第159話   金策

 江莉香から支度金を受け取ったロジェは、マールたち数名の学生を引き連れて館を出ていった。

 どうやら彼らを助手として使うらしい。

 ロジェから銀貨を手渡された学生たちは、文句も言わずに付いて行く。

 なるほど。支度金はそんな風に使うのか。

 これは確かにお金が掛かりそう。


 ロジェから金策をしろと言われた江莉香は、その方法に頭を悩ます。

 まずは、全財産を手元に結集しなければならない。

 ニースには叙任の際に頂いた贈り物が手つかずで残っている。これらをオルレアーノで売却すれば幾らかの金銭になるだろう。キャッシュは聖アナーニ司教座教会の金庫でまとめて管理している。それらをすべて引き出そう。

 江莉香は、エリックにその事を伝えるための手紙を書こうとする。

 実際に書くのはいつもの通りユリアで、江莉香は口述するだけなのだが。

 部屋をウロウロしながら文言を考えるが、上手く要約出来ない。

 今のややこしい状況を手紙だけで伝えることが出来るのだろうか、誤解が起こらないようにするためにも、一度ニースに帰るべきなのかもしれない。

 だが、ニースに戻ってしまうと、再び王都に来るのは控えめに言っても重労働だ。

 そもそも、今回の騒動をややこしくした身としては、この瞬間に王都を離れることは無責任だし、逃げたと思われるのも癪に障る。

 出来たら手紙で済ませたい。

 ああでもない、こうでもないと言いながらうろついていると、業を煮やしたのかユリアが発言した。


 「エリカ様。教会にご相談した方がよろしいのではないでしょうか」

 「教会に・・・うーん。それはちょっと」


 教会とお金の話は遠慮したい。


 「お金のことは分かりかねますが、アルカディーナ様が置かれている状況は教会に説明した方がよろしいかと存じます」

 「そう言われればそうなのかもしれないけど・・・気が乗らないのよね」


 話を聞きつけたボスケッティー神父が出張ってきて、弱みに付け込んだ取引を強要してくる絵が思い浮かんだ。

 いや、今はそんな事を言っている場合ではないのかもしれない。

 何とか交渉して資金を引き出すべきか。

 

 「それじゃあ。教会にも手紙を書くか」

 「お任せください。直ぐにでもお届けいたします」


 ユリアは表情を明るくして請け負うが、何かおかしい。

 気軽に言うけど、船旅だって大変だ。


 「届けるって、ユリアがオルレアーノまで行くつもりなの。そこまでしなくてもいいわよ。それなら私が行くから」

 「オルレアーノ? ・・・いえ。お手紙は教皇様にお届けいたします」

 「はい? 教皇様?」

 

 先日の、広場で見た行列を思い出す。

 その中心にいたのが教皇様。文字通り雲の上の存在だ。

 何がどうしたらそんな話になるのよ。


 「そんな偉い人にお手紙書いても仕方ないわよ。読んでももらえない」

 「いいえ。アルカディーナ様のお手紙であれば、教皇様にも直接取り次げるはずです」

 「そうなの」

 「少なくとも門前払いにはなりません。教皇様でなくとも、どなたか高位の方がお読みになられます」


 アルカディーナの称号ってそんなに偉いの。

 オルレアーノの司教様から、責任や義務、報酬を伴わない形式的な肩書きだって言われたから受け取ったのに。

 江莉香は困った顔をする。

 権威に興味が乏しい江莉香は、宗教組織における形式的な肩書きについての理解度が低かった。


 「それはそれで、余計に面倒な話になる気がする」


 ボスケッティ神父に手紙を出すよりも気が進まない。

 仮に教皇様に話が通ったとしても、裁判から手を引けと言われる可能性だってある。

 ただでさえ、若殿からいい顔をされていないのに、さらに上の教皇様に難癖を付けられたら抗う術がない。

 そこで、試合終了だ。 

 渋っていると、ユリアから正論が飛んできた。


 「ですが、いずれ裁判が始まると、エリカ様が関与されていることは知れ渡ります。後々の事を考えますと、ご説明だけでもされた方が良いのでは」

 「ぬぬぬ。それはその通りね」


 先に知らせていないと、後から聞いていないと怒られるかもしれない。それは困る。


 「はい。お知らせいたしましょう。ですが、私も教皇様へ出す手紙の書式や形式が分かりません。調べてまいります」

 「お願いします。急がなくていいからね」

 

 教会については、とりあえず保留という事で。

 今は活動資金を集めることが最優先。

 ニースにはクロードウィグに戻ってもらおうかな。

 手紙では伝わりにくい部分は口頭で説明してもらおう。エリックから色々と質問も飛んでくるだろうから、それの対応もお願いしたい。

 でもなぁ。喋んないのよね。あの人。

 言葉が通じにくい北方人と言うのもあるけど、基本的におしゃべりが好きじゃない。このややこしい現状を、エリックに誤解なく伝えることが出来るか不安なのよね。

 そうなると、エミールに頼むしかないかな。

 彼に手紙を預けよう。断られたら、いよいよ自分がニースに戻って直接話すしかない。

 これが、資金を集める確実な方法だ。

 だがこれらの総額を大雑把に計算しても、金貨三十枚になれば御の字だ。

 手持ちと合わせても四十五枚。目標まではあと百枚以上の差があった。

 この差をどう埋めよう。

 江莉香の悩みは尽きなかった。



 エミールは昨今のエリカを取り巻く事態に困惑していた。

 謀反人を助けるという行動自体が理解不能であったが、理解不能な行動はよくある事なので「ああ、またか」ぐらいの感覚ではあった。

 それよりも問題は、自分がどう動けばいいのかが、全く分からない事である。

 自分はエリックの名代としての役割を仰せつかっている。

 エリックの分身としてエリカを助けなければならないのだが、その方法が分からなかった。

 裁判などと言うものの知識はエミールには無いが、良くない事態に陥りそうなことだけは理解できる。

 エリカからニースに戻り、エリックへの説明と財産の処分を頼まれたときに、咄嗟に返事が出来なかった。

 エリカを王都に残してニースへ戻ることに強い抵抗を感じる。

 しかし、適任者が自分しかいないと言われると、頷くしかない。

 この状況を正確にエリックに伝えることが出来るのは自分だけだろう。


 「畏まりました。お任せください」

 「うん。大変な事を頼んでごめんね」


 エリカが両手を合わせて頭を下げる。

 エリカやユリア、コルネリアからの分厚い手紙の束を預かったエミールは、フレジュスへ向かう船へと飛び乗った。



 エミールがニースへと旅立った翌日。 

 港に近い丘の一角に、ドーリア家の屋敷は建っている。

 レンガ造りの堂々たる構えの建物だが、周りにはそれを上回る豪勢な建物が並んでいた。

 この丘には、有力な商会が軒を連ねている。

 王都でのドーリア商会の立場は、中の上と言ったところである。屋敷の大きさが、そのまま王都での力関係を表している。

 その屋敷の一室で、男たちが議論をしていた。

 番頭のモレイ、ニース担当のジュリオに交わり、複数の幹部たちが額を寄せ合う。


 「昨日。エリカ様がディクタトーレを見つけたようです。名はロジェスト殿。王立学園の講師で、裁判経験ありとのことです」

 「どうやって見つけた。紹介者は誰だ」

 「フリードリヒ様の馬廻りを務めているトリエステル卿の紹介という事です。この方はエリカ様とも昵懇の間柄です」

 「となりますと、一門が介入したとみるべきでしょう」

 「当然だ。一門としても放置などできまい」

 「弁護の目途が立ったとなりますと、遠からずエリカ様から裁判への資金援助の依頼が来ますが、どうしますか」


 モレイの発言に一同は黙り込んだ。

 ジュリオも腕を組んで考え込む。

 わざわざ報せが無くとも、これまでの江莉香の行動は全て商会には筒抜けであった。

 驚くには値しない。

 江莉香が滞在している館で働いている者は、全員が商会より選りすぐられた使用人たち。その言動の一字一句は、逐一商会に知らされている。

 そもそも彼らが館を用意したのも、江莉香の安全と利便性もあるが、商売敵の連中を彼女に不用意に近づけないようにするためであった。

 特に、王都で絶大な力を持つ砂糖のギルドからは距離を取らせたかった。

 快適な隔離と言った方が良い。

 ただ、江莉香が謀反人に連なる女を拾い、肩入れすることまでは想定外ではあったのだが。


 「資金依頼をどうするかよりも、そもそも関わりをお止めいただくことはできないのか」

 「難しいと思われます。師匠格たるコルネリア様の説得にも耳を傾けないご様子。今は私財を処分し、金策に走っておられます」

 「幾ら哀れとは言え、偶然拾った女に私財を傾けるのか。何をお考えなのだ」

 「エリカ様が仰るには、罪なき者は裁かれないとのことです。これが理由ではないでしょうか」

 「小娘が。そのような綺麗事を」

 「おい。やめろ」

 

 会議は険悪な方向に進んでいく。


 「感情に走るな。エリカ殿を見捨てた場合と、助けた場合を比較せよ」


 上座に座る老人の声に一同は静まり返る。


 「どうなのだ。ジュリオ」

 「はい。会頭」


 ジュリオは老人に向かって姿勢を正した。

 彼がドーリア商会の親玉である、アレクサンデル・ドーリア。その人であった。


 「現状ではエリカ様を見捨てたとしても、短期的には商会に大きな被害は発生しません。砂糖の増産は着実に進んでおりますし、ニースの我々への依存度も増しております。取引を望む商会も後を絶たず、ギルドより上がる利益が減る心配もありません。本件に関わらなければ、王家より要らぬ詮索も受けないでしょう」

 「触らぬ神に祟りなしか」

 「はい。ですが、一門よりの心証は確実に悪くなることを覚悟せねばなりません。特にニースの領主、シンクレア様の逆鱗に触れる恐れがあります。最悪、我等はギルドから放逐されます」

 「触れるとゆうても、騎士に成りたての若輩。多額の融資も投下しておる。幾らでも丸め込めるのではないか」

 「教会の存在をお忘れです。それに対等な立場でシンクレア様を丸め込める方がいるとすれば、エリカ様だけでしょう。我々にはとても。将軍閣下より取り成してもらう以外の方法は無いかと」

 「閣下との折衝は骨が折れる。助けた場合は」

 「今よりも良好な関係を結べます。義理堅いお二人の事です。今後、他の商会が良い条件を出したとしても、容易には靡かないでしょう。欠点といたしましては、貸し出した資金は当分返済不能でしょうね。また、王家からの心証が悪くなります。ただこちらに関しましては・・・」


 ジュリオが途中で口をつぐむと、続きを会頭が答えた。


 「資金を迂回させ、王家に気取られない方法はいくらでもある・・・か」

 「はい」

 「確かに。貨幣には名前は書いていませんからな」


 モレイの言葉に数人が笑った。

 商人の間ではお決まりの笑い話の一つだ。


 「最終的にエリカ様のお手元に資金が集まればよいのです。経路はお任せを」

 「それは構わぬが、お前の手法だとエリカ殿は我等の尽力を知らぬままになる。知らせると足がつく」

 「ほとぼりが冷めた頃に、近しい方々に耳打ちすればよろしいかと。コルネリア様やシンクレア様。将軍閣下やフリードリヒ様へもご報告すれば、いずれ漏れ伝わるでしょう」


 会頭はジュリオの言葉に頷いた。


 「ならば結論は出たのではないか」

 「はい。我々の為にもエリカ様を支援すべきかと考えます」


 ジュリオの言葉に、幹部たちはうめき声を上げるのだった。



               続く

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