだった。


「あたし、フユヴァ。

……短い間だけど、よろしく。」


ややぶっきらぼうだが、フユヴァはルクレツィアに握手を求めるように手を差し出す。

少しだけ苦笑いを浮かべ、ルクレツィアは握手に応えようとした。

そこに横から手が伸びてきてそれを邪魔され二人は「?」というような顔をする。

手を伸ばしたヴァニタス自身も「?」という顔をしていた。


「……なによ、割り込まないでよ」


フユヴァはむっとしたように言いながらルクレツィアの腕を取り舌をべーっと出す。

それを見たヴァニタスの表情も剣呑なものになったが、しかし一応原因は自分だとわかっているのでふるふると首を横に振った。


「ま、まあまあ、とりあえずまずはフユヴァちゃんの魔獣を探さないと。

脚が早かったから追いつけなくなっちゃうかも」

「……そうね」


フユヴァはこっくり頷くとルクレツィアから離れてまた痕跡を探しに戻る。

それを見てからルクレツィアはヴァニタスの手を握って同じように地面や木の状態を見た。

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エピメディウムの聖少女 ゆずねこ。 @Sitrus06

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