第164話 家名
ヘシオドス家に金を出させようという話で結論に達したが、方法までは思いつかないまま日が暮れた。
これ以上考えても、良い案が出そうにないので一旦会議はお開きにする。
エリックは夕食も取らず家にも戻らず、本部の椅子に腰かけて考え込んだ。
向かい側の小さな椅子にはエミールが腰かけ、部屋の片隅にはエリカ専用の椅子が、主人の帰りを待つようにたたずんでいた。
エリックは主なき椅子をぼんやりと見つめながら、エミールに声を掛ける。
「とにかく、メルキアへ行かない事には始まらないか」
「はい。望みがあるとすれば本領です」
「うん。問題は誰が行くかだな。俺が行ってもいいが、閣下からは軽挙妄動は慎めとのお達しだ」
「でしたら、私が参ります。お任せください」
エミールが自身の左肩に手を当てる。
「嬉しい意気込みだ。頼むと言えたら楽なんだが、お前には王都に戻ってもらいたい。俺とエリカの間の連絡役として働いてほしいんだ。他の者には任せられない。エリカの傍にいてやってくれ」
「・・・畏まりました」
「しかし、お前が無理となると、バルテンかロランしかいないが、バルテンは裁判自体に乗り気ではないし、ロランに不慣れな土地で金策をさせる事にも迷う。やっぱり俺が直接出向くことがいいと思うが・・・」
いくら検討しても話が戻ってしまう。
「こうなったら、閣下からメルキアで金策する許可を貰うべきか。しかし、下手に言上して御裁可が得られなければ、今度こそ当てがない」
「だからと言って、黙って行かれるのは・・・」
エミールがエリックの思考を先回りした。
「もってのほかだ。分かっているよ」
「はい」
こんな時、エリカならどうするだろう。
考えるまでもない
とっくに羽黒をメルキアに向けて進ませているだろう。小言をいいながらも決して見捨てないコルネリア様と、無言で従うクロードウィグを引き連れて。
あいつは自由でいいな。
俺は椅子に座り込んで悩んでいるというのに。
それが羨ましくもあり、腹立たしくもある。
意見が尽きた部屋には、魚の油を使ったランプから、独特の匂いが漂っていた。
焦ってもいい案は出ない。諦めて家に帰るかと腰を上げると扉が叩かれた。
「どうぞ」
「失礼します」
エリックの返答に合わせて扉が開くと、一人の男が入ってきた。ギルドの職員の一人だ。
「まだ残っていたのか。もう帰っていいんだぞ。言ってなかったか」
「いえ、違います・・・その、お話があります」
「なんだ」
浮きかけた腰を椅子に戻した。
話を聞く態勢に入ったエリックに向かって、ギルド員は意を決したように口を開いた。
「会議でのお話ですが、メルキアでの金策を私にお任せいただけませんか」
エリックは予想外の申し出に、ギルド員の顔を見返した。
この男の名は、マリウス。
亜麻色の髪が印象的で、年の頃はコルネリアと同年代だろう。
彼は父ブレグの遠縁の親族らしいが、春先に仕官を求めニースを訪れるまで、会ったことも無い間柄だった。一度か二度会ったことのある親戚の紹介状を手にしていたので、全くのデタラメという話でもないだろうが。
ただ、初めて会った時の印象は、最悪の一歩手前であった。
なぜならマリウスは一人でニースに来たわけではなく、女連れであった。それも年若い。
当時のエリックは、年若い女と面談した瞬間に不機嫌になっていた。
また、愛人の斡旋か、いい加減にしてくれと。
しかし、連れて来た女はマリウスの妹だといい、エリカに仕官する為に来たのだと語った。
それまで、幾人かの女が行儀見習いと称してエリックに近づいてきたが、エリカに仕官したいと言い出した女は彼女だけだった。
彼らが来た頃には家臣団の編成は終わっていたし、エリカはそもそも家臣を必要としていなかったので断ろうかとも考えたが、二人とも読み書きができるというので、ギルドの職員として採用した。
どうして兄妹そろってニースに来たのか分からないが、二人ともよく働き、物覚えも良いので、特にエリカから重宝されている。
マリウスはエリカが王都に向かう前に、かなり多くの仕事を任され・・・押し付けられていたな。
「お前にか」
「はい。私はメルキア地方に行ったことがあります。ヘシオドス家と懇意の家についても心当たりがございます」
「どうして、そんなものを知っている。メルキアの生まれなのか」
「いいえ。ただ、何度か訪れたことがございますので、お役に立てるかと」
「申し出は有難いが・・・」
「メルキアは北に巨大な山脈が広がり、周囲も高い山々に囲まれた盆地でございます。道は限られる上に険しく、何も知らずに訪れるには危険です。まして、謀反ともなれば、彼の地は騒乱の巷になっているかもしれません」
「確かにそうだ。危険だな」
「はい」
妙に説得力ある言葉だ。
「私がメルキアに赴き、エリカ様に資金を出してくれる人を探します」
「出来るのか」
「失望はさせません」
マリウスは大きく頷き断言した。
彼の申し出は渡りに船ともいえるのだが、決心はつかない。
メルキアに手紙を届けるぐらいなら、一も二も無く飛びつく話だが、事は遥かに重大だ。加入したばかりのギルド員に任せてもいいものだろうか。
しかし、現状ではえり好みが出来ない。ここは、一か八かマリウスに賭けてみるべきか。
いや、賭けならばするべきではないのかもしれない。
エリックは両手で顔を押さえて呻く。
閣下や若殿も同じような苦悩をしているのだろうか、この様な場合はどうしておられるのだろう。誰か教えてくれないか。
無意識に部屋の片隅の椅子へと視線を向けた。
「分かった。私から異存はない。明日、ギルドの会議で皆が承認したらお前に頼むことにする」
「ありがとうございます」
翌日開かれた幹部会議で、マリウスの派遣は大きな反対も無く承認された。
ざわついたのは、派遣が決まった後である。
マリウスが、ニースのギルド員という立場では弱いので、シンクレア家の家臣を名乗らせてくれと言い出したからである。
それはマリウスを家臣として遇することと同義であった。
エリックはマリウスの瞳を真正面から見据える。その姿には、いささかの揺らぎも見いだせない。先に視線を外したのはエリックであった。
騎士であるシンクレア家の家臣を名乗ることで、ギルドの使いよりも、先方に強い印象を与えることが出来るという、マリウスの言い分はもっともなものだ。
家臣を名乗るぐらいなら構わないし、マリウスが金策に成功したのなら、彼を家臣として召し抱えてもよいだろう。困難な使命を果たしたのであれば、報酬があって然るべきだ。
だが待てよ。
その論法が通じるのであれば、シンクレア家の家臣などという、誰も知らない家名を持ち出すよりも、センプローズ一門の名を出した方が効果的ではないだろうか。メルキアでもセンプローズの名を知らない者はいないだろう。
エリックの中で新たな考えが浮かんだ。
「マリウスの話を聞いて思いついたのだが、私もメルキアへ赴くべきだろう。私だけでは右も左も分からないが、マリウスの案内があればその心配も少ない。交渉相手もセンプローズの名を出せば、話を聞いてくれるだろう。今の私は若殿の馬廻りだ。閣下のお許しがあれば、名代として話ができる」
一瞬の沈黙の後にバルテンが口を開く。
「仰せは御もっともですが、その為には閣下を納得させる必要があります。どうなさいますか。簡単ではありません」
「それだ。なにか良い案は無いだろうか。一門の利益になれば、お許しが出るかもしれない」
「利益と申されましても」
「些細な事でいいんだ。ヘシオドス家に恩を売るでも構わない」
「果たして奴らが、恩義を感じるでしょうか」
「どう受け取るかは彼らの自由だ。私としては金貨を出してくれればそれでいい」
バルテンが黙ると次はモリーニが口を開く。
「エリック様までがメルキアに向かうとなりますと、ニースが手薄になります。エリカ様は王都ですし、お二人ともご不在ですとギルドの業務に支障が出ます」
「それも分かってはいるが、騎士である私が出向く方が、向こうも話を聞くだろう。マリウス一人だけでは、侮られる。シンクレア家のような新参者の家名には、誰も重きを置かないからな。だが、一門の家名があれば、資金を引き出すことも出来るやもしれない。少なくともマリウス一人で向かうよりは脈がある。違うか」
「確かに、仰せの通りですが・・・」
「ぐずぐず、するつもりは無い。脈が無ければ直ぐに戻る」
「その、メルキアまでの道のりは」
「馬で十日ほどです」
マリウスの返答に、エリックは決断した。
「よし。こうしよう。往復二十日、メルキアで十日。これ以上の時はかけない。それまでは頼む」
「・・・承りました」
不承不承といった面持ちではあったが、期限を区切ったことによりモリーニも同意した。
「これ以上はここで、議論しても仕方ない。後は直接閣下にお伺いしよう。御裁可が降りれば、私もメルキアへ向かう。期間は三十日。お許しを得られなければマリウス一人に行ってもらう。どうだろう」
エリックの提案に全員が頷いた。
続く
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