ふたりぼっちの砂浜
二人は海辺を歩いていた。
砂浜に足跡が残るのを、ヴァニタスは不思議な感覚で見つめている。
あの後少ない荷物を纏めて旅支度をし、街から海へと歩みを進めたのだった。
街は崩壊していない部分を合わせてもあまり大きくはない。
かつての故郷だったのだろうか、青年はどこか懐かしいものを感じていた。
そうこうする内に、目が覚めた時はまだ低い位置にあった日がすっかり天辺に昇り、先程よりは気温も高くなっている。
波は行ったり来たりを繰り返していた。
青年は白く不定形の模様を描く水面から、少女のそれと繋がれた自分の手に視線を映す。
彼女の金の髪が時折手の甲を掠め、こそばゆい。
少女は幼馴染だという割に、彼よりもいくらか幼く思われた。
だが青年の手をしっかりと握るその手は小さいながらも力強く感じる。
振りほどこうと思えば振りほどけそうだな、なんてやろうとも思わないことを考えながら、少女の歩幅に合わせて黙って脚を動かしていた。
「何処に行こうか」
ふと少女はそう尋ねてくる。
青年は暫し考え込んだ。
そうはいっても、殆ど記憶も知識もない彼に、あそこへ行きたい、ここに向かいたい、などという場所があるわけもなく。
沈黙がまた落ちて、砂を踏む音と波の寄せては帰る音だけが流れた。
「ルクレツィアと一緒なら何処でもいいよ」
青年はそう言ってしまってからおや?と首をかしげる。
半分無意識で溢した言葉だった。
少女はぴたりと足を止める。
そして彼を振り向いた。
その表情には複雑な感情が入り混じっている。
そこから少女が今、何を思っているのかを読み取るのは至難の業だ。
もしかして、言ってはいけないことを口にしたろうか、とヴァニタスは少し不安を感じる。
少女は首を振った。
「……そう、だよね。
今ヴィーが頼れるのは私しかいないんだもの、私がしっかりしないと。」
少女は青年から視線を逸らし、じっと砂浜を見つめる。
自分に言い聞かせるような、そんな声音で彼女はそう呟くと、青年に向かって微笑んで見せた。
「それじゃあ……近くに港町があったはずだから。
そこに行こう。」
彼女はそうとだけ言うとまた正面に向き直った。
また歩き始める。
砂が靴に擦れる音、波のさざめき、遠くから鳥の鳴く声なんかも聞こえた。
それはそうと、少女の声は何かに似ているような気がしてならないと青年は首を傾げる。
その何かを青年は思い出せなかったが、彼女の声はとても綺麗だった。
キンキンと甲高いわけではなく、男のように低いわけでもない。
年頃の少女の柔らかな声だ。
「……ルクレツィア」
「なあに?」
思い立って声をかける。
彼女が自分を無視することはきっとない。
そして正にその通り、少女は歩きながら青年に目を向ける。
その瞳に自分が映ったのがどうにも嬉しくて頰が緩んだ。
驚いたような顔を少女がする。
それから彼女は何やらほっとしたような表情を浮かべた。
「ねぇ、ヴィー」
青年は何も言わずに首を傾げる。
まるで仔犬のような可愛らしい仕草に少女は少し噴き出した。
「ふふ、ああ、違うのよ。
あなたが笑ってくれたのが嬉しかっただけ」
ヴァニタスは瞬いた。
「……俺が笑うと、ルクレツィアは嬉しいのか」
「うん、勿論。」
それを聞いたヴァニタスは喜んで欲しいと思ってふにゃりとまた笑う。
その様子に少女もまた笑った。
「……ああそれと、ヴィー
私のことはルウでいいよ。」
「ルウ?」
「うん。
仲の良い子しか呼べない名前。」
青年は口の中でその名前を転がす。
呼び慣れているような気がした。
少女はその様子を優しく見守り、それから何事かに気がついてあっと声を上げる。
「……ごめん、ヴィー」
「なあに、ルウ?」
少女は苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
天辺にいた日は少しずつ傾いている。
それに釣られて影もだんだん伸びていた。
「今日は、野営しないといけないかも。」
「……野営?」
「ああ、ええと、」
失念していた。
今の彼からは色々なものが無くなっている。
彼が未だ寝ぼけているせいか、或いは本当に忘れてしまっているのか。
ともかく、ルクレツィアはそれをどうにか説明しながら、自分で夜営の準備をできるようになっておいてよかった、と内心で呟いた。
その間少しでも進もうと足を動かしている。
ああ、きっと今日中には着かないだろうな、という彼女の想像通り、日はすぐに傾いた。
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