第114話   私は悪くない

 夕刻よりはじまった北方諸部族とアマヌ、王国連合軍との戦いは、砦から打って出た将軍の一撃によりあっけなく終了した。

 形勢の不利を悟った北方民たちは蜘蛛の子を散らすように大森林へと逃走する。

 開囲軍の指揮官であるフリードリヒとしては追撃を試みたかったが、夜のとばりが降りた森への追撃は効果が薄く、また、危険でもあったので形だけのもので終わる。

 それでも、万を超える北方民の軍を一撃のもとに撃破して見せたのだ。

 こうして、遠征軍の敗走から二か月近い包囲戦を強いられた王国であったが、逆転勝利と言える結果を手にした。

 受けた損害は甚大ではあったが、国境線を突破されるという最悪の事態は避けられたのだ。軍団を預かるセンプローズ一門としては、一安心と言える。

 砦から打って出た将軍は息子との合流を果たした。


 「よくやった。フリードリヒ」


 将軍は息子に褒詞を授ける。

 息子の誇らしげな顔を見ろ。大きな責務を果たし、武門の頭としての自信と誇りが現れている。

 

 「お褒めのお言葉、恐縮です。父上に置かれましてはご壮健そうで安心いたしました。蛮族共の排除が遅れたことをお詫びいたします」

 「よい。ただ、敵陣に突撃するのであれば、報せの一つも欲しかったぞ」


 将軍は力強く息子の肩を叩いた。

 物見から、包囲軍への突撃が開始されたと聞かされた時は、比喩ではなく文字通り椅子から飛びあがったのだ。


 「はっ、申し訳ございません。事態が急変いたしまして、連絡が間に合いませんでした」


 フリードリヒは苦笑いを浮かべる。


 「ほう。突発的な出来事であったか。道理で各部隊の連携が取れていないように見えたはずだ」


 将軍が見張りの報告を受けて砦の塔から見たのは、バラバラに突撃する軍勢であった。仮に包囲軍に備えがあれば、返り討ちになっていたかもしれない。

 ただ、長年の経験と勘で勝てると確信し、砦から打って出たのだ。

 そして、その勘は正しかった。

 二方面から攻められた包囲軍はあっけなく崩壊したのだ。


 「不手際は平に。包囲軍は三々五々に逃げ散っております。一応、追撃の部隊を差し向けましたが、夜の森に足を踏み入れるのは危険かと思い、深追いは避けておりますが、いかがいたしましょう」

 「それでよい。夜が明けてから騎兵隊で追撃しろ。それで、充分だ」

 「畏まりました」


 将軍の返答は想定内であったのだろう。フリードリヒは優雅に一礼した。


 「それでは、父上に紹介したい方がいらっしゃいます」

 「誰だ」


 周りを見回しながら愉快そうに尋ねる。

 息子の返答の予想は付いている。先陣を切って突撃したの多数の騎兵隊。そのいでたちは明らかに北方民のそれであった。

 息子が、どこかの北方民より助力を引き出したのは明らかであった。


 「アマヌの岩壁の一族の長。ジュリエット殿です」

 「なに。それは誠か」


 大げさに驚いて見せたが、その驚きの半分は本当だ。

 アマヌの岩壁の一族と言えば、北方民の中でも強力な部族だ。王国との関係は良くも悪くもない。敵対もしないが味方でもないという、独立不羈の強い一族として知られている。

 そんな、一族から助力を引き出したのか。

 将軍は息子に頼もしさを覚える。

 これならば、近いうちに家督を譲れるだろう。


 「はい。こちらへ」

 「うむ」


 フリードリヒが族長を呼びつけなかったことにも満足する。

 助けてもらった者が、礼を言うべきなのだ。それが例え北方人相手であっても。

 フリードリヒの案内した先に赤毛の少女が馬に跨っていた。


 

 勝利に沸き返る兵たちの間を、江莉香は羽黒を進める。

 馬の嘶きと巻き上げられた土埃、楽し気に振舞う男たちの足元には、なぎ倒されたテントや物資。そして、どす黒い血の海。

 お腹の底から湧き上がる嘔吐感を必死に抑えようと視界を極力上に向け、無数に転がっている何かは見ないようにした。

 幸い夜のとばりが、それらを覆いつくそうとしている。

 本心を言えば、このまま丘の上の陣営地に戻りたかった。

 しかし、セシリアの無事を将軍や若殿に報告すると言われて、自分だけ一人で帰ることはできなかった。

 それは、何かから逃げている気がする。

 何から逃げているかは、考えなくても分かるのだが、考えたくない。

 考えたくないと思うほど、それに思考が占領される。


 私は何も悪くない。

 直接、殺したわけじゃない。

 セシリアを助けるためには仕方のない事。

 そもそも攻めてきたのは向こう側だ。

 私じゃない。

 そう、これは、れっきとした正当防衛。

 私に罪はない。

 向こうが悪い。

 当然の報いなんや。

 分かっている。分かっているけど・・・

 ああ、やっぱり、私は人を殺したんだ。

 人を殺してしまったんだ。

 セシリアの生死と天秤にかけて、この人たちの死を私は選んだ。

 私の安全と暮らしを守るために、この人たちの死を選んだ。

 後悔はしない。

 後悔はしないけど。

 どうして、こんなことを選ばなきゃならないのよ。

 日本での暮らしなら、こんなことを選ぶ必要はなかった。

 誰かを助けるために、誰かを殺すなんて日本ではあり得ない。

 こんな、訳の分からない世界に飛ばされたばかりに、こんな目に合う。

 私が何をしたって言うのよ。

 こんな目に合う事は何もしていない。

 こんな理不尽、許されないやろ。

 私は悪くない。

 私は何も悪くない。

 私はセシリアを助けたかっただけ。

 友たちを助けたかっただけ。

 だって、助けるでしょ。助けない方がどうかしている。

 私は悪くない。

 私は全く何も悪くないんや。


 青ざめた顔のまま羽黒を進めた。

 将軍の前にセシリアが現れると、将軍は心底驚いたような表情を作り、セシリアに詫びた。

 頭を下げる父親にセシリアも驚いた様子だ。

 親子が無事再会して、喜びを分かち合っている。

 美しい光景だ。

 今の江莉香には、それだけが救いであった。

 私の選択は何も間違ってはいない。

 間違ってはいないけど。



 「エリカ。大丈夫か」


 エリックは見るからに体調の悪そうなエリカに声を掛けた。


 「・・・何が」


 その声は消え入りそうなほど小さい。


 「無理に付いてこなくても良かったんだぞ。今から陣営地に戻ろう」

 「うん・・・でも、私だけ一人・・・帰れない」

 

 一人では帰れない。

 どういう意味だ。

 エリカの言葉に首を捻る。

 それは、移動できないという意味ではないことはエリックにも分かった。

 しかし、こんな死体が散乱している場所にエリカが耐えられるはずがない。恐らく死体を見たのも初めてだろう。鉄臭い血の匂いも漂っている。

 本来、女が目にするような光景ではない。

 魔法が使えるばっかりに、エリカはここにいる。


 「分かった。みんなで帰ろう。俺たちの役目は終わりだ。若殿にお伝えしてくる」

 「えっ、でも」


 いつもの強気は影も形もなく、本当に参っているようだ。


 「いいから。待ってろ」


 エリックはフリードリヒに近づき二三言告げると、フリードリヒは視線をエリカに向けた。

 エリカの顔を見たフリードリヒは短く頷く。


 「よし。お許しが出た。戻ろう。エリカ」

 「うん。ごめんね」

 「どうして、謝る。何も謝ることはないぞ」

 「うん。でも、なんか・・・ごめん」


 エリックの気づかいが心の底から嬉しかった。



 翌朝になり、江莉香はアマヌの一族と共に朝食を食べる。

 昨夜は気が立って眠れないかと思ったが、疲労がピークに達していたようで、床に就くとPCがシャットダウンするかのように気を失って、そのまま朝になる。

 陣営地に引き上げてきたジュリエットと並んで食事をする。 


 「ジュリエット。助けてくれてありがとう。セシリアも無事だったし。貴方のお陰です」

 「我が一族の働き、目に焼き付けたか。エリカ」

 「はい。勇猛果敢でした」

 「そうであろう」


 ジュリエットは満足そうに頷く。

 この娘(こ)は私と年も近いのに、多くの男たちを指揮して先頭で戦った。

 生まれ育った世界と立場が違うとはいえ、人としての格の違いを感じる。


 「お礼をしたいのだけど、何がいい。何でも言って、できうる限りをするから」

 「礼か。礼なら将軍がすると言っておった。仔細はトリスタンに任せているが」


 ジュリエットは肉にナイフを突き刺して、そのまま頬張る。


 「ううん。王国からじゃなくて、私から何かできることはある」

 「そうよな。ならば、この身と共に暮らせ」

 「えっ、暮らせって、アマヌの一族の所に引っ越せって事」

 

 江莉香が目を丸くするとジュリエットは笑った。


 「戯れだ。戯れだ。そうよな。では、年に一二度この身の元に来い。エリカは我が一族に迎えたのだ。遠慮はいらんぞ」

 「うん。わかった。いっぱいお土産持って行くわ。でも、それでいいの」

 「良いぞ。エリカの話は面白い。全く飽きぬからな」


 優しい言葉に涙が出そうになった。

 鼻をすすり上げて、態勢と口調を整えた。


 「ありがとう。なら、ジュリエットもニースに遊びに来て。いつでも大歓迎よ」

 「川向うへか? トリスタンが何というやら。だが、エリカの村も面白そうだ」

 「きっと気に入るわ。待ってるから」

 「そうだな。実は川向うに興味がある。誰にも言うなよ。エリカにだけ教える秘密だ」

 

 江莉香の誘いにジュリエットは声をひそめ、最後にいたずらっぽく笑った。

 彼女と彼女の一族のお陰で、この戦争に勝つことが出来た。勝ったとはいえアマヌの一族からも犠牲者が出ただろう。本来彼らとは関わりのない戦だったのに。

 出来る限りのことをしよう。

 江莉香はそう心に決めた。



                 続く

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