第155話   王都の円卓

 江莉香は館にいた皆を引き連れると、コルネリアの弟のマールに先導されて王都の中心地へと足を運ぶ。

 付いてこなくていいと言ったが、従った者は皆無であった。

 これから向かう場所には、ディクタトーレが沢山いるらしい。

 二階建て、三階建ての工房や商店の建ち並ぶ商工業地区を抜け、小高い丘を登っていると、マールが今まさに登っている丘について説明してくれた。


 「エリカ様。この丘が、ロンダー王国建国の地なのですよ」

 「建国の地? 」


 江莉香は降り注ぐ日の光に目を細める。

 海から吹き付ける乾いた風のお陰で、暑さの割には汗をかかない。ニースと同じような気候だ。

 建国記念日なら聞いたことはあるが、建国の地とはどういう意味だろう。

 最初の家でも建てたのだろうか。

 江莉香の感想は、当たらずとも遠からずであった。

 

 「数百年も前の昔話です。北の山脈を越え、この地に至った建国王マニュティウス陛下と、双子の弟君メゾティウス一世は、地上に顕現した主神テランの導きにより、この丘に至りました。テラン神は二人に剣と鏡と宝玉を授け、この地に神々の王国を建てる様に命じられたのです」


 マールが建国神話の一節を語ってくれた。


 「へー。神寄りの地なんだ。凄いのね」


 日本にもそんな場所があるのかな。

 そう聞かされると、何の変哲もない小高い丘も、ありがたい聖域に見えてくる。

 

 ユリアからこの国の神様の話をちょくちょく聞いてきたが、こっちの神様はギリシャ神話みたく人間臭い神様ばかり。

 頻繁に人の前に姿を現すみたいで、神託を聞いた人が大勢いるらしい。

 昔の王様も、そんな神様の一人に会ったことがあるのだろう。

 仮に私の前に現れたら、日本に戻れる方法と、この世界に飛ばした責任の所在を追及してやる。

 やや、不信心な事を考えながら坂を上る。


 石畳を登りきると、頂上は切り取られたかのように平坦で、石を敷き詰めた広場になっていた。

 中央に小さな建物が建っており、広場の外延部には三メートルほどの高さで無数の大理石の列柱が、丘を円形に取り囲んでいた。

 列柱の周りには、いくつかの人だかりが出来て賑わっている。


 「何と言いますか、意外とあっさりしているのね」


 失礼にならないように気を使いながらも、思ったことを口にする。

 建国の地とか言うから、もっと巨大な御社なり、どこかの国のような異様な記念碑でも立っているのかと思った。

 それとも、あの柱の一本一本が記念碑なのかな。

 それにしては小さいし、数が多すぎる気がする。

 中央の建物は教会らしいのだが、小さく質素なもので、先日訪れた教皇様の教会に比べれば、みすぼらしいともいえる。

 視界をぐるっと動かすと、丘の全景が目に入り、少し離れた北側の丘には、王宮がそびえ立っている。

 マールは広場中央の教会を指さした。

 

 「あの小さな建物が、初代ロンダー王国の王宮だったのです。今は主神テランを祭る教会です」

 「ふーん。初めは小じんまりとした国だったのね」

 

 この丘だけ見ると、国と言うよりも集落だ。

 ニースの方が集落としても大きいだろう。

 今では、端から端まで移動しようとしたら、何日かかるか分からないほどの大きな国だが、初めはこの小さな丘から始まったのか。

 そう考えると、ニースが今よりも大きな街に育つのも、不可能ではないと思えてきた。


 教会に向かって歩みを進めると、あちこちで大きな声が飛び交っている。


 「あの人たちは何をしているの」


 江莉香は列柱に集まり、何やら議論している男たちに視線を向けた。

 神域なら静かにしていないといけないと思うのだが、こちらでは正反対のようだ。

 顔を真っ赤にして叫んでいる人までいる。


 「あれが裁判ですよ」

 「えっ裁判? 広場で? 」


 マールの言葉に驚き、改めて男たちに目を向ける。

 燦燦と降り注ぐ初夏の日差しの下。列柱の袂で、二人の男が大声で議論をし、その周りに数人の男たちが腰を下ろしている。

 議論する男たちの前には、小さな机が置かれ、これまた二人の男が議論に耳を傾けていた。

 状況から察するに、議論している男たちが原告と被告で、机にいるのが裁判官なのかな。

 随分と風通しのいい裁判所ね。

 軽いカルチャーショックを受けている江莉香に向かって、マールが高らかに宣言した。


 「ようこそ。正義と公正と神意の下る王都の円卓。エンデ・アリディオンへ」



 円卓と呼ばれる広場では、王都での裁判の多くが行われている。

 そして、法律の勉強をしてる者は、法律書を開くのではなく、ここ円卓に集い、実際の裁判を傍聴しながら法律を学ぶのだという。

 傍聴人の多くが、官吏を目指す若者たちであった。

 ここには円卓を利用して、そんな学生相手の塾も開かれているらしい。マールもその中の一員だという。


 彼の先導で、色々な列柱を渡り歩く。

 列柱の一本一本が裁判をする場所で、列柱にはいろいろな神様のレリーフが掘り込まれていた。

 柱によって裁判の案件が違うらしい。

 傍聴は自由で、江莉香たちが近づいても、男たちは僅かに視線を送る程度で、皆、裁判に集中している。

 裁判の種類も様々で、民事、刑事問わずに繰り広げられていた。

 二人の男が、互いに証書のような物を振りかざして土地の所有権を主張しあっている横では、商人が詐欺について争っている。

 形式こそ違うが、確かに裁判だ。

 

 「こういう所は、何処に行っても変わらないのね」


 妙な納得感に包まれていると、マールが声を掛ける。


 「エリカ様のお国の裁判も同じですか」

 「うん。もっと仰々しいけど、やっていることは同じだと思う」

 

 しかし見た所、原告被告と裁判官らしき人はいるけど、お目当ての弁護士はいない。

 皆、自分で自分を弁護していた。

 ディクタトーレは一般的ではなく、一部のお金持ちが利用すると言うのも本当のようだ。


 「ねぇ。ディクタトーレの先生は何処にいるの」

 「今日は普段より少ないですね・・・エリカ様。あそこに行ってみましょう」


  マールは辺りを見渡し、一際大きな人だかりが出来ている柱を指さす。


 そこでは、殺人事件の裁判が行われていた。

 民事の係争事よりも、ショッキングな刑事事件に耳目が集まるのは、こちらでも同じらしい。

 法律の勉強をする学生だけではなく、多くの人が娯楽でも楽しむように詰めかけていた。

 そこで初めて江莉香はディクタトーレの姿を見た。

 手枷、足枷が嵌められた被告人の隣に立つ男は、恰好は普通の人と変わりないが、雰囲気が明らかに違う。

 冷静と言うか、一歩引いたような立ち位置で、落ち着いた口調で加害者を弁護している。

 ここまで、激しくののしり合う裁判ばかりを見てきたが、そこで繰り広げられているのは、日本で言う裁判に近いスタイルのものだった。


 「本当に弁護士だ。初めて見た」


 江莉香は初めて遭遇した弁護士が、異世界の弁護士であったことに奇妙な感覚に捕らわれる。

 裁判を覗いている間に、マールは人だかりの中に入り、一人の男に声を掛け連れ出した。

 出てきた若者は、江莉香よりも背は低いが横への安定感のある体型だ。


 「エリカ様。こちらが私の友人のカレイ・グランジです」

 「初めまして。江莉香です」

 「こちらこそ・・・カレイと申します・・・えっと、失礼ですが、どちら様でしょうか」


 挨拶はしたものの状況が呑み込めず、カレイはおどおどと周りを見回す。

 背後に、巨漢の北方民が鋭い眼光を光らせ、左右にも屈強な男たちを従えた江莉香の姿は、カレイの目には異質に映る。

 ただ者ではない雰囲気の女の前に立たされ、戸惑っていた。

 額には大粒の汗が浮いている。


 「カレイ。こちらのエリカ様は、ディクタトーレを探しておられるんだ」

 「なるほど、ディクタトーレを」


 マールの言葉で状況が分かったのか、カレイ表情に活力が戻った。


 「それで、どのような案件でしょうか」


 江莉香は説明しようとするが、マールはそれを制して素早く何事かを囁くと、カレイの声はひっくり返った。


 「むっ、謀反人の弁護・・・本気か」

 「しっ。声が大きい」


 マールが嗜めたので、カイルも声をひそめた。


 「でも、謀反人が出たなんて話は聞いたことが無いんだが。いつの話だ」

 「まだ、知られていないだけだ。いずれ街にも噂が出回るだろう」

 「そうなのか・・・しかし、謀反人の弁護ともなると難しいぞ」


 カレイの腰は、明らかに引けていた。


 「分かっている。頼めそうな人に心当たりは無いか」

 「急に言われても・・・師匠に尋ねた方がいいと思う」

 「そうだな。師匠は今日・・・」

 「来ておられる」


 振り返り、少し離れた場所を指さした。


 「よし。僕が話をしよう」


 マールがカレイと共に歩き出したので、江莉香も付いて行くと、殺人事件の裁判から少し離れた柱の元に、十人程度のサークルが出来ていた。

 あそこがマールが所属している私塾なのだろう。

 私塾で学ぶ人は、少年から青年まで様々だ。その中の中心人物にマールは挨拶をする。腰の曲がった白髪の老人であった。

 この人がマールの師匠なのだろう。

 簡単な挨拶を済ませて、マールが用件を切り出すと、サークルは騒然となる。


 「おいおい。無茶が過ぎるぞ。マール」

 「引き受ける奴なんているか。金貨をいくらもらっても割に合わないよ」

 「確かな後ろ盾のある、名のあるディクタトーレに頼むしかない」


 生徒たちが口々に騒ぎ始めると、師匠が静まれと一喝した。

 途端に、あれだけ騒いでいた生徒たちは口を閉ざした。

 

 「出来る出来ないと論じるは無駄な事。いかにすれば成し遂げるかを考え論じよ」

 

 一瞬に静寂の後に、皆が口々に意見を出し合う。

 師匠の一言で、議論の風向きが変わった。マールやエトも輪に加わり、議論は白熱していった。


 「すみません。授業の邪魔をしてしまって」


 江莉香は師匠に頭を下げる。


 「構いません。むしろ良い議題と言えましょう」


 師匠は江莉香に対して丁重な態度を取った。


 「議題ですか」


 議論ではなく、弁護をしてほしいのだけど。

 思いが顔に出たらしく、師匠は微笑みながら軽く手を挙げた。


 「お気を悪くしないでほしい。謀反に関する裁判はとても難しいものだ。何処も断られたので、ここにおいでになられたのだろう」

 「・・・はい。その通りです」


 神妙な面持ちで頷いた。


 「一言で弁護などと言ってしまうと、口先だけの軽薄な技に思えるが、依頼者に寄り添う気持ちが無いと出来ない仕事。そして人に寄り添うというのは、口で言うほど簡単な事ではない」

 

 江莉香は何度も頷いて同意を表す。

 何か、真理のようなものを感じ取ったからだ。

 

 

                   続く

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