第160話 為替システム
王都での騒乱をよそに江莉香が不在のニースには穏やかな時間が流れ、ノルトビーンの畑では春先に植えたビーンが実りの時期を迎えていた。
良く晴れたこの日、村の者に交じりエリックも自ら鍬を振るい、ビーンの収穫作業をした。
「領主様。いかがでしょう」
年老いた修道士が掘り起こしたビーンを高らかに掲げて見せた。
「立派な出来栄えだ。これなら砂糖もたくさん取れそうだな」
豊かな実りが嬉しくて仕方がない。
「見ろ。こっちも負けていないぞ」
自らが掘り起こしたビーンを指し示す。
「おお、見事な出来栄えです。ここ数日、晴れた日が続きましたからね。神々の恩寵です」
「ああ、春先は雨も適度に降ってくれたから、水にも困らなかった。まさに神々のお陰だ」
持ち上げるとズシリと重いビーンには、黒々とした土がついている。エリックはそれを楽しげに払うのだった。
今回の収穫は、量も質も一番の出来栄えだ。
神々の恩寵により天候に恵まれたことも有るが、雑木林の丘を切り開き、ため池と水路を整え、魚の残骸や貝殻を乾燥粉砕した肥料を十分に撒き、多くの村人や修道士の協力を得られたおかげである。
どれか一つが欠けても、この結果は得られなかっただろう。
収穫されたビーンが荷馬車にどんどん積み上げられていく。
あれらは全て専用の倉庫に運ばれ、一月ほど乾燥させたあと、大鍋で煮られて最後は砂糖になる。
「このまま次の種を蒔きたいところが、駄目なのか」
エリックは額から流れる汗を拭った。
「はい。同じ場所で何度も作付けを行いますと、ビーンが病気にかかります」
老修道士は大儀そうに頷いた。
エリカと決めた計画では、春先に植えたビーンを収穫すると、すぐさま秋に採れるビーンを植える予定であったのだが、新しくやって来たこの修道士に止められた。
そんな事をすると、大半のビーンが病気にかかってしまう。下手をすると畑自体が駄目になるとまで言われた。
「そうだったな。しかし分からないな。ビーンは駄目だが豆は良いのか。豆は病気にならないのか」
「はい。不思議と病気にかかりません。そればかりか、豆の収穫後にビーンを植えれば、再び実り豊かな収穫が得られるのです」
「豆には不思議な力があるのだな」
「はい。豆は大地の神が最初に植えた作物です。特別な力が宿っているのですよ」
老修道士はほほ笑む。
その笑顔を見ながら、エリックは先日のやり取りを思い出す。
収穫を増やすためにも作付けを行うと決定したエリックに、この老修道士はすさまじい形相で、絶対にしてはいけないと力説したのだ。
その剣幕に内心ではたじろいた。
自分はビーンを長年栽培していたと言われてしまうと、返す言葉が無かった。
代わりに提案されたのが、一度畑を休ませるために豆をまくという手法であった。
畑を休ませることと、豆を植えることとが繋がらなかったが、老修道士は一歩も譲らない。
困ったエリックはメッシーナ神父と相談した末、西の修道院からやって来たという、この老修道士の助言に従って、収穫後のビーンの畑には豆の苗を植えることにした。
「豆は保存も利くから、いくらあっても困ることは無いか」
「はい。問題があるとすれば、ビーンの作付けが遅れますので、冬の訪れが早いと日差しが足りず、実が大きく育たないかも知れませぬ。こればかりは神々に祈るしかありません」
「ここまで見事に育たなくてもいいさ。少々出来が悪くても砂糖を取る分には問題ないだろう。どうしてもだめなら豚の餌にでもしよう」
病気にならないのであれば、収穫は減っても構わない。
「そうですな。やってみてから考えましょう。まずは豆です」
老修道士は意気込んだ。
畑に撒くための種というか豆は、既に用意してある。
特別なものではない。普段から村で育てている豆を適当に撒くだけだ。取れた豆は村と教会で折半すればいいだろう。
エリックとしては豆に課税する気は無い。村の者全員で均等に分けるだけだ。
ビーンを沢山栽培する計画は始まったばかり。まだまだ手探りの状態だ。やれることをやって様子を見るしかない。
今年一回目の収穫は大成功に終わった。
収穫されたビーンは砂糖に精製されるのだが、それには大量の木炭が必要であった。
炭焼き小屋のビット爺さんに頼んで、木炭の増産を目指したが、ビーンが増える勢いには抗えなかった。
今では村で木炭を確保することを半ば諦めている。
幸いな事に、ニースの羽振りの良さが広がっているのか、村を訪れる行商人は増えている。
木炭の確保はこれら行商人に頼むこととした。
行商人が頻繁に訪れることは有難いのだが、ここで困ったのは彼らへの支払方法であった。
ニースの決済方法は二種類しかない。貨幣で支払うか、産物で支払うかだ。
多くの行商人が産物での支払いを求める。彼らのお目当ては当然のように砂糖。他の産物には目もくれない。
たまにカマボコが売れるぐらいだ。
しかしながら砂糖はニースで取引はしない。これは基本方針なので変えることはできない。
砂糖はオルレアーノの店で売るか、ドーリア商会で取引するかの二択だ。そうなると必然、貨幣での支払いになるのだが、これはこれで困るのだ。
ギルドが保有している貨幣の大半は、オルレアーノに保管されている。
店や商会の売上金は一旦教会の金庫に預けられ、そこから税や大口の決済を行っている。そのためニースに資金を動かすことは少ない。
最近では、石工や大工職人の報酬か、エリカの王都での活動費を運んだぐらいだ。
また、大金をニースまで運ぶこと自体が危険であった。何処に良からぬものが潜んでいるか、知れたものではないからだ。
この問題に対してエリカが考案したのが、割符と証書による決済であった。
一つの板に文字を書き込み、これを二つに分ける。一方をニースに、もう一方をオルレアーノのドーリア商会が保管する。
ニースに行商に来た者は、自分が受け取れる砂糖の分量が書かれた証書と割符が与えられ、これをオルレアーノの商会に持ち込むと、貨幣か砂糖と交換できるのだ。
エリカに証書だけでは駄目なのかと尋ねると、絶対に証書を偽造する者が現れるから割符が必須と言われた。
隣で聞いていたモリーニも強く同意していたので、あり得る話なのだろう。
悪事を考える者は、良くも悪くも頭が回るものだと感心してしまった。
確かに一つの板を二つに割ったものと同じものを作ることは出来ないだろう。幾ら見せかけを同じ様に作っても、二つを合わせてみれば一目瞭然だ。
しかもご丁寧にも書き込まれた文字は、エリカ直筆の高等神聖文字。
メッシーナ神父以下、村の修道士の全員がその見事な出来栄えにため息をついたものだった。
これと同じものを作ることは、神聖語が扱える修道士でも無理だろう。
モリーニが言うには、抜け荷でも使われる手法だという。
悪党の真似をしているという事か。その話が少し愉快だった。
実質的にはニースでの砂糖の取引にはなるのだが、この方式で取引される売買は仕入れなどの小口決済のみに限ることし、大口の取引は商会を通して行うこととした。
割符と証書による決済により、行商人は確実な支払いが保証され、ギルドは貨幣を運搬する必要がなくなった。
こうして、ニースは必要十分な量の木炭の確保に成功し、ドーリア商会はニースに出入りする行商人達への統制力を増していくのだった。
必要に駆られて江莉香が制定したこの一種の為替システムは、後(のち)に動産としての信用度が高かっため、ニースとオルレアーノを中心とした経済圏を形作る契機となった。
続く
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