第119話   フィナーレ 叙任式

 将軍から翌日と伝えられていた叙任式が延期となった。

 一報を聞いたときエリックは戸惑い、エリカは嬉しそうに笑ったが、どちらも長くは続かなかった。

 その報せを持ってきたボスケッティ神父が延期の理由を述べたのだ。


 「叙任式ですが、当初は将軍閣下のお屋敷の礼拝堂で行われる予定でしたが、お二人の叙任をお聞きになられた司教様が大変お喜びになられ、アナーニー司教座教会で叙任式を行ってはどうかと仰られました。将軍閣下もこのお話を了承なさりまして、叙任式は五日後の月の日を予定しています」

 「司教座教会で叙任式? 本当ですか」


 身を乗り出すエリックにボスケッティ神父は大きな体を揺らして頷いた。


 「はい。司教様はお二人の叙任をことのほかお喜びであります。これは大変名誉な事でございますよ。おめでとうございます」

 「おめでとうございます。エリカ様」


 ボスケッティ神父に付いてきたユリアがエリカに抱き着いた。


 「ええっ。うん。ありがとう」

 「それでは、私は式典の準備がございますのでこれにて。お二人とも、おめでとうございます。シスターユリア。後を頼みますよ」

 「はい。お任せください」


 いそいそとボスケッティ神父は店を出て行った。


 「はぁ。後ろに伸びただけか」


 残念そうにつぶやくエリカをしり目に、エミールがエリックに駆け寄った。


 「エリック様。五日後なら間に合います。村のお母さまにお知らせいたしましょう」

 「間に合うって、叙任式にか」

 「はい。今から行ってまいります。お任せを」

 「あっ、おい」


 ボスケッティ神父に続き、エミールも店から飛び出した。あの調子なら夜通し馬を走らせてニースに吉報を届けるつもりだろう。

 今日の店には砂糖を買わない客が、入れ代わり立ち代わりやって来る。

 時を置かずに今度はドーリア商会のフスが小走りで現れた。

 この人は現れるときには大抵小走りだ。


 「おめでとうございます。お話は伺いました。五日後、司教座教会での叙任式。全て、全てを我々にお任せくださいますよう。エリック様とエリカ様のご衣裳は我等ドーリア商会の全力を挙げてご用意いたします。差し出がましいとは存じますが是非ともご用命を」

 「お話は、有難いですが、あいにく手持ちの資金が底をついているんです。あまり派手なのは・・・」

 

 エリカの言葉にフスは自分の頭を叩いた。


 「これは、失礼いたしました、最初にお伝えすべきでございました。もちろん今回の式典の諸費用は全額、私共が負担させていただきます。いえ、負担させてくださいますようお願い申し上げます。我等がギルド長と副ギルド長の晴れの叙任式でございます。他の者には任せられません」

 「そこまで言うなら、私からは何もないけど、エリックは」


 話を向けられるとエリックも頷く。


 「お願いしよう」

 「ありがとうございます。ありがとうございます。では、早速でございますが、お二人のご衣裳をあつらえるためにも寸法を測らせていただきたく」


 フスが手を叩くと大勢の女たちが現れた。

 その日は小さな店は上や下への大騒ぎとなった。


 

 五日後の月の日。

 オルレアーノの中央広場に面する聖アナーニー司教座教会で、今回の戦役で活躍し騎士に叙任された者たちの式典が開催された。

 聖堂の中は人で満ち、入りきれなかった人々が教会の外に溢れていた。

 本来であれば騎士への叙任式は関係者だけで、大事(おおごと)にすることも無く終わらせるのであるが、今回は違った。

 数日の準備期間により、遠方からの来客が参加できるようになったからだ。

 聴衆の多くががニースから押し寄せた村人たち。残りは教会と商会の関係者たちだ。そして、その人だかりに吸い寄せられたオルレアーノの市民。


 オルレアーノで最も荘厳な建物で叙任式が始まった。

 教会の声楽隊が賛美歌を歌う中、正装の司教が現れ、叙任される五人の者たち一人一人に祝福を与える。

 五人の中には蒐でエリックと剣技で対戦した、ワルドーナ・エメリッヒ百人長が含まれていた。

 彼は奇襲を受け、崩れる軍団の最後尾を最後まで守りぬき、多くの友軍を砦に撤退させた功が認められての叙任であった。 

 その他の二人も、あの困難な局面で獅子奮迅の働きをした勇者たちであったが、この日は完全に前座であった。

 

 「エリック・シンクレア・センプローズ」

 「はっ」


 金糸の刺繍あしらった黒のウエストコートに、同じ色の上下を纏い、白の胸飾りが目に眩しいエリックが跪く。

 王都、エンデュミオンから遣わされた紋章官が高らかに叙任の文言を読み上げる。


 「その功績の大なるをもって王国の騎士として認め、ニースの地を授ける。一層の奉公に期待する」

 「ははっ、有難き幸せ。栄光あるロンダー王国と国王陛下の御為に、命を捧げ奉公を誓います」


 エリックは紋章官から事前に教えられたとおりの受け答えをした。

 ロンダー王国における騎士身分の者たちの構成は様々である。国王直属の騎士もいれば、貴族に仕える騎士もいるし、半独立したような騎士もいる。

 しかし、皆が建前上は国王の直臣と言う事になる。

 これは、あくまでも建前であるので、エリックは引き続きセンプローズ一門、インセスト家に仕えることとなるが、ある種の治外法権をも同時に手に入れた。

 それは、世俗裁判からの免責権、王立裁判所への提訴権、爵位の世襲権、各種の免税権などと様々である。

 同時に軍役などの義務も発生はするが、平民身分とは一線を引く立場となった。


 そして、故郷ニースの地が封土として授けられたのだ。

 願ってはいた。そして夢に見ていた。

 しかし、それが実際に叶ったというのに未だに信じられない。これは夢なのかもしれない。北の大地で死にかけている自分が、最期の時に見ている夢なのかもしれない。だが、これが最期の夢であれば悔いはない。

 去年の自分にこの話をしても、絶対に信じない。くだらないと、笑いもしないだろう。それほどまでの夢物語だ。

 夢現(ゆめうつつ)のままのエリックの前に白い影が現れた。白い影は両の手に儀式用に装飾された剣を持つ。


 白色のフープランドと呼ばれる長衣を纏った女は、跪いたままのエリックの肩を剣で左右二度づつ叩いた。

 女の服装に飾り気は無いが、腰まで伸びる金髪が輝きを与え華やかに見せていた。


 「お立ち下さい。エリック・シンクレア・センプローズ」

 「はっ」


 立ち上がったエリックに今度は女が、紋章官より手渡された長剣をエリックの腰につけてやる。


 「おめでとう。エリック。いえ、今日からはエリック卿とお呼びしなくてはなりませんね」


 女はそっとエリックに囁いた。


 「ありがとうございます。セシリア様。どうか、今まで通りエリックとお呼びください」

 「わかりました」


 セシリアはそうほほ笑むと、わずかに近寄りまた囁いた。


 「では、これからはわたくしの事はセシリアとお呼びなさい」


 驚いて、セシリアの瞳を覗き込んだ。


 「わたくしの騎士エリック。それがわたくしの最初の願いです」


 セシリアはエリックにだけ見えるようにほほ笑む。


 「承りました。これからも変わらぬ忠誠を」

 「約束ですよ」

 「はい。誓って」

 

 視線を交わしただけのキスをして、二人は離れた。


 エリックが振り向くと聖堂に歓声が沸き上がる。

 新たなる騎士の誕生であった。

 視線の先には、母アリシアと妹レイナの姿も見える。母は前日から泣き続けていた。いい加減に涙も枯れたであろうに、今も変わらず泣いていた。

 レイナは無邪気に両手を振っている。

 父ブレグにこの姿を見てほしかった。どんな顔をするかは今となっては想像するしかない。笑うであろうか、泣くであろうか。いや、きっといつもの怒ったような困ったような顔を崩さないに違いない。それが、エリックの父であったのだから。


 エリックに続いてエリカが紋章官の前に跪いた。

 エリカの衣装については、白を基調とした修道女の礼装を推す教会と、貴重な布地をふんだんに使った、色とりどりの豪華な色彩の衣装を推す商会の間で大いに揉めた。

 一歩も譲らない両者の間で困ったエリカは、基本は純白の修道女の礼装を受け入れて、上から羽織る上着を、薄くて光沢のある深紅のケープにした。

 黒髪に純白の礼装、目に鮮やかな深紅のケープを纏ったエリカの美しさに、詰めかけた人々の間からため息が出た。


 「エリカ・クボヅカ・センプローズ。その功績の大なるをもって王国の騎士として認め、モンテューニュの地を授ける」

 「ありがとうございます。栄光あるロンダー王国と国王陛下の恩為に命を捧げ奉公を誓います」


 若干の緊張感をはらんだ声が聖堂に響いた。

 当初は領地を与えられることに激しく抵抗していたエリカではあったが、与えられるモンテューニュの地がニースに近く、土地は荒れ果て人もほとんど住んでいないことを知ると逆に喜んだ。

 どうやら、領民という存在が重荷だったらしい。

 人が住んでいない土地は領地としての価値は無く、エリカが不満を持つのではとフリードリヒも気にしてはいたのだが、結果は真逆であった。

 本当に何に喜ぶのか予測できない女(ひと)だ。


 思えば、ここまで来られたのも、この予測できない不思議な女(ひと)のお陰だった。

 山道で行き倒れたエリカを助けた時は、こんな女だとは思わなかった。

 人懐っこく、誰にも物怖じせず、高い知性と教養。そして底抜けなまでの明るさを持った、今まで出会った女、いや、どんな人にも似ていない。

 そんな言葉に出来ない複雑さを持った異邦人。


 エリカはコルネリア様によって剣の代りに短い木の枝を授けられた。

 冬になっても葉を落とさない、永遠の生命を表すエルリアの枝である。

 魔法使いが騎士に叙任される時の独特の作法のようだ。


 その役目は当初、セシリアのものであったが、それを知ったエリカがセシリアからコルネリアに、そして、エリックの担当であった武官からセシリアに変えてくれるようにと紋章官に願い出たのだ。

 その優しい心遣いに、猛烈な恥ずかしさと、それ以上の喜びを感じる。


 エリカの儀式はそれだけでは終わらず、コルネリアが退くと再び司教様が前に出て、神聖語で何かを語り始めた。

 ミサでよく聞くが、全く意味が分からない言葉の羅列だ。音も平坦で、どこからどこまでが一つの単語、文章なのかもわからない。

 しかし、そんな難解な言語を、司教様以上の流暢な神聖語で返すエリカ。

 神聖語はほんの一部の単語しか分からないが、司祭様とエリカ、どちらが高度な神聖語を駆使しているかはエリックにも理解できた。

 そして、それはここに居る人、全てがそうであろう。

 神々の言葉を理解できるエリカは、やはり天から降臨してきたのかもしれない。

 彼女には教会から特別に、神々の娘を意味する「アルカディーナ」の称号が授けられた。これは、聖女の称号の前段階である。騎士以上に名誉ある称号だ。

 今後、エリカを拝むものが増えるだろうが、教会たっての願いとして司教様とボスケッティ神父が嫌がるエリカを、半ば強引に押し切ったらしい。


 彼女は神々が俺に、いやニースに遣わされた天使だ。

 昔、メッシーナ神父に向かって彼女は天使かと問いかけたが、いみじくも真実を言い当てていたのかもしれない。

 そんな彼女が自分と同じ騎士となる。

 一体彼女は何処まで駆け上がっていくのだろう。遥か彼方に突き進むことは疑いない。

 俺は何処まで付いて行けるのだろうか。

 だが、食いつけるところまでは、食いついて行くつもりだ。

 彼女はきっと思いもよらぬ世界を切り開く女(ひと)なのだから。

 そんな世界を俺も見てみたい。


 司教様のお言葉が終わり、エリカが振り返るとエリック以上の歓声が巻き起こった。

 聖堂の席の左手の最前列は、メッシーナ神父やボスケッティ神父、シスターユリア、そして共に北方の地で戦った神聖騎士団の騎士たちが並び、その隣に負けじとドーリア商会の主立った者たちが立ち並ぶ。

 一度王都に戻っていたジュリオやモレイは再び船を仕立ててオルレアーノに足を運び、相変わらず奇抜な配色の衣装を纏ったフスと、ニースから駆け付けたモリーニが後ろに控える。

 彼らは教会と争うように、この式典へ資金をつぎ込んだようだ。

 きっとエリカのことを商売の女神として崇拝すると決めたのだろう。

 実質的なギルドの長(おさ)はエリカであることは明らかであった。

 俺はエリカが嫌がるから長(おさ)をしているに過ぎない。それで、彼女が喜ぶのであれば、それの役目を受けよう。


 式典が終わり、聖堂の外への道をエリカと共に歩んだ。


 「ありがとう。エリカ。騎士に叙任されたのもエリカのお蔭だ」

 「どういたしまして。と言いたいけど、まだ、お礼には早いわよ」

 

 礼を述べると、右手を挙げて制される。


 「前にも言ったけど、エリックの目標は騎士じゃないでしょ。騎士の身分はあくまでも通過地点よ。ゴールはその先。油断しないで。そんな浮かれポンチのエリックに、私の国の有難ーい言葉を教えてあげる」

 「なんだ」

 「『勝って兜の緒を締めよ』よ。なかなか含蓄のある言葉でしょ。ちょっとした成功で浮かれるな。勝ったからって油断するなって意味」

 「確かに、騎士に成って浮かれていたよ。俺の目標は騎士の身分じゃない」

 「そう。目標はもっと先。そこまで行ってこそ大勝利なの。わかった」

 「わかったよ。ところでその言葉は誰が言ったんだ」

 「知らないの」


 エリカが悪戯っ子のように笑った。


 「知る訳ないだろう」

 「いいわ。教えてあげる」


 誇らしげに胸を張る。

 エリカの身長はエリックに比べほんの少し低いだけだ。これまでも目線は常にエリカと並行であった。


 「かつてわたしの国に襲い掛かってきた、強大なロシア帝国のバルチック艦隊。この当時世界最強と呼ばれた艦隊を完膚なきまでに撃滅して、国を救った明治日本の大提督。東郷平八郎の言葉よ。この言葉は敵艦を全滅させた後に言ったそうよ。どう。凄いでしょう」


 神聖語を交えて話すエリカの言葉は、半分近く理解できなかったが、最後は理解できた。


 「敵を全滅させた後に、兜の緒を締め直すのか。確かに名将の言葉だ」

 「エリックも忘れないで」 


 その言葉が心の奥底で響いた。


 「ああ、忘れない。決して忘れない」

 「まぁ、これからもよろしく。騎士とか言われてもよく分かんないし」

 「それは、俺の言葉なんだがな。ともかく任せておけ」


 二人が聖堂の外に出ると、入りきれなかった人々がさらなる歓呼で迎えたのだった。



              終わり



 いつも本作にお付き合い頂き、誠にありがとうございます。

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