第161話   騎射

 初夏の眩しい日差しの中。

 エリックは、木材と動物の皮で作られた合成弓の弦を引き絞る。

 子供の頃から使い慣れた弓だ。

 僅かな時間で狙いを定め、一呼吸おいてひょうと放つと、矢は丸太に突き刺った。

 命中を確かめすぐさま次の矢をつがえ放つと、瞬く間に三本の矢が丸太に突き刺さった。

 人に当たれば、無事では済まない。


 「お見事」


 隣で見守っていたバルテンが称賛の声を上げる。


 「ありがとう。止めたままでなら、当てられるようにはなった」


 弓を腕にくぐらせると、アンゼ・ロッタの手綱を取る。

 エリックは馬に跨ったまま矢を放っていた。


 「走らせると途端に当たらなくなる。ものにするには相当の修練が必要だな」


 アンゼ・ロッタの腹を蹴って場所を譲ると、今度はバルテンが馬上からの射撃を試みる。

 一本目は丸太に刺さったが、二本目は姿勢が乱れ的に弾かれた。


 「先は長そうですな」


 辛うじて三本目を命中させたバルテンが、肩をすくめる。


 「アマヌの一族やエリカの国の騎士たちは、走りながら矢を射るらしい。一度でいいからこの目で見てみたいものだ」


 以前、エリカから聞いた馬上からの射撃、騎射を試してみるが、簡単ではない。

 手綱を放し、身体の向きを変えて弓を構えるのだ。ややもすると落馬しそうになる。

 初めて試したときは、矢をつがえる事すら手間取った。

 やり方を教えてくれたエリカも、詳しい射撃術までは知らず、修練の方法は自分で考えるしかない。

 一度でも観たことがあれば、楽なのだが。


 「先の戦でご覧にならなかったのですか」

 「見ていない」


 僅かに顔を曇らせるが、直ぐに晴れやかな表情になる


 「ジュリエット様と若殿が突撃なさった頃は、お嬢様を守っていたからな。幸運な事に主戦場のはずれだった。軍団兵と北方民がぶつかりそうになった時も、エリカとコルネリア様が間に入ってくれたから戦にもならなかった」

 「確かに幸運です」


 バルテンは深く同意した。

 

 「その幸運のお陰で、今の悩みがあるという事ですな」

 「違いない。大いに悩むさ」


 普段から馬を乗り回している身としては、手綱を持たずに馬を走らせることは難しくは無いのだが、小刻みに揺れる馬上から的に命中させることは至難の技であった。

 至難の技とは言うが、身体を支える鐙があるから、まだこう言える。無ければ不可能だと言っていただろう。

 身体の向きを変える時も、矢を放つときも下半身の踏ん張りがきかないと危険だ。鐙は騎射には必須の馬具であった。

 エリックは再び弓に矢をつがえた。

 エリカの話だと、エリカの国の騎士たちはもっと大きな弓を使うという。

 弓が大きくなると弦を引き絞る力が今よりも必要だが、馬上だと大きな弓の方が撃ちやすいのかもしれない。

 試しに一本作ってみるか。


 「バルテンは見た事は無いのか。騎射を行う者たちを」


 空想だけでは頼りない。歴戦の戦士の意見が聞きたい。


 「北の戦で何度か。ただ、私が見たのは、空に向かって適当に放つ者ばかりです。エリカ様の言う、走りながら狙って放つ者どもには出会ったことはありません」

 「そうか。適当に放つだけなら、特に難しくはないな」

 「はい。敵のいる方へ、上に向かって放てばよいだけですから」


 密集形態の歩兵部隊にはそれでも有効だろう。相手が盾を持っていなければ尚更だ。

 だが、密集していなかったり、盾を持っていたりしたら効果は低い。

 碌に狙いもせずに放つのだ。当たる当たらないは神頼みとなる。これでは矢がいくらあっても足りない。矢じりや矢柄だってタダではない。一つ一つは高くはないが、百本、二百本となればそれなりの金が掛かる。それを空に向かって闇雲に放つなど、無駄の多い戦い方だ。

 多くの矢を費やしても、数人の怪我人が出るだけだろう。

 効果を出そうと思えば、大勢で雨のごとく間断なく放つしかないが、そのような戦い方は、次の矢を豊富に用意できる弓箭隊の役割だ。

 馬上で扱える矢の数は精々十数本。適当に放てば一瞬で尽きてしまう。沢山持って行くと肝心の動きが悪くなる、馬も疲れやすくなるだろう。

 手柄を立てようと思えば、やはり狙って射るしかない。


 恐らくだがエリカの国の騎士たちは、敵前を横に又は斜めに駆け抜けながら十フェルメ程度の至近距離から矢を放つのではないだろうか。これなら敵の槍は届かないし、射手の腕前によっては盾の隙間も狙える。

 相手の武装によっては、一方的に叩くことが出来るだろう。

 馬で近寄り矢を放って、そのまま立ち去る。これを何度も繰り返せば、いずれ敵陣は崩れる。その崩れた穴から突撃すれば、勝利は容易い。こちらの痛手も少ないだろう。


 「これを習得できたら、恐ろしいのは敵の矢だけだな」


 エリックの感想にバルテンは大きく頷く。


 「仰せの通りです。敵の矢を防ぐことが出来れば負けは無くなります。危なくなれば引けばよいだけです」

 「矢はどうやって防ぐ」

 「弓矢で両手がふさがっていますから盾は持てません。防ぐとなると兜と鎧になるでしょう」

 「やはり、そうなるか」

 「はい。矢を通さない厚手の鎧が良いでしょう」

 「厚手の鎧か。私のアルゲルト・セグメンタルスでは駄目か」

 「駄目ではないでしょうが、あれは剣を振いやすくするための鎧ですからな。なにか工夫が必要になるでしょう」

 「そうか」


 エリカの国の騎士たちは、どのような鎧をまとっているのだろ。

 実は以前、そのことを訊ねたことがある。が、答えは芳しくなかった。

 よく知らないらしく、色々悩んだ末に、兜に角があるとか、真っ赤な鎧を身に着けているとしか答えなかった。

 角や色は関係ないと思うのだが。


 思案を巡らしながら、修練を続ける。

 鎧は後で考えるにしても、配下の者たち全てが騎射を会得すれば、自分の隊は恐るべき力を戦場(いくさば)で発揮するだろう。

 こちらは走りながら射撃するのだ。相手が徒歩(かち)であれば追いつかれることは無いし、同じ騎兵であったとしても、捕まえることは難しいはずだ。

 何なら逃げながら後ろに向かって射撃してもよい。

 そう考えたエリックは背後に向かって弓を構えてみる。

 横に放つよりも難しいが、出来ないという訳でもなさそうだ。


 例えば広大な草原が戦場であれば、追いかけてくる敵をひたすら射落とすだけでも勝てるのではないだろうか。百人程度の騎兵隊をいくつも編成し、敵の周りを駆け抜けながらひたすらに矢の雨を降らせる。敵の騎兵隊さえ排除してしまえば、あとに残されるのは足の遅い歩兵隊。彼らが近づけば引き、離れれば追うを繰り返せば、敵は文字通り手も足も出ないだろう。

 相手は弓で撃ち返すか、こちらの矢が尽きるまで盾で防ぐしか方法は無いように思える。

 矢が尽きるまでじっと耐えることは辛いし、動き回る騎兵に矢を当てることは難しい。多くが無駄撃ちになるだろう。

 引き換えこちらは少数で散開している上、動きの鈍い相手に向かって矢を放つのだ。どちらに分があるかは明白だ。

 考えれば考えるほど、隙のない戦法に思える。

 エリカの国の騎士たちがこれを取得しているとすると、エリカの国ニホンとは恐ろしい国だ。勝てる見込みがつかないではないか。

 遥か彼方の国らしいので、戦場(いくさば)で相まみえることは無いだろうが、好き好んで戦いたいとは思わない。

 何よりも習得が難しい。


 騎射の修練を積極的に行っているのは現状、エリックとバルテンだけである。

 他の者にはやらせてはいない。

 エミールには王都から戻ってくればやらせてみるつもりではあるが、新しく家臣にした者たちは、まずは馬に慣れることが先決だ。

 乗馬を習得してから、弓矢の修練。それが終わってようやく騎射に移れる。どれ程熱心に修練しても、形になるには一年以上かかるだろう。

 先は長いが、いずれは皆が出来るようにするつもりだ。


 「俺、一人が出来ても仕方が無いからな」


 馬の腹を両足でしっかりと挟み、上体を安定させ矢を放つと先ほどと同じ場所に命中した。

 先に刺さっていた矢柄が砕け散ると、バルテンが手を叩いて賞賛する。


 どんなに素晴らしい戦法も単独では意味が無い。

 一人勇んで敵を一人二人多く討ち取ったとしても、個人の武勲はともかく戦いには何の影響もない。影響を与えるためには数が必要だ。

 配下の者たちと一丸となって戦えばこそ、勝利に貢献出来るのだ。

 エリックは、今まで考えた事のない領域に足を踏みいれる。それは、エリックがただの戦士から指揮官へとなる第一歩であったろう。


 「修練もそうだが、数も揃えなければ」

 「馬が少し足りませんな」


 バルテンの指摘に頷く。


 「ああ、もっと増やさないと」


 アマヌの一族の戦士たちは、多くの替え馬を用意していた。

 あれを真似るとなると、騎兵一人につき三頭の馬が必要だ。エリックの配下は十人なので、現状でも三十頭程度の馬を保有しなくてはならない。

 配下を増やせば必要な馬の数は、さらに増えていく。

 馬は馬車や農耕にも使われるから、全てを軍馬とするわけにはいかない。

 村で必要な数を確保したうえで、増やさなければならないのだ。

 そして馬は下手な奴隷よりも高い。

 ロランに命じて馬市などで馬の確保に動いてはいるが、数だけではなく飼育する馬の種類も悩ましい。

 アンゼ・ロッタのような大柄の馬を揃えたいが、その様な馬は数が少ない上に値も張る。簡単には集められない。少しづつ増やして行こう。


 「騎士とは何かと物入りだな」

 「全くです。将軍閣下に言わせると、軍団の費用を肩代わりさせるために、騎士は存在しているとのことです。ただ、誰にでもやらせると世が乱れるので、武勲を立て信頼あるものだけが騎士になれるのです」

 「なんだ。そうだったのか」


 初めて耳にした。


 「大半は冗談でしょうが、一部は本気でしょう。現にエリック様はご自分の所領で兵を揃えておられます。肩代わりと言えるかもしれませんな」

 「違いない」


 夢の無い話だ。

 バルテンの笑い話に苦笑いを浮かべる。

 配下を抱え、武具を揃える。何をするにも金がかかる。

 村周りの旅芸人たちが貧乏騎士を主役に、ドタバタ劇を面白おかしく演じるが、あれは本当の話だったのか。

 自分が騎士になるとそのことを実感する。これでもギルドのお陰で、軍資金には恵まれている方なのだがな。

 悩みは尽きないが、一つ一つ乗り越えていくしかない。

 エリックは再び、馬上から弓を引き絞った。



                 続く

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