第240話 ビスケットの可能性
日暮れが早くなり村の畑が収穫の時期を迎えた頃、ニースの領主エリックの元に二通の書簡が届く。
ギルドの執務室で書簡を開くと、秋の軍事演習である蒐への招集状であった。
「今回は北への遠征に参加するのか・・・用意が大変だな」
「えっと・・・そんなこと書いてある? 」
もう一通の書簡を読んでいたエリカが声を上げた。
彼女はまだ飾り文字の文体には慣れていない。
「ここに書いてある。ドルン河を渡り、去年逃した北方民へ懲罰の遠征がある」
俺が該当の箇所を指で刺し示すと、エリカは目を細めて自分の書簡を確認する。
「・・・私のところには書いてないわよ」
「そうなのか? 」
「見て」
受け取った召喚状を確認すると、エリカの召喚状には遠征の下りは無かった。
「確かに書いていない。書いていないという事は」
「行かなくっていいことね」
エリカが台詞を先取りした。
「多分」
「良かったー」
嬉しそうに顔をほころばせた。
エリカは勇敢な騎士ではあるが戦が大嫌いだ。遠征へ向わなくて良いのは朗報だろう。
「だが、"アマヌの一族との繋ぎをしてほしい"と書かれてあるから、エリカも河は渡らなくてはいけないぞ」
「繋ぎって、なにをすればいいの? 」
「先の戦いでジュリエットが率いるアマヌの一族は強力な味方になってくれた。出来ることなら今回も助力を頼みたい。だからエリカに仲介をしてほいしのだろう。エリカはアマヌの一族に迎えられているんだから、他の者よりもジュリエットに話が通りやすいと、閣下はお考えになったのかもしれない。今回の遠征がどうなるかは分からないけど、味方は多い方がいいだろう」
「それなら任せて、私も久しぶりにジュリエットに会いたい」
エリカは胸を叩いて意気込む。
「頼んだ」
「でも、エリックの方は大丈夫なの。遠征って。戦争になるんでしょ」
「恐らくは。先の戦いで北方民の侵攻は撃退できたが、多くのは逃げおおせた。あいつらが我々に和睦を求めるか、恭順しないのであれば戦いにはなるだろう」
「おとなしく降参しそうにはないわよね」
「ああ、立ち向かってくると考えた方がいい。だけど今回は俺も後ろの方みたいだ。兵糧方に配置されるらしい」
「兵糧方ってなに? ・・・もしかして、また麦とか食べ物を用意しろって事? 」
途端にエリカの表情が渋くなった。
去年の様に、大量の兵糧を調達しなければならないと思ったようだ。あの時の借財はギルドの売り上げから既に返済されているが、同じ量を集めるとなると苦しい。
「違う。麦は集めなくてもいい。兵糧方は後方から前衛の部隊に兵糧を運ぶんだ。俺はその運搬と護衛だろう。頑丈な荷馬車を用意しないと」
「なるほど」
「俺の配下は剣の握り方も怪しい奴が多い。敵と正面切っての戦いには使えないとお考えになったのだろう」
実際にニースの兵は剣の扱いよりも、乗馬の習熟に重きを置いている。走れるが戦えない兵だ。
「良かった。戦う心配はないのね」
エリカの楽観的な感想に思わず苦笑してしまった。
「・・・そう願いたいが」
「なに? 違うの? 」
「北方民は兵糧を運ぶ部隊を襲うのが得意らしい。父上が言っていた。後ろだからと油断はできない」
エリカの顔が曇るので急いで付け加える。
「あれだ。不慣れな土地で戦働きをするよりかは危険は少ないよ。少なくとも前と後ろは味方だ」
余計なことを言って不安を煽ってしまった。話題を変えなくては。
「兵糧で思い出したんだが、ビスケットをたくさん作る話、あれはどうなったんだ」
「ああ、あれね。フスさんに頼んで、オルレアーノで作ってもらうことになったわ」
「こっちで手配しなくていいのは助かる」
「街のパン屋さんの窯は遠征用のパン焼きで手一杯だったから、商会とか教会の窯を総動員して作るって言ってた」
「高くつきそうだな。大丈夫か」
「心配しないで、思いっきり値切ったから。予算の内よ」
先日の幹部会議でエリカは、大量のビスケットを作る資金を求めた。
前回の遠征でも割り当てのライ麦パンを口にするのが嫌すぎで大量に作っていた。今年も同じことをするのかと思ったが違った。
エリカは言った。今後ギルドでは軍団の兵糧としてビスケットを売りたい。その手始めに、軍団兵たちにタダでビスケットを配ると。多くの者にビスケットの味を知らしめて、兵たちをお客として取り込むつもりなのだ。
オルレアーノで砂糖の店を開いた時も同じことをした。周りに配って関心を持ってもらう。エリカお得意の作戦の一つだ。
流石に軍団兵一人一人に配るのは手間暇を考えると無理なので、蒐で行われる剣戟大会や競馬での勝利者にまとめて授与することとした。一人では食べきれない量のビスケットを渡された勝者は、自然と周りに配るだろう。そうなればエリカの掌の中だ。
訓練で疲れた兵たちに、砂糖や糖蜜が練りこまれたビスケットはさぞ美味だろう。
俺も先の包囲戦の後にビスケットを食べた。口にしたとたんに例えようのない衝撃が広がり、しばらくの間手が止まらなくなったのを覚えている。
コルネリアやエミール、神聖騎士団の方々も同じ気持ちだったろう。エリカのビスケットはオルレアーノに戻る頃には底をついていたのだから。
去年の俺達と同じ衝撃を軍団兵に味わあせるつもりだ。
多少の費用は掛かるが、良い作戦だと思う。来年には自費でビスケットを買い求める者が現れるだろう。
エリカは常々、ニースの発展には砂糖だけでは足りないと言っている。
砂糖の精製方法は教会とギルドによって秘匿されているが絶対ではない。
ギルドの権益はレキテーヌ地方に限られているし、教会の目を盗んで砂糖を作ることだってできる。いくら隠しても作り方は広まり、やがては砂糖自体も珍しいものではなくなるだろう。そうなれば商人たちは、街道から外れたニースの砂糖をわざわざ買い求めたりはしない。もっと便利で大量に作れる土地に移る。だから今のうちに他の産物にも目を向ける必要がある。その一つが、砂糖や糖蜜を練りこんだビスケットなのだと。
砂糖を作っているニースと、レキテーヌの麦を手広く扱っているドーリア商会。この二つが手を結べはどこよりも安く大量のビスケットが作れる。
砂糖だけ、麦だけならば、他の土地や他の商会に後れを取るかもしれない。しかしながら、この二つを同時に抑えているのは俺達だけだ。だからこそビスケットは勝負できる。
去年の戦役でも傷みにくくそれでいて美味かったビスケット。兵糧としてもってこいの食べ物だ。
もし、軍団の常備食にビスケットが選ばれたら、それが俺たちが手掛けた物であれば、どこかで砂糖の作り方が広まっても困らない。
彼らは砂糖を作り、我々はビスケットを作ろう。より価値のあるのはビスケットの方だ。精製方法の秘匿に気を配るぐらいなら、砂糖を使った産物の開発に知恵を絞った方がよい。
このエリカの言葉にモリーニは感銘を受けたようで大いに賛成し、メッシーナ神父も同意した。お陰で今回の遠征もビスケットには困らない。
本当にエリカの商売の才には驚くばかりだが、俺が感心したのはそこだけではない。俺が最も感心したのはエリカのビスケットについての考えだ。
「このビスケットはね、別にお金儲けだけが目的じゃないの。私たちの甘いビスケットで兵隊さんの心が楽になったり気分転換が出来たら、それはとてもいいことだと思うのよ。戦争なんて食べる事ぐらいしか楽しみもないんだし。心に余裕が出来たらそれは強さにもなるでしょ。言うなれば、強い軍団を作るためのビスケットなのよ」
面白いこと考える。ビスケットが戦いの役に立つなんて思いもしなかった。
「なんてね。私も所属している軍団なんだから負けてもらっては、他の誰でもない。私が困るの。負けないためにビスケットを配るぐらい安いものよ」
照れ隠しなのかそう言って笑っていた。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます