第156話   歓楽街にて

 江莉香は夕刻になると、滞在先の館に戻る。

 王都の円卓のあちこちを回って見たものの、弁護を引き受けてくれそうなディクタトーレは見つからなかったので、今日の所は諦めることとした。

 その代わりと言っては何だが、マールの学友たちを屋敷に招待する。

 案件に興味を持ったのか、江莉香が提示した金額に興味を持ったのか、幾人かが付いてきた。

 生徒たちに簡単な夕食を振舞った後、円卓での議論の続きが繰り広げられる。

 江莉香は、口から泡を飛ばして激しく議論する男たちの輪に交じり、使えそうな情報に耳を澄ませた。

 

 「カレイ。お前はそうは言うが、ケイロニアの動乱の際は、首謀者とその家族は全員が処刑されたではないか」

 「あれは裁判の結果ではなかったはず。討伐戦の際に討ち取られただけです」

 「いや、現地で簡易の裁判が開かれたはずだ」

 「そうかもしれませんが、今回には当てはまらないと思います。ケイロニアの場合は、混乱のどさくさに紛れて処刑されただけです。正規の手続きとは言えません」

 「だとしても前例としては有効だ。今回も形だけの裁判の末に処刑されるだろう」

 「そうならない為の弁護じゃないですか。根本を否定しても仕方ない」

 「想定すべき事態だろう」

 「その想定に何の意味があるのですか。その時はその時というだけです」

 「そうだ。出来ない理由を探すなと、師匠も仰った」

 「分かった分かった。ならどうする」


 カレイと言い合っていた生徒は、両手を上げて話題を変えると一瞬の静寂が訪れる。


 「流石に罪状が罪状です。無罪放免は難しいでしょう。減刑を求める手法が有効だと思います」


 カレイの言葉に年長の生徒が頷く。


 「それがいい。他人の財産を横領した男の妻が関与無しとして、財産没収刑を免れた判例もある。確か家屋の半分を残されたはずだ」

 「ああ、あったな。そんな前例も。家屋の半分でも残されたのは減刑と言える」


 家屋の半分? 江莉香は内心で首を傾げる。

 一軒の家を真ん中で、真っ二つにした図を思い浮かべた。

 物凄くシュール。


 「家屋の半分って、住んでいた家を半分にしたのですか」


 家半分の意味が分からず、思わず口を挿む。


 「はい。正しくは、家半分の権利を認められたのです」

 「半分になった家は家として使えませんよ。実質没収と変わりないんじゃ」


 そんな家を残されてもね。どうやって暮らせばいいのよ。


 「ああ、その時は、没収された家屋の売却益の半分を受け取ったと聞いています」

 「なるほど。お金で返してもらったのか。何もかも奪われたわけではないから、減刑と言えば減刑か」

 「はい。無一文になることに比べれば、よい結果と言えます」


 確かにそれなら、とばっちりのダメージコントロールには成功していると言える。

 何か釈然としない所はあるけど、とりあえずマリエンヌが死刑にならないようにしなくっちゃ。


 「謀反を横領と同等に比べるべきなのかは、議論の余地はあるが、前例としては有効だな」

 「そうだね。この場合は、謀反人の前例を調べる方が早いけど、誰か知っている人はいるかい」

 「・・・すまん。僕は知らない」

 「俺も知らない。連座した例は知っているが、減刑された例か・・・何かあったかな」


 尚も議論は続いた。


 学ばなくてはいけないと思っていた法律の話が、ふんだんに出てくるので勉強になる。

 こちらの裁判は日本のものとは違う事を予想していたが、想像以上にややこしい。

 三権分立などと期待していたわけではないが、裁判権を持っている勢力が、多岐にわたって存在することを知って愕然とした。

 権威のある所だけでも、王様、十人委員会、教会、自治都市等々。

 犯罪の種類、大きさによっても担当が変わるらしい。

 それも、成文化され統一された憲法なり法律は少なく、多くの法は慣習と前例に重きを置くらしい。

 だからマールたちは法律の本ではなく、裁判が行われる円卓で授業をしていたのか。

 こんな状況なので、同じ犯罪でも地域、勢力によって刑罰が変わるらしい。

 こんなぐちゃぐちゃの状態で、公平な裁判なんて出来るのかな。これ、裁判官によっては、相当恣意的な判決が下りるんじゃないの。

 そして話を聞いている内に、建前的には騎士である自分にすら裁判権があることを知る。


 「ちょっと待って。私も裁判官なの。でも私、簡単な法律すら知らないわよ・・・」


 マールの言葉に、一気に冷や汗が出た。

 本当なの。

 エリックも知らないんじゃないかな。手紙に書かなくっちゃ。


 「領地を持っている騎士には、領内の司法権があります」

 「そうなの。初耳なんですけど」


 これは本当に聞いたことがない。


 「多くは形式だけですけどね。大半は近くの大きな領主が代行しています。ニースの場合は、オルレアーノの参事会かセンプローズ将軍でしょう」


 形式だけと聞いて、一気に肩の力が抜けた。


 「ああ、良かった。将軍様がやってくれるのね。びっくりした」

 「しかし、原則としてはエリカ様にも領内に関しては、司法権は存在しますよ」

 「要らない」


 司法権なんて重荷、とてもじゃないけど背負えないわよ。

 私は法学部でもなければ、弁護士志望でもありません。


 「要らないと言われましても、権利として存在いたしますので仕方ありません」


 マールは肩をすくめる。


 「でも分かった。尚更、法律は勉強しないと駄目だわ」


 議論に集中すべく身を乗り出す。

 これは、知りませんでしたでは済まない事だ。エリックも知らないだろうから、私がしっかりと覚えて帰らないと。

 でも、成文法が少ないのか。本を読んで覚えればいいという訳でもない。困ったなぁ。

 越えなければならないハードルの多さに困惑した。


 館の使用人が、ランプに火をともした頃。

 それまで無言で議論を眺めていたアランは立ち上がり、江莉香に耳打ちをした。


 「エリカ様。本日はここで引き揚げます。明日また」

 「あっ、はい。お疲れ様です」

 「では、失礼いたします」



 議論に没頭していた江莉香に、隙のない笑顔を残してアランは館を後にする。

 辺りは完全に日が暮れ、群青の夜空に星が輝いていた。

 門を出た後、屋敷に一瞥を投げると、暗がりの中丘を下って行く。その道は自宅ともアスティー家とも繋がっていない道であった。

 丘を下って行くと、徐々に行き交う人影が増える。

 アランはいくつかの橋を渡り、大通りを進むと、日が暮れたというのに大勢の人々が騒いでいる一角にたどり着いた。

 通りの両側には日が暮れたというのに多くの店が開いており、路面には店内からの灯火がこぼれ、喧騒と楽の音が混然としていた。

 路傍では大声で騒ぐ男の集団が通り過ぎ、薄暗い路地には酔いつぶれた男が座り込む。明々と光る街灯の袂には薄着の女が虚ろな目を通行人に向ける。

 ここは、ラキッチュ。

 多くの宿に無数の酒場。誰も正確な数を知らないほどの娼館が建ち並ぶ、王都最大の歓楽街だ。

 王都エンデュミオンは不夜城と呼ばれるが、本当の不夜城はここ、ラキッチュを指し示す。

 アランは一番賑やかな大通りから、一本中に入った路地に入った。

 薄暗い路地には汚水と塵が散らばり、腐臭が漂っていた。

 慣れた様子で塵や水たまりを避けて進み、小さな酒場を一軒一軒覗いて回る。

 そして、路地の一番奥。もっとも小汚いであろう酒場に入った。


 立地の悪い小さな酒場には、数名の客しかいない。

 レンガ造りの台の上には雑然と器が並んでおり、店の奥で青みががった長衣の男が、店主に絡んでいた。


 「親父。もう一杯だ」

 「払えば注いでやる」

 「払っただろう」

 「二杯目まではな。今ので四杯目だ」


 アランは躊躇いなくその男に近づき口を開いた。


 「親父。注いでやってくれ。私にも一杯」


 視線を向けた店主に銅貨を投げてよこすと、店主は器用にもそれを空中で掴む。

 

 「毎度」


 店主は踵を返すと、長衣の男が酔った目をアラン向ける。

 年の頃は二十代後半であろうか、アランよりは年上の男だった。


 「これはこれは、誰かと思えば、金髪お人形様の腰ぎんちゃくを務めておられるトリエステル君ではありませんか。こんな場所で何をしているのかね。君のような騎士様がおいでになる場所ではありませんよ。帰りなさい」

 「あんたはどうなんだ。学園の教師がこんな酒場で無銭飲食か。せめて教師の長衣は脱いできたらどうだ。ロジェ先生」


 ロジェと呼ばれた男は、アランの言葉を鼻で笑った。


 「お前は知らないだろうがな、この格好だと女どもに評判がいいんだよ。金持ってるように見えるのかね」

 「名誉ある講師の長衣を悪用するな」

 

 ドンと、乱暴な音と共に二人の前に木製の器が並ぶ。器の中身はロッシュと呼ばれる安酒だ。


 「ありがたいね。騎士様のおごりとは」

 「味わって飲め」


 二人は一気にロッシュを流し込んだ。


 「で、何のようだ」


 ロジェは口に着いた酒を拭う。


 「用があるから、わざわざこんな所に来たんだろうが。学園では話せない話だな」

 「話が早いじゃないか。酔っぱらいの癖に」

 「はっ、この程度で酔うかよ。いいから話せ」

 

 アランは薄笑いを浮かべ、また酒を呷った。

 

 「ふん。その様子だと面倒事だな・・・殺しの依頼か」


 ロジェはアランの顔を覗き込むと、声をひそめ物騒な事を口走る。


 「誰があんたに殺しを頼む。間違いなく仕損じるだろう。頼むだけ無駄だ」

 「それはそうだ。それにその手の事ならお前の方が遥かに手練れだ」


 アランは肯定しなかったが否定もしない。

 そして浮かべる表情は、江莉香が見たら心臓が縮み上がるであろう冷たい笑顔。その沈黙に鋭い殺意が滲んでいた。

 だが、ロジェは恐れる様子を見せなかった。


 「怖い怖い。一介の講師である私に何か御用ですかな」

 「ああ、先生が適任だ。ある女の弁護をしてくれ」


 アランの言葉にロジェは瞬きをした。


 「弁護・・・ディクタトーレか。意外な頼み事だな」

 「あんたなら、できるだろう」

 「勿論。私より優秀なディクタトーレは王都にはいない」

 「なら頼もう」

 「でっ、その女は何をやらかした。抜け荷か。不倫か。殺人か。お前の女か」

 

 薄笑いを浮かべながらロジェは器に口を付ける。


 「些細な事だ。王国に対して反旗を翻しただけだ」


 ブッ。

 想定外の言葉に、口にした酒を盛大に吹きだし咳き込んだ。


 「汚いな。おい親父。すまんが拭いてくれ」


 アランはわざとらしく眉をひそめて見せた。


 「反旗・・・謀反人の弁護という事か」

 「そうだ。簡単だろう」

 「どこがだ。いや、その前に本当なのか」


 ロジェは真正面に向き直る。


 「こんな場所まで冗談を言いに来たと思うか」


 アランも其の視線を正面から受け止めた。


 「ふむ。謀反人か。誰だ」

 「ヘシオドス」

 「ヘシオドス・・・うろ覚えだがクールラント一門に連なる家だったな。あいつら謀反を起こしたのか。それは初耳だな」

 「そうだ。他言無用で頼む」

 「言いふらしたりしない。しかしなぜ、そんな連中のディクタトーレをお前が探す。ヘシオドスほどの家であれば、懇意のディクタトーレはいくらでも見つかるだろう」


 ロジェの疑問にアランは答えない。

 自分で考えろと言わんばかりであった。その素振りを理解したのかしないのか、ロジェは顎に手を当てて考え込む。


 「見つからない、もしくは探せないのか。しかし、お前が関わる理由が分からん・・・分からんという事は、お前の意志ではないという事だな・・・と、なると一門の絡み。それも表立っては動けないという事か。相当にきな臭い話だな」

 「ご名答」


 アランは手を叩いて見せると、ロジェは眉をひそめる。


 「こんなもの子供でも分かる」

 「先生の言う通り、この件に関して一門は表立って動けない」

 「だが、一門に関わることという事だな」

 「そうだ。だから先生が適任なんだよ。分かるだろう」

 「私が動いてもセンプローズ一門には関わり合い無いからな」


 ロジェは大きく腕を動かした。


 「その通り。引き受けてくれたら、それなりの報酬を払う」

 「お前が払うのか」

 「直接の依頼者は別にいる。先生は私が紹介したディクタトーレと言うことにしてくれ。依頼者が払う報酬とは別に、私からも弁護料を支払う。金の出所は想像に任せるがな」

 「面白い。それだけ危険という事だな」

 「謀反人の弁護だからな。並大抵のことではできないだろう」

 「巻き添えを恐れる、腰抜けの爺どもには無理だな」

 「依頼者もディクタトーレを探してはいるが、碌な者はいない。このままでは円卓の学生から選ばれるだろう」


 アランの言葉にロジェは高い音を出して嘲った。


 「ハッ。円卓の学生だと。こいつは傑作だ。馬鹿かその依頼者は。学生如きに何ができる。それこそ頼むだけ無駄だ」

 「今は聞き流すが、本人の前では言うな。それとセシリア様への無礼も許さん」

 「分かった。分かった」


 ロジェは軽く手を振って、睨みつけるアランに恐れ入った様子は見せない。


 「なら、引き受けてくれると言うことでいいか」

 「今すぐの返事は無理だ。その依頼者の話を聞いてからだな」

 「いいだろう。明日。迎えを出す」


 アランは数枚の銅貨を取り出すと店主に渡した。


 「行くのか」


 ロジェの声には僅かに名残惜しそうな響きがあった。


 「ああ、飲み過ぎないでくれよ」

 「これで最後にするさ」

 「それでは明日。頼んだよ。兄さん」



                続く

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