第158話   弁護費用

 「さて、エリカ殿。貴方の心意気は理解した。ここからは下世話な話をいたしましょう」


 すすめられた席に着くなり、ロジェは前のめりで質問を繰り出す。

 ここから本題に移るのだろう。


 「はい。何なりと」

 「答えにくい事だろうが、正直にお答えいただきたい。貴方はこの裁判に幾らまで出されるおつもりか」

 

 ここからは価格交渉らしい。

 しっかりしてはるわ。


 「先生への報酬ですが、弁護費用の相場が分からないので直ぐにお答えできません。希望の金額を仰ってください」


 ロジェはゆっくりと首を振る。

 江莉香の返答はやや的外れであった。


 「そうではありません。私への報酬以外でどれ程の資金を動かせますか。即ち本係争につぎ込める資金の総額です」

 「報酬以外ですか。何が必要でしょう」


 江莉香は首を傾げる。

 弁護士の先生に依頼料以外で何を支払うのだろう。


 「裁判を成功させるには詳細な調査と資料作り、裁判で有利な証言をしてくれる証人が必要です。当然、無償では誰も動きません。有利な証言を得るには謝礼が必要です。また、出来れば収監されている被告人にも一度話を通しておきたい。これには獄吏に手渡す土産も必要です。委員会が行っている尋問の進捗を訊ねるにしても、手ぶらという訳には参りません。これらは一例に過ぎない。全ての行動の一つ一つに資金が必要なのです」

 「えっと・・・」


 咄嗟に返答が出来ない。

 しまった。そこまで考えていなかった。こっちで裁判をするには、そんなことにもお金が掛かるのか。

 日本と違って裁判を受ける権利があるって訳でもないだろうから、弁護士の先生に払う報酬以外の必要経費も、全て私が出さないと駄目なのか。

 どうしよう。

 全身から冷や汗が吹き出す。

 改めて考えてみると、日本の司法システムはちゃんと整備されているんだ。お世話になった事は無いけど

 弁護士の先生を雇うお金が無ければ国が出してくれるし、証言者にお礼を渡す必要もない。拘留された容疑者とだって面会できる。

 たった今、痛感した。凄いな日本。

 これが国民国家ってやつなのかな。だけどロンダー王国ではそうはいかない。


 えっと、私が自由にできるお金ってどれぐらいだろう。

 そう考えた時に使える金額が、意外に少ない事に気が付く。

 この裁判は個人的な行動であるから、ニースやギルドのお金を使う訳にはいかない。全てを江莉香の個人資産でやりくりするしかなかった。

 そして、江莉香の個人資産は実はたいした額は無い。

 普段から自由に多くの資金を動かしてはいるが、それらはギルドの資金である。しかもその大半は借入金だ。

 これを裁判に流用すれば、正に横領であろう。返済の当ても無いから、今度は自分が牢獄に放り込まれる。


 江莉香の個人資産は、軍団から支払われる百人長としての俸給と、センプローズ一門から支給される年金。副ギルド長としての報酬だ。あとは、叙任の際に色々な有力者からの贈り物が資産と言えるだろう。

 生活を送る分には必要十分と言えるが、この裁判を乗り切れるのかと問われれば、黙るほかない。

 まして、これら資産の全てを王都に持ってきているわけではない。大半はニースやオルレアーノに保管されている。

 咄嗟に出せる資金は、ふり絞っても金貨十五枚が限界であろう。


 「とても大事な用件です。お答えください」

 「直ぐに動かせるのは金貨十五枚程度です」


 ロジェに促されて正直に答える。


 「それでは足りません。全く足りませんよ。エリカ殿。裁判に勝ちたいのであれば、まずは金策をお願いします」

 「いか程でしょうか。大まかな数字で構いません」


 恐る恐る尋ねると、衝撃的な答えが返ってきた。


 「フィリオーネ金貨換算ですと。今の十倍はご用意ください」

 「十倍って、金貨百五十枚ですか」


 自分の声が裏返るのを止めることはできなかった。

 全財産を振り絞ったって、そんな枚数は用意できない。


 「はい。これは最低限の金額です。今回の裁判は庶民の裁判ではありません。貴族、それもクールラント一門が絡む裁判なのですよ。証言を依頼する人々も高位の人物が多いでしょう。その人たちへの報酬です。文字通り金貨はいくらあっても足りません」

 

 余りの金額に流石の江莉香も青ざめた。

 この額を用意できる自信が全くない。

 短期的に資金を集めるためには借金をするしかないが、悲しいかな担保がない。

 これが、ギルドに絡む話であれば、さほど難しい話ではない。

 砂糖製造という無敵の担保が存在するので、ドーリア商会や教会が喜んで融資してくれた。また、センプローズ一門も資金以外の面でフォローしてくれる。

 しかし、今回はそれらに頼ることはできない。

 一門からは余計な事をするなと釘を刺され、普段は協力的な商会も、ビジネスに関係のないこの話にお金は出してくれないだろう。教会は下手に弱みを見せると後が怖い。


 「お止めになられますかな」


 長椅子で固まっている江莉香に向かって、ロジェが探りを入れる。

 先ほどあれだけ大口をたたいておいたのに、今更、金額にビビったからといって後に引けるわけがなかった。

 こんな所で逃げ出したら女がすたる。

 全く自信がないけど、なんとかしてお金をかき集めるほかなかった。

 どんな大言壮語も徒手空拳では虚しいだけの戯言。自分の意思を通すためには力が必要だ。力無き者の正論なんて風の前の塵に同じ。

 だとすれば、力を見せればいいだけの事。勝てば官軍。裁判にお金が掛かるのならば、お金を集めればいいだけの事。

 一人ぼっちで異世界に飛ばされたときのことを考えれば、どうという事はない。あの時の方がよっぽど絶望的だった。


 「取りあえず、集められるだけの資金を集めます。ロジェ先生は弁護の準備を」

 「いいでしょう。まずはエリカ殿のお手並みを拝見いたしましょう。それでは当座の活動費として、アス銀貨を百枚ご用意ください」

 「了解です」


 長椅子から勢いよく立ち上がる。

 呑気に座っている場合ではなかった。一刻も早く金策をしよう。

 魔法が存在する不思議な異世界だけど、世知辛さで言えば地球と大差はない。何をするにも先立つものが必要だ。


 「待ちなさい」


 すぐ隣からコルネリアの制止が入った。


 「なに。何か問題」


 今は一枚でも多くの金貨を集めないと。


 「問題だらけだ。エリカも少し落ち着きなさい。ロジェ殿に言われるがままに金を払ってどうするのです。支度金の扱いはどうするのか。ロジェ殿の報酬はどれ程かを先に決めなさい。話はそれからです」

 

 コルネリアの冷静な助言に落ち着きを取り戻した江莉香は、再び長椅子に腰を掛ける。

 

 「ごめんなさい。テンパってた。それではロジェ先生の弁護費用はいか程でしょうか」


 言われてみたら契約書すら交わしていない。完全なる口約束だけだった。危ない危ない。


 「これは失礼を、まずは支度金として銀貨百枚。裁判が終わった段階で金貨二枚。勝訴を勝ち取った場合の成功報酬は金貨三枚を頂きたい。支度金の使い方に関しては私に一任していただく」

 

 彼の提示した金額が適正なのかは分からないが、その金額であれば手持ちで支払える。

 周りを見渡すと、コルネリアとアラン様が同時に頷いた。

 どうやら非常識な金額ではないようだ。


 「分かりました。その金額でお願いします」

 「承った」

 

 こうしてロジェと契約書を交わして、正式に弁護を依頼することとなった。



                  続く

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