第112話 睨み合い
ふたりは包囲軍に向けて突撃するアマヌの一族の後を追うが、このままでは戦場に向かってしまう。
エリックは一度、アンゼ・ロッタの脚を止めて、辺りを窺う。
「このまま進むのは危険だ。セシリー。包囲軍に見つからずにラミ族に会う道は無いか」
「ラミ族は水辺に陣を構えていました。川沿いに進めば、あるいは」
セシリアの指し示す方向を確認する。
「川沿いか。よし。行くぞ」
エリック達は突撃する味方から離れる。その中には王国の軍旗も見て取れた。若殿の軍も到着したようだ。
高台にあるランドリッツェの砦からもこの様子は見えているだろう。籠城軍に力が残っているのなら打って出るはず。数はそろった。この勢いなら包囲軍を打ち破れるだろう。
突撃する味方の後ろ姿に勝利を確信した。
セシリアの言葉通り、川沿いは人気(ひとけ)も無く閑散としている。そのまま、侵入すると数人の北方民たちの姿は見えたが、馬一頭、しかも二人乗りで進むエリックたちからは敵意を感じなかったようで、一度は視線を向けるが、すぐに別の方向へと流れた。
戦場はここより北側に広がっているので、彼らの注意はそちらに向かっている。
エリック達は混乱に乗じて、包囲陣に深く侵入すると遭遇する北方人の数も増えた。できうる限り人だかりを避けて進む。
結局一度も見とがめられることも無く、目的地にたどり着いた。
「エリック。あそこです。赤い目の梟のトーテレイムのある場所。あれがラミ族です」
エリックの視界に巨大な赤い目をした梟を模したであろう木の柱が飛び込んできた。その周りに多くの北方人がたむろしている。
彼らがラミ族なのだろう。エリックの目には他の部族との見分けは付かない。
それにしてもこの梟の柱、特徴的で目立つ目印だ。この事を話せば良かったのではと、考えると、セシリアも同じ思いに至ったらしく泣きそうな声を上げた。
「ああ、わたくしはなんと愚かなのでしょう。梟のトーテレイムを族長様にお伝えすることを思いつかないなんて」
「気にするな。一気に近づくぞ」
「はい。後は任せてください」
「よし」
エリックはラミ族の中にアンゼ・ロッタを乗り入れた。驚いたラミ族の戦士たちが剣を向けたが、エリックは剣の柄に手をかけなかった。
「イングヴァル。イングヴァル」
飛び降りたセシリアが北方人に向かって呼びかけると、戦士たちの中から少女が飛び出した。
「リディアナ」
少女はセシリアに抱き着くと悲鳴のような声で話す。
「ドコニイタ、シンパイシタ」
「アダンタ。イングヴァルハドコ」
「ワカラナイ。ウタゲニイッタハズダ」
「アア、ソウカ」
抱き合う二人の姿を見てラミ族の戦士たちは、エリックに向けていた剣を下ろしたが、不審そうに交互に視線を動かす。
セシリアは王国軍が突撃してきた事を話し、戦うより逃げた方がよいと説得を始める。しかし、族長不在のラミ族は、抗戦派と逃走派に分かれて言い合いになるだけで、その場を動けなかった。
必死に説得しようとするセシリアの頭上から角笛の音色が降ってきた。
見上げると、ランドリッツェの砦から角笛の音色と共に赤い狼煙が上がっている。
それは、突撃の合図。
砦に籠る王国軍が包囲軍の乱れに乗じて出陣したのだ。
「セシリー。将軍閣下が出陣した。逃げるにしても西は無理だ」
「なら、どうすれば」
エリックの言う通り西への退路は、砦から打って出た軍に阻まれる。北では突撃してきたアマヌの一族との戦いの最中。南はドルン河。進退窮まったと言っていい。
「こうなったら、東に向かうしかない」
「でも、東は」
突撃してくるアマヌの一族は東からやって来るのだ。そんな所に向かったら正面から戦うことになりかねない。
「話が通じるのは東だけだ。それに賭けるしかない」
「分かりました」
セシリアはアダンダを通じて東への逃走を提案するが、それは混乱に拍車をかけただけであった。逃走派が西と東に分かれたのだ。
ラミ族の近くに居た他の部族も、北の戦いに参加する部族もあれば、西への逃走を図る部族もいる。東に向かう者は皆無であった。
「シズマレ」
混乱が頂点に立った頃、全身を叩くような衝撃が走る。
音の塊がぶつかってきたようだ。
年老いた声が奇妙なほど鮮明に聞こえたかと思うと、声高に騒いでいたラミ族が一瞬で静寂に包まれた。
声の先に目を向けると、杖をついた老婆が女たちに囲まれて立っている。
先ほどの大音声(だいおんじょう)は、この小さな老婆からなのか。とてもそうは見えない。
「ミナ、リディアナノコトバニシタガエ。ソレガ、ゴセンゾノセンタクダ」
老婆は杖を東に指し示すと、セシリアの顔を明るく輝いた。
「センタクダ。ヒガシヘ」
老婆の後に続いてアダンダが声を張り上げると、ラミ族は渋々と言った態ではあるが、東に向かって進み始める。
しかし、動き出すには遅すぎた。
決断に時間をかけてしまったため、東への脱出路も塞がれ始める。
包囲軍を逃すまいと川沿いの脱出路に王国の軍旗が展開していく。それを見たラミ族の戦士たちは馬を揃えて突撃の態勢を整えた。
歩兵を中心とした王国軍が姿を現す。王国の主力を担う軍団兵たちだ。
エリックの心臓は早鐘を打つ。このままでは戦になってしまう。
前方に展開する王国軍はラミ族と同数かそれよりも少ない。突破しようと思えば出来るかもしれないが、一度、刃を交えては、その後の説得など夢物語である。
なにより同胞に刃を向けるなど論外だ。どうにかして敵意が無い事を伝えなくては。
エリックは接近する王国軍に向けて手を振るが、返答は無数の矢であった。飛距離が足りないようで飛んできた矢はエリックの前方に落ちていったが、話ができる状況ではないのは明らかだった。彼らとしても、北方民を逃がすわけにはいかない。
このまま、王国軍に近づこうとしても声の届く距離に入る前に射殺(いころ)される。
「エリック。どうすれば」
ラミ族から借りた馬をセシリアがエリックの隣に並べる。
「今、降伏すれば、危害は加えられないだろうが」
「無理です。戦わずに降伏などラミ族は致しません」
実行できない解決法を口にすると、セシリアの返答は僅かに誇らしげであった。
エリックは思わずセシリアの顔を見つめてしまう。
「どうしたの」
視線の意味が分からずセシリアは首を傾げた。
「いや、ともかく、向こうの百人長と話が出来れば、何とかなるはずなんだが」
「話すと言っても、声が届きません」
「だな。こうなったら、俺が・・・」
手綱を握り直すエリックの腕をセシリアは抑える。
「駄目。無事にたどり着けません」
今のエリックは捕虜らしく短衣だけの恰好。父から譲り受けられたアルゲルト・セグメンタルスも装備していない。一本の矢が致命傷になる事もあり得る。
「くそ、せめて鎖帷子ぐらい着こむべきだったか」
舌打ちするエリックにセシリアが声を上げた。
「ああ、そうです。もしかしたら」
何か思いついたようで、踵を返す。
セシリアはラミ族の老婆に近寄ると何かを話す。話を聞いた老婆は小さく頷くと、その場に座り込んだ。セシリアも共にしゃがみこみ、アダンダと呼ばれた少女もそれに続いた。
いよいよ、王国軍との距離が縮まり、ラミ族の戦士たちは馬上で盾を掲げ、その後ろでは弓兵が弓に矢をつがえる。
王国の軍団兵たちは隊列を形成し、盾を構え槍の穂先を向けながらゆっくりと前進する。
一方、ラミ族は先頭を騎兵隊で形成し、背後は弓兵が固める。
残り、十歩、双方が詰めると突撃という場面で、大きな声が響き渡った。
ラミ族の陣営地で鳴り響いた以上の声だった。
「近づいている王国の軍団兵に告げます。わたくしはセシリア・インセスト・センプローズ。センプローズ将軍の娘です。こちらに敵意はありません。槍を下ろしてください」
それは、大声と言うよりは、頭に直接響き渡るようで、反射的に耳を押さえる。
突然のことに思わず軍団兵たちの足が止まった。遠くからでも動揺しているのが見て取れる。
驚いたのは軍団兵だけではなく、ラミ族の戦士たちも同様であった。訳の分からない言葉が、頭の中に鳴り響いたのだから当然である。
老婆の前でうずくまるセシリアの頭の上に、老婆とアダンダの手が添えられている。
おそらく何らかの魔法なのだろう。
魔力で増幅されたセシリアの声が戦場に響き渡ったのだ。
これなら、話が出来ると安心したが、そうは上手くいかない。
セシリアの声に釣られるように、新しい軍団兵が現れてしまった。それを見たラミ族は、乱れた隊列を再び整え直す。彼らにはセシリアの言葉が通じないのだ。前方の軍団兵は止まっているが、ラミ族の方が堪えきれずに突撃するかもしれない。
ラミ族の動きを見た軍団兵たちも再び槍を構え直す。
どれぐらい睨み合いが続いたであろうか、遂にラミ族の戦士の一人が暴走してしまった。
「やめろ。馬鹿野郎。戻れ」
エリックの絶叫が通じるはずも無く。一人が駆けだすと、それに続くように騎兵隊が動き出す。族長が不在の為、誰が指揮官か曖昧なのだ。
こうなってしまっては戦は避けられない。セシリアの身の安全だけを考えなくては。
突撃するラミ族に対して軍団兵たちも盾と槍を構えて待ち構える。
双方に犠牲者が出るのは避けられない。
絶望に打ちひしがれるエリックに三度目の衝撃が走った。
今度は、音ではなく空気の塊であった。
『大いなる風よ。荒れ狂え』
衝撃と共に突撃を開始し始めた騎兵隊の鼻先に巻き起こり、地面の草木を舞い上げた。ラミ族の馬たちは突風に驚き足を止めた。均衡を崩して落馬する者も数人。ラミ族の突撃に合わせて放たれた軍団兵の矢も、全て地面に叩き落された。
一瞬の奇妙な沈黙の間に捻じ込むように、両者の間に完全武装の騎兵隊が飛び込んできた。
その数、三十騎余り。旗刺し物には太陽と月の紋章。
「双方、剣を引け」
先頭を走っていた白いローブの騎士が杖を高く掲げると、目を貫く閃光が走る。
それは、コルネリアの指揮する神聖騎士団の一団であった。
続く
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