《メガロポリス 地獄警察24時》ー先輩、今あなたが撃ったのは犯人ではなく民間人ですー

@owlet4242

第1話 導入、あるいは《メガロポリス》の日常風景

「はっ、はっ、はっ……!」


 油断するとすぐに弾みそうになる息をコントロールしながら、彼はビルの階段を駆け上がる。


 《強化衣服パワードスーツ》や《強化外骨格エクソスカル》の着用が一般化された昨今、多くの人の例に漏れず彼もスーツを着用をしているが、心肺機能は未だに自前だ。いくら身体能力の機能補助があるとは言っても、高低差のある5km近い距離をスプリントで走り抜けるのには流石に無理があったとみえて彼の呼吸は早く荒い。


 でも、足は止められないんだ。


 そう体と心に喝を入れて、彼は限界が近いことを胸の内でしきりにアピールする心臓たちを無視し、階段を上るスピードを上げる。そのスピードは最早フロアから踊り場までを一跳びで登るほどである。


 なぜ、ここまで彼は体に鞭を打って走らなければならないのか?


 それには彼の職業が大きく関わっている。

 ビルの最上階を示す屋上のマークのついた階段を駆け登ると、そこには屋上へと続く唯一の扉がある。

 軽くノブを回して鍵が開いていることを確認すると、彼は腰のホルスターに刺さったハンドガンに手を伸ばし、扉を開け放つと同時に黒光りするそれを抜き放った。


「ゴードン・スミス、お前に逃げ場はもうない! おとなしく……」


 投降しろ。その言葉は続かなかった。


「いやぁ、遅いぜひいらぎ巡査!」


 彼ーー柊巡査の前には、彼が追いかけていた事件の犯人ゴードン・スミスが両手を頭の後ろで組んでひざまづかされている。所謂、ホールドアップの体勢だ。

 臆病そうな小悪党という表現がしっくりくる造形のその顔は、恐怖によってひどく歪んでいる。

 しかし、側頭部にS&W M29の銃口が押し付けられていることを考えればそれも無理からぬ話だ。この銃が火を吹けばゴードンの脳内はハンバーグ用のミンチレベルでこねられて原型を留めることはまず無いだろう。

 そして、その銃は柊巡査に声をかけてきた茶色のハットにコート姿の人物の手に握られていた。

 その姿を目にした柊の口から驚愕の声がもれる。


「す、すめらぎ刑事! どうやって屋上ここまで先に着いたんですか」


 ビルの屋上に通じる扉は柊が通ってきた一つだけ。階段は複数あるから回り込むことは可能だが、彼の使った階段が直接扉と繋がっているので最短距離だ。

 故に、なぜ自分よりも先に皇がゴードンをホールドアップできているのか分からない柊の口からそんな言葉が出るのは自然な流れだといえた。


 そして、そんな柊の言葉に皇は左手の親指で自分の背後、すなわちビルの外を指差す。


「そりゃお前、外壁を登って来たんだよ。ジグザグに階段を駆け上がるより直線的に駆け上った方が速えーだろ?」

「ま、マジですか……」


 《パワードスーツ》有りとはいえ、10階建てのビルを垂直に駆け上がるのは至難の業だ。万が一途中で落下すれば、高さや《パワードスーツ》の性能にもよるが、打撲や骨折、最悪死ぬ可能性すらある。

 そんなリスクをはねのけて、それを難なくやってのけたと言う皇に対する柊の反応は当然といってしかるべきだ。

 そして、そんな柊の様子を見た皇はさも面白いといった風にニヤリと笑う。整った顔立ちの皇だが、笑うとギザギザの歯が口元から見えて、途端に狂暴そうな印象に変わる。


「ダメだぜ、柊巡査。《メガロドン》はぬるま湯の日本とは違うんだ。毎日どこかで悪党アホどもが暴れて人が死んでる。鉄則その一『常識をアップデートしろ』。そうしないと早晩お前も死ぬぜ?」

「……はい」


 後輩に向かって楽しそうに指導アドバイスする皇と違って、指導を受ける柊はどこか腑に落ちないといった様子で返事をする。それを見て皇はまたニヤニヤと笑い始める。


「まー、すぐには慣れんだろうがね。何個か鉄火場を潜れば染まるだろうさ。そして、ここで仕事をする鉄則その二『無法には無法で立ち向かえ』だ」

「いや、俺たち公僕ですから無法は流石にダメなのでは?」

「バカだなぁ柊巡査、バレなきゃ犯罪は犯罪にならないんだぞ?」

「それ、犯罪者の言葉ですよね?」


 まるで警官とは思えぬ口ぶりの皇に、呆れた声でツッコミを入れる柊。その声色には少し精神的な疲労の色も滲んでいた。


「とにかく、まずはゴードンこいつを片付けちまおうぜ、柊巡査」

「まぁ、それには同意しますよ」


 下らない寸劇をやったところで、それを見ているのは犯罪者ただ一人というお寒い状況であることに気づいていた柊は皇の言葉に同意する。

 さっさと終わらせてパトロールに戻ろう。俺たちを待っている市民は他にもいるはずだ。

 そんなことを考える柊の前で、皇がわざとらしく「ゴホン」と咳払いをするとコートのポケットからしわくちゃになった紙を取り出した。

 その紙を開きながら皇はゴードンに向かって高らかと宣言する。


「ゴードン・スミス! 貴様には以下の犯罪に対しての逮捕状が出ている!」


 その言葉を聞いた柊は、「なるほど、さっきの紙は逮捕状か。電子媒体でも持ち運べるのになんでポケットにしわくちゃに突っ込んでいるんだ」というもっともなツッコミを入れたい衝動に駆られたが、話が長くなりそうなので喉元まで出かかったそれをグッと飲み込んだ。


 そんな後輩のことなど全く気にしない皇は、嬉々として手元の逮捕状を読み上げていく。

 その罪状が気になった柊は手元に支給された電子端末で、ゴードンの逮捕状にアクセスする。

 ……ふーん、窃盗三件に、恐喝一件か。典型的な小悪党だな。

 罪状を確認した柊はゴードンに軽蔑の眼差しを送る。そして、その貧相な顔に見合ったちんけな悪党のゴードンに向かって、皇がついにその罪状を突き付ける。


「ゴードン、今から貴様の罪状を読み上げてやる! 耳の穴かっぽじって……は腕を拘束してるから無理か。まぁ、とにかく聞け! 貴様には窃盗三件、恐喝一件、そしてーー」

「……ん? そして?」


 先ほど確認したはずの罪状がそれだけでは終わらなかったことに気づいた柊が思わず声を上げる。


「ーー貴金属密輸、未成年者略取、強盗……」


 ……え、なにそれ。さっきのデータベースに全然載ってなかったんだけど。

 次々に読み上げられる恐るべきゴードンの罪状に、柊が「この小悪党、実はとんでもない大犯罪者だったのか?」という視線を送ると、ゴードンは一体それはどこのどいつの罪状なんだと困惑した表情を浮かべていた。


「あの、皇刑事?」


 流石に妙だと思った柊が皇に声をかけるも、皇による罪状の大演説は止まらない。


「……内患誘致罪、自動車強盗、な、なに!? 婦女暴行を10件だと! この破廉恥漢め!」

「ちょっといいですか、皇刑事」


 存在しないゴードンの架空の罪状で盛り上がる皇を、流石に放置できないと判断した柊がその方に手を乗せる。


「なんだ柊巡査、今いいところなんだから少し黙っててくれ」


 演説を邪魔された皇は、ご立腹といった様子で頬を膨らませる。

 「子供か」と言うと更に拗れそうなので、柊は淡々と皇の間違いを訂正することにする。


「皇刑事、このゴードン・スミスですが、データベースに記載の情報だと罪状は窃盗三件と恐喝一件だけです。誰か他の犯罪者の罪状と間違ってませんか」

「ん、ああ、そりゃそうだろ。だって最初の二つ以外は私のでっち上げだしな」

「はあ!?」


 ことも無げに「罪状のでっち上げ」を白状する皇に、開いた口がふさがらない柊の前で皇は両手の人差し指を付き合わせてもじもじする。


「だってさ、この私が逮捕する犯罪者がそんなしょっぱい罪状なんてゆるされないじゃん? だからちょっと盛ってもいいかなって」

「ちょっとじゃねーし! むしろ盛った方の罪状がヤバすぎて、どこの反社会勢力の幹部だよって感じになってますよ!」

「えー、別にこれくらい盛ってもいいよなー?」


 皇はそう言うとゴードンの方に目を向ける。ただし、向いたのは目だけではなく皇が手に持つS&W M29の銃口も、だったが。


「はいそこー、犯罪者を恐喝して罪を増やそうとしなーい!」

「……ダメか?」

「ダメに決まってるでしょ!」

「……チッ!」


 柊が毅然と窘めると、皇は面白く無さそうな表情で舌打ちした。恐らく自作であろう偽の逮捕状をくしゃくしゃに丸めて放り投げると、リボルバーをホルスターに戻して屋上の手すりにだらんともたれかかる。


「あーあ、真面目な柊巡査のせいで凶悪犯罪者を逮捕して私のボーナスアップ大作戦がパーになったじゃないか」

「こんな狡い作戦、すぐにバレてまた始末書ですよ?」

「いーんだよ、どうせ始末書なんて書かないんだから」

「またそんなことを言う……真面目に働いて下さいよ皇刑事」


 頭を抱えた柊の小言を無視して、皇はくたびれた布団のようにだらんと手すりにもたれかかったままだ。もうゴードンのことなどどうでもいいという風に町行く車の流れを目で追うその姿は、欲しいお菓子が買って貰えず不貞腐れる子供のそれに似ていた。

 そんな皇の姿を見て柊は一つ溜め息を吐くと手元の電子端末を操作する。


「とりあえず、ゴードンの件は本部に報告入れますけどいいですね」

「あー、もう適当に……ちょっと待ったぁ!」

「うわ!? なんです皇刑事!?」


 突然、跳ね上がるように手すりから飛び起きた皇。

 柊がそれに驚いて硬直していると、皇は先ほど見せたニヤニヤとした凶悪な笑顔でゴードンへと歩み寄る。


「いいこと思い付いたぜ、ほれ」


そう言って皇は腰のホルスターとは別に脚につけていたホルスターから小口径の拳銃を外すとゴードンの前に放り投げる。

 何が目的なのか判らず唖然とするゴードンと柊の前で、皇は自信満々の表情で再び演説を始める。


「いやさ、今ここから下を見下ろして気づいたんだけどさ、ここの向かいのビルの一階、銀行なんだよね」


 「銀行」、そして放り投げられた「銃」。


 ……まさか、まさかとは思うけれども、流石に皇刑事でもそこまではしないよな?


 その光景を眺めた柊の脳裏に、ある最悪の計画が浮かぶが、まさか皇でもそこまではするまいと固唾を飲んで次の言葉を待つ。


「ゴードンさ、お前その拳銃でちょっと銀行強盗してこいよ。成功したらお前は銀行の金を盗んで自由の身、失敗したらお前の罪状に『銀行強盗』が増えて私たちがハッピー! どうだ、いい取引だろ!」

「うわー!? 本当に言いやがったこのアホ!?」


 予想通り、最悪な取引をぶち上げた皇に、思わず柊が叫び声を上げる。

 自身の評価を上げるために一度捕まえた犯罪者を再び野に放って犯罪をさせる。中世貴族のハンティングも真っ青な盛大なマッチポンプである。

 そして、そんな柊の叫び声を聞いた皇は心外だと言わんばかりの表情で彼の方を振り返る。


「む、アホとはなんだ柊巡査。これは犯罪者にも私たちにもメリットがある高度な司法取引というやつだぞ」

「司法が全然絡んでないでしょうが!」

「安心しろ、柊巡査。私たち警察は『法の執行者』、つまり私たち自身が司法そのものと言っても過言ではーー」

「過言ですから!」

「ーー柊巡査。前から思っていたんだが、君は先輩である私に対しての敬意が欠けているんじゃあないか」

「なら、もっと尊敬できる行動をとってくださいよ!」


 などと、二人が寸劇を繰り広げ始めたその時。


「……くっそ!」

「あっ!?」


 後頭部で手を縛られていたはずのゴードンが、いつの間にか拘束をほどいて走り出した。走るゴードンの腕には銀色の刃物のようなものが光っている。


「しまった! あいつ、腕は違法サイボーグか!」


 体の欠損を補うためのサイボーグ技術はもう一般社会に浸透して久しい。技術が向上した今では生身の体よりも遥かに優れたサイボーグパーツも誕生し、その結果安易に体をサイボーグ化する者があとを絶たなかったため、人体のサイボーグ化についてはガチガチに法で規制されている。

 少なくとも、サイボーグに武器の類いを仕込めるのは、軍や警察関係者など治安維持に関わる一部の人間だけであり、ゴードンのようなチンピラが合法的に持てる代物ではない。

 それが、ゴードンの逃走を許す油断に繋がった。


「好き勝手言いやがって、ポリ公の糞どもめ! お前らの相手なんてやってられるか!」

「くっ……! 速い!」


 確かに(主に皇刑事が)好き勝手言ったことは事実だが、だからといって犯罪者を逃がすいわれはない。

 慌てて後を追う柊だが、その差はだんだん開いていく。恐らく、脚も違法改造サイボーグなのだ。


 だめだ、ビルからビルへ跳び移られると俺の《パワードスーツ》では追えない!


 柊の支給された《パワードスーツ》はバランス型のチューンが施されているので、脚力など特定の機能に特化したサイボーグとは比べ物にならない。


 くそっ、逃げられる!


 一度は捕らえた犯罪者を逃がす。そんな失態を犯した自分の不甲斐なさに柊が歯を食い縛ったその時。


「柊巡査ぁ! 射線から離れろぉ!」

「……っ!」


 背後から飛ぶ叫び声に反射的に柊の体が横に飛ぶ。

 宙を舞う最中、柊が声の方を窺うと、そこには片膝立ちで右腕を真っ直ぐにゴードンに向かって突き出す皇の姿があった。

 突き出されたその右手には大きな虚が空いていて、その内部では機械が規則的に明滅している。


 ーー人体のサイボーグ化はガチガチに法で規制されている。


 ーーしかし、軍やはその限りではない。


 合法的に所持することを許された武器内臓のサイボーグアーム。皇の右腕が今まさに火を吹こうとしていた。


「本当なら私から逃げるなんて即射殺もんだがな、罪状に『公務執行妨害』と『違法サイボーグ化』の点数が上乗せになった分、命だけは助けてやるよ! 喰らえや!」


 皇の叫び声と共に、その腕に内蔵された《携行砲ハンドキャノン》が火を放つ。初速は秒速にして1500m超、ライフル弾並みの速度で放たれた直径5cmの鉛塊は、今まさに隣のビルへ跳躍を試みようとしたゴードンの両の脚を原型を留めぬほどに粉々に打ち砕いた。


「よっしゃあ!」 

「皇刑事!」


 見事に標的を射抜き、喝采をあげる皇と柊。


「ぎゃああああぁぁぁぁ……!」

「「あっ……」」


 その目の前で、射撃の余波を喰らったゴードンが切りもみしながらビルの谷間へと落下していった。それから少し遅れて盛大な破壊音、さらに少し遅れて爆発音がビルの谷間に木霊した。どうやら、ゴードンは落下後に車にでも突っ込んで爆発炎上したらしい。

 そして、落下したゴードンのその向こう、ゴードンが跳び移るはずだったそのビルでは、土手っ腹に風穴を開けられた給水タンクの設備が空しくその中身を屋上へと垂れ流していた。


「……柊巡査」

「……なんです」

「始末書、何枚で済むと思う?」

「そうですね、前にビル一つ倒壊させた時の厚さ一センチまではいかないと思いますよ」

「……ジーザス」

「……手伝いますよ、皇刑事」

「……ありがとう、柊巡査」


 がっくりと肩を落とす皇の背中を、慰めるようにぽんぽんと柊の手が叩く。そのまま二人は扉へと消えて、ビルの屋上には再び元の静寂が帰ってきた。


 こうして、今日も一つの悪が二人の《法の執行者》の手によって滅びた。

 《メガロドン中央警察署》所属、皇刑事。

 《メガロドン中央警察署》所属、柊巡査。

 世界で一番危険な海上都市メガロドン。そこに身を置く二人のバディの戦いは続く。

 世界から悪が滅びるその日まで。






 その後、ビルから出た二人を待っていたのはゴードンが突き刺さったことで盛大に炎上する二人が乗ってきたパトカーと、そのタイヤの回りに書かれた「駐車禁止区間」の取り締まりのチョークの跡だった。


「……始末書、一センチ超えるかもしれませんね」

「…………うん」

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