第116話 凱旋式
北からの冷たい風が吹きよせ、すっかり冬支度を終えたオルレアーノの街に、高らかなラッパの音色が響き、冷え切った空に美しい音色が融け込んだ。
オルレアーノの城壁北側にある金獅子の門が開くと、歓声が沸き上がる。
市民の歓声の中、北方より凱旋した軍団兵がオルレアーノに入城したのだ。
沿道にはオルレアーノの市民たちが鈴なりに並び、どこから調達したのか花びらが舞う。
こうして凱旋式が始まった。
その凱旋式の前日。
オルレアーノの郊外で、センプローズ一門の軍団は入城の準備を行っていた。
エリックはフリードリヒの天幕に呼び出され、思いもよらぬ役目を与えられた。
「エリック。お前には我が一門の大旗の旗手をしてもらう」
「えっ、私が大旗手ですか」
フリードリヒの言葉にエリックは目を丸くする。
「そうだ。しっかりと励め」
「そっ、その、私ごときが務めてよろしいのでしょうか」
声が震えるのを止められないエリックに、フリードリヒの隣に立つダンボワーズが頷いた。
「無論だ。将軍閣下もお許しになられた。其方には我等が一門の旗を掲げてもらう。入城は王国旗に続いて二番目だ。よいな」
「はっ、身に余る光栄です」
あまりの栄誉に、震えが身体全体にまで及ぶ。
「うむ、此度の戦での其方の働きが認められたという事だ。ブレグは良い息子を持った」
「ありがとうございます」
二人の前を辞したをエリックは、この朗報をニースの面々に伝えた。
「誠でございますか。若」
ロランはエリックの両肩を抱いて吠える様に確認する。
「ああ、信じられない」
「なんたる。栄誉。夢ではありますまいな」
「おめでとうございます。エリック様」
「それは、めでたい。一生に一度あるか無いかという栄誉です。おめでとう。エリック卿」
エリックの興奮が伝わったかのように、ロランやエミール、コルネリアが祝福した。
そして、その興奮が伝わらない人間が一人。
「えっ、何が凄いの。行進で旗を持つだけでしょ」
皆の興奮に付いて行けず江莉香は首を傾げた。
「何言ってるんだ。一門の大旗を持って入場できるんだぞ。自分で口にしても信じられない」
興奮したエリックが叫ぶ。
「うん。それは分かるけど、何か凄い事なの。それって」
エリックの説明は説明になっていない。
旗が持てるからなんなのって感じ。パッと思いつくのがオリンピックでの入場行進で日の丸掲げている人。
確かに選ばれたら凄いけど、そんなに喜ぶことなのかな。
まぁ、目立つからいいとは思うけど。エリックって目立ちたがり屋でもないし。何がそんなに嬉しいんだろう。
理解していないエリカにロランが説明を始める。
「エリカ。一門の大旗は一つだけだ。普段は屋敷で大切に保管され、戦や蒐などでは常に一門の長である将軍閣下の元にある」
「へぇ、そうなんだ。ああ、あれか、言われてみたら蒐で見た記憶がある」
「この旗を掲げることが許されるのは、一門の中でも数えるほどだ」
「大事な旗って事ね。それにエリックが選ばれたって事か。良かったね」
ようやく理解した気になった江莉香にロランは首を振る。
「そんな軽い事ではない。最近でに限ったとしても、式典で大旗の旗手を務められたのは、フリードリヒ様だけだ」
ロランの言葉に一瞬固まる。
「・・・ええっ、って事は若殿の代りをするってこと」
「そうだ、いかに恐れ多い事か分かったか」
「うん。分かった。凄いじゃない。エリック。そりゃね一門の誉れよね」
これは、凄い。
若殿の代理なんて、余程信頼されないと任せられないわよ。今回の戦争で頑張ったもんね。
「これは、エリック卿が騎士に叙任されることは間違いないですね」
コルネリアの言葉に全員の視線が集まった。
「えっ、それ本当。本当に。エリックが騎士に成れるの」
江莉香の言葉にコルネリアはしっかりと頷く。
「大旗の旗手を務めるものが、平民であった試しはない。少なくとも私は聞いたことがない。高位の貴族や騎士が務める職。その旗手に選ばれたのだ。間違いないでしょう」
「確かに、軍団旗ならいざ知らず。一門の大旗・・・・・・若、おめでとうございます」
皆が口々にエリックを祝福した。
どうやら、騎士への内定を貰ったみたい。
その夜、ニースの天幕は、一足速いお祭り騒ぎとなった。
エリックは緑地に白で縁取りされたセンプローズ一門大旗を掲げ、オルレアーノに入城した。
通りの建物には、色とりどりの布がかけられ、華やかさを演出している。中には家の扉に彫刻を飾って出迎える者もいた。
賑やかなオルレアーノの街が更に賑やかに彩られる。
エリックの先を行くのは、赤地に黒の双頭の鷲が描かれた王国旗。
旗手はアランが務める。
アマヌの一族への援軍要請が成功したことが、高く評価されている証であった。
二人を先頭にそのまま、隊列はオルレアーノの中央広場に到達すると、急遽こしらえられた木製の観客席に、びっしりと市民が詰めかけていた。
エリックの登場に拍手と歓声が上がった。
エリックの後ろには軍団所属の楽団が続き、行進曲を奏でる。
楽団に続くのは第一中隊から順に進む軍団兵達。籠城戦を戦い抜いた精鋭部隊だ。
家族であろうか、泣きながら兵に呼び掛ける市民の姿もある。
そして、二千人ばかりの軍団兵が通り過ぎた後に現れたのが、今回の戦役の主役であったフリードリヒであった。
フリードリヒが白馬に跨り広場に差し掛かると、大歓声が巻き起こる。
この度の戦役で、フリードリヒが率いる援軍部隊が北方民を退け国境線を守った事は、皆が知るところであった。
市民たちは若き英雄の誕生に沸き返ったのだ。
軍の総司令官たる将軍は、跡取りに箔を付けるためにも行列の最後尾を目立たぬように続いていた為、完全にフリードリヒの独り舞台となっていた。
江莉香はセシリアやコルネリアと共に、フリードリヒの側近たちと一緒に駒を進めた。
この序列からも、彼女たちがいかに尊重されているかが窺い知れた。
「凄い歓声」
江莉香は隣を進むセシリアに声を掛けるが、セシリアは首を傾げる。
悲鳴にも似た大歓声に阻まれて、声が届かないのだ。
フリードリヒに向けて、歓声と花束が投げつけられる。
それらは近くに居る江莉香にも飛んできた。
皆、笑顔でこちらに向かって手を振る。兵士たちの中で女の江莉香たちは目立っていた。
男も女も大人も子供も関係ない、目に飛び込んでくる人の全てが、純粋な喜びであふれていた。
段々と嬉しくなり、セシリアと一緒になって、こちらも手を振り返す。コルネリアですら小さく右手をかがけて歓声に応えていた。
北の戦場は地獄であったが、その地獄をドルン河以北に封じ込めたともいえる。
この街や、ニースまで地獄にするわけにはいかない。
終戦後、ここまで戻ってくる間、江莉香の中で抱いていたもやもやした気分は大歓声の前にかき消えていった。
その大歓声は一時(ひととき)、オルレアーノの街から冬の季節をも一緒に吹き飛ばした。
その夜、オルレアーノの参事会が提供した食料と酒が兵士と市民に振舞われ、オルレアーノの街は季節外れの収穫祭の様相を呈したのだった。
エリックや江莉香も仲間たちと共に、大いに飲み、食べて歌ったのだった。
「すっからかんよ」
「すっからかんだな」
凱旋式が終わり、祭りの後の優しい虚しさがオルレアーノを包む中、砂糖の店で江莉香はエリックに向かって言った。
机の上には中身が空っぽの木箱。
江莉香が金庫代わりに使っている箱だ。
「もう、気持ちいいぐらいの一文無し。全財産、今回の戦争につぎ込んだもん」
「幾らかかった」
「まだ、詳しい計算は出来てないけど、手持ちの金貨、銀貨は全部飛んでいったわよ。ドーリア商会に調達してもらった兵糧の代金とかは、まだ支払っていないから借金になっているぐらいよ」
「仕方ないな」
「うん。仕方ない」
エリックが結論を出すと江莉香は力一杯に頷いた。
手持ちの資金がなくなり、頭が痛い状況のはずなのに、二人とも楽しそうに話す。
今回、江莉香は手持ちの資金の全てを投入して事に臨んだ。
ドーリア商会のジュリオがかき集めてくれた兵糧は、持って帰るのも面倒だったのでジュリエットに感謝の気持ちとして進呈し、護衛についてくれた神聖騎士団が報酬を受け取らないというので、寄進として多額の金貨を渡した。
その他にも、薬代、輸送に使った馬やロバの使用料、雇った河舟のレンタル代、ニースの村人の経費や江莉香自身が消費した物品で、財布の中は文字通り空っぽだった。
「お金で、戦争に勝てるなら安いもんよ。私としてはセシリアが無事だったら他は割とどうでも良かったからね」
「どうでもは良くないとは思うが、言いたいことは分かる。で、どうする」
「どうしよっかな。手持ちの資金も無いからね。どこかから借りないと」
この、店の賃貸だって安くはない。ノルトビーンの仕入れに工房の燃料代、人件費などと支払先は日々発生している。
「商会に幾らか融通してもらうか」
「うん。まぁ、あれが売れたら幾らでも回収できるから、正直それほど深刻でもないし」
江莉香の視線の先には多くの瓶が並んでいる。もちろんその中身はニースで精製された砂糖だ。
「ユリアが戦っている間も作ってくれていたみたいね、お礼を言わないと」
「これだけあれば、支払いにも使えそうだな」
「支払うって、砂糖をそのまま渡すの。そんなの受け取ってくれないわよ」
「金貨や銀貨に比べたら嫌がられるだろうけど、砂糖は人気だからな。少し多めの量を支払えば嫌とは言はないんじゃないか」
「へぇー。なら助かる」
お金の代りに物納か。考えたことも無かった。
でも、私は嫌かな。一日のバイト料を砂糖で支払われたら、二度とそのバイト先には行かない。
「まぁ、エリックが騎士様に叙任されたら、幾らかご褒美が貰えるでしょ。期待してるから」
「おいおい、叙任されると決まったわけじゃないぞ。当てにされても困る」
先走る江莉香をエリックは嗜めた。
「騎士のコルネリアが太鼓判を押してくれたんだから大丈夫よ」
「俺はセシリーが無事だったから、叙任とかは別にどうでもいいけどな。セシリーが無事な事が一番だ」
「強がっちゃって、でも、私も割と同じ意見」
そう言うと二人は笑い合った。
続く
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