第145話 追突
蒲鉾の営業を強化しようと決心した翌日。
江莉香はユリアと連れ立って、王城から下る大通りに面した広場に陣取った。
蒲鉾には関係のないイベントの為に。
広場にはたくさんの人が集まり、その人たち相手に食べ物を売っている商売人たちも加わり、まるでお祭り騒ぎだ。
ざっと見渡した感じでも、数千人の人だかりではないだろうか。
江莉香も群衆に交じって、中学生ぐらいの年頃の振り売りの男の子から、桃のようなリンゴのような、よく分からない果実を人数分買い、広場の一角でそれに齧り付きながら時間を潰す。
甘味の薄い微妙な味わいだが、瑞々しくて喉の渇きは癒える。
暫くの合間、ユリアやエミールと雑談をして過ごしていると、正面の白亜の巨大な建物から黒い衣装の男女が、わらわらと溢れ出した。
その服装はもうすっかり見慣れた修道士の服だ。
つまり、この巨大な建物は教会ということだ。
修道士たちは、広場に集まった人たちを誘導し、馴れた手際で広場の中に道のような空間を作り上げた。
江莉香たちも、修道士の指示通りに動く。
そうこうしていると、広場に面した建物から鐘の音色が響き渡る。
教会の四隅には三十メートル近い高さの塔がそびえ立ち、鐘はその塔の先端で、広い王都に響き渡れとばかりに打ち鳴らされた。
同時に、広場に集まった人々からどよめきが起こる。
「ああ、遂に猊下に拝謁できるのですね。夢のようです」
ユリアが両手を握りしめて目を閉じる。
今日のユリアの服装は町娘の恰好ではなく修道士スタイル。それもおろしたての修道服を着こんでいるので普段より小奇麗だった。
つまり彼女なりの正装。気合十分だ。
今回のイベントは、ユリアが一番心待ちにしていた。
鐘の音が鳴り終わると、教会からきらびやかな服装の人たちが現れる。それを目の当たりにした観衆のどよめきは、大きな歓声へと変わった。
集団の中心にいた人が、用意されていた山車のような馬車に乗り込み、修道士たちが作った道をゆっくりと進み始めた。
馬車の前後には旗やら棒やらを手にした修道士たちが続き、大名行列のような様相を呈している。
周りの人たちが行列に向かって一斉に跪くので、江莉香もそれに倣って石畳の上にしゃがみこむ。
夏も近くなって地面が熱い。
こっちにもヒートアイランド現象があるのかと馬鹿な事を考えていると、行列は華やかな世界を見せつける様に、江莉香たちの前を横切った。
馬車の上では、白に金の縁取りを施した立派な衣装を着こんだ男が、いい笑顔で四方八方に手を振っている。
「この人が教皇様か。思ったより若かった。おじいちゃんと言うよりかは、おじさんね」
江莉香の失礼極まりない呟きは、周りの歓声に打ち消され、誰にも聞こえることなく、行列はしずしずと進んでいた。
「感激・・・です・・・教皇様から・・・直々に・・・祝福を頂きました」
教皇様のパレードが終わり、人々が広場から退出していく中、ユリアは感極まって号泣している。
「夢が叶って良かったね」
「はい・・・もう、思い残すこと・・・はありません」
泣きながらとんでもないことを言い出した。
そこまで感動するものなの?
苦笑いが出そうになるのを、意志の力で堪える。
江莉香には、ユリアの感動がさっぱり理解できないが、折角の感動に水を差すような真似はしたくない。適当に、話を合わせることにした。
今日は十日に一度の祝福の日だ。
この日は、普段は人前に現れない教皇様が、一般庶民の前に姿を現し、祝福を授けて下さるのだという。と言う事はあれは手を振っていたのではなく、祝福していてくれたのか。
同じような光景をTVで見たことがあったわね。
正直に言うと、着飾った中年おじさんを見ても、その衣装や権威に感心はしても、その溢れ出しているであろう荘厳さには感動しない。偉い人なんだろうなと思うだけだ。
でも、ユリアだけでなくエミール、いや周りの人たち全てが呆然とした状態で、涙を浮かべている人も少なくない。
彼らにとっては、教皇様はスーパースターなのね。私なら誰を見たら泣くだろう。テイラー・スイフトが好きだけど、見ても泣かないかな。嬉しいけど。
ケロッとしているのは私とクロードウィグだけ。
普段は話題が少ない私とクロードウィグだが、今なら話が合うはず。
これで、ユリアの王都での最大の関心事は終わった。いや、この調子だと十日後にもう一度行きたいと言い出すかもしれない。
そんな事を考えながら、人波に乗って南へと向かう道を歩いていると、どこかで道を間違えたらしく、全く見覚えのない区画に出た。
まぁ、その内、見覚えのある場所に出るだろうと、高を括ったのが運の尽き。どんどんと建物が密集する薄暗い路地になっていく。
辺りには異臭が漂い、まるでスラム街のようだ。
これは不味いと踵を返したとき、江莉香はすれ違った人にぶつかってしまった。
「あっ、すいません」
咄嗟に日本語が出る。
ぶつかった人は、こちらに視線を送ることもせず、何歩かフラフラと進むと、突然地面に倒れた。
崩れ落ちるというよりかは、そのまま真っすぐに倒れ、辺りに物凄い音がした。
「キャー」
江莉香は思わず悲鳴を上げる。
明らかに人体が立ててはいけない音がして、身体と心臓が縮み上がる。
「大丈夫ですか」
慌てて駆け寄り助け起こすと、ぶつかった相手が女の人だと分かった。
身なりはボロボロ、髪はぐちゃぐちゃで、おまけに酷い匂いがする。
その姿は浮浪者の様だった。
抱きかかえた女の人は、目と口が半開きになって焦点も合っていない。
ぶつかっただけで、こんなことにはならないでしょ。
混乱しながらユリアと一緒に介抱するが、女の人は一向に回復しない。
これは、不味い。非常に不味い。ぱっと見は血は出ていないみたいだけど、骨折はしているかもしれない。
「お医者さん。お医者さんに連れて行かないと」
何はともあれ、お医者さんに診てもらった方がいい。
この四人の中で、一番王都に精通しているのはエミールだ。
「エミール。お医者さんを探して」
焦りながらお願いすると、エミールが渋い顔をした。
「・・・言いにくいのですが、エリカ様・・・その女はこのままにしておく方が良いのではないでしょうか」
普段は異議を唱えないエミールの口から、信じられない言葉が飛び出した。
「何言ってんのよ。このままにしておけるわけないじゃない」
人にぶつかって怪我をさせておいて放置するなんて、本気で言っているのか。当て逃げよ。当て逃げ。
「お言葉ですが、その女はどう見ても浮浪者です。王都にはそのような境遇の者は沢山います。一々、助けていてはきりがありません。エリカ様の同情を買うために、わざとぶつかったのかもしれません」
「そんな訳ないでしょ。私が急に引き返したからこの人に当たったのよ。くだらないこと言ってないで、お医者さんを探して。嫌なら私が探してくる」
江莉香の剣幕にエミールはため息をついた。
「・・・分かりました。ただ、この場所は危険です。一度、お屋敷にお戻りください。そこに医者を連れてまいります」
エミールの言葉に少し冷静になった江莉香は、周りを見渡す。
確かにあまり治安がいいとは思えない雰囲気だ。
「う、うん。分かった。クロードウィグ。この人を運んで」
江莉香の命令を受けたクロードウィグは、藁束でも担ぐかのような要領で女の人を担ぎ上げた。
浮浪者だろうが何だろうが、怪我をさせたら介抱する。それが江莉香にとっての人の道であった。
大きな通りに出た江莉香は、銀貨をちらつかせて強引に馬車を一台レンタルし、女の人を滞在先の館に運び込んだ。
見たところ外傷はないが、ビックリするほどやせ細っている。
エミールの言うように浮浪者で、食べる物に困っていて栄養失調なのかもしれない。
江莉香は館の使用人にお願いしてスープを作ってもらい、女に食べさせることにした。
先ほどよりは意識がしっかりしてきたのか、それとも食べ物の匂いで意識が覚醒したのか、女は手渡されたスープを口にする。
暫くすると、エミールが医者を連れてきたので、診断してもらう。
物凄い音を立てて倒れた割には、大きな怪我はなく打身や切り傷程度で済みそうだ。頭とか打っていないといいけど、そればっかりはこの世界では診断のしようがない。
取りあえず、お医者さんの見立てでは栄養失調だったみたい。
お腹が減っていて力が出なかったのね。それなら、お腹一杯食べたら回復するかもしれない。
大事(おおごと)にならなくて安心した。
「ここは・・・」
診断を終えた女の人が、ベッドの上で不思議そうな顔をする。
「ごめんなさい。私が貴方にぶつかって、倒してしまったのです」
「ぶつかった・・・」
謝罪をするが、どうやら覚えていないみたいだ。
「はい。私が急に進路を変えたから・・・痛い所とかありませんか」
「・・・分からない」
女の人は首を振る。
そうよね。意識が朦朧としているだろうから、あまりあれこれ訪ねても混乱するだけだ。
「まだ、お腹が減っていますか。よかったらお代わりを運んできます」
女の人は、暫く固まっていたが、恥ずかしそうに頷いた。
「了解です。持ってきますね」
食事がとれるなら、大丈夫そうだ。
元気になるまでは、この人の面倒を見よう。
江莉香は決定を下す。
エミールの指摘通り、これが食べ物を得るための演技なら、それならそれで大した演技力よ。
その身体を張った迫真の演技に対して、報酬を払うつもりで面倒を見るのであれば、騙されたとしても腹は立たない。
続く
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