第113話   涙

 「つっはー」


 江莉香は左腕を突き出したまま息を吐きだした。頭の回路が混線しているようで、視界がチカチカし、羽黒の後頭部が複数に見える。


 「エリカ様」


 姿勢を崩しかけると咄嗟にアランが支えてくれた。アランの腕を掴んで荒い息のまま尋ねる。


 「どう。間に合った? 」

 「はい。コルネリア様が間に入られました」


 アランの視界には騎士団を率いて両軍の間に飛び込んだコルネリアの姿が目に映る。


 「良かった。私たちも行こう」

 「危険ではありますが、致し方ありません。私の後ろをお進みください。ロラン、エミール。お前たちは左右を守れ」

 「はい」


 エミールとロランが江莉香を挟み込む位置に着く。

 前後左右を男たちに守られながら江莉香は羽黒を前に進めた。

 セシリアの無事を確認するまでは安心できない。



 時は僅かに遡る。

 黄色い狼煙が上がり、アマヌの戦士たちが一斉に動き出したのに続き、到着したばかりの王国軍も隊列を組み前進を開始した。

 疲れた体に鞭打って羽黒に跨ると、江莉香を中心に騎士団は隊列を組む。

 フリードリヒの号令と共に軍が動き出したが、江莉香にしてみれば自分はどうすればいいのか分からない。

 何も言ってこないという事は、ここで待っていればいいのだろうか。それとも付いて行くべきなのかな。何も言われないのが一番困るんですけど。

 江莉香は辺りをキョロキョロと伺う。


 「どうしよう、どうしよう。みんなに付いて行けばいいの」


 情けない声を出して右隣のコルネリアに縋る。


 「落ち着きなさい。先ほども言ったでしょう。何も言ってこないという事は、私たちは数に入っていないという事です」


 コルネリアの後を継いで、左隣のアランもほほ笑みかける。


 「エリカ様。勢いはこちらにあります。エリカ様のお手を煩わせることもないでしょう」

 「なら、ここで、待っていればいいのかな」


 江莉香の声が明るくなった。

 戦いに行かなくて済んで、気が楽になる。


 「エリカが嫌でなければ、少し前に出ましょう。ここでは戦況が分からない。勝つにしても負けるにしても状況は掴みたい」

 「コルネリア様の仰る通りかと。それに、セシリア様がご無事でしたら、こちらに引き上げておられるでしょう。エリカ様が出迎えられては」 


 コルネリアの進言にアランが同意する。


 「うん。そうよね。私も早く無事なセシリアに会って安心したい」

 「決まりです」


 コルネリアは護衛の騎士団の隊長に視線を送ると、心得たとばかりに頷く。

 この部隊の運用は、江莉香の希望を聞いたコルネリアが仲介して騎士団が動くという形が出来つつあった。神聖騎士団の騎士たちもガーター騎士団であるコルネリアには一目置いているようで両者の関係は良好だ。

 ゆっくりと前進する江莉香たちの左右を、他の部隊が追い抜いていく。

 フリードリヒからの命令は最後まで来なかった。


 「そろそろ、会ってもいいんだけどな」


 見晴らしの良い場所で止まり状況を確認するが、突撃する兵ばかりで、引き揚げてくる人影は見えない。

 代りに川沿いをこちらに向かって来る一団を発見した。セシリアかと一瞬期待したが、どう見ても数が多いし、方向も違う。


 「アラン様。あれ」

 「包囲軍の一部のようですね。こちらを抜けていく腹積もりでしょう。敵中突破とは小癪な」


 アランが鼻で笑い、剣の柄に手をかけた。

 笑いこそしたが、声は緊張に張り詰め、目は鋭く光る。


 「どうしよう。こっちに来るのかな」


 恐れおののく江莉香にアランは優しく話しかける。


 「ご安心を、丁度一個中隊が展開しています。彼らに任せましょう」


 アランの言葉が聞こえたように軍団兵の一団が、近づいて来る一団の進路を阻むように前進した。


 「はい」

 

 江莉香の声は恐怖と緊張に震える。

 これから殺し合いが始まるのか。人が死ぬところなんか見たくない。

 視線を背ける江莉香に意外な声が聞こえた。


 「近づいている王国の軍団兵に告げます。わたくしはセシリア・インセスト・センプローズ。センプローズ将軍の娘です。こちらに敵意はありません。槍を下ろしてください」


 その声は、まるで電話から聞こえてくるかのように耳元で発せられた。


 「なっ。えっ、あっ、セッ、セシリア? 」


 顔が跳ね上がる。


 「間違ない。あの声、あの魔力。確かにセシリアです」


 コルネリアが同意する。


 「良かった。無事だったのね」

 「無事と言えるかどうか。事情は分からぬが、あの集団の中にいるようだ。このままでは中隊とぶつかる」

 「そんな。やめさせなきゃ」


 王国軍と北方民の集団は武器を構えて睨み合っている。王国の人が信じてくれなかったらセシリアが死んじゃう。

 江莉香は羽黒の腹を力一杯蹴り上げた。

 ここ数日の強行軍で少しは走れるようになっていた。


 「エリカ。待ちなさい。ええい、皆、エリカに続け」


 コルネリアの号令の下にアランやエミール、そして、神聖騎士団が駆けだした。

 

 「エリカ。どうするつもりです」

 

 軽々と江莉香に追いついたコルネリアが尋ねる。


 「間に入ります」

 「間だと、また、無茶をする」

 「そんなこと言ったって」


 江莉香が怒鳴るとコルネリアの口が僅かに上がる。


 「いいだろう。私か間に入る。騎士隊長殿」

 「おう」

 「お助け頂いてよろしいか」

 「お任せあれ。神々の恩寵のあらんことを」


 隊長はにやりと笑うと振り返り叫んだ。


 「全員聞け、これよりあの部隊との間に入る。命を惜しむな」

 「「おう」」


 百人近い男たちが一斉に応える。


 「エリカは魔法で援護。竜巻でもなんでも構いません。とにかくどちらかの足を止めなさい」

 「やってみる」

 「アラン卿。エリカを頼みましたよ」

 「身命に賭けて」

 「よし。私に続け」


 コルネリアが鞭を入れて増速すると、その後を騎士団が続いた。

 江莉香の周は突撃についていけない歩兵たちが固める。


 「クロードウィグ。お願い。北方民の人たちに戦う意思がないって伝えて。お願いよ」


 江莉香の必死の頼みにクロードウィグは無言でうなずき、コルネリアの後を追った。

 視界の端で、北方民の一人が飛び出したのが見える。

 睨み合いに耐えきれなかった根性無しに腹が立つ。

 止めなきゃ。

 江莉香は羽黒を止めると、左腕を前に突き出し腕輪に願った。


 お願い。戦いを止めたいの。

 あの空間に、空気の壁を。

 ふっと意識が遠くなる感覚。


 『おいおい、無茶を言ってくれるな。空気の壁ってなんだよ。空気は空気だろうが、壁になんてなるかよ』


 ぐちゃぐちゃうるさい。何でもいいから障害物を作ってよ。


 『はいはい。仰せのままに』


 身体中のエネルギーが左腕に集まり出す。

 狙いを動き出した騎兵隊の鼻先に定める。


 『大いなる風よ。荒れ狂え』


 腹の底から響き渡るような声と共に魔力が発動した。

 江莉香の魔力が寸分たがわぬ正確さで狙ったポイントで展開し、無数の竜巻となって顕現する。

 騎兵隊の足並みが目に見えて乱れ、そこで集中力が途切れた。



 「コルネリア様」


 エリックは目の前に走り込んできた騎影に呼び掛ける。


 「エリック卿。ご無事か」

 「はい。セシリー。いえ、セシリア様もご無事です」

 「よくやった。お見事です」


 普段、表情の変化に乏しいコルネリアの顔に見た事のない笑顔が広がった。


 「セシリー。助かったぞ。うわっ」


 振り返ったエリックの眼前にラミ族の戦士の剣が迫っていた。

 王国の兵と親しく話をするエリックを敵と認識したのだ。


 「やめろ、敵対する気はない」


 乱暴な剣筋を躱して叫ぶが、彼らに言葉は通じない。

 エリックは腰の剣を抜くべきか悩む。身を守るためには一旦抜くべきか。しかし、ここで剣を抜くと敵対したことになってしまう。

 エリックの逡巡は長くは続かなかった。


 「センシタチヨ。ケンヲヒケ。テキデハナイ」


 馬蹄と共に現れたクロードウィグの大声が、ラミ族の戦士の間に響いた。

 そのよく通る声にラミ族の戦士たちは、顔を見合わせる。

 彼らが戸惑っている間に、同じように戸惑っている軍団兵に騎士団の隊長が声を掛け少し後退するように依頼する。

 隊長に軍団兵を指揮する権限はないが、教会の旗を背にしている者からの依頼を無下にするのも難しい。しばしのやり取りの後、軍団兵は下がっていく。

 軍団兵が引いていくのを見ると、ラミ族も自然と大人しくなった。

 なかなか消えない眩暈をねじ伏せて、なんとか両者の間にたどり着いた江莉香は羽黒から降りると北方人の集団に向かって叫んだ。


 「セシリア。セシリア。いるんでしょ。返事して」

 「エリカ」


 北方人の人垣の中から、小さな影が飛び出した。


 「セシリア」

 「エリカ」


 走り寄る江莉香にセシリアが飛びついた。


 「よかった。無事だったのね」

 「はい。彼らのおかげで助かりました」

 「うん。怪我はない。酷い事されなかった」

 「大丈夫です。彼らは敵ではありません」


 江莉香の中に溜まっていたプレッシャーがみるみる融けてなくなる。

 融けたプレッシャーは自然に涙へと変わった。


 「よかった。よかったよ」

 「心配かけてごめんなさい」


 泣き出したエリカに釣られてセシリアも泣きだした。

 抱き合って泣きじゃくる二人を見て、ラミ族の戦士たちも剣を引き流血の事態は避けられた。

 こうして、セシリアの長い戦いが終わったのだった。



                 続く

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